バーテンダーに落ちて酔わされ愛されて

花厳曄

XXⅠ

「うっわぁ」



目の前に広がるのは白い湯気で、その湯気に包み隠されたように姿を現したのは白濁色の大きな温泉。

2ヶ所あるうちの1つがこの温泉で、なんかもう1つのものより広い感じがするけどこんなものなのかな。よく分からないけど、まぁいいや。


入れば同じ、今はひたすら湯に浸かって仕事の疲れを取り、癒されることだけを考えればいいんだから。何も考えずにのんびりするのが一番。
足のつま先からゆっくり沈めていくと熱いにくらいの温度で、でもそれが体にはちょうどよく胸の方まで浸かると一気に疲れが取れていったような感じがしてしまう。

入ってものの数秒で「温泉最高―…」なんて言葉が出るくらい気持ちがいい。



「来てよかった」

「俺も来てよかった~」


んんん!?
独り言はずがなんか低くてチャラそうな声が聞こえた気がしたんだけどあたしの空耳かな?

まさかね…と思いながらゆっくり声のした方を振り向いてみれば、そこにいたのは紛れもない知らない男性だった。



「うわ、君かわいーね」

「えっ…え?」



なんでここに男性が?待って、私がいるのって女湯だよね?

しかも口調や想像通りチャラそうな見た目だし…の前にだから、どうして男がこんな所にいるの!?

訳が分からず喉まで出かかっている言葉を吐き出せずにいると、私の思ってるとこが伝わったのか、チャラ男が「この時間帯は混浴だよ~」とご丁寧に教えてくれた。



「こん、よく…?」

「そ、混浴」



嘘でしょ、そんなの知らなかった。ていうか、混浴なら混浴って入り口にしっかり書いててほしかったよ。知っていたらこの時間は避けていたのに。



「ちゃんと入口に記載されてるよ。君がしっかり確認していないのが悪いんだよ」



どうやらこの時間帯は混浴だとちゃんと入口に書いてあったらしく、それを私もショーマも見事に見落としていたらしい。

なんてことだ、やってしまった。



「ねぇ、向こうでもっと話さない~?」



向けられた視線にゾクリとして、本能がその男は危ないとカンカン警告音を鳴らしているのに体がビックリして中々いうことを聞いてくれない。

逃げろ、逃げろ、食われるっ…。

「行くよ」と耳元で囁かれた言葉は甘いものではなくて、低く脅しのように聞こえ、男は無理矢理手を引くと死角になっているところに移動しだした。


だ、誰か…助けて、助けて___ショーマ。



「ねぇ、俺の女どこに連れてく気?」

「…しょ、ま」



助けてほしかった、思い描いていたヒーローが本当に助けてくれた。

タイミングが良すぎるくらいに現れたショーマはチャラ男から引き離すと、聞いたこともない低い声で「失せろ」とチャラ男に吐くと、ショーマの迫力に凄んだチャラ男はした唇を噛んで悔しそうに、



「んな女、可愛いなんてお世辞に決まってんだろッ」



そう捨て台詞を吐き出しながら混浴を出ていってしまった。
五月蝿い男がいなくなったことによって再び訪れる静かでゆったりとした空気。

そんな中、混浴に入っているのはあたしとショーマだけで、引き離された時のまま後ろから抱きしめられた形のままで、鼓動はだんだんと速さを増していく。

抱きしめられたのは小学生の時以来で、あの時はただ細くて筋肉なんてついてなかったのに、今は体も成長して筋肉もついて、手も大きくなって……男を感じさせる要素しかない。



「ねぇ、混浴って聞いてないんでけど」

「あたしも今さっき知った…混浴だったら入ってなかったのに」



そう呟やけば、抱きしめられた腕にギュッと力が込められた。



「ショーマ…?」



いつもと違うなとちょっとした変化に気づいてしまい、どうしたんだろうって振り返ろうとしたら「見るな」と耳元で何かを我慢するような声でそう言った。

そう言われてしまっては振り返ることなんてできないからしぶしぶ顔を元の位置に戻して、バカみたいにドキドキとは速まる心臓がショーマに聞こえてしまわないかと思い、胸をおさえた。

そこにガラガラって女子側の方から戸が開く音がして肩を震わせると、きゃっきゃと楽しそうな女子の声が聞こえる。


混浴だってことは分かってるけど、なんか色々マズイ。
てか、このショーマの肉体美を他の人に見せたくないじゃん!



「今の時間混浴だってー」

「本当?え、じゃあじゃあイケメンがいたらどうする?」

「何その妄想~。いるわけないじゃん」

「まぁまぁ期待せず入ろうよ」



どうやら入ってくるのは4人らしい。
あたしたちのいる場所は死角になっているし、こうも湯気がたっていたら他の人なんて中々見つけられないだろう。

よし、なら今のうちに。



「ショーマ、ここから出て」



後ろから抱きしめるショーマに小声でそういうと、「なんで」なんて言葉が返ってきたからショーマはこの状態がちょっとまずいだとか思ってない。
こんなの、傍から見たら死ぬほどいちゃつきまくってるただのバカップルだよ。



「ショーマに他の女の人の裸見せるわけにはいかないでしょ」

「ふーん」

「ふーんって何よ」

「なら、アヤナのなら見てもいいわけ?」



あーもう、なんでそうなるの。

でも、あたしのもダメだし!とか言ってしまったら色々言いあう可能性が出てくると判断して、半ばなげやりに「うんうん、見ていいよ。私のならいくらでも見せるから、ほら早く出て」とショーマの腕から抜け出すと背中を押して男子側の方へと変え戻らせた。

と、同時に混浴に入ってくる女性4人。誰かいる、なんて話しながらキャッキャしてて楽しそうだ。



「どうも、こんにちは」

「あ、女の子か~。こんにちは」



胸の大きな女の人が残念そうに挨拶をしてきた。
混浴にどれだけ期待してたんだってツッコミをいれたいけど、ショーマを出して正解だったなと胸を撫で下ろした。

だってこんな綺麗な女の人4人見ちゃったらメロメロでしょ。
胸も…あたしの1.5…3倍はありそうだし。

顔もよければスタイルもよし、そしてこの人たちは少し話して分かったことは働いているところも一流の所で、本当ダメだこりゃってひっくり返りそうになった。

2人は受付嬢をしていて、あと2人はキャリアウーマンだった。
あたしはごく一般のOL…なんだろうこの差は、と思いながら先に上がった。

ちょっとのぼせたなーと浴衣の紐を結びながら廊下に出ると、そこには私と同じ浴衣を着たショーマの姿があって…見惚れてしまうくらい色気ムンムンだし、フェロモン放出しまくっていた。

さっきの件も体に悪いけど、これはこれで体にも目にも悪い…いい意味で。



「アヤナどうした?」

「ちょっとね、ショーマがカッコ良すぎて天に召されそうだった」



片手で頭を押さえていたら、ショーマが心配そうに駆け寄ってきたもんだから正直に言えば頭上から「え?」と間抜けな声が聞こえた。

なんでそんな驚いたような声だしてんの、カッコいいなんて言われ慣れてるだろうに。

頭を押さえていた手をどかして上を見上げれば、そこには頬をほんのり赤らめたショーマがいて…逆にこっちが驚いて間抜けな声を出した。



「照れて、るの?」



そう問いかければ、ブワァっと一気に顔が赤くなりそれにつられて何故かあたしまで赤くなってしまった。



「え、あ、いや…いわれ慣れてるから平気だと思って」

「あー…うん、ごめん。慣れてるんだけど、これはさすがに不意打ちすぎるっていうか」

「えと、なんか、ごめん」

「ううん、別に謝らなくていいし…うん、嬉しかったし」



またもやバカップルみたいな会話を繰り広げていたら、後方からあの美女4人の声が聞こえてハッと現実に引き戻された。
こ、こんな所で一体何をやってるんだ私たちはっ。



「ショーマ、行くよっ」



無理矢理ショーマの手を引いて早足で部屋に続く廊下を歩くけど、ショーマは足が長いから普段と変わらないペースで歩いていて、あたしが足短いのバレる…なんて思ってた。

部屋に戻ると一安心した私だけど、心臓はドキドキしたまま。
きっとこんなにドキドキしてるのはあたしだけだと思う。



「アヤナ、大丈夫?てか、慌てすぎ」



…ほら、やっぱりもう冷静になってる。
何か、あたしが子供みたいで嫌になる。馬鹿みたいじゃん。



「何かあった?」



と覗き込んだ綺麗な顔が視界に入ってガラス玉のような瞳に私が映ってる。



「別に…何もないよ」

「そう?」


自分の気持ちを誤魔化す様に小さな嘘を吐いた。
チクリと、どうしてか胸が痛む。



「ねぇ、ショーマこの旅館散歩しようよ」



バカみたいに敷地が広いこの旅館には、それはもう大きくて立派な庭があるらしく、あたしはショーマを散歩に誘った。

散歩に誘ったのはこの空気と自分のちょっと痛む気持ちを和らげるため。
潔く「いいよ」と言ってくれた彼と夕飯までの間、話しながら散歩をしていようと一緒に庭へと向かった。



「うっわぁぁ」



目にした光景は想像をはるかに超えるような立派なお庭で、そこに入ってはいけないんじゃないかと思わせられるほどの美しさ綺麗さ、豪華さ…散歩できる道はあるものの私みたいな心も体も汚れた女が絶対入ったらダメなやつ。



「凄いでしょ」

「凄すぎるから、何よこれ」

「ほら行くよ。散歩、するんでしょ」



今度はあたしが手を引かれる形になり、ショーマに手を引かれてるこの瞬間を幸せに思う。
トクン___と跳ねる胸。

ん?トクンって何?え、なんで胸なんか跳ねるわけ?え?
そんなわけわかめなことブツブツ内心言いながらショーマの背中を見つめ自然と口角が上がる。

今日のあたしはおかしい。
それはきっとこんな幸せすぎる豪華な旅行をしているせいだ。

あたしはきっと幸せの絶頂付近にいるらしい。

そのあとショーマとくだらない言い合いとかしながら散歩をして、夕飯のいい時間になりそろそろ戻ろうということで旅館に戻ってきた私たち。

先に部屋に戻ったショーマと、実はさっきからトイレに行きたくて仕方なかった私は近くのトイレに駆け込んだ。



「ふぅ。間に合った」



濡れた手をハンカチで吹きながらトイレを出ると、そこには温泉で会った美女4人がいて、ニヤニヤと頬の筋肉が緩んでいる。

なんだろう?と首を傾げたらキャリアウーマン美人の1人があたしにズイッと近づいて「さっきの彼氏?すっごいカッコよかったね」と言ってきた。



「か、彼氏だなんてとんでもない!」

「あら、違うの?」



皆さん彼氏だと思ってたんですか、て言うかいつからあたしとショーマの事みていたんですか。



「ショーマは幼馴染で昔から可愛がってもらったり大事にしてもらってますけど、妹みたいに思ってるはずなのでそんなことはないですよ」

「へぇ…そうかしら私はそうには見えなかったわ」

「そうねぇ、大事にしてもらってるのは分かるわ。でもそれ以上に見えたけど」

「私もそう見えた~。あれ絶対ホの字だって!ねぇ、先輩」

「そうそう。それに、幼馴染と言えどいい年した大人よ?2人きりで温泉旅行なんてしないに決まってる」



一番年上のキャリアウーマン美女を筆頭に次々に飛んでくる言葉。

いかにもショーマはあたしに恋をしていて、妹のようには見ていない、幼馴染という線を超えたいというように聞こえるのは間違いじゃないと思う。
それにしてもこの方たちの盛り上がりと勢いが怖い。



「アヤナちゃん、いいこと?」



一番上のお姉さんが大きな胸を突きだして、ビシッと右人差し指を突き立てた。



「彼を逃してしまってはダメよ。それにあの人といるときのあなたの表情は初対面の私から見てもとても幸せそうだった」



確かに、さっきのショーマとの時間はビックリするくらい落ち着きがあって幸せだった。
安心っていうのかな。



「貴女は今自分の気持ちに気づいていないだけ。いずれ気づく時が来るわ」

「あたしの気持ち?」

「そう、本当は今すぐにでも気づいて彼が抱きしめてあげるべきなんだけど…」



そう言いとどまった彼女はまだ付きたてたままの人差し指をあたしの唇に持ってくると、「なるべく早く自分の気持ちに気づかないと、彼…盗られちゃうわよ」そんなことを言われた。

指を唇から離すと「じゃあねアヤナちゃん」と手を振りながら4人はどこかへ行ってしまった。

ショーマが、あたしの知らない女性に…。


「盗られる…?」


その時、あたしは心の奥底で“嫌だ”そう思ってしまっていたんだ。
すぐに部屋に戻ると「遅かったね」と言われ、温泉に入った時出会った女性と偶々会って長話してしまったことを話した。

もちろん、ショーマが盗られるだとか幸せそうだなとか、さすがにあの話はしなかった。



「そうだ、夕飯もう持ってきてもらうけどよかった?」

「うん、もうお腹ペコペコだし楽しみ」



何の料理が来るのか訊けば山の幸をたくさん使った料理らしく、部屋にソレが届いたときは目ん玉飛び出るかと思った。
凄いにもほどがあるでしょ。

どれもいい品ばかりで、ほっぺたが本気で落ちるんじゃないかってくらい美味しくて大満足な夕飯だった。

食後、ショーマは「温泉に行くけどアヤナも行く?」と訊いてくれたけどあたしはせっかくだから部屋にある温泉に入りたくて、そう伝えるとショーマはゆっくり戻ってくるからのんびり入っていいよって言ってくれた。

ショーマが出ていったのは確認してから1つ1つ着ていたものを脱いで、足からゆっくり湯に浸かった。
綺麗な空、綺麗な景色、それらを眺めながら入る温泉は至福のひと時。



「ん~気持ちいい…このまま時間が止まればいいのに…」



のんびり時間が流れるこの空気が好き。
現実に戻れば、またパタパタと忙しなく動くんだ。そんなの嫌だなーって呟いて目を瞑った。

どれだけ入っていたのか分からないけど、長い時間入っていたような気がする。

頭がぽわぽわするからようやく出てまた浴衣に着替えるとタイミングよくショーマも帰ってきた。



「あ、おかえり~」

「アヤナ長かったね」

「うそ、どれ位入ってた?」



自分では長くても1時間くらいかなって思っていたのに…「1時間半くらいかな」って言われいつもの倍の時間入ってるじゃないかっておったまげた。

普段は30分以内で終わる風呂も、こんな所に来てしまえばそんなに長く入ってしまうものなのか。



「ごめんショーマ、結構待たせたよね」

「ううん、俺も1時間くらい入ってコーヒー牛乳飲んだりと時間潰してたから平気」



平気って言ってるけど、あたしはちょっと長いこと入りすぎちゃったなと反省。

すると突然ショーマが卓球しようなんて言うからせっかくお風呂に入ったっていうのに、熱戦を繰り広げて汗を流した。
まぁ、楽しかったからいいけど。

そのあとは軽くシャワーを浴びて部屋に戻ると___絶句し目ん玉飛び出た。



「女将さんの仕業だね」



そう、部屋に戻るとご丁寧に布団を並べて敷かれていた。
こ、ここ、このまま寝るの?!
女将さんなんてことをしてくれたの、いやいや付き合ってないからそんな気遣いいらないのに。



「しょ、ショーマ…どうする…?」

「寝ようか」

「ねっ、寝る!?」



寝るってどっちの寝る?普通にもう寝ようかって感じ?それとも今夜は寝かせないぜbabyってこと!?
いや、ショーマはそんな良い方しないけど、どっち!?


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