友人「書いてみ」私「徹夜で書いたるわぁ!(ヤケクソ)」

ノベルバユーザー531768

友人「書いてみ」私「徹夜で書いたるわぁ!(ヤケクソ)」

 グルチャで『個性に関して書いたらどうなるかな』なんて言わなかったらこんなもん書く羽目にならなかったのに……とほほ。ポジティブに考えましょうと心に決めたところ、問題がいくつも出てきたんです。そもそもどうやって小論文なんて書くんでしょうね。私の……友人は……友人では有りませんが話せるだけの人に一度だけ小論文のことを聞いたことがあるんですけど、その時はなんとも、言いづらいですが簡単そうに見えました。議題に上がっている問題自体は非常に考えやすい問題で、意見を書けと言われたら具に書きつけることが出来そうな物でした。まぁ作文みたいなモノだったらしく、本来の小論文は何ページも使って何万字と打ち込むらしいです。今から私が書くことが決定してしまったのは作文に近く、というか作文自体ですのでね、それっぽくいきましょう。


 まぁ先ず形的なものから入っていこうかなと、話し方から変えていきますね。


 さて、私がこれから語るのは『個性』についてである。筆者は『個性』とは誰にでもあると考えているが、自分では気づけないことだとも思っている。ある日、テレビ番組でマインドコントロールとやらを見たことがある。一定の法則に基づいて相手の行動を予測しているものと思われる。この事はインターエット上で対戦系のオンラインゲームを行う方ならよく理解出来る。相手プレイヤーの行動には必ず一定の法則があり、それはある意味、弱点や隙とも言える。弱点である相手プレイヤーの法則の合間を縫って攻撃を行うのが対戦の醍醐味であり、それは〝相手〟がいるゲーム(野球からオンラインゲームまで含める)では必ず存在する。自分ができると言う事は相手も可能となるわけで有り、見直さなくては痛いしっぺ返しを喰らうことになる。
 人は練習を積むことで物事を上達させるが、この上達の過程に穴がある。癖がついてしまうのだ。一旦ついてしまった癖はなかなか剥がれる事はなく、いつまでも残ってしまう。ここで話を戻そう。先ほど筆者は癖を見直さなくては痛いしっぺ返しを喰らうことになると書いたが、一時的にそれを矯正することが出来ても必ず後から元に戻ってしまうだろう。だが、相手プレイヤーが隙をついてくる限りはきちんと癖を認知することが明瞭にできる。別の言い方をすれば、相手からは癖が丸見えなのである。
 つまり、癖は練習ではなかなか見つけることが難しいが、相手、第三者がいる場合はかなりはっきりと咎めることが可能となる訳だ。
 これは『個性』においても同義である。普段歩くのみで走っていない時に誰からか声をかけられた場合なんと返答する?おはよう、それとも、なんだ?と切り返してみるのもいい。ここにも一種の個性が現れる。悪く言えば体裁を繕う人と直題を求める人である。人それぞれの回答があって当然ではないか、筆者も同じである。しかし、よくよく考えると、とんで些細なことであったとしてもそれは『個性』なのである。歩き方は左足が先か右足が先か、それも個性だ。
 違うと思う人は考えて欲しい。あなたは周りにいる全員が右足から歩き始め右手から物を掴むだろうか?いや、しない。左足が飛び出て右手で鉛筆を握る人は必ず居る。全ての人が右足を最初に出すのは大変違和感がある光景であり、何故そのような現象が起こるのか検証、推察する必要がある。


 第一に、それを望みそれにした、である。
 最近よく聞くようになった〝推し〟と言う言葉。流行りに便乗して使わしてもらおう。推しに近付きたいとなれば手短なことから始め人がほとんどだ。その人の服装に合わせる、メイク、髪型など、項目は無数にある。したらば、歩き方を合わせる人はいないのではないだろうか。この仮説は破棄する。


 第二に、外部からの強制的な修正である。
 この題目はメジャーであり探せばいくらでも個性的な作品群が見つかる。人々はそれを容易に想像できてしまうからなのかもしれない。残念な事だが現にこれは表面化している。


 これをここまで読んでいる物好きに問いたい。あなたは個性を認識し、周りに公表できているだろうか。昨今はジェンダーレスに男卑女尊など、今まで聞いたこともないような言葉を目指して改革がゆるりと急激に行われている。そこにあなたの個性を発揮する場は存在するのか?答えは、ある人はある、無い人はないのである。『個性』は良くも悪くも人それぞれなのである。


 今これを読むあなたの『個性』を表に出す事はこれから楽に、または困難になり行く可能性は十二分にある。初めに話したように『個性』は存外自分では気付きづらく他人からはように見て取れる物なのだ。だからこそ、相手は気付いているだろうと勘違いしあなたの個性を外界から気付かせることはない。その『個性』を発揮しろなんて無責任な事は私には言えない。だが、これだけは伝えたい。『個性』は必ずあなたにあると、良くも悪くも人それぞれにある。どう付き合うかはあなた次第だ。






 なんて物はどうでしょうか、なんか変なんなんですよね。でもまぁ、書きたい事は書けたのでよしとします。三点構成なんてしたら私、窒息してしまいます。自己本位な帰結でしたが個性で悩まないでくださいね、他の人も同じ感じですから。悩んで考えて疲れて、それが人生の一ページにすらならない事であっても、重要な経験ですから。


 ここまで読んでくれた人には感謝しかありません。


 良い明日を。

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