年下御曹司は白衣の花嫁と極夜の息子を今度こそ! 手放さない

ささゆき細雪

Chapter,4_07. 月を渡る流れ星と太陽の行く末

 淑乃とはなしをしていたはずなのに、いつの間にか眠っていたらしい。
 朔は寝台のうえで、瞳をひらいた先にいる人物にそっと声をかける。

「叔父上……」
「よく眠っていたね。香宮の嬢ちゃんが呆れていたよ」
「そうだ、よしのは!?」

 彼女が朝一に見舞いに来てくれたのは覚えている。泣きそうな顔をして、自分の無事を確認してくれた淑乃は……?

「彼女なら、兄さんと院長のところだ」
「院長?」

 首を傾げる朔に向けて、陽二郎は「ここは彼女の元職場だろ?」と言い返す。
 そういえば診療所に引き抜かれるまで淑乃はここで働いていたのだ。過酷な医療現場でカウンセラーとしての腕を磨いたからいまの自分がいるのだと言っていた彼女だが、いまさら院長の元へ何をしに行ったのだろう。

「叔父上は木瀬派を潰そうとしてくださったんですか? それとも利用しようとしただけですか?」
「俺がけしかけたとでも思ってるのか? 冗談じゃない。彼はもう……過去と現実の区別がつかなくなってきている」

 今回の事件は病状がすすんだ木瀬の被害妄想と夜間徘徊によるものゆえ、刑事告発は難しいだろうとのことだった。朔の怪我が軽症で済んだこともあり、表向き派手に騒ぐつもりはないが、木瀬と同居していた会社役員の弟夫婦が責任をとって辞任することを表明したため、社内の木瀬派は壊滅的状況に陥った。上層部の動きが鈍ったいまこそグループ会社の膿を出す良い機会だと考えた朔は、部下たちに命令をくだした――早ければ数日中に決着がつくだろう。

「まあ、今回の件で良くも悪くも彼に従っていた一派は身動きが取れなくなりましたからね。叔父上にとってみたらいい迷惑でしかないんでしょうけど」
「おやおや、まだ俺が社長の座を欲していると考えているのかい? 暁と違ってそこまでバカじゃないと思ったんだけどな」

 暁のことを口に出されて朔は黙り込む。
 今回の件を知ったらなんと言うだろう。淑乃を泣かせたと怒られそうな気がする。それでも兄のことを心配してくれるだろうか。

「……暁に独立させるつもりですか?」
「そうだな……朔と香宮の嬢ちゃんが無事に結婚したら考える」
「婚姻届の証人なら間に合ってます」
「ケッ。ふたりを出逢わせたのは誰だと思ってんだ」

 朔の毅然とした応えに、陽二郎が苦笑する。相変わらず可愛げのない甥っ子だ。

「ところでついさっき知ったんですけど。よしのに木瀬の代診をさせたのはなぜです」
「へえ、ずっと黙ってったのか。さすがだな……」
「叔父上」
「単純に俺が嬢ちゃんとはなしをしたかったから、って言ったらどうする?」
「――冗談じゃない」

 憤る甥っ子の姿を嬉しそうに見つめてから、陽二郎は真面目な表情に戻る。彼の手には朔が本家から発掘した書類が握られていた。

「朔を逆恨みしている男の存在を、香宮を潰した男の存在を……そしてお前が繰り返した過去を、彼女に知ってもらいたかった。知ったうえで、彼女がどんな選択をするのか。俺はそれを見届けたいんだよ」

 木瀬のことを知らせたということは、朔が結婚式失敗後に婚約破棄へいたった経緯についても、その後に何が起きたかについても淑乃は知ったということになる。結婚式が失敗した直後、朔は父親の手を借りて篠塚工務店を奪った。大本が沓庭の大地主ということもあって、香宮の一族のように完全に没落することはなかったが、いま考えればあれは祖父が行った断罪行為を踏襲したようなものだ。淑乃には知られたくなかったけれど……

「契約違反したのは向こうだ」
「……まぁ、親父のようなヘマをしていない分、お前はマトモだ。理絵ちゃんに『海堂サマサマよ』と言われた俺の気持ちがわかるか?」
「わかんねーよ。つーか理絵ちゃんって誰だよ」
「俺の数少ない幼馴染。旧姓篠塚理絵。本家の前妻の娘さ」
「……はあ」
「旧家もいろいろ大変みたいだぞ。金はないのに矜持プライドが高い」

 淑乃の母親もそうだったのだろう。家を潰され、祖母を頼りに幼い娘と東京からこの地へ居を移し、令嬢としての生活を捨て、娼婦に成り下がった彼女はいつしか心を壊し、自分の娘すら毒牙に……
 朔の表情が暗くなったのを見て、陽二郎が慌ててフォローする。

「篠塚の人間はあの件でお前に従順になったと考えていい。残った木瀬派も自滅して風前の灯火だ。香宮の嬢ちゃんとの結婚をあからさまに反対する人間はいなくなった……それでも不安か?」

 陽二郎の労るような声に、朔は不安とは違うけれど、と弱々しく笑う。

「俺は、よしののことが心配なんだよ。彼女は……」

 そして陽二郎に預けた書類に記された名前を確認する。香宮淑乃の父親は死んだ兄弟の名を騙ってふたりの女性の夫となった。ほんらい、香宮の令嬢の婿になるはずの男が、すべての元凶だったのだ。

「血のつながりはなくても、木瀬は彼女の大伯父にあたるんだから」


   * * *


 愛するひとを傷つけたのは、自分の父親の兄が駆け落ちした娘の父親だった。
 淑乃にとってみればそれはたいしたことない真相なのだが、朔や彼の父親からするとそういうわけにもいかなかったらしい。

「それって他人ですよね?」

 病院をあとにした淑乃はばっさり斬って、隣を歩く陽二郎に詰め寄る。
 陽二郎は何を考えているかよくわからない人間だったが、朔の父親である彼の兄、明夫もまた、淑乃が想像していた人物像とは異なっていた。K&D二代目社長は淑乃と朔の結婚を認める代わりにいっぷう変わった条件を出したのである。

「……他人だよな」
「よかった、わかってくれた」
「けど、兄貴や朔はそうは思ってないってことだ」
「たぶん、サクくんはあたしとの結婚を反対するひとたちすべてを・・・・黙らせたいから、あたしに無茶ぶりしたんですね」
「まぁ、そういうことにしといてやれ……」

 朔が眠っているあいだに院長のもとへ連れ出した明夫は、結婚の条件として木瀬の心理療法の担当に入るよう淑乃に伝えた。愛するひとを傷つけた男を癒すことができるか、という大義名分らしいが、淑乃からすれば患者を治すのは当たり前のことである。「それでサクくんとの結婚を認めてくださるのなら、やります」と即答していた。

「たぶん、サクくんのお父さまは木瀬を許せるか、みたいなはなしをしたかったんだと思うんです。それとこれとははなしが違います。あたしはサクくんを傷つけた木瀬のことは許せない。けれど、木瀬もあたしの死んだ父親のクズな兄弟の犠牲者なんだなって思うと……そりゃあ逆恨みでも香宮の家を潰したくなっただろうなぁ、って」
「父親のことをクズと呼ぶなクズと」
「だけど、だからといって木瀬にこのまま死なれてもやっぱり後味悪いじゃないですか。正気を取り戻させて、罪の意識じゃないけど、自分がしたことを認識させるくらいしないと……ちょうどここに精神領域と終末医療に詳しいカウンセラーがいますし。サクくんのお父さまは木瀬が香宮やあたしの父親の生家を憎んでいた根本を暴露させたいんでしょうね。院長を通じて仕事として受け持ちましたのであたし、心理療法の観点から挑みたいと思います。だというのにその姿をまわりの人間に見せつけることで、次期社長となるサクくんの隣にいても遜色ない相手だと訴求する効果もあらわれるんですって! ほんと腹立たしいですね!」

 たしかに朔は木瀬に怪我を負わされた。淑乃は凶行に走った木瀬を許せないが、だからといって彼の病気を無視することもできないのだ。きっと朔の父親は罪を犯した木瀬のことも放っておけないし、朔を魅了しつづける淑乃のことも放っておけないのだろう。
 朔と結婚するなら大伯父にもあたる木瀬をどうにかしろと、そうすることで香宮との因縁は幕を下ろすと院長を交えて口先三寸で淑乃を丸め込んだ手腕にはぐうの音も出ない。
 思わず饒舌になって陽二郎に愚痴ってしまったが、彼は笑いを必死になって堪えているようだ。失礼な。

「海堂の人間はそんなのばっかだぜ。でも、嬢ちゃんならそんな狸たちと対等に渡り合えるんじゃないか」
「どうでしょうね。サクくんもアカツキくんも、ふたりのお父さまも亡きおじいさまも、そして陽二郎さん貴方もです……腹黒い狸ばっかりでイヤになっちゃう! トーヤもいつか狸になっちゃうのかなあ」
「腹黒い狸の巣窟へようこそ」
「自分で言いますか。あーやだやだ」

 そう言いながら楽しそうに笑う淑乃の姿が、彼女の母親に重なる。
 陽二郎が愛した最初で最後の女性に。きっと彼女はこんな風に笑わないだろうけど。それでも、面影が……

「……やっぱり娘、なんだな」
「――なにか?」
「いーや。なんでもないさ」

 海堂を憎んでいた彼女の娘は、K&Dの御曹司である朔に見初められ、子を宿した。
 自分が香宮のさいごのひとりであることから、彼からはなれることを選んだ淑乃は、隠れて出産したが、それを朔の弟の暁に知られてしまう。
 横恋慕した弟の邪魔が入ったこともあって、朔は初恋を拗らせたまま別の女性と結婚しようとしていた。利益にはなるが、それは誰も幸せになれない結婚だった。だから陽二郎は結婚式を壊した。香宮の娘を想いつづける気持ちを押し殺していた朔を覚醒させるため。
 結婚式が失敗したことで憑き物が落ちた朔は淑乃と再会し、今度こそ彼女と添い遂げて、幸せになろうとしている。心配の種だった木瀬のことも、淑乃が良い方向へ変えていくことだろう。

 ――ならば俺は、彼女と彼女を誰よりも大切にする甥と、ふたりの息子を守っていく騎士になって、支えてやろう。

 きっと彼女はこの先も。夜を彩る極光のように、太陽を翻弄しつづけるだろうから。

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