【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~
14話:第一王子の夜会
「間に合ったわね」
「そうですね」
安全運転ではあるけれど速度を出してもらい、私たちは無事時間通りに第一王子主催の夜会に到着することができた。
既に大半の招待客は会場にいるようで、馬車はまばらだ。それでも、馬車に彫られている家紋は、どれも見覚えのあるものばかり。
「行きましょうか、姉様」
「えぇ。行きましょう、ルゥ」
受け付けのところで招待状を見せて、会場への階段を上っていく。
死にかけたとは思えないほど背筋は伸びていて、染み付いた習慣とはすごいものだなと思う。
最近こういうことが本当に多い。
ホールの手前まで行くと、楽器隊の軽やかな演奏が聞こえてくる。随分と古い曲だなと思いながら、自分の髪が乱れていないことを確認しようとシルヴァンの方を向くと、真剣な面持ちの彼と目が合った。
「……姉様」
「どうしたの、ルゥ」
シルヴァンが、私が腕を添えていない方の腕で私の手を握った。
「嫌なことがあったら、帰りましょう」
「ルゥも、帰りたくなったらいつでも言ってね」
笑い合って、会場に一歩踏み出す。
カツンと私のヒールが音を立てた。
入り口の近くの人たちが、私たちの姿を見て口々に言葉を交わし始める。そのざわめきに誘発されて、周りの人たちも視線を向けてくる。
私たちが会場に足を踏み入れて十数秒で、全員の視線を集めていた。
私は優然とした足取りを意識して、微笑みを浮かべながら歩く。
シルヴァンもふわりとした笑いを保ちながら、時々目の合った女性に笑いかけていた。若い女性が黄色い声を上げて友人と盛り上がる。
円状に何層も重なっている絢爛なシャンデリアに照らされながら衆目を集めると、久しぶりに社交界に来たという感慨があった。
十六歳で成人を迎える前から、何度も父上や母上に連れられてやってきたこの世界が、上辺の優美さとは違って、悪意と策略にまみれた場だということは、嫌というほど知っている。
「どうします?」
シルヴァンが小さく問いかけてくる。
「どうしましょうね」
「家格から考えるとシャル公爵かアルハイトス公爵ですかね」
「シャル公爵は第一王子派だし、アルハイトス公爵も風の宴でファネクス様と色々あったから避けたいわね」
ほとんど口を動かさないようにしながら会話する。
私たちが歩いていく先々の人が、みんな隣の人と囁きながら一歩二歩と下がっていく。
「……あちらにいらっしゃる、クルアリル・ヴィー様にご挨拶しても?」
「魔法学校の副校長、でしたよね」
「えぇ。面識もあるし、中立派だから」
「わかりました」
ゆっくりと彼女の方へ向かっていくと、人波が割れていく様子に気付いたのか、彼女の方から私たちに歩み寄ってきてくれた。
「ご機嫌よう、ヴィー様」
「ご機嫌よう、アマリリス・クリスト様。そちらは、弟君とお見受けしますが」
「シルヴァン・クリストと申します。以後お見知り置きを、クルアリル・ヴィー様」
「これはこれはご丁寧に」
緑色の目を細めた彼女は、つい先日まで私が通っていた魔法学校の副校長。
生徒会の活動の中で何度もお話をしたことがあるが、あまり貴族社会でのいざこざを好まない方のような印象を持っていたから、今日ここにいるのが少し意外だ。
「アマリリス様。先日はご卒業、おめでとうございました」
「ありがとうございます。もうあの学び舎に戻ることはないと思うと、残念に思いますわ」
「アマリリス様でしたらいつでも歓迎です。ぜひいらして下さい」
「ご厚意、感謝しますわ。今度、レオナールの様子でも見に行こうかしら」
「えぇ、ぜひぜひ。彼は素晴らしい生徒です。魔法の授業だけでなく、剣術の授業や歴史の授業でも高い成績を残しています。あなた様と同じように、魔法学校を代表するに相応しいと、どの教師も思っております」
「きっと、レオナールもそれを聞いて喜びますわ。ね、シルヴァン」
「えぇ。魔法学校での学びは非常に刺激的で、教師陣の皆さんの腕が良いから毎日の学校が楽しいのだと、いつも兄が言っています」
シルヴァンの言葉に、ヴィー様は嬉しそうに笑った。
「クリスト家の方にそう言って頂けるとは光栄です」
「でも本当に、ヴィー先生の授業も大好きでしたの、わたくし。統計学の授業が、一番の楽しみでしたわ」
彼女の専門は多重構造の魔法陣らしいのだが、魔法学校では選択科目である統計学を教えていた。
ただ羅列されていた数字が意味を成す瞬間を面白く感じることができたのは、きっと彼女が教えてくれたお陰だろう。
「教鞭を取るものとして、それ以上嬉しい言葉はありませんよ。私も、あなた様に授業をするのが毎日楽しみで仕方ありませんでした。あそこまで広い視野を持って鋭く切り込めるのは、研究者でもそうそうおりません」
「さすが姉様ですね」
笑いかけてくれたシルヴァンに何か返事をしようとした時、楽器の演奏が止まり、高らかなラッパの音が響く。
「ユークライ第一王子殿下のご登場でございます!」
拡声用の魔法を使っているのか、入り口から離れたところにいる私たちのところまでしっかり声が響いてくる。
私はカーテシーをして、横のシルヴァンも体を倒した。
「大丈夫、ルゥ?」
「はい」
小声で確認をとる。
化粧で隠してはいるが、あまり顔色が良くない。
シルヴァンの様子を逐一確認しないといけないと思いながら、しばらくそのままの姿勢を保っていると、「本日はよくお集まり下さいました」と第一王子の声が響く。
体を起こすと、ふと第一王子と目が合ったような気がした。
「本日、この夜会を開催することができたのは、ペルシーヴァ伯爵の協力あってのことです」
名前を呼ばれたペルシーヴァ伯爵が、恭しく一礼する。
「皆さんご存知の通り、今我らがウィンドール王国では、王太子選定が行われています。これからの国の未来を決める、とても重要な期間です。その貴重な一日を、私のために使って下さったことに、まずは感謝を」
第一王子は胸に手を当てて微笑む。
王族としての風格もありながら、柔らかな雰囲気を持ち合わせているような印象だ。
「本日は、皆さんのためにとある物を用意させて頂きました」
彼の言葉に合わせて、お盆の上にたくさんのグラスを乗せた給仕が出てくる。
私も一つグラスを受け取った。シルヴァンはやんわりと断る。
中に入っているのは、綺麗に透き通る透明な液体だった。かすかにアルコールの匂いがする。
「これは先日、シャル公爵とペルシーヴァ伯爵と共同で取引を開始した、スイレイ国との貿易で手に入れた貴重な品です」
おぉ、と会場がどよめいた。
外国人に対する排斥や迫害はするくせに、貿易での貴重な品と言われれば目を輝かせる一部の人たちに、私は心の中で溜め息をつく。
スイレイ国と言えば、我が家のドレス職人であるユカリの出身国だ。
海を隔てているため交流はほとんどなく、近隣諸国であの国と関わりがあるのは、フルーム連邦の一部だけだと聴いている。
「スイレイ国は、我が国との貿易を含めた深い関係に前向きな姿勢を見せて下さっています。また、我が国を介して他の諸国とも関係を結びたいとのお言葉も頂きました」
「……なるほど」
フルーム連邦の市場は、非常に大きいが閉鎖的だ。
単なる金儲けのための取引相手としては有用だが、例えば軍事同盟を結びたいだとか、国同士でより濃い関係になろうと思った時には、その重い腰をなかなか上げようとしてくれない。
スイレイ国の狙いは今の時点では断言できないが、この大陸での影響力を伸ばしていくためにウィンドール王国を上手く活用したいのだろう。
逆に我が国としては、スイレイ国の窓口として近隣諸国に睨みを効かせることもできる。
「私は外交を通して、我らの愛するウィンドール王国をより磐石に、皆が安心して暮らせる国にしたいと考えています」
「……変にヴァザック帝国を刺激しないといいですけどね」
ルゥが、本当に小さな声で呟く。
その声は、会場のどこかの「素晴らしい!」という声にかき消された。会場中から称賛の声が上がる中、第一王子は泰然と笑みを浮かべている。
しばらくして声が落ち着いた頃、彼は手にしたグラスを大きく掲げた。
「輝かしき我らがウィンドール王国に、乾杯」
一つ一つの所作が絵になる人だ。
単純に容姿が優れているというのもあるし、自分がどのように他者の目に映るのかというのを理解しているのだろう。
人の上に立つべくして生まれてきて、人の上に立つための知識と技術、それらを支える経験を持ち合わせている。そして人当たりも良く、聡明で懐が深い。
最有力候補と言われる彼についての情報を整理しながら、私も周りの人と同じように掲げたグラスに口をつける。
ほのかに甘く柔らかい口当たりで、そこまで癖も強くない。少しアルコールが強い気もしたが、幸い私はお酒には強い方だ。
もう一度グラスを傾ける。まだ体の芯が冷えているからか、脳が酔いを求めているみたいだ。とはいっても、こんな少量では酔いたくても酔えないけれど。
そんな私に、シルヴァンが不安そうに声をかけた。
「大丈夫ですか、姉様。かなり強そうなお酒ですが」
「そんなこともないわ。"猟師の夕日"に比べると、やっぱり王都のお酒は弱いわね」
クリスト領で愛されている"猟師の夕日"は、一家での晩餐会などでよく飲むものだ。
「私」の感覚からするとこの歳でお酒を飲み慣れていることには違和感があるが、この国では十六歳くらいから飲むのが普通。しかも、クリスト領は冬の寒さが厳しいこともあって、ある程度体が成長してからはアルコールを楽しむのは当たり前のことだ。
グラスを給仕に渡すと、後ろから笑い声が聴こえてきた。
「はははっ、さすがクリスト家の御令嬢!これを飲んで、弱いと仰るか」
「まぁこれはシャル公爵」
こちらから行く手間が省けた。
私とシルヴァンが礼をすると、公爵も丁寧に返してくれる。
私たちの両親よりは少し若めの彼は、シャル公爵家の当主を務めながら、内務大臣というかなり重要な役職に就いている。
もちろん彼は風の宴にも出席していて、その際は軽く挨拶をしただけだった。
「あれは、なんでもスイレイ国原産の穀物で作った酒ということらしいのですが、お味の方はいかがでしたかな?」
「良い口当たりでしたわ。甘味もあって」
「気に入って頂けましたかな?」
「えぇ。もう少し強いものがあれば、尚更良かったのですけれど」
微笑みながらそう言うと、シャル公爵は豪快に笑い声を上げる。
「お父上に似て酒豪なようですな!であれば、今度我が家の夜会に来られる際に、もっと強いものをお出ししますが」
「有り難いお誘いですわ。ただわたくしだけご招待にあずかって美味しいお酒を楽しんでは、父上に恨まれてしまいますわ」
「はははっ、それもそうですな」
やんわりと出席に関して濁したが、元々きっとそれを想定していたのであろう公爵は自然な笑いを絶やさない。
「私も、またクリスト領の酒を飲みたいものですな」
「今の時期でしたら、"鈴の雫"がおすすめですわ。少し弱めではございますが、後味が爽やかですので飲みやすいかと」
「いいことを聞きましたな。さすがに、連日強い酒ばかり飲むわけにはいきませんから。最近、我がシャル領で流行りの燻製にハマってしまいましてなあ。酒が進むのですよ」
「燻製、ですか」
聞き慣れない言葉だが、「私」の記憶の片隅にある。
「えぇ。煙で肉を燻すのです。独特の香りが、酒と合うこと合うこと」
「まぁ、気になりますわね。王都内で購入できるのかしら」
「えぇ、できますとも。王都にある、シャル領の物品を販売している店でも取り扱っていると聞いてますよ」
「そうなのですね。取り寄せてみようかしら」
ぜひ、と大きく頷いた公爵は、私の後ろの方に視線をやると、大袈裟ともいえるような身振りで挨拶をした。
「これは第一王子殿下!」
私とシルヴァンが振り返ると、にこやかな第一王子と目が合う。
間近で見ると、やはり纏う空気が違うなと思いながら、膝を曲げ口角を上げた。
「本日はご招待頂きありがとうございます、第一王子殿下」
「よく来てくれたね、アマリリス・クリスト嬢」
目を細める彼の視線は、笑っているはずなのにどこか底冷えするものだった。
「そうですね」
安全運転ではあるけれど速度を出してもらい、私たちは無事時間通りに第一王子主催の夜会に到着することができた。
既に大半の招待客は会場にいるようで、馬車はまばらだ。それでも、馬車に彫られている家紋は、どれも見覚えのあるものばかり。
「行きましょうか、姉様」
「えぇ。行きましょう、ルゥ」
受け付けのところで招待状を見せて、会場への階段を上っていく。
死にかけたとは思えないほど背筋は伸びていて、染み付いた習慣とはすごいものだなと思う。
最近こういうことが本当に多い。
ホールの手前まで行くと、楽器隊の軽やかな演奏が聞こえてくる。随分と古い曲だなと思いながら、自分の髪が乱れていないことを確認しようとシルヴァンの方を向くと、真剣な面持ちの彼と目が合った。
「……姉様」
「どうしたの、ルゥ」
シルヴァンが、私が腕を添えていない方の腕で私の手を握った。
「嫌なことがあったら、帰りましょう」
「ルゥも、帰りたくなったらいつでも言ってね」
笑い合って、会場に一歩踏み出す。
カツンと私のヒールが音を立てた。
入り口の近くの人たちが、私たちの姿を見て口々に言葉を交わし始める。そのざわめきに誘発されて、周りの人たちも視線を向けてくる。
私たちが会場に足を踏み入れて十数秒で、全員の視線を集めていた。
私は優然とした足取りを意識して、微笑みを浮かべながら歩く。
シルヴァンもふわりとした笑いを保ちながら、時々目の合った女性に笑いかけていた。若い女性が黄色い声を上げて友人と盛り上がる。
円状に何層も重なっている絢爛なシャンデリアに照らされながら衆目を集めると、久しぶりに社交界に来たという感慨があった。
十六歳で成人を迎える前から、何度も父上や母上に連れられてやってきたこの世界が、上辺の優美さとは違って、悪意と策略にまみれた場だということは、嫌というほど知っている。
「どうします?」
シルヴァンが小さく問いかけてくる。
「どうしましょうね」
「家格から考えるとシャル公爵かアルハイトス公爵ですかね」
「シャル公爵は第一王子派だし、アルハイトス公爵も風の宴でファネクス様と色々あったから避けたいわね」
ほとんど口を動かさないようにしながら会話する。
私たちが歩いていく先々の人が、みんな隣の人と囁きながら一歩二歩と下がっていく。
「……あちらにいらっしゃる、クルアリル・ヴィー様にご挨拶しても?」
「魔法学校の副校長、でしたよね」
「えぇ。面識もあるし、中立派だから」
「わかりました」
ゆっくりと彼女の方へ向かっていくと、人波が割れていく様子に気付いたのか、彼女の方から私たちに歩み寄ってきてくれた。
「ご機嫌よう、ヴィー様」
「ご機嫌よう、アマリリス・クリスト様。そちらは、弟君とお見受けしますが」
「シルヴァン・クリストと申します。以後お見知り置きを、クルアリル・ヴィー様」
「これはこれはご丁寧に」
緑色の目を細めた彼女は、つい先日まで私が通っていた魔法学校の副校長。
生徒会の活動の中で何度もお話をしたことがあるが、あまり貴族社会でのいざこざを好まない方のような印象を持っていたから、今日ここにいるのが少し意外だ。
「アマリリス様。先日はご卒業、おめでとうございました」
「ありがとうございます。もうあの学び舎に戻ることはないと思うと、残念に思いますわ」
「アマリリス様でしたらいつでも歓迎です。ぜひいらして下さい」
「ご厚意、感謝しますわ。今度、レオナールの様子でも見に行こうかしら」
「えぇ、ぜひぜひ。彼は素晴らしい生徒です。魔法の授業だけでなく、剣術の授業や歴史の授業でも高い成績を残しています。あなた様と同じように、魔法学校を代表するに相応しいと、どの教師も思っております」
「きっと、レオナールもそれを聞いて喜びますわ。ね、シルヴァン」
「えぇ。魔法学校での学びは非常に刺激的で、教師陣の皆さんの腕が良いから毎日の学校が楽しいのだと、いつも兄が言っています」
シルヴァンの言葉に、ヴィー様は嬉しそうに笑った。
「クリスト家の方にそう言って頂けるとは光栄です」
「でも本当に、ヴィー先生の授業も大好きでしたの、わたくし。統計学の授業が、一番の楽しみでしたわ」
彼女の専門は多重構造の魔法陣らしいのだが、魔法学校では選択科目である統計学を教えていた。
ただ羅列されていた数字が意味を成す瞬間を面白く感じることができたのは、きっと彼女が教えてくれたお陰だろう。
「教鞭を取るものとして、それ以上嬉しい言葉はありませんよ。私も、あなた様に授業をするのが毎日楽しみで仕方ありませんでした。あそこまで広い視野を持って鋭く切り込めるのは、研究者でもそうそうおりません」
「さすが姉様ですね」
笑いかけてくれたシルヴァンに何か返事をしようとした時、楽器の演奏が止まり、高らかなラッパの音が響く。
「ユークライ第一王子殿下のご登場でございます!」
拡声用の魔法を使っているのか、入り口から離れたところにいる私たちのところまでしっかり声が響いてくる。
私はカーテシーをして、横のシルヴァンも体を倒した。
「大丈夫、ルゥ?」
「はい」
小声で確認をとる。
化粧で隠してはいるが、あまり顔色が良くない。
シルヴァンの様子を逐一確認しないといけないと思いながら、しばらくそのままの姿勢を保っていると、「本日はよくお集まり下さいました」と第一王子の声が響く。
体を起こすと、ふと第一王子と目が合ったような気がした。
「本日、この夜会を開催することができたのは、ペルシーヴァ伯爵の協力あってのことです」
名前を呼ばれたペルシーヴァ伯爵が、恭しく一礼する。
「皆さんご存知の通り、今我らがウィンドール王国では、王太子選定が行われています。これからの国の未来を決める、とても重要な期間です。その貴重な一日を、私のために使って下さったことに、まずは感謝を」
第一王子は胸に手を当てて微笑む。
王族としての風格もありながら、柔らかな雰囲気を持ち合わせているような印象だ。
「本日は、皆さんのためにとある物を用意させて頂きました」
彼の言葉に合わせて、お盆の上にたくさんのグラスを乗せた給仕が出てくる。
私も一つグラスを受け取った。シルヴァンはやんわりと断る。
中に入っているのは、綺麗に透き通る透明な液体だった。かすかにアルコールの匂いがする。
「これは先日、シャル公爵とペルシーヴァ伯爵と共同で取引を開始した、スイレイ国との貿易で手に入れた貴重な品です」
おぉ、と会場がどよめいた。
外国人に対する排斥や迫害はするくせに、貿易での貴重な品と言われれば目を輝かせる一部の人たちに、私は心の中で溜め息をつく。
スイレイ国と言えば、我が家のドレス職人であるユカリの出身国だ。
海を隔てているため交流はほとんどなく、近隣諸国であの国と関わりがあるのは、フルーム連邦の一部だけだと聴いている。
「スイレイ国は、我が国との貿易を含めた深い関係に前向きな姿勢を見せて下さっています。また、我が国を介して他の諸国とも関係を結びたいとのお言葉も頂きました」
「……なるほど」
フルーム連邦の市場は、非常に大きいが閉鎖的だ。
単なる金儲けのための取引相手としては有用だが、例えば軍事同盟を結びたいだとか、国同士でより濃い関係になろうと思った時には、その重い腰をなかなか上げようとしてくれない。
スイレイ国の狙いは今の時点では断言できないが、この大陸での影響力を伸ばしていくためにウィンドール王国を上手く活用したいのだろう。
逆に我が国としては、スイレイ国の窓口として近隣諸国に睨みを効かせることもできる。
「私は外交を通して、我らの愛するウィンドール王国をより磐石に、皆が安心して暮らせる国にしたいと考えています」
「……変にヴァザック帝国を刺激しないといいですけどね」
ルゥが、本当に小さな声で呟く。
その声は、会場のどこかの「素晴らしい!」という声にかき消された。会場中から称賛の声が上がる中、第一王子は泰然と笑みを浮かべている。
しばらくして声が落ち着いた頃、彼は手にしたグラスを大きく掲げた。
「輝かしき我らがウィンドール王国に、乾杯」
一つ一つの所作が絵になる人だ。
単純に容姿が優れているというのもあるし、自分がどのように他者の目に映るのかというのを理解しているのだろう。
人の上に立つべくして生まれてきて、人の上に立つための知識と技術、それらを支える経験を持ち合わせている。そして人当たりも良く、聡明で懐が深い。
最有力候補と言われる彼についての情報を整理しながら、私も周りの人と同じように掲げたグラスに口をつける。
ほのかに甘く柔らかい口当たりで、そこまで癖も強くない。少しアルコールが強い気もしたが、幸い私はお酒には強い方だ。
もう一度グラスを傾ける。まだ体の芯が冷えているからか、脳が酔いを求めているみたいだ。とはいっても、こんな少量では酔いたくても酔えないけれど。
そんな私に、シルヴァンが不安そうに声をかけた。
「大丈夫ですか、姉様。かなり強そうなお酒ですが」
「そんなこともないわ。"猟師の夕日"に比べると、やっぱり王都のお酒は弱いわね」
クリスト領で愛されている"猟師の夕日"は、一家での晩餐会などでよく飲むものだ。
「私」の感覚からするとこの歳でお酒を飲み慣れていることには違和感があるが、この国では十六歳くらいから飲むのが普通。しかも、クリスト領は冬の寒さが厳しいこともあって、ある程度体が成長してからはアルコールを楽しむのは当たり前のことだ。
グラスを給仕に渡すと、後ろから笑い声が聴こえてきた。
「はははっ、さすがクリスト家の御令嬢!これを飲んで、弱いと仰るか」
「まぁこれはシャル公爵」
こちらから行く手間が省けた。
私とシルヴァンが礼をすると、公爵も丁寧に返してくれる。
私たちの両親よりは少し若めの彼は、シャル公爵家の当主を務めながら、内務大臣というかなり重要な役職に就いている。
もちろん彼は風の宴にも出席していて、その際は軽く挨拶をしただけだった。
「あれは、なんでもスイレイ国原産の穀物で作った酒ということらしいのですが、お味の方はいかがでしたかな?」
「良い口当たりでしたわ。甘味もあって」
「気に入って頂けましたかな?」
「えぇ。もう少し強いものがあれば、尚更良かったのですけれど」
微笑みながらそう言うと、シャル公爵は豪快に笑い声を上げる。
「お父上に似て酒豪なようですな!であれば、今度我が家の夜会に来られる際に、もっと強いものをお出ししますが」
「有り難いお誘いですわ。ただわたくしだけご招待にあずかって美味しいお酒を楽しんでは、父上に恨まれてしまいますわ」
「はははっ、それもそうですな」
やんわりと出席に関して濁したが、元々きっとそれを想定していたのであろう公爵は自然な笑いを絶やさない。
「私も、またクリスト領の酒を飲みたいものですな」
「今の時期でしたら、"鈴の雫"がおすすめですわ。少し弱めではございますが、後味が爽やかですので飲みやすいかと」
「いいことを聞きましたな。さすがに、連日強い酒ばかり飲むわけにはいきませんから。最近、我がシャル領で流行りの燻製にハマってしまいましてなあ。酒が進むのですよ」
「燻製、ですか」
聞き慣れない言葉だが、「私」の記憶の片隅にある。
「えぇ。煙で肉を燻すのです。独特の香りが、酒と合うこと合うこと」
「まぁ、気になりますわね。王都内で購入できるのかしら」
「えぇ、できますとも。王都にある、シャル領の物品を販売している店でも取り扱っていると聞いてますよ」
「そうなのですね。取り寄せてみようかしら」
ぜひ、と大きく頷いた公爵は、私の後ろの方に視線をやると、大袈裟ともいえるような身振りで挨拶をした。
「これは第一王子殿下!」
私とシルヴァンが振り返ると、にこやかな第一王子と目が合う。
間近で見ると、やはり纏う空気が違うなと思いながら、膝を曲げ口角を上げた。
「本日はご招待頂きありがとうございます、第一王子殿下」
「よく来てくれたね、アマリリス・クリスト嬢」
目を細める彼の視線は、笑っているはずなのにどこか底冷えするものだった。
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