【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~

弓削鈴音

第2話:王妃が告げるのは

 キーンという甲高い金属音が、風が止み静寂を取り戻した会場に鳴り響く。

 明らかに短剣が髪を切り裂く音ではないそれに、ゆっくりと目を開いた。

「これ、は…?」

 薄く幾何学模様が透けて見える半透明の膜。
 障壁魔法━━━八属性の内の一つ、無属性の中で最もよく使われる魔法だと、回らない頭でそれだけがわかる。

「なっ、おいっ!!」

 サーストン様の怒号が耳を殴る。
 大きく目を見開いた彼は、兄上の方を睨んだ。が、すぐに視線を外して周りを鋭い視線で一瞥した。ということは、兄上ではないということだろう。この方であったら、魔法を使ったばかりの術者を識別することくらい簡単にできるはずだ。

 けれど、兄上じゃないとしたら一体。

 頭の中を疑問符が埋め尽くす。しかし、短剣と髪の間に生み出されて、今もほのかに光を放つ障壁魔法を見ると、気が抜けてしまい、ペタリと床に座り込んで短剣を取り落としてしまう。その瞬間、障壁魔法が消えた。

「おい、誰がやった!!」

 サーストン様が怒鳴り声をあげた。
 その声に触発されるように、徐々にざわめきがが起きてくる。

 私からかなりの視線が外れたことに胸を撫で下ろしていると、兄上が駆け寄ってきた。

「大丈夫か。怪我はないか」

「け……怪我は、ないわ」

 声も上手く発せなくて、どうにかそれだけ伝える。笑顔を取り繕うことさえできず、かなりひどい表情で、自分でも情けなくなってしまう。
 兄上は弱々しく微笑んで、私に手を差し出した。それを掴んで立ち上がる。
 まだ少し立ち眩みがするが、倒れるほどではない。しかしどうやらそれでも体調が悪いように見えるようだ。

「本当に大丈夫か…?とりあえず休憩室にでも」

 兄上は、依然として厳しい視線で術者を探しているサーストン様をちらっと見る。それに釣られて私もそちらを見た。
 集中力が高く切り替えも早い━━━悪く言ってしまえば、移り気なあの方は、おそらくもう術者を探すことに全力を注いでいるのだろう。確かに今であれば、この場から立ち去ってもいいだろう。
 ……あの方の隣にララティーナが立っているのを見るのも嫌だし、ここから離れたいというのは私も同意見だ。

 それを伝えようと口を開いた瞬間のことだった。

「随分と派手にやったわね、サーストン」

 凛とした声が響き渡り、会場が水を打ったように静かになる。

 カツン、と靴を踏み鳴らして中心の広間に踏み出した女性に、全員が膝をつく。
 私も兄上に支えてもらったまま足を曲げて頭を下げた。

「楽になさい」

 その言葉にゆっくり時間をかけて顔を上げると、泰然とした笑みを浮かべた我が国の王妃の片翼、第二妃のイリスティア様と目が合う。
 その腕を取るのは、第一王子であるユークライ殿下だった。何度かお会いしたこともあるが、あまり目立った印象は持っていない。確か兄上と仲が良かったはずだ。

 こんな状況でも、頭の中でお二人の情報を探し求める。最後にイリスティア様とお会いしたのは、確か二ヶ月ほど前の母上が主催した茶会でのことだった。その時には、魔法学校でのことなどをお伝えしたはずだ。

「久しぶりね、アマリリス」

「お久しゅうございます、イリスティア王妃殿下」

 鈴を転がすような声に合わせて、波打つ金の御髪が、魔法の照明具の光を反射してキラキラと光る。
 社交界随一の美貌を誇るといわれるイリスティア様は、見ているだけで溜め息が出るほど美しい。
 上向きの睫毛に縁取られた紫紺の目が、優しく細められた。

「卒業おめでとう。式には出席できなかったけれど、大変素晴らしいものだと聞いたわ。副会長の貴女の尽力あってのことね」

「有り難きお言葉に、存じます」

 兄上から少し距離を取り、自分の力だけで礼をする。頭が爆発しそうなほど混乱していても、習慣というのはすごいもので、ふらつかずに膝を曲げることができた。
 ゆったりと頷いたイリスティア様は、次に視線を兄上に向ける。

「あなたとも久しぶりね、ヴィンセント」

「えぇ。お久しゅうございます、イリスティア王妃殿下」

 丁寧に礼をした兄上から、イリスティア様は一瞬視線を外す。その先を追うよりも前に、優雅な声が紡がれた。

「今、ヴィンセントは第三位術師だったかしら」

「は、左様でございます」

 突然の問いかけに、少し怪訝な顔をしたものの兄上はすぐにそれを肯定する。

 第三位、というのは兄上の魔法師団での位だ。
 まだ若いのにそこそこ出世しているらしい兄上は、一流の魔法師が集まる王国魔法師団で上から三つ目の位まで上り詰めている。
 その凄さが私にはあまりよくわからないけれど、母上や弟がすごく喜んでいたからかなりのものなのだろう。

「第三位であったら、我が国の法に抵触した者、あるいはその疑いがある者を独断で拘束ができるという認識で合っているわね?」

「は。その通りでございます」

 まさか、と一つの可能性が浮かんでくる。
 しかしそんなこと有り得ない。こんなこと、ゲームだとなかったのに。

 きっと私と同じことを考えついたのだろう。囁くような声があちこちから上がる。

「では、あなたはそこにいる我が息子を拘束できるわね」

「……法で認められてはおります」

「だったら構わないわ。頼めるかしら?」

「母上!!」

 サーストン様が声を上げる。

 いくら血の繋がっている家族とはいえ、王妃と王子では立場が違う。それを理解しているサーストン様は、私たち兄妹とイリスティア様の会話に口を挟もうとはしなかった。それをしてしまえば、イリスティア様への不敬に当たるからだ。
 しかしそれでも、自分の身柄が拘束されそうな事態に、こちらへ歩みを進める。

「俺は法に触れることはしておりません!!」

 細身でありながら鍛えられた体躯から発せられた大声が、鼓膜をビリビリと揺らした。思わず手を強く握ってしまう。
 その瞬間魔力も震えたような気がしたが、すぐに止まった。私は魔力感知が得意ではないし、気のせいだったのかもしれない。

 そんな取り留めのないことを考えた瞬間、氷のような声に思わず背筋が伸びる。

「『何人たりとも王の結びし契約を破棄してはならぬ』。聞き覚えがあるのではなくて?」

 実の息子に向けているとは思えないほどに冷たく、突き刺すような声だった。

「正直あなたの行動は目に余ったわ、サーストン。魔法学校での最後の年だから少し多めに見ていたけれど、間違いだったかしら」

「俺の行動…?俺は真摯に学校生活に取り組んでおりました!」

「…………もう、いいわ。どうやらあなたと話すだけ時間の無駄のようね。ヴィンセント、お願い」

「母上!!」

 兄上は私の肩に軽く触れると、イリスティア様に一礼し、サーストン様に近付く。
 何かの間違いだ、俺を離せ、と語気強く抵抗するサーストン様の腕を後ろに回し、拘束のための魔法をかけた。
 カチャン、と軽やかな音が鳴り、辺りからは悲鳴とも驚きともとれる小さな息の音がいくつも漏れてくる。

 兄上は手慣れた様子で懐から取り出した布を拘束しているところにかけると、警護の衛兵に声をかけた。おそらく、王族であるサーストン様はここ魔法学校から少し離れている王城の、身分が高い者専用の特別な部屋に入れられるのだろう。
 ここ十数年使われることはなかったはずのそこが、サーストン様に使われるという事実に、驚くほど心は反応しなかった。



 衛兵に連れられてサーストン様が会場を去り、会場が騒然とする。皆が早口に今の出来事を騒ぎ立て、今も渦中にいる私の方を見てしきりに言葉を交わしていた。

 さっきまでの光景が、何を起きているかこそ理解できたけれど、なぜかまでは処理しきれずに、とりあえず貴族令嬢としての死は免れたことだけを飲み込む。
 足元に落ちている短剣がなければ、今の突飛すぎることが全て白昼夢だったかのように思えてしまうほどだ。

 未だに息は詰まっているようだし、心臓は不規則に大きく跳ねる。
 まだ三月だというのに、指先が凍るように冷たい。

「アマリリス、少し話がしたいわ。ついてきてくれるかしら」

「もちろんでございます、王妃殿下」

 声をかけられてパッと顔を上げると、まなじりを下げたイリスティア様と目が合う。
 その時やっと自分の顔が強張っていたことに気付き、反射的にパッと口元を引き上げる。

「……ヴィンセントにも同席してもらいましょうか」

「畏まりました。寛大なご配慮、感謝致します」

 行くぞ、と兄上に手を取られた。
 魔法で床に落ちていた短剣を持ち上げた兄上は、それを衛兵に渡し、鞘も探すように言付ける。

 やはりその一連の言動が自然で、いつもこのように仕事をしているのだろうと思わせた。基本的に家では職場の話はしないし、そもそも最近はお互い忙しくて会えていなかったから、魔法師としての兄上の姿を知るのは新鮮だ。
 将来家を継がなくてはならない立場ではあるけれど、その魔法師としての才能を見込まれ、魔法師団へ半ば勧誘された形で兄上は入団した。退団前提ではあるものの、かなりの貢献をしているとのことらしい。
 今度、兄上の活躍を直接聞いてみたい。今日の夕食の時にでも尋ねてみようか。

 ━━━そんなどうでもいいことばかり頭に浮かんできて、きっと無意識の内に考えたくないことを考えないようにしているんだなと、回らない頭で思った。

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品