スノーホワイトは年下御曹司と恋に落ちない

紺乃 藍

スノーホワイトは恋に堕ちる


「それじゃ、お疲れさまでしたー!」
「室長、お熱い夜をー!!」
「ひゅーひゅー!!」
「ほんとそれ、もういいから……! 気を付けて帰ってよー!?」

 好きなだけ食べて飲んで大騒ぎした部下達や春岡と別れ、陽芽子もようやく息をついた。

 啓五にはただの慰労会だと聞いていたのに、あっさりと自分たちの関係を話してしまうのだから、焦りもするし疲れもする。

 職場で改めて報告する手間は省けたが、明日以降、部下たちにからかわれる材料が増えてしまった。そう考えると仕事自体はこれから先も何も変わらないのに、照れと恥ずかしさを感じてしまう。

「お熱い夜を、って言われたな?」
「啓五くんも本気にしなくていーの」

 隣にやってきて楽しそうに手を握ってくる恋人の呼び方を『副社長』から『啓五くん』に戻す。それだけで嬉しそうな顔をするのだから、啓五の幸せは安いものだ。

 繁華街からさほど離れていない啓五のマンションに辿り着き、上層階にある彼の部屋へ入ると、上着を脱いだ啓五に

「そういえば、住むとこってここでいい?」

 と訊ねられた。

「え……一緒に住んでいいの?」
「当たり前だろ。別居なんて一日もしないからな。そうじゃなくて、俺が聞いてるのは場所の話」

 少し不機嫌そうな顔をされて、改めて『近い将来この人と結婚するんだなぁ』と思う。

 本当はまだ実感がない。だが陽芽子が使うタオルを準備したり、酔い覚ましの水を用意してくれたりと、甲斐甲斐しく動き回る啓五はもうご機嫌に戻っている。その姿を見るだけで、陽芽子と過ごす日々を楽しみにしてくれていることは良くわかる。

「啓五くん、私より浮かれてる?」
「そりゃ、浮かれるだろ。結婚したら陽芽子を独占できる。毎日一緒にいられるし、陽芽子を甘やかしてやることも出来る」
「あの……それ、言ってて恥ずかしくない?」
「いや、全然?」

 きっぱりと言い切って開き直られると、陽芽子も黙るしかなくなる。

 甘い空気の気恥ずかしさに負けた陽芽子は、照れを誤魔化すようにバスルームへと逃げ込んだ。そのままシャワーを借り、ドライヤーで髪を乾かし、歯を磨きながら、平静を取り戻そうとこっそり奮闘する。

 自分の意思で啓五の家にやって来たのは今日が初めてだ。当然、陽芽子が生活するための日用品や衛生用品はまだ揃っておらず、今夜も、とりあえず一泊するだけの最低限の準備しかしていない。

 そのお泊りセットの中にあったルームウェアを着てリビングへ戻ると、ずっと浮かれていた啓五がとうとう活動停止状態になった。

「え……陽芽子、毎日その格好で寝てんの?」
「そ、そうだけど……?」

 啓五の傍へ近づくと、全身をまじまじと眺められる。

 とはいえ陽芽子のルームウェアは、その辺の衣料店に売っている半袖と3分丈の普通のパジャマだ。デザインもありがちだし、色だって白と桃色で特別に奇抜でもない。

「へん? 普通のパジャマじゃない?」
「いや、まぁ……そうだけど。急に可愛いのか……うん、ずるいな」

 ぶつぶつ言いながら啓五もバスルームへ消えて行く。一体なんだろうと思っていると、ガシャン、ゴトンと何かにぶつかったか、何かを落としたような音が聞こえてきた。

(……大丈夫? ……酔ってる?)

 やっぱり酔ってるのかもしれない。普段あんなに強いお酒を飲んでいるし、お湯を使う音もかすかに聞こえているので、さほど心配する必要はないと思うけれど。



 グループメッセージでみんなの帰宅確認をしつつスキンケアをしていると、シャワーを済ませた啓五がリビングルームへ戻っていた。

 近付いてきた姿を見上げて、ハッと驚く。そして先ほどの奇行の理由に、妙に納得してしまう。シャワー上がりの啓五はTシャツとルームパンツというラフな格好だった。

 それは普段の高級そうなスーツ姿や、ホテルで見るバスローブ姿ではない。プライベート空間へ入ることを許された者のみが目にできる、完全に無防備な普段の姿だ。

 差し出された啓五の手を取り、ゆっくりと立ち上がる。そのまま導かれた先は啓五のベッドルームだった。

「今夜は、優しくするから」

 以前、無理矢理キスをしたときのことを反省しているのだろう。ベッドに座った啓五に腕を引っ張られ、胸の中に身体を引き込まれる。顔を上げて薄明るい中で見つめ合うと、そのまま唇を重ねられた。優しく、丁寧に、お互いの温度を少しずつ確かめるように。

「いつも優しくしてくれないと困るよ?」
「じゃあ『今夜から』優しくする」

 離れた唇の隙間でくすくす笑うと、啓五はすぐに自分の言葉を訂正してきた。

 そのままパジャマのボタンを外され、晒された鎖骨に鼻を近付けてすんすんと匂いを確かめられる。まるで動物が自分の番を探しているようだ。

「陽芽子の匂いがする。でも石鹸は俺が使ってるやつだ」
「啓五くん、くすぐったいよ」

 肌の上にかかる息がくすぐったくて、そっと文句を言う。するとふっと笑った啓五に再び唇を奪われた。

 キスの合間に『ごめん』と笑われるが、手の動きは繊細な硝子細工に触れるように優しくて、服を剥ぎ取る動作も丁寧だ。むしろじれったいと感じてしまうほどに。

「……可愛い」

 肌に触れられると、また身体が熱を持つ。身体中を撫でる優しい指の動きは、激しい行為よりもよほど情熱的に感じてしまう。繰り返されるキスも重ねられる言葉も、優しすぎるほどに甘ったるい。

 陽芽子の身体をじっと見下ろしていた瞳と目が合う。黒目より白目の割合が大きく、相手に鋭い印象を与える『三白眼』――真珠のように綺麗な白と黒曜石のように深い黒の瞳。

「ん? どうした?」

 人間らしい優しさと猛獣のような鋭さを兼ね備えた力強い眼に微笑まれ、また心臓を射抜かれた心地を味わう。

「ううん……啓五くんの眼、好きだな、って」

 その濡れた黒の中に、今は陽芽子の姿だけが映っている。

 啓五の視界にいるのは自分だけ。その事実に気が付くと、独占欲ってこういうことなのかな、と思ってしまう。

「もう一回言って」

 ふと熱っぽい声で顔を覗き込まれたので、何か言い方を間違えてしまったのか、と慌ててしまう。けれどその目を見ても、首を傾げても、結局正解はわからない。

 だから難しいことを考えるのは止めにして、素直な感情をありのままに口にする。

「けいごくん、すき」
「……それは反則」

 啓五がぼそりと呟いた言葉に、再び笑みを零す。

 本当は鳴海が啓五の傍に居続けることを、面白くないと思っている。真意はどうあれ、啓五の花嫁の座を欲していた人に、近くにいて欲しくはない。けれど陽芽子は啓五の仕事を助けることは出来ないし、啓五も鳴海の能力は買っている。

 だから仕方がない。
 その代わり、プライベートの時間はぜんぶ陽芽子に譲ってもらうから。

「啓五くんは、私のものになってくれる?」

 そっと訊ねると、当然のことを聞かなくてもいい、とまた頭を撫でられた。

「陽芽子は?」

 その心地よさに身を委ねていると、同じ質問を返された。わざわざ聞くまでもない、今さらすぎる当たり前の確認を陽芽子の耳元で囁く。

「俺のスノーホワイトは、恋に落ちてくれた?」

 返事もしていないうちに、またその唇を奪われる。だから明確な回答は出来ていないが、啓五は気付いているだろう。

 白木陽芽子が『落ちた』恋はそんなに可愛いものではない。他でもない啓五が『堕とした』執着の恋は、チョコレートや蜂蜜のようにどろどろに甘ったるい、沼のような恋なのだから。

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