偽装結婚を偽装してみた

小海音かなた

Chapter.10

 堀河がしみじみしながら書類を書き進める中、
「オレ、スタンプ印しか持ってないけど」
 先ほどの会話を聞いていた湖池がすまなそうに言う。
「あるよ。ね」
 攷斗がひぃなに問いかけると、
「うん」
 ひぃながバッグの中から三個の判子を取り出した。全て違う印材なので、【湖池】の物もすぐわかる。
「さっすがタナイ、仕事できるー」
「500円」
「えっ? カネとんの? いいけどいま財布持ってない」
「うそ。あげるよ。なんかで使うでしょ」
「やったー、サンキュー」
 湖池と攷斗のやりとりを聞きながら、堀河が書類を書き終えた。
「汚しそうだからハンコは湖池が書き終わってから押すわ」
 はい、と書類を湖池に差し出す。
「あんたしっかり丁寧に書きなさいよ? 一生もんの書類なんだからね?」
「はいっ!」
 湖池は背筋を伸ばして、敬礼せんばかりに返事をした。
「オレ、ペン習字やってたんで大丈夫です!」
 言って、胸ポケットから愛用のボールペンを取り出して書き進める。
 なるほど、確かに達筆だ。そして牛歩のごとくゆっくりだ。
 たっぷり時間をかけ、記入を終えた湖池が「ふぅー」と息を吐き、汗ひとつかいていないおでこを手の甲で拭いながら上半身を起こした。
「……その速度じゃ業務には向いてないわね……」
 無事書き終えて満足げな湖池に、社長が頬杖をつきながらつぶやく。
「すごい。フォントみたい」
 思わず関心するひぃなに湖池がドヤ顔を見せるが、
「書類の書き文字に三分の一でいいからその丁寧さを反映させてほしい」
「すんません」
 つぶやいたひぃなに謝って頭を下げる。
 湖池の速筆はなかなかに解読が難しいときがあり、事務部には解読班がいるほどだ。
「じゃああとは印鑑ねー」
 堀川が判子類と一緒に持ってきた朱肉の蓋を開けて
「湖池、先に押してよ」
 湖池の前に置いた。
「はーい」
 上下を確認して朱肉を経由し、書類へ印面を押し付ける。続いて堀川。
「…はい、綺麗にできました」
 ティッシュでハンコを拭きながら満足そうに堀河が言う。書類を手で扇いで印影が乾いたのを確認してから、
「残るは夫欄ね」
 攷斗に書類を渡す。

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