スノーホワイトは年下御曹司と恋に落ちない

紺乃 藍

お客様相談室のお姫様 後編 (啓五視点)

 やっぱり傍にいて欲しいと思う。陽芽子が傍にいてくれればどこまでも成長していける気がする。どんな困難も乗り越えられる気がする。

「ですから副社長が白木のことを認めてくれているようで、私としては嬉しい限りですよ」
「……そうですか」

 春岡の言葉に静かに頷く。その言動から遠回しに祝福されているような気配は感じ取ったが、陽芽子との信頼関係を知っている以上素直に喜ぶことも出来ない。いつも余裕のない啓五と違って、春岡は常に余裕があるようだ。

 ふと視線を感じて首を動かすと、最も近い場所に座っていたオペレーターの女性がじっと啓五の顔を見つめていた。

 大学生ぐらいの年齢だろうか。アッシュグレーに染めたおかっぱみたいなショートボブヘアと太い黒斑フレームが印象的な女性は、啓五と目が合うとにこりと笑みを浮かべてきた。

「副社長は、課長にやきもち妬くぐらい室長が好きなんですね」

 疑問のような肯定のような言葉で、彼女はくすっと不敵に笑った。

「でも室長は私たちの可愛いお姫様なので。ちゃんと大事にしてくれる王子様じゃないと、渡しませんから」
「こら、鈴本!」

 急に辛辣な宣言を浴びせられ、しかも仔細を見抜いているらしい口振りに仰天する。だがその言葉には、啓五よりも隣にいた春岡の方が焦ったらしい。

 上司に『何を言っているんだ!』と怒られ『だってぇ~』と唇を尖らせているが、鈴本と呼ばれた女性の言葉には啓五も妙に納得した。

「……なるほどな。可愛い小人たちを納得させなきゃ、俺は白雪姫の相手として認められないのか」

 陽芽子は上司だけではなく、部下からも大切に想われて愛されているらしい。副社長という確固たる社会的地位を持っている啓五ですら、簡単には認めてもらえないほどに。

「これはハードル高いな」

 苦笑して肩を竦めると、鈴本が肯定するようににっこりと笑う。春岡は左手で額を覆って頭を抱えていたが、別に失礼だとは思わない。むしろ彼女の言う通りだ。

 啓五は陽芽子に強引に迫ってしまった。嫌われてもおかしくないことをした。部下たちに細かな事情を話しているとは思わないが、大事にするどころか傷付けてしまったのは事実だ。簡単に認めてもらえなくても無理はない。

 だからと言って諦めるつもりもないけれど。

 そんな陽芽子の姿を再び確認すると、丁度話が終わったところのようだった。

「この度は大変なご不便をおかけいたしまして、誠に申し訳ございませんでした。今後またご要望など御座いましたら、私白木までご連絡いただければ幸いです」

 リアルタイムの陽芽子の声と、ヘッドセッドを通した陽芽子の声が同時に響く。
 たおやかで美しく、優しく、強く。

 ――そして、終話。

 最後の瞬間まで、暴言を吐き続ける人を相手にしているとは思えないほど、丁寧な言葉遣いだった。相手が電話を切ったことを確認して、陽芽子も電話機の接続を切る。そのままふう、とため息をついた鮮やかな幕引きに、周りにいた部下たちがワッと浮足立った。

 でもすぐに叱られて元の席に戻る。とは言え全員が嬉しそうな顔をしてうずうずしているのが手に取るようにわかる。見ているこちらが笑ってしまいそうなほど、従順な部下達だ。

「申し訳ありません、予定より長引いてしまいました」
「就業時間内だ、上出来じゃないか」
「ありがとうございます」

 啓五と春岡の前までやってきて簡潔に報告した陽芽子に、春岡が満足げに頷く。上司にさらりと礼を述べた陽芽子の横顔を見つめていると、不意に彼女と目が合った。

「ご苦労様。すごいな、何も言えなくなってた」
「いえ、相手も全部吐き出したので、言うことが無くなっただけですよ」

 そして決して驕らない。啓五の労いに対してふわりと微笑んでみせた陽芽子に、一体どこまで自分を惚れさせれば気が済むのかと言いたくなってしまう。

 そうやって啓五の心を奪って離さないくせに、こちらから手を伸ばせば猫のようにするんと逃げてしまうのだから。

(ずるいな……本当に)

 当の陽芽子は啓五の煩悶など知る由もなく、けろりとした様子で自分の功績を翻す。

「それにまた掛かってくる可能性もありますので」
「納得したんじゃないのか?」
「今日のところは納得して頂けました。それに副社長の秘書が自ら対応して下さったので、先方の溜飲も下がるでしょう」

 たぶん、そんなものは下がっていないと思う。

 何故なら鳴海は、自己保身に走った。相手の話に耳を傾ける姿勢もなく、自分の都合を優先させ、己の所属と名前を名乗らなかった。ちゃんと名乗っていれば相手もそれが自分の妹だと気付き、また違う展開になったかもしれないのに。

 現時点で、鳴海の兄は二人目に出た相手が自分の妹であることに気付いてすらいないだろう。だから陽芽子が述べた『副社長の秘書が自ら対応して下さった』と言う言葉は、事実とは異なるただの気遣いだ。もしくは硬直したまま会話を聞いている鳴海に、改めて釘を刺すための。

 全ては事を荒立てないようにするため。啓五の副社長としての地位と、鳴海の評価を保つため。そして自分の部下を守るため。

 本当に、頭が上がらない。

「わかった。もしまた電話が掛かってきたら教えて欲しい。この件は俺が責任を持って対処する」

 啓五も間接的に鳴海に言い聞かせるように頷く。本当は今すぐに頭を下げたいぐらいだが、せっかく丸く収まるようにお膳立てしてもらったのだ。ここで啓五が謝罪することで、その気遣いを台無しにする訳にも行かない。

「……悪かった」

 だから一言だけ言い添える。

 本当は、悪かった、では済ませられない。啓五にも監督不行き届きの責任がある。知らなかったとはいえ、こんな状況になっていたのに数か月も放置してしまったのだ。自分の部下を管理できずに迷惑を掛けたのならば、それは全て啓五の責任に決まっている。

「とんでもございません。副社長が謝罪されることではないですよ。こちらこそ、お忙しいところをお越しいただき本当にありがとうございました」
「あぁ」

 けれど気にしていないとでも言うように、陽芽子は笑顔を見せてくれる。だから視線を交わして頷き合い、彼女の配慮を素直に受け取ることでこの場を収める。

 ワークチェアに座って青ざめた顔をしている鳴海に『戻るぞ』と声を掛ける。のろのろと立ち上がって頭を下げた鳴海に退室を促した後、ふと大事なことを思い出す。

 そう言えば、今日は火曜日だ。

 啓五が振り返ると、見送りのために後ろについてきていた陽芽子が不思議そうな顔をした。首を傾げる彼女に近付き、その耳元にまた内緒の話を語り掛ける。

「ごめん、陽芽子。今夜はIMPERIALには行けない」
「え、全然……構いませんけれど?」
「……」

 ところが、陽芽子の返答はあまりにもあっさりしたものだった。きょとん、とした表情の陽芽子に、毎週火曜日の夜を楽しみにしているのは自分だけなのかと落胆してしまう。やっぱり無理してでも行こうか、と思ってしまう。

 ひとりで気持ちよく酔ってる陽芽子を、他の男性客が見つけて声を掛けたらと思うと気が気じゃない。それに啓五の顔を見上げて不思議そうに首を傾げる小動物のような仕草を見れば、今すぐにでも抱きしめて撫でたい欲望が沸き起こる。

 けれどやっぱり、今日は駄目だ。

 実の兄に一方的に怒鳴られて放心状態になっている鳴海に、その口でちゃんと説明してもらわねばならない話がたくさんあるのだから。

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