【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~

弓削鈴音

第11話:宴の終わり

 ラインハルト様とダラン様と別れた後、私にいち早く近付いてきたのは、父上の従兄弟であるディルクさんだった。

「久しぶりだな、アマリリス」

「お久しぶりですわ、ディルクさん」

 親戚である彼が話しかけてくれたことにほっとする。身内であれば、変な警戒をする必要がない。

「まだ直接言えてなかったな。卒業おめでとう」

「ありがとうございます。ディルクさんも、先日長く続いた裁判が終わったとのことで」

「あぁ、知っていたのか」

 ディルクさんは苦笑しながら、近くの給仕から二つグラスを受け取った。
 片方私に手渡してくれたそのグラスに口を付けると、爽やかな果実の香りが鼻を通っていく。

「お前も知っているだろう、七年前の横領事件の後始末だ。……あれを一口に『横領事件』で済ませていいものかとも思うが」

「ブレデル家の一件ですわね。王家への上納額の一部を不正に懐に入れ、さらには橋や医院の建設への補助金さえも、元当主が全て掠め取っていた、と聞いております」

「……それだけだったら良かったのだがな」

 ディルクさんは溜め息をつく。

「どうかなされたのですか?」

「機密だから話せないが……まぁ色々きな臭いことがあってな」

 そこで言葉を切ると、彼は小さく首を振った。

「次の冬こそ、一族の集まりに出れるといいんだが」

「お待ちしていますわ。ディアナと会えるのが楽しみですわね」

「あの子はすごくお前に懐いているからな」

 今年九歳になるディアナは、ディルクさんの一人娘だ。弟しかいない私にとっては、年下の女の子というのは新鮮ですごく可愛い存在である。

 クリスト家と分家筋は毎年の冬、年越しを共に過ごす。
 冬が始まった頃から雪が降り始め、何ヶ月も雪に閉ざされる我が領では、冬という季節は一家団欒の時間だ。家族だけでなく親戚みんなが集まり、これまでの一年を共に振り返る。
 父上を含め王都で要職に就いている面々が多いため、冬は一族みんなで集まる貴重な機会だ。

 前の冬は、ディルクさんが王都で仕事に追われていたため、彼の家族含め、クリスト領には帰って来れなかった。

「しばらく領に戻るのか?」

「考え中です。しばらくシーズンですし」

「そうか」

 ディルクさんはそう短く言うと微笑んだ。

「今度、気分転換にうちの屋敷にでも来てくれ。妻もディアナもきっと喜ぶ」

「まぁ、よろしいのですか? 夫人にも会いたいですわ。ぜひ遊びに行かせて下さい」

「あぁ。ではまた」

 立ち去ったディルクさんと入れ替わりに私の隣に来たのは、父上だった。
 家でのリラックスした格好とは異なり、複雑な装飾の施されたジャケットを纏った父上は、少し疲れた様子で、思わず心配になる。

「どうされました、父上」

「あぁ。……どうやら、我が家を下らない派閥争いに巻き込もうとする者が多いようだ」

 大きく溜め息をつく父上に釣られて、私も小さく息を吐いた。

「申し訳ありません、父上。今までは私の婚約もあって中立派ということを示しやすかったのですが」

「気にするな。クリスト家はどの王子も支持しない。これは変わらない」

 父上の言葉に頷く。

 兄上は第一王子のユークライ殿下と親しい友人で、私は第三王子の婚約者。
 表舞台に立たない第二王子のラインハルト様は実質的な王太子候補として見られておらず、政治に興味はないという姿勢を示し続けてきた第二王女のティアーラ殿下を支持する貴族もほぼいなかった。
 そのため、有力候補である二人の王子とも交流を持つ我が家は、中立派としての立場を維持してきた。

「例年、未成年の王族は『風の宴』に出席しない。しかしティアーラ殿下が出席なされ、しかも長年療養中だったラインハルト殿下もこの場におられるということは」

「王太子選定が始まる、ということですか」

 私の言葉に父上は頷く。

「第三王子殿下はおられないが、王太子選定を始めるには今しかない。おそらくこの宴の終わりに、選定を始めるという宣言がなされるだろう。そしてこれに感付いているのは、もちろん私だけではない。……わかるな、アマリリス」

「はい、父上」

 つまり派閥争いが本格化する、ということだ。そしてそれは、私に対して追及の手が及ぶということも意味する。

「お前のことは信用しているが、同時に心配もしている。あの一件の傷もまだ癒えていないだろうに、このような腹の探り合いの場に出ることになって」

「……大丈夫ですわ、父上。自分の限界は把握しています。今日一日、必ず乗り越えてみせます」

 私の言葉に父上は瞠目し、そして楽しそうに笑いを漏らした。

「大きくなったな、アマリリス。……そういえば今日のドレス、確かお前が目をかけている我が家の職人が作ったものらしいな」

「はい、そうですが」

「ぜひそれを作った職人を紹介して欲しいと、先ほどエズマニア殿に言われてな」

「エズマニア……ドーマン・エズマニア教育大臣ですわよね?」

「あぁ。彼の娘の社交界デビューが迫っているらしくてな。腕の良い職人を探していたとのことだ。取り次いでくれるか?」

「もちろんですわ。ただ、その職人は異国の出身なのですが、大丈夫でしょうか」

 私も、外務大臣である父上も、外国への嫌悪感は持っていない。話す言葉や生活習慣が違っていても、同じ血の通った人間であると知っているからだ。
 しかし、我が国の一部には、他国の人━━━特に海を渡った先の異国の出身の者を、自分とは違う異質なものとして排除したがる風潮がある。特に、海を越えてきた移民によって、治安が悪化したり民の職が奪われたりした南部では、その傾向が強い。

 エズマニア侯爵家は、代々教育や魔法に関わる職に関わる法服貴族だ。領地を持たない分、異国人への直接的な拒絶反応を起こすことはおそらくないだろう。
 しかし、念のために確認をしておく。何か後からいちゃもんをつけられたら面倒だ。

「あぁ、大丈夫だろう。エズマニア卿はそういったことはあまり気にしない。最大限の利益を得るためにどこを重視するべきか、しっかりと理解している男だ」

「わかりました。後日、その職人に紹介状を持たせてエズマニア侯爵のお宅を訪問させますわ」

「頼んだぞ」

 父上はそう言って私の肩を軽く叩いた。

「さっきのアルハイトス卿との会話、良かったぞ。ただ無理はするな」

「はい、父上」

 家での姿とは違って、周りに鋭く視線を配りながら悠然と足を運ぶ父上の背中を見ながら、私は手をぎゅっと握った。






 父上と別れてから、次々と国の首脳部の方と話をした。
 話題はどれも同じようなものだった。私が今回呼ばれた要因でもある、魔法学校での演説関係の火消しについて。
 何度も何度も同じことを訊かれて、同じ内容を繰り返し答えていると、なんだか自分が魔法具の人形のように思えてくる。そして相手も。

 体の疲れよりも精神的な疲れに、今まで自分がいた魔法学校という場所が、社交界から見た時にいかにぬるま湯だったのか思い知らされる。
 学生時代、周りにいたのはよく見知った同級生たちだ。しかも、自分の本音を隠すということが不得手な正直者ばかりだった。

 ちょうどそんなことを考えていたからだろうか。
 我が国の宰相であるユラクス・リズヴェルト伯爵の問いかけに、私はすぐに返答することができなかった。

「アマリリス殿。あなたは魔法学校における第三王子殿下とそのご友人方の人間関係をどう思われる」

「……人間関係、ですか」

「あなたから見た率直な感想で構わない。もちろん、私の息子のことも含めてだ」

 宰相の「私の息子」という言葉に、わざと意識しまいと努めていたあの記憶━━━私が前世でプレイした乙女ゲーム、『アメジストレイン』のこと、そして魔法学校での生徒会のことを思い出す。

 目の前にいる宰相の息子、レーミル・リズヴェルトは私の一歳年上だが、ファゼル帝国に留学していた関係で、私達と同じ学年に所属し、生徒会の会計を務めていた。
 生徒会の他のメンバーが、何かとララティーナと親しくするために余計な雑務を増やしていた中、レーミル様は一歩引いて自分の職務に集中していた印象が強い。

 ……どうして、ゲームと違うのかしら。
 ゲームであれば、レーミル様もララティーナに心惹かれていたはずだ。プレイヤー側がレーミル様のルートを選ばなかったとしても、同じ生徒会の仲間として助け合うことも何度かあった。
 しかし現実の彼は、むしろ仕事をしないララティーナと彼女を取り巻く男達を軽蔑しているようにさえ見えた。

 考え込んでいる私に、宰相が「アマリリス殿?」と小さく声をかける。
 私は慌てて笑顔を浮かべた。

「失礼しましたわ、宰相閣下。第三王子殿下の人間関係は、四年間の学校生活の中でかなりお変わりになられていたので、どうご説明しようか少し悩んでしまいましたの」

「そうなのか。具体的には、どのように変化を?」

「そう、ですわね」

 脳裏で、鮮やかな金髪が輝く。
 ぽっかりと空いた心の穴に息が苦しくなるのを抑え込みながら、私は口を開いた。

「入学してから始めの半年ほどは、殿下は特定のご友人を作られるというよりは、たくさんの同級生と交流を持たれていらっしゃいました。それから二年生に上がるまでは、特に地方の貴族の御子息や留学生に気を配っていらっしゃいましたわ」

「それは、彼らがこの王都での生活に慣れていなかったからだろうか」

「えぇ、おそらく。王都でも彼らの祖国の味を楽しめるレストランを紹介したり、同じ地方の出身の御子息同士での仲を取りもったりなさっていました」

「なるほどな」

 宰相はわずかに眉を顰めると、「では」と言葉を続けた。

「ララティーナ・ゼンリルとの交流を持つようになったのはいつからだ」

「……三年生の始まりからと記憶しておりますわ。三年次に選択なされた魔法実習の授業で、交流を持つようになられたはずです」

「そうか。二年次の人間関係はどうだった?」

「同じような志……開かれた社会を理想とする貴族の御子息や一部の平民の同級生と、よくお話になられていました。どうすれば有能な人材を登用できるのか、庶民に教育を普及されるにはどうすれば良いのかなどを議論なさっていたと思いますわ」

「ララティーナ・ゼンリルと関わるようになってからはどうだ。彼らとの交流は続いていたのか?」

「……いえ。彼女と関わるようになってから、殿下の人間関係は大きくお変わりになられました」

 思わず視線が下がりそうになるのを堪える。

「それまでは、比較的多くの同級生との交流を持っていらしたのですが、彼女と関わり始めてからは、彼女以外には生徒会の面々としかほぼ話さないように」

「生徒会の任期は、確か三年次のちょうど中間くらいから約一年だったな」

「えぇ。ですが実際には、生徒会で役職に就く生徒には三年生に上がった直後にその旨が伝えられ、前年度の先輩方をお手伝いしながら仕事の内容を学ぶので、実質的には一年半ほど生徒会として職務に携わることになりますわ」

「ふむ。……生徒会は全部で七名。あなたとララティーナを抜いて五名。その内でララティーナに気があったのは?」

 随分と直接的な聞き方に面食らう。
 五名ということは、自分の息子もしっかりと数えている。

「……そうですわね。第三王子殿下、ケイル・ジークス様、それとジェイ・ヴィー様かと」

 ケイル・ジークスはジークス子爵家の次男、ジェイ・ヴィーはヴィー伯爵家の長男だ。
 二人とも『アメジストレイン』に登場する攻略キャラクターで、比較的ゲーム内と同じような動きをしていたように思う。

「クレイスト殿下と息子は?」

「クレイスト殿下は、どなたとでも仲良くしていらっしゃったので、特別彼女に気持ちがあるというようにはお見受けしませんでした」

 クレイスト・フェンダース。隣国のメイスト王国の第二王子で、生徒会では会計をしていた。
 常に柔和な笑みを浮かべていて、私に対しても優しく接して下さっていた。

「レーミル様は……」

 なんと言うべきか一瞬悩む。

「彼女と彼女に熱をあげていた三人から、少し距離を距離をとっていらしたように感じましたわ。同じ会計のクレイスト殿下と、主に決裁をしていたわたくし以外とは、ほぼ会話をなさっていませんでした」

 とりあえず当たり障りのなさそうな箇所だけ伝える。
 あなたの息子が学友を嫌っているようでした、だなんて口が裂けても言えない。

「そうか。では最後に一つだけ。いつから殿下はララティーナに気を寄せていた?」

「……三年生の、二月に行われる課外活動の後からかと思います。殿下は彼女と同じ班で、一日共に過ごしていらっしゃっていて、おそらくその中でお気持ちを自覚なさったのでしょう」

 自分が想像していた以上に冷たい声が出て、宰相に対してこれは良くなかったかなと反省する。しかし何度言い直しても、きっと同じような声しか出ないだろう。

 第三王子のことを訊かれるのは想定していた。答え方も事前に考えていたし、きっと受け流せると思っていた。
 けれどやっぱり苦しい。まだ私は立ち直れていないのだと、そう痛感させられる。

「……すまない。きっとあなたを傷つけてしまっただろう」

「いえ、そんな」

「謝らせてくれ。そして、時期が来たら説明をさせて欲しい」

 意味深なその言葉に、どういうことか聞き返そうと口を開こうとした時、後ろから声をかけられる。

「宰相、少しアマリリスをお借りしても?」

 振り返ると、そこにいらっしゃったのはレシア王妃殿下だった。

「もちろんです。アマリリス殿、また後日改めて」

「えぇ。失礼致します、宰相閣下」

 膝をゆっくりと曲げてカーテシーをし、私はレシア様にもう一度、さらに丁寧に礼をする。

「お久しゅうございます、レシア王妃殿下」

「久しぶり、アマリリス」

 我が国の第一王妃、レシア様は、武家の名門であるケーシー公爵家の出身だ。
 私の母上が、ケーシー家との関わりが深いノートル侯爵家の出身で、かつレシア様と仲が良いため、昔から顔を合わせることがよくあった。

「時間がないから率直に言う。すまない、アマリリス」

「……あの、レシア様?」

 ついさっき宰相に謝られたばかりで、次は王妃にも謝られるなんて、私の心臓と胃がもたない。

「今日だけだ。辛抱してくれ」

「あの、何が」

「あぁ一つだけ。良いドレスだ。ティアーラが興味を持っていた。良かったら職人を紹介してくれ」

 レシア様は元来気が早い方なのだと、母上から聞いたことがある。確かに、行動がお素早い方だとは思っていたが、ここまでとは。

 足早に去っていかれるレシア様を見ながら、私は謝罪の理由を考える。
 レシア様と最後にお会いしたのは、一ヶ月前にレシア様が我が家のタウンハウスにいらした時だ。あの時は少しご挨拶しただけで、大した話もしていない。もちろん、謝られる理由となるものなんて一つも思い当たらない。
 では、レシア様個人ではなく王家としてだとしたら。

 思考がそこまで進んだ時、高らかなラッパの音に私は自分の予想が的中したことを理解した。

 会場中の人々の視線が、ホールのステージに集まる。
 そこには、王家の皆様方が━━━第三王子を含め、立っていらっしゃった。

「今日、新たなる風の訪れを祝う日」

 陛下の朗朗とした声が響く。

「これからの四ヶ月、王太子選定を行うことをここに宣言する」

 やっぱり、と心の中で呟く。
 周りの人も私と同様、そこまで驚いている様子はなかった。

「選定に参加するのは、第一王子ユークライ、第二王子ラインハルト、第三王子サーストン、第二王女ティアーラの四名である」

 陛下に呼ばれるのに合わせて、一人ずつ一歩前に出る。

「ではここで宣言のあるものは」

「はい」

 ティアーラ様が声を上げる。
 まろやかな茶色の髪に紫紺の瞳の彼女が、こういった場所が得意ではないことを私はよく知っている。
 大人数の前に立つことが苦手なはずの彼女は、しかし背筋を伸ばして凛とした声で告げた。

「わたくし、ティアーラ・ウィンドールは王太子選定を降りることをここに宣言致します」

「その宣言、承知した」

 ここまでは予想通りだ。

「他に宣言のあるものは」

 どこからか生まれた緊張が、会場中に波及する。

 音がない張り詰めた緊張感の中、誰かが喉を鳴らして唾を飲み込んだ音が聞こえたような気がした。

「……ないようだな」

 ざわりと会場が揺れた。

「では、今後王太子選定に参加するのは、第一王子ユークライ、第二王子ラインハルト、第三王子サーストンの三名である。━━━皆の者。我らがウィンドール王国がより良くあるためにどのような王を望むか、私はそれを見ている」

 王太子選定において、最終的に次期王太子を指名する権利は国王にある。
 各候補がどのような振る舞いをするのか、どれくらいの貴族や民衆に支持されているか、能力や資質はどれくらいか。

 様々な要素を鑑みて王太子は指名されるが、そこに派閥が大きく関わってくるのは間違いない。

「ではこれにて風の宴を終了する。皆に風のご加護が在らんことを」

 王族方が退出し、残された国の首脳部達も会場を去っていく。
 そんな中、これは荒れるぞと、誰かが小さく呟いた。

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