年下御曹司は白衣の花嫁と極夜の息子を今度こそ! 手放さない

ささゆき細雪

Chapter,1_04. 春宵に、未成年と酔っ払い

 大学に入ってすぐに見知らぬ女性の住居に連れ込まれるとは思いもしなかった朔だが、放っておけないという義務感からしぶしぶアパートのなかに足を踏み入れてしまった。
 男子寮から外、徒歩圏内にある学生用アパートの二階に、彼女の部屋はあった。何度か外階段を踏み外しそうになりながら、朔を杖の代わりにして、彼女は愉快そうに歩いていく。
 階段をのぼった先で空を見上げれば、満開の八重桜がおおきなまるい月に照らされているのがよく見えた。
 扉の鍵を覚束ない状態でどうにか開いて、朔を招き入れる。玄関に丁寧にふたりぶんの靴を揃える朔を物珍しそうに見つめていた彼女は、酔いが覚めてきたのか「名前きいてなかったね!」と問いかけてきた。

「……海堂、朔」
「へええ、サクくんっていうんだぁ。珍しい名前」
「そうですかね」
「サクってことは、月のない夜のことかな……今日みたいな夜は苦手?」
「いや、そんなことは……」

 軽やかな笑い声をあげながら、彼女は朔の腕をぎゆっと抱き寄せて、漆黒の瞳で覗きこむ。
 初対面だというのに、軽々と朔にふれてくる彼女は、白衣越しに胸の膨らみを無防備に突きつけて、朔を翻弄させていた。

 ――なんなんだ、この桜の精霊みたいな女性は?

 自分の名前を耳で聞いただけで朔月の「朔」だと理解する人間はなかなかいない。だというのに彼女は新月の日に生まれたのかな、とわかったような顔をしている。酔っぱらっているくせに。

「ふんふんふーん……月に桜にお酒があればぁ……」

 朔の反応を気にすることなく、彼女はへたくそな鼻歌をうたいながら晩酌の用意をはじめていく。まだ飲むつもりなのか? 焦りの表情を見せる朔に、「飲まなきゃやってられないでしょー」と橙色のマグカップに日本酒をなみなみと注いでいく。どうやら朔に飲ませるつもりらしい。さっき未成年だと言ったのに、ぜんぜんひとのはなしを聞いてない……!

「サクくんも飲んでね! あたしの部屋だからいっくら飲んで酔いつぶれても問題ないよー」
「いえ、大問題ですから! あと俺未成年!」
「そっかー残念だなぁ、じゃあー、ぜぇんぶ飲んであげるっ! ――ふっ……」
「ちょ、そういうことじゃっ……! あー!」

 きゃはは、と楽しそうにマグカップに入った日本酒に口をつけて、彼女はコテン、と朔のうえに倒れ込んでしまった。
 慌てて彼女を抱きかかえれば、すぅすぅと気の抜けた寝息が聞こえてくる。

「……な、なんなんだよまったく」

 酒臭い彼女を抱きかかえたまま、朔は途方に暮れる。
 こんな意味不明な女、布団に寝かせてとっとと寮に戻ればいいのだろう。
 けれども桜の樹の下で彼女は泣いているように見えた。年下の彼氏に裏切られ、失恋した痛みをはぐらかすようにひとり花見酒に興じて、朔を引っ張りこんだ彼女……目が覚めたときに自分がいなかったら、何を思うだろう。

「それに――こう見えても、先輩なんだよな」

 白衣を着ているということは、理系女子なのだろうか。すっかりシワがよってくしゃくしゃになっている。
 朔が所属する理工学部の学生ではなさそうだが……授業が終わってからも白衣を着ている彼女は何者なのだろう。
 部屋のなかを見回しても、こたつテーブルにノートパソコンがちょこんと乗っているだけで、学術書の類は見当たらない。女性の一人暮らしの部屋というには物の少ない、どこか寂しげな雰囲気が朔を落ち着かない気持ちにさせる。

「睫毛……長い」

 朔の膝の上で気持ち良さそうに眠ってしまった彼女の寝顔に、思わず見入ってしまう。
 外にいるときは暗くてわからなかったが、蛍光灯の下で見た彼女の顔は、整っていた。
 お酒が抜けていないからか、肌もほんのり赤らんでいて、大人の色気を漂わせている。
 朔は高鳴る心臓を宥めて、彼女が就寝時につかっているであろうベッドへ視線を向ける。
 意を決して抱きあげれば、想像以上に軽い身体に驚く。

「――?」
「先輩。寝るなら、布団で寝てください」
「……やさしいね、サクくん」
「そのままにしておいたら気分が良くないだけです」

 朔に抱きあげられたことで意識を取り戻した彼女がふぅ、と酒臭い息を吐く。

「よしの」
「はい?」
「あたしの、名前……香宮淑乃こうみやよしの。香る、宮の娘よ」

 ――先輩だなんて、堅苦しい呼び名、つかわないで。

 そう言いながら、甘えてくる淑乃を前に、朔は凍りつく。
 朔の驚きをものともせず、淑乃は己の両腕を彼の首にまわして、顔を近づける。

「……俺を騙したんですか」

 青褪めた表情の朔を見て、淑乃はくすりと笑う。
 どこか壊れた笑い方をして、朔に告げる。

「騙すだなんて人聞きの悪い。試しただけじゃないのー」
「コウミヤって……あの香宮?」
「そ。やっぱりあんたが月のない夜に生まれた海堂の跡取り息子だったんだ! 傑作だわ!」

 朔、と名乗った自分をあっさり「新月に生まれたから朔」だと見抜いたのは、そもそも存在を知っていたから。
 香宮淑乃は年下の彼氏に振られて桜の樹の下でひとり酒に浸っていたわけではない、はじめから朔がひとりで寮から出てくるところを狙っていたのだ。酔っぱらっているのは事実だろうが、ぎりぎり泥酔しないラインを死守していたことを考えると、演技も混ざっているのかもしれない。侮れない。
 どこからどこまで仕組まれていたのだろう。ギリギリと歯を食いしばる朔に、淑乃が微笑む。

「復讐しようなんて考えてないわ。ただ、興味があったの。あんたが……海堂の御曹司が、どんなオトコなのか、って」

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