【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~

弓削鈴音

第3話:王家の思惑

「かけて頂戴」

 私と兄上が通されたのは、会場からそう遠く離れていない応接室だった。
 魔法学校は教育機関とはいえ、在校生に国内外の王族や貴族が通うこともあり、こういった部屋も多数用意されている。

 私は兄上の隣の腰を下ろし、その正面にイリスティア様とユークライ第一王子殿下が座っていらっしゃる。今のところ一度も口を開いていないユークライ殿下は、柔らかい表情のままだ。
 ……少しだけ胡散臭いなんて、不敬なことを思ってしまう。

 簡単にお茶だけ用意させて人払いをしたイリスティア様は、後ろにいる三名の騎士を手で示す。

「彼らは我が近衛騎士。ここでのことは一切口外しないから安心して」

 その言葉に合わせて、彼らは一斉に右手を左胸に当てて一礼した。鎧が揺れるカシャカシャという軽い音が響く。

「では早速だけれど。……アマリリス・クリスト、今回我が息子の犯したあなたへの非礼、非公式ではあるけれど王家を代表してお詫びするわ。本当に……あなたの想いを踏み躙る行為だった。申し訳ないわ」

 イリスティア様の声は深く沈んだものだった。

 本当は、イリスティア様からの謝罪など要らない。それよりもサーストン様からの温かい言葉が欲しい……と、昔の私なら思ったのだろう。
 しかし、日本に生きた「私」の記憶がある今、もうあの方が私に笑いかけることはないとわかって、残るのは虚しさだけだ。

「これは金品で贖えるものではないけれど、それでもあなたが望むならば可能な限り用意するわ」

「…………恐れ多くも王妃殿下、一つだけ、よろしいでしょうか。一つだけ、お願いがあるのです」

 私の言葉に、隣の兄上が気遣わしげな視線を投げかけてくる。止めるか悩んでいるのだろう。普通、こういった場合に本当に要求をすることはない。いくら我が家が公爵家とはいえ、非礼にあたりかねない。

 けれども、これからの私のために、これだけはお願いしたいのだ。

「構わないわ。何かしら」

 一度深く息を吸って、しっかりと体全体に力を込める。

「今後、サーストン様……いえ、第三王子殿下が参加なさる式典への欠席の許可を頂きたく思います」

 サーストン様の拘束というゲームにはなかった出来事があったとはいえ、きっとシナリオ通りにララティーナがあの方の隣に立つ場面はきっとあるだろう。
 正直、それを見たら自分がどうなるかわからない。ただ、絶対に平然とはできないはずだ。

 そんな状況を回避するために、ここで許可を頂きたかった。王族が主催する催しなどは、よほどの事情がない限り出席するのが礼儀だ。最悪、私が無断で欠席を繰り返したりすれば、家名に泥を塗ることになる。
 事前に許可を貰っておいてそのことをそれとなく社交界全体に伝えておけば、私が出席しなくても大丈夫なはずだ。

 私の申し出が意外だったのか、イリスティア様はわずかに目を見開いた。隣のユークライ殿下は、穏やかな表情はそのまま、私を見定めるような視線を向けてきている。

 部屋に沈黙がおり、ひょっとしたら駄目だったかと思った時、イリスティア様が大きく息を吐かれた。

「……認めないわ」

 無理、なのか。

 ということは、何かしらの対策を講じなければいけない。
 もしサーストン様が主催者だとしたら挨拶には行かなくてはならなくなる。時間がなかった、という言い訳も何度も使えるものではないだろう。それに、周りからどう言われるかもわからない。普通に会話したとしても、挨拶しかしなかったとしても、お互いを避けたとしても、当人たちのことは無視して面白いように騒ぎ立てるのが社交界だ。

 気が重くなる。いっそのこと病にかかったとでも公表してもらおうと思った瞬間、予想もしていなかった言葉が耳に飛び込んできた。

「サーストンが社交界がいなくなるから、あなたがサーストンを避ける理由もないもの」

「えっ……それは、どういう」

 ふぅ、とイリスティア様が息を吐き、紅茶を口に含む。

「これは他言無用でお願いしたいのだけれど、実は少し前からサーストンの処遇については何度か元老院で議題に上がっていたのよ」

 まさか元老院が、と息を呑んだ。

 元老院は、国王陛下への助言を行う機関であり、立法機関である国民評議会よりも陛下への影響力は強い。
 国中から選りすぐりの知者が集まっている機関……らしい。元老院に所属している面々は非公開で、噂によると王家に伝わる魔法具を使った会議が主だから、お互いの顔さえ知らないそうだ。

 日本でいうところの都市伝説のような存在だが、確かに元老院はある。この場でイリスティア様がその名を出したのもその証左だろう。

 そんな元老院が、サーストン様を問題視していたなんて。

「魔法学校での非行━━━婚約者であるあなたに対しての態度はもちろん、生徒会会長としての権限の濫用、行事や授業への無断遅刻そして欠席、不用意な発言の数々。王族として相応しくない振る舞いを続けたあの子に関しては、魔法学校卒業後には社交界を謹慎させる方向で動いていたの」

 はぁ、と溜め息をついたイリスティア様は、弱々しく微笑んだ。

「あの子の愚行の実害を食い止めてくれていたあなたに、こんな対応しかできなくて……。本当に、歯痒いわ」

「わたくしは自らの職務を全うしたに過ぎません。補佐してくれていた他の面々の力もありますし」

 実はあの頃、ララティーナと遊び呆けているサーストン様の気持ちを引くことばかり考えていて、生徒会としての務めはあまり意識せずにやっていた。暇さえあればどんな贈り物をすればいいのかばかり考えていた記憶がある。

 しかし、「私」の記憶がある今、客観的に自分のやってきたことを見返すとなかなかにすごいなと思ってしまう。

 生徒会の会長に与えられた、特別教室やホールの使用権限をララティーナのためだけに使い、後始末はなし。貴族生徒の嫌がらせで創立パーティーに参加できなかった代わりに攻略対象者がパーティーを開いてくれる、ゲームの中でもあったイベントだ。ついでに飾り付けや楽団を呼ぶために使われた金額は、全部生徒会の予算から引き落とされていた。
 初めて知らない間に予算が減っていた時は本当に驚いたけれど、しばらくすれば慣れてしまった。まだ使えるものを選んで業者に買い取ってもらうことで支出を極力減らし、サーストン様に見せる帳簿とは別の帳簿を使い始めたのは我ながらいい判断だったと思う。

 それよりも大変だったのは風紀の引き締めだ。行事や授業を生徒会長が無断で遅刻したり欠席したり……まぁ言ってしまえばサボったことが広まり、一時期学校全体の風紀が乱れかけていた時期があった。「私」の記憶の中のように、きっとララティーナと心臓を高鳴らせながら市井にこっそり出かけていたのだろうけれど、私は別の意味で拍動が速くなったものだ。
 サーストン様への悪評が広がるのを看過するわけにもいかず、ララティーナに非難が集中するように噂を調整しなくてはいけなかった。その分彼女への嫌がらせが加速したけれど、私の預かり知ることではない。

 けれど、これさえもサーストン様の問題発言に比べれば可愛いものだ。「国民全員平等に」なんて言い始めたのだもの。
 確かに、全ての民が安寧と充足した生活を得ることができるというのは大切だ。しかし、それと「平等」というのは訳が違う。

 あの時のことを思い返し、事態の収拾のためにイリスティア様にもお力を貸してもらったことを思い出す。

「『平等』発言に関しては、王妃殿下のお力も借りましたし」

「婚約者に過ぎないあなたに王族の恥を隠す手伝いをさせてしまったのだもの。あれくらい当然だわ」

 かなりあけすけにそう言うイリスティア様は、心なしか疲れていらっしゃるように見える。

「あなたの王族への貢献は、公で認められてもおかしくないものだわ。……あなたはそれを望んではいなかったけれど」

「わたくしの願いは、サーストン様が喜ばれることだけでしたから」

 薄々感じていたことではあったが、「私」の記憶で確信を持った。

 サーストン様は、優秀な私を疎ましく思っていたのだ。

 自分のことを優秀と自称するのに、思わないところがないわけではないが、少なくとも同年代の中では私の能力はそこそこ秀でているらしい。
 といっても、公爵家に生まれて優秀な教師を幼い頃からつけられて、平民の子供と違い家業を手伝う必要もなかったから十分に勉学に時間を使えただけで、これは私自身の資質というよりは育ちに依るところが大きいのだが。

 そんな恵まれた環境で育った私とサーストン様は、お互い身の回りのことに不自由しないという背景こそ同じだったけれど、他はかなり相違点があった。

 私の父上が私のために雇った家庭教師は、権力闘争や社交界からは程遠い純粋な学者畑の方ばかりだった。そのため、公爵令嬢である私にもただの学徒として接してくれていて、私自身も学びにだけ集中することができた。
 それに対し、サーストン様の周りにいたのは、己の地位のために幼い王子にさえ取り入ろうとする醜い大人ばかりだった。もちろん、全員が全員というわけではない。しかし、王族の家庭教師という地位について目が眩まない者は少なかった。あの方の周りにいたのは、王子を利用としようとする者か、あるいはそれに嫉妬する者。

 それに気付けずにいたことが心苦しい。少し考えれば、勉強の時間になる度に暗い顔をしたサーストン様に、せめて事情を聞くだけでもできたはずだ。

「……アマリリス」

 考え込んでしまった私に、イリスティア様が優しく声をかけて下さる。

「あなたは背負いすぎよ。……あの子を止めて、救ってやれなかったわたくしが言えたことではないかもしれないわ。けれど、お願いアマリリス。あなたはもっと、あなた自身の幸せを考えてあげて」

「いえ、わたくしは……」

 私はもうすでに自分の欲に従って生きていたというのに。
 私にはそんな温かい言葉を頂く資格なんてない。そういった意味を込めて首を振ると、イリスティア様は困ったように笑みをこぼした。

「……ともかく、あなたが社交界での催しに出る際に、憂いの種を最大限減らすことを約束するわ」

「寛大なご配慮に、感謝申し上げます」

 ゆっくりと腰を折る。
 我が国の社交界で最も力の強い女性であるイリスティア様がそう仰るのでれば、安心だ。あの二人が並ぶところを見なくていいと思うと、ほっとする。

「他に何か要望はあるかしら」

「いえ、ございません」

「なら結構よ。もし何かあったらいつでも伝えて頂戴。……ではここからは婚約破棄に伴うことについてなのだけれど」

 イリスティア様はそこで一度言葉を切ると、隣のユークライ殿下の方を見る。
 今まで一言も発しておらず、どうやら発する気もないようだ。イリスティア様が何かしらの確認をとっているところを見るに、この話し合いに一枚噛んでいるのだろうか。

「詳しい話はクリスト公爵に直接した方が良さそうね。とりあえずあなたには、先ほど伝えたことを含める三点だけ伝えるわ」

 頷いて、淹れてある紅茶に口をつけた。芳しい香りと爽やかな甘味が後に残る。
 魔法学校に置いてある茶葉は、全て私が選んだ費用が低く品質の良い━━━日本の言葉で言うのなら、「コスパ」の良いものだ。購入した際に自分で確認もした。
 さすがにこの事態を想定したわけではないが、王族に出しても一応は平気な程度のものを用意しておいて良かったと思う。

「一つ目、サーストンはしばらく社交界に出さない。二つ目、今回の婚約破棄の手続きにはしばらく凍結する。三つ目、婚約破棄に伴う不利益の補償はこちらが行う。以上三つに関して何か質問は?」

 おそらく、ここら辺のことも後で父上が確認して下さるはずだ。私が詳しく聞く必要もないだろう。

「いえ、ございません」

「結構よ。クリスト公爵にはわたくしの方から連絡するから、あなたはもう帰って大丈夫よ」

 イリスティア様が、形の整った眉尻を下げる。

「迷惑をかけたわね。ゆっくり休んで頂戴」

 私の顔色を伺うように、イリスティア様が双眸を揺らめかせた。
 相当疲れているように見えているのかもしれない。実際、疲労はかなり蓄積している。そもそもこの卒業式と卒業パーティーのために事前に準備をしてきたし、本番中も主役の一人とはいえ気を張っていた。その後にこれだ。

 まだ、辛うじて残っている気力で倒れることはないけれど、その言葉で若干疲れが自覚されてしまう。体のだるさを感じそうになるのを振り払い、今一度指先まで神経を張り巡らせる。

「有り難きお言葉に存じます。……では、失礼致します」

 兄上に手を貸してもらい、椅子から立ち上がった。
 一礼をし、マナーに則った作法で扉から出て行く。

 パタン、と閉じた音がした瞬間、膝が震えて体が崩れそうになる。

「おい、リリィ」

「大丈夫。……大丈夫だから、心配しないで、兄上」

 腕に掴まってどうにか堪えた。 
 それでも倒れそうになるが、兄上に肩を抱かれる。

「馬車まで歩けるか?」

「歩けるわ。心配しないで」

 だから手を離してくれと言外に伝えるが、兄上は手を離そうとしてくれない。

「お前が嘘をついて平然と無理することは、十八年お前を見続けて知ってるんだよ」

「兄上が私たちに過保護すぎることも、十八年兄上の妹をやって知ってるわ。離して大丈夫よ」

「どうせ迷惑をかけるとか思ってんだろ。いいか、妹は兄に迷惑かけてなんぼだからな?」

「いいから兄上は私のことをもっと信頼して」

「信頼した上で言ってるんだ。お前が俺のことを頼ってくれていると思った上で言っている。そうじゃなきゃとっくに気絶させて運んでる」

「それだけはやめて欲しいわ。……いいから離して。自分で歩けるから」

 十八にもなって兄に支えられて歩かないといけないなんて、恥ずかしいにも程がある。それに、婚約破棄の衝撃で歩くことさえできなくなってしまうなんて、醜聞でしかない。

「兄上、いいから」

「お前こそいいから」

「ねえ兄上」

「リリィ!」

「失礼、アマリリス嬢だろうか」

 かけられたその声に、二人同時にパッと顔を上げる。



 そこに立っていたのは、一人の青年だった。
 黒髪に橙色の瞳。年齢は私より少し上だろうか。身につけている服の装飾から察するに、身分は相当高い。
 しかし、魔法学校でも社交界でも見かけたことが━━━

「…………第二王子、殿下…?」

 その容貌の特徴と身分から推定できる唯一の人物。

 七年前から病で表舞台から姿を消したとされているその人が、目の前に立っていた。

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