【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~
13話:転落と出会い
一週間はあっという間だった。
少し社交界から離れていただけでも、王太子選定が始まった直後ということもあって大きく情勢が変わっていて、母上やシルヴァンから話を聞いて頭の中を整理するだけで、気付いたら第一王子主催の夜会の日になっていた。
「失礼します、姉様」
準備を終えて部屋で最終確認をしていると、扉の外からシルヴァンの声がした。
侍女の手によって開かれたドアから入ってきた彼は、今日の私とお揃いの若草色のジャケットを羽織っている。
「すごく綺麗です。その化粧、お似合いですね」
「ありがとう。ルゥもすごく綺麗よ。今日は髪を上げているのね」
「はい。夜会ですから、少し大人っぽくないといけないかなと」
そう言って笑うシルヴァンは、大人顔負けの落ち着きと美しさを放っていた。
姉の贔屓目かもしれないが、シルヴァンは本当に美形だ。容姿が整っているだけでなく、人を惹きつける魅力もあるし、心優しい。
「ごめんね、ルゥにエスコートを頼むことになってしまって」
「構いませんよ。ヴィンス兄様はお仕事で、レオ兄様も先約があるんですもんね」
本当なら、成人していない貴族の子女は夜会には出席しない。
主催側の家族であるか、もしくは私みたいに成人している家族の付き添いであれば、という感じだ。
「そろそろ向かいましょうか」
「そうね。行きましょう」
腕をとってもらい、のんびりと会話をしながら馬車に向かう。
会場は同じ王都内ではあるが、我が家の邸宅からは少し遠い。途中で山道を通らなくてはいけないらしく、揺れるからと何個かクッションを渡してもらった。
「では出発致します」
御者の声がかかったと同時に、馬が嘶く。
カタカタと車輪の揺れる音が聞こえてくる中、シルヴァンが「そういえば」と声を上げた。
「今年暖かくなるのは遅いらしいですよ」
「あら、もうポルトレトの発表があったの?」
「まだですよ。ピューヴァ様から個人的に聞いたんです」
ピューヴァ・シュウ・ポルトレト。
ポルトレト公爵家の現当主で、彼女は国一の占星術の使い手である。
ポルトレト家は五つの公爵家の中でも特殊な、「星を見る一族」だ。大気を満たす魔力の流れから、天気や災害、さらには戦争まで予想する。
毎年、風の宴から一ヶ月以内に、次の一年の気温の変動や、大きな災害の予言を行うのが慣例だ。
定住地を持たず、国中を飛び回っているため、ポルトレト家との繋がりを持つ者はほぼいない。
私の弟が例外なのは、ピューヴァ・シュウ・ポルトレト様が非常な面食いで、美少年が好きだからだろう。
美少年が好きとは言っても、一年に何回かシルヴァンに会いに来てお茶をするだけで、後は時々文通をしているらしい。
「暖かくなるのが遅いなら、夏用のドレスを仕立てるのはもう少し後でもいいかしらね」
「そうですね。あぁあと、姉様に伝言があって」
「ポルトレト公爵から私に?」
「はい。━━━『探し人は見つかる』、だそうです。詳しい意味はわからないんですが」
「そう。心に留めておくわ。伝言、ありがとうね」
いくらお金を払っても、個人的な星占いは断られることが大半だ。それなのにポルトレト公爵直々の占い結果を教えてもらえるなんて、幸運というべきだろう。
「いえ。……それより、揺れますね」
「そうね。道が悪いのかしら」
なんだか嫌な感じがする。
私は膝の上に置いていたクッションを傍に置いて、私たちの対面に座る護衛に視線を向けた。
彼は我が家お抱えの護衛で、素晴らしい剣の腕を持っている。ずっと気配を殺しながら、馬車の中からだけれど周囲に気を配ってくれていた。
「もしも何かあったら、私ではなくシルヴァンを守って。これはクリスト家長女としての命令よ」
「姉様!」
「は。承知致しました」
そもそも私の護衛というよりはシルヴァンを守るために今日は来てくれている。
私の命令も新しいものではなく、再確認という意味合いが強い。けれど、シルヴァンは私の腕を引いた。
「姉様、不吉なことを言わないで下さい。あなたも、何かあったら姉様を守ってくれ」
シルヴァンからの言葉に、彼は困ったように眉を下げる。
「ルゥ、我儘言わないの。ルゥに何かあったら大変なのよ」
「でも……」
不満げにしているシルヴァンを見ると、随分身長も伸びて顔立ちも大人びたとはいえ、まだまだ彼も子供なのだと頬が緩んだ。
きっといつまで経ってもこの子は可愛い弟なのだと、そう思った時だった。
耳を叩き壊すような爆発音が鳴り響き、体が馬車の壁に強く打ち付けられた。
身を縮こめて、奥歯をぎゅっと噛んで痛みを堪える。
「ぐっ……」
たまたま横に置いていたクッションが間に入り、衝撃を和らげてくれた。これが無かったら、ぶつかったまま出血していたかもしれない。
襲撃者だ。誰かに攻撃をされた。
爆弾か、それとも魔法か。術者の痕跡が残る魔法よりも、火薬による爆発を好む賊も多いと聞く。
誰かに狙われている。まだ爆発が終わっていない可能性もあるし、追撃もあるかもしれない。ひとまず安全を確保しないと。
耳の奥でまだ大きな音がぐわんぐわん響く。ルゥは、と思って見ると、彼は護衛に抱き抱えられていた。目立った外傷は見当たらない。
落ち着いて見れば、馬車も大きくは壊れていないようだった。ガラスが割れているくらいだろうか。
良かった、と胸を撫で下ろして、付いた手をわずかに横にずらした瞬間。
蝶番の壊れた扉はなんの抵抗もなく開き、気付いたら私の体は宙に放り出されていた。
「っ!?」
反射的に何かを掴もうとして、腕を伸ばす。
しかしそんな私を嘲笑うかのように、周囲の景色はどんどん速度を増していった。
人間本当に怖いと叫ぶこともできないのだと、落下しながら思う。
どうにか、と上向きの風を魔法で生み出すが、少し落ちる速さが遅くなっただけで、止まりそうにない。
「……私、まだ」
今からシルヴァンと夜会に出なくてはいけないし、明日は母上と二人でお茶をする約束をしている。レオナールとは今度演劇を見に行こうと言っているし、父上からは今度母上に送るプレゼントを一緒に選んで欲しいと頼まれている。卒業したら、兄上と街でお忍びで買い物をする予定もあったのに。
それに、まだラインハルト様の研究に協力できていない。
彼はきっと悲しむし、黒持ちへの偏見をなくせるかもしれないそれに、力を貸せないなんて。
「まだ、死にたくない…!」
「うん、まだまだ生きてね」
え、と声が漏れた。
「失礼」
若い女性の声がして、私の体がしっかりと抱きかかえられる。
気付いた時には私は横抱きにされていて、大きく弧を描くように森の上空をゆっくりと降下していた。
信じられない状況で、彼女の腕から伝わる暖かさに、辛うじてこれは都合のいい妄想ではないのだと感じる。
徐々に減速していき、地面に程なく着く、というところで彼女は止まった。
静かに、山道の下にある森の空き地に着地した彼女は、ゆっくりと私を下ろす。
私はというと、足をついた瞬間、膝から力が抜けてしまった。
「おっと、大丈夫?」
「え、えぇ。安心してしまって」
私は死にかけたのだ。それが彼女のお陰で、どうにか命拾いした。
そっか、と軽く笑う彼女は、どうやら私と同年代のようだった。
ローブを羽織り、質素な男性もののシャツとズボンを身につけた彼女は、赤みを帯びた深い茶色の髪を、後ろで高く一本に括っていた。
彼女は、私と目が合うと鶯色の瞳を柔らかく細める。
「怪我は?」
「ない、わ」
「そう、良かった。じゃあ上まで届けるね」
そう言って彼女は、再び「失礼」と断って、私の背中と膝の下に腕を回した。
あまり体格も変わらず、しかも重いドレスを着ている私を軽々と持ち上げた彼女は、緩やかに上昇し始める。
「あの、助けてくれてありがとう。このお礼は必ず」
「そんな、いいよ。目の前で死にそうな人がいたら誰だって助けるでしょ」
何のことも無い、という風に告げる彼女は、近くで見るとよく目立ちが整っていた。
人一人抱えて飛ぶなんて簡単なことではないのに、彼女はその綺麗な顔立ちに穏やかな笑みを浮かべたまま、私に話しかける。
「あぁそう。さっきの爆発、仕掛けたやつがいてさ。追いかけようと思ったけど、あんたが落ちてくから一応逃げる方向だけ確認しといたよ」
「やっぱり、誰かが私たちを狙って……」
「多分ね。爆薬を仕掛けてて、通った瞬間に点火だけしてたみたい。防ごうと思ったけど、どこをどうしたら爆発するのかわかんなくて、何もできなかった。ごめん」
「そんな」
私は首を振る。
もう既に眼下には森が広がっていて、馬車はすぐそこだった。
「命の恩人に犯人探しまでさせられないわ」
「……罪滅ぼしだから」
「え?」
小さく彼女が呟いた内容は、風に紛れて上手く聞こえなかった。
「あぁ、気にしないで。……はい、着いたよ」
馬車の横の、壊れていない無事な道に、彼女は私を下ろした。
少し前から私たちが見えていたのだろう。エミーが私に駆け寄る。
「お嬢様、お怪我は」
「大丈夫よ。シルヴァンは?」
「万が一に備えて、馬車の陰に隠れて頂いています。……そちらの方、なんとお礼を言えば良いのか」
エミーが頭を下げる。
「いいのいいの。情けは人の為ならず、って言うし。それより何個かいい?」
ひらひらと手を振った彼女は、そのまま転倒している馬車を指さした。
「それのガラスと外傷、多分直せるけど、やってみてもいい?」
「まことですか」
その言葉に反応したのは、御者だった。
彼はさっきまで馬を宥めていたようで、一度馬から離れてこちらに駆け寄ってくる。
「車輪が歪んでしまっていて、外そうにも外せないのです。わたくしには魔力がありませんで……」
「それより、この場にもう危険が無いのかの確認が先です」
厳しい声を出したエミーに、鶯色の瞳の彼女が馬車にゆっくりと駆け寄りながら返答した。
「大丈夫、もう敵は逃げたよ。痕跡を掴まれないように用心してるみたい」
「……失礼ですが、あなた様は一体」
「通りすがりの研究者、かな。ちょっと魔法が得意なだけの、一般人だよ」
煙に巻くようなその答えに、私が付け足す。
「彼女は私の命の恩人よ。あんなことがあったから警戒する気持ちもわかるけれど、とりあえず信用しましょう」
「……かしこまりました、お嬢様」
不思議と、初対面のはずなのに、私は彼女のことなら信頼できると心から思った。
命を救われたのだから、当然かもしれないが。
「えっと、じゃあとりあえず馬車の物陰にいるお二人はどいてもらえます?」
彼女の呼びかけに、護衛に守られたシルヴァンが馬車によって死角となっているところから出てくる。
シルヴァンは私と目が合った瞬間、走って私を強く抱き締めた。
「姉様、姉様…!!本当に、無事で、良かった……姉様が、あなたが、いなくなったら、僕」
「ごめんね、ルゥ。落ちちゃって」
「本当に、本当に……」
嗚咽を漏らすシルヴァンを見て、私も思わず目の奥が熱くなってくる。
死ぬところだったんだと思うと、遅れて体の震えがやってきた。
「本当に、生きてて、良かった……」
もし死んでいたらもうシルヴァンも、他のみんなの声も聞くことができなかったと思うと、ポロポロと溢れていく涙を止められない。
「泣いてたら、化粧も崩れちゃうよ」
軽く笑いながら私の肩がポンと叩かれる。
振り返ると、鶯色の瞳と目が合った。
「エミーさんが化粧直してくれるって」
見れば、馬車は何事もなかったかのように修復され、その横でエミーが化粧道具の箱を持っていた。
こんな一瞬で直すなんて、よほど魔法の腕が良いのだろう。研究者と言っていたし、ひょっとしたらどこかの貴族に仕える魔法師なのかもしれない。
「ありがとう。……本当に色々、ありがとう」
「いえいえ」
そう言って微笑んだ彼女は、ローブの懐から時計を取り出すと眉を顰めた。
「あぁごめん、私そろそろ行かないと」
「そしたらこれ」
いくつか付いている髪飾りの中から一つ抜き取って手渡す。
「明日午後、これを持って私の家の……クリスト家の屋敷に来て」
「……うん、わかった」
渡した髪飾りを丁寧に仕舞ってくれた彼女は、ゆっくりと道の端の方へ歩いていく。
「あ、あなたの名前は?」
最後に聞かないとと思ってそう声をかけると、彼女は一拍置いて振り向かずに答えた。
「……セルカ」
そのまま彼女の姿が消える。
あ、と駆け寄ると、どんどん小さくなっていき、森の中へと吸い込まれていった。
彼女━━━セルカの魔法の腕なら、危険なことは無いだろう。
「お嬢様、どうされますか。一度お屋敷に戻られますか」
エミーの問いかけに、私は首を横に振った。
さっき爆破されたらしき道は、多少表面こそ違えど、綺麗に修復されている。きっとセルカがやってくれたのだろう。
「予定通り向かうわ。化粧直しは馬車の中でお願い」
「かしこまりました、お嬢様」
まだ足の震えは残っているが、きっと会場に着く頃には治っているはずだ。
もしも私たちを狙った誰かが貴族であれば、ひょっとしたらこの後の夜会でそれが誰か見抜けるかもしれない。
黙って家に帰れるほど、私はか弱くも意気地なしでもないのだ。
少し社交界から離れていただけでも、王太子選定が始まった直後ということもあって大きく情勢が変わっていて、母上やシルヴァンから話を聞いて頭の中を整理するだけで、気付いたら第一王子主催の夜会の日になっていた。
「失礼します、姉様」
準備を終えて部屋で最終確認をしていると、扉の外からシルヴァンの声がした。
侍女の手によって開かれたドアから入ってきた彼は、今日の私とお揃いの若草色のジャケットを羽織っている。
「すごく綺麗です。その化粧、お似合いですね」
「ありがとう。ルゥもすごく綺麗よ。今日は髪を上げているのね」
「はい。夜会ですから、少し大人っぽくないといけないかなと」
そう言って笑うシルヴァンは、大人顔負けの落ち着きと美しさを放っていた。
姉の贔屓目かもしれないが、シルヴァンは本当に美形だ。容姿が整っているだけでなく、人を惹きつける魅力もあるし、心優しい。
「ごめんね、ルゥにエスコートを頼むことになってしまって」
「構いませんよ。ヴィンス兄様はお仕事で、レオ兄様も先約があるんですもんね」
本当なら、成人していない貴族の子女は夜会には出席しない。
主催側の家族であるか、もしくは私みたいに成人している家族の付き添いであれば、という感じだ。
「そろそろ向かいましょうか」
「そうね。行きましょう」
腕をとってもらい、のんびりと会話をしながら馬車に向かう。
会場は同じ王都内ではあるが、我が家の邸宅からは少し遠い。途中で山道を通らなくてはいけないらしく、揺れるからと何個かクッションを渡してもらった。
「では出発致します」
御者の声がかかったと同時に、馬が嘶く。
カタカタと車輪の揺れる音が聞こえてくる中、シルヴァンが「そういえば」と声を上げた。
「今年暖かくなるのは遅いらしいですよ」
「あら、もうポルトレトの発表があったの?」
「まだですよ。ピューヴァ様から個人的に聞いたんです」
ピューヴァ・シュウ・ポルトレト。
ポルトレト公爵家の現当主で、彼女は国一の占星術の使い手である。
ポルトレト家は五つの公爵家の中でも特殊な、「星を見る一族」だ。大気を満たす魔力の流れから、天気や災害、さらには戦争まで予想する。
毎年、風の宴から一ヶ月以内に、次の一年の気温の変動や、大きな災害の予言を行うのが慣例だ。
定住地を持たず、国中を飛び回っているため、ポルトレト家との繋がりを持つ者はほぼいない。
私の弟が例外なのは、ピューヴァ・シュウ・ポルトレト様が非常な面食いで、美少年が好きだからだろう。
美少年が好きとは言っても、一年に何回かシルヴァンに会いに来てお茶をするだけで、後は時々文通をしているらしい。
「暖かくなるのが遅いなら、夏用のドレスを仕立てるのはもう少し後でもいいかしらね」
「そうですね。あぁあと、姉様に伝言があって」
「ポルトレト公爵から私に?」
「はい。━━━『探し人は見つかる』、だそうです。詳しい意味はわからないんですが」
「そう。心に留めておくわ。伝言、ありがとうね」
いくらお金を払っても、個人的な星占いは断られることが大半だ。それなのにポルトレト公爵直々の占い結果を教えてもらえるなんて、幸運というべきだろう。
「いえ。……それより、揺れますね」
「そうね。道が悪いのかしら」
なんだか嫌な感じがする。
私は膝の上に置いていたクッションを傍に置いて、私たちの対面に座る護衛に視線を向けた。
彼は我が家お抱えの護衛で、素晴らしい剣の腕を持っている。ずっと気配を殺しながら、馬車の中からだけれど周囲に気を配ってくれていた。
「もしも何かあったら、私ではなくシルヴァンを守って。これはクリスト家長女としての命令よ」
「姉様!」
「は。承知致しました」
そもそも私の護衛というよりはシルヴァンを守るために今日は来てくれている。
私の命令も新しいものではなく、再確認という意味合いが強い。けれど、シルヴァンは私の腕を引いた。
「姉様、不吉なことを言わないで下さい。あなたも、何かあったら姉様を守ってくれ」
シルヴァンからの言葉に、彼は困ったように眉を下げる。
「ルゥ、我儘言わないの。ルゥに何かあったら大変なのよ」
「でも……」
不満げにしているシルヴァンを見ると、随分身長も伸びて顔立ちも大人びたとはいえ、まだまだ彼も子供なのだと頬が緩んだ。
きっといつまで経ってもこの子は可愛い弟なのだと、そう思った時だった。
耳を叩き壊すような爆発音が鳴り響き、体が馬車の壁に強く打ち付けられた。
身を縮こめて、奥歯をぎゅっと噛んで痛みを堪える。
「ぐっ……」
たまたま横に置いていたクッションが間に入り、衝撃を和らげてくれた。これが無かったら、ぶつかったまま出血していたかもしれない。
襲撃者だ。誰かに攻撃をされた。
爆弾か、それとも魔法か。術者の痕跡が残る魔法よりも、火薬による爆発を好む賊も多いと聞く。
誰かに狙われている。まだ爆発が終わっていない可能性もあるし、追撃もあるかもしれない。ひとまず安全を確保しないと。
耳の奥でまだ大きな音がぐわんぐわん響く。ルゥは、と思って見ると、彼は護衛に抱き抱えられていた。目立った外傷は見当たらない。
落ち着いて見れば、馬車も大きくは壊れていないようだった。ガラスが割れているくらいだろうか。
良かった、と胸を撫で下ろして、付いた手をわずかに横にずらした瞬間。
蝶番の壊れた扉はなんの抵抗もなく開き、気付いたら私の体は宙に放り出されていた。
「っ!?」
反射的に何かを掴もうとして、腕を伸ばす。
しかしそんな私を嘲笑うかのように、周囲の景色はどんどん速度を増していった。
人間本当に怖いと叫ぶこともできないのだと、落下しながら思う。
どうにか、と上向きの風を魔法で生み出すが、少し落ちる速さが遅くなっただけで、止まりそうにない。
「……私、まだ」
今からシルヴァンと夜会に出なくてはいけないし、明日は母上と二人でお茶をする約束をしている。レオナールとは今度演劇を見に行こうと言っているし、父上からは今度母上に送るプレゼントを一緒に選んで欲しいと頼まれている。卒業したら、兄上と街でお忍びで買い物をする予定もあったのに。
それに、まだラインハルト様の研究に協力できていない。
彼はきっと悲しむし、黒持ちへの偏見をなくせるかもしれないそれに、力を貸せないなんて。
「まだ、死にたくない…!」
「うん、まだまだ生きてね」
え、と声が漏れた。
「失礼」
若い女性の声がして、私の体がしっかりと抱きかかえられる。
気付いた時には私は横抱きにされていて、大きく弧を描くように森の上空をゆっくりと降下していた。
信じられない状況で、彼女の腕から伝わる暖かさに、辛うじてこれは都合のいい妄想ではないのだと感じる。
徐々に減速していき、地面に程なく着く、というところで彼女は止まった。
静かに、山道の下にある森の空き地に着地した彼女は、ゆっくりと私を下ろす。
私はというと、足をついた瞬間、膝から力が抜けてしまった。
「おっと、大丈夫?」
「え、えぇ。安心してしまって」
私は死にかけたのだ。それが彼女のお陰で、どうにか命拾いした。
そっか、と軽く笑う彼女は、どうやら私と同年代のようだった。
ローブを羽織り、質素な男性もののシャツとズボンを身につけた彼女は、赤みを帯びた深い茶色の髪を、後ろで高く一本に括っていた。
彼女は、私と目が合うと鶯色の瞳を柔らかく細める。
「怪我は?」
「ない、わ」
「そう、良かった。じゃあ上まで届けるね」
そう言って彼女は、再び「失礼」と断って、私の背中と膝の下に腕を回した。
あまり体格も変わらず、しかも重いドレスを着ている私を軽々と持ち上げた彼女は、緩やかに上昇し始める。
「あの、助けてくれてありがとう。このお礼は必ず」
「そんな、いいよ。目の前で死にそうな人がいたら誰だって助けるでしょ」
何のことも無い、という風に告げる彼女は、近くで見るとよく目立ちが整っていた。
人一人抱えて飛ぶなんて簡単なことではないのに、彼女はその綺麗な顔立ちに穏やかな笑みを浮かべたまま、私に話しかける。
「あぁそう。さっきの爆発、仕掛けたやつがいてさ。追いかけようと思ったけど、あんたが落ちてくから一応逃げる方向だけ確認しといたよ」
「やっぱり、誰かが私たちを狙って……」
「多分ね。爆薬を仕掛けてて、通った瞬間に点火だけしてたみたい。防ごうと思ったけど、どこをどうしたら爆発するのかわかんなくて、何もできなかった。ごめん」
「そんな」
私は首を振る。
もう既に眼下には森が広がっていて、馬車はすぐそこだった。
「命の恩人に犯人探しまでさせられないわ」
「……罪滅ぼしだから」
「え?」
小さく彼女が呟いた内容は、風に紛れて上手く聞こえなかった。
「あぁ、気にしないで。……はい、着いたよ」
馬車の横の、壊れていない無事な道に、彼女は私を下ろした。
少し前から私たちが見えていたのだろう。エミーが私に駆け寄る。
「お嬢様、お怪我は」
「大丈夫よ。シルヴァンは?」
「万が一に備えて、馬車の陰に隠れて頂いています。……そちらの方、なんとお礼を言えば良いのか」
エミーが頭を下げる。
「いいのいいの。情けは人の為ならず、って言うし。それより何個かいい?」
ひらひらと手を振った彼女は、そのまま転倒している馬車を指さした。
「それのガラスと外傷、多分直せるけど、やってみてもいい?」
「まことですか」
その言葉に反応したのは、御者だった。
彼はさっきまで馬を宥めていたようで、一度馬から離れてこちらに駆け寄ってくる。
「車輪が歪んでしまっていて、外そうにも外せないのです。わたくしには魔力がありませんで……」
「それより、この場にもう危険が無いのかの確認が先です」
厳しい声を出したエミーに、鶯色の瞳の彼女が馬車にゆっくりと駆け寄りながら返答した。
「大丈夫、もう敵は逃げたよ。痕跡を掴まれないように用心してるみたい」
「……失礼ですが、あなた様は一体」
「通りすがりの研究者、かな。ちょっと魔法が得意なだけの、一般人だよ」
煙に巻くようなその答えに、私が付け足す。
「彼女は私の命の恩人よ。あんなことがあったから警戒する気持ちもわかるけれど、とりあえず信用しましょう」
「……かしこまりました、お嬢様」
不思議と、初対面のはずなのに、私は彼女のことなら信頼できると心から思った。
命を救われたのだから、当然かもしれないが。
「えっと、じゃあとりあえず馬車の物陰にいるお二人はどいてもらえます?」
彼女の呼びかけに、護衛に守られたシルヴァンが馬車によって死角となっているところから出てくる。
シルヴァンは私と目が合った瞬間、走って私を強く抱き締めた。
「姉様、姉様…!!本当に、無事で、良かった……姉様が、あなたが、いなくなったら、僕」
「ごめんね、ルゥ。落ちちゃって」
「本当に、本当に……」
嗚咽を漏らすシルヴァンを見て、私も思わず目の奥が熱くなってくる。
死ぬところだったんだと思うと、遅れて体の震えがやってきた。
「本当に、生きてて、良かった……」
もし死んでいたらもうシルヴァンも、他のみんなの声も聞くことができなかったと思うと、ポロポロと溢れていく涙を止められない。
「泣いてたら、化粧も崩れちゃうよ」
軽く笑いながら私の肩がポンと叩かれる。
振り返ると、鶯色の瞳と目が合った。
「エミーさんが化粧直してくれるって」
見れば、馬車は何事もなかったかのように修復され、その横でエミーが化粧道具の箱を持っていた。
こんな一瞬で直すなんて、よほど魔法の腕が良いのだろう。研究者と言っていたし、ひょっとしたらどこかの貴族に仕える魔法師なのかもしれない。
「ありがとう。……本当に色々、ありがとう」
「いえいえ」
そう言って微笑んだ彼女は、ローブの懐から時計を取り出すと眉を顰めた。
「あぁごめん、私そろそろ行かないと」
「そしたらこれ」
いくつか付いている髪飾りの中から一つ抜き取って手渡す。
「明日午後、これを持って私の家の……クリスト家の屋敷に来て」
「……うん、わかった」
渡した髪飾りを丁寧に仕舞ってくれた彼女は、ゆっくりと道の端の方へ歩いていく。
「あ、あなたの名前は?」
最後に聞かないとと思ってそう声をかけると、彼女は一拍置いて振り向かずに答えた。
「……セルカ」
そのまま彼女の姿が消える。
あ、と駆け寄ると、どんどん小さくなっていき、森の中へと吸い込まれていった。
彼女━━━セルカの魔法の腕なら、危険なことは無いだろう。
「お嬢様、どうされますか。一度お屋敷に戻られますか」
エミーの問いかけに、私は首を横に振った。
さっき爆破されたらしき道は、多少表面こそ違えど、綺麗に修復されている。きっとセルカがやってくれたのだろう。
「予定通り向かうわ。化粧直しは馬車の中でお願い」
「かしこまりました、お嬢様」
まだ足の震えは残っているが、きっと会場に着く頃には治っているはずだ。
もしも私たちを狙った誰かが貴族であれば、ひょっとしたらこの後の夜会でそれが誰か見抜けるかもしれない。
黙って家に帰れるほど、私はか弱くも意気地なしでもないのだ。
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