スノーホワイトは年下御曹司と恋に落ちない

紺乃 藍

スノーホワイトと7人の可愛い部下

「無言電話なぁ」

 先日から無言電話がずっと続いている状況を、上司である春岡と再度共有する。コールセンター業務の課長に就いて数年が経過している春岡は一言でその厄介さがわかるらしく、後頭部を掻きながら困ったように唇を尖らせた。

「暑くなってきたし、ヘンなの湧いてくる時期だよな。アハハハ」
「課長、笑いごとじゃありません」

 クラルス・ルーナ社お客様相談室の応対可能時間である九時から十八時までの間、一時間ごとにかかってくる無言電話は今日で四日目に突入している。入電の間隔は時報を聞きながらかけてくるのではないかと思うほど正確だ。

 室長である陽芽子はトラブルが生じたときに指示を出す役割を担うため、ファーストコンタクトで受電することは滅多にない。だから実際に無言電話を受けているのは陽芽子の大事な部下たちだ。在籍する七人の部下はすでに精神的に参っているようで、朝から全員、顔が死んでいる。

「もう簡易報告でいいぞ。キリないだろ、こんなの」
「ありがとうございます」

 陽芽子や部下たちの心情を察したのか、春岡が記録の簡略化を許可してくれた。

 電話応対の内容は、終話後すぐにシステムへ記録をする規則になっている。そして時間や手間がかかるこのデータ記録の最中は、他の電話を取ることができない。

 この三日間、せっかく顧客からの入電があっても、待たせすぎて受電前に切られてしまう状況が散見されている。無言電話かどうかは実際に受電してみるまでわからないが、結局ただのいたずらだった場合、そこに回線も時間も手間も取られてしまう。まさに迷惑電話だ。

 だから日に何度も入電する無言電話の詳細を記録しなくていいのはありがたい。ほっと安心した陽芽子の背中に、誰かが声をかけてきた。

「お話し中、失礼いたします」

 聞きなれない女性の声に驚いて振り返ると、陽芽子のすぐ後ろに副社長秘書の鳴海が立っていた。話に夢中になっていた陽芽子は、いつの間に彼女がコールセンターへ入室してきたのか全くわからなかった。

 いや、それよりも。

「お越し頂きありがとうございます、副社長」
「こちらこそ、時間をとらせて申し訳ない」

 突然の一ノ宮啓五副社長の登場で、その場に小さなざわめきが起こった。

 電話応対中の数名を除く、コールセンター内にいた全員の視線が啓五の元へ集中する。だが本人に気にした様子は一切なかった。

「白木。副社長就任に伴う問い合わせの件だ」
「あ、はい。先日の報告書ですね」

 春岡に促され、陽芽子も啓五がここに来た理由を思い出した。

 経営陣の入れ替わりが激しいルーナ・グループでは、トップマネジメントの入れ替わりを逐一メディアに報告していない。それにも関わらず、一体どこから情報を手に入れるのか『新しい経営者はどんな人ですか』とお客様相談室に確認をしてくる人が一定数存在する。中には一般人を装った競合会社の調査もあるのかもしれない。

 問い合わせに対する陽芽子たちの対応は常に同じだ。公式ホームページに記載がある範囲の情報のみを伝える。それ以上は伝えようがないし、大抵はそれで納得してくれる。

 まぁ、わざわざお客様相談室に電話をしてまで内情を聞いてくる人は、よほど我が社のファンか、もしくは相当暇なのだろう。
 と思うことにしている。

「こちらが副社長の就任に関する問い合わせ報告書と受電記録で、もう一つは応対時の音声データです。報告書は共有にもデータがありますので、もしバックアップが必要でしたらそちらからお願いします」
「ありがとうございます」

 陽芽子が書類と記録メモリを差し出すと、すぐに鳴海が受け取ってくれた。そのままお互いに軽く会釈をするが、一瞬だけ目が合った鳴海の瞳は冷酷なほどに愛想がなかった。
 
 彼女の冷たい眼から視線を逸らすと、今度は啓五に声を掛けられた。

「ありがとう、白木さん?」
「……いえ」

 わざとらしく微笑む啓五の顔を直視できず、自然な動作でネクタイの結び目に視線を落とした。本人は目線が合わないと感じるだろうが、そこを見つめていれば他人にはちゃんと向き合っているように見えるはずだ。

「オペレーターの数は、意外と少ないんですね」

 コールセンター内に足を踏み入れるのは初めてなのだろう。啓五は興味深げに頷いているが、陽芽子としては早く自分の部屋に帰って欲しいと思ってしまう。

 しかし就任して間もない副社長に社内の環境や業務内容を伝えるのも、部署長の大事な役目だ。啓五の関心を悟った春岡がゆっくりと頷く。

「コールセンター業務は離職率も高いとか?」
「精神的にハードですからね。特にお客様相談室は、熱の籠ったお言葉を頂くこともありますし、時間をかけてお叱りを受けることもありますよ」
「……大変そうだな」

 春岡は言葉を選んだが、説明を聞いた啓五にもその過酷さが伝わったのだろう。綺麗な顔が歪む様子を見た春岡が、苦笑と共に陽芽子の方へ振り返った。

「けど白木が責任者になってから、オペレーターの離職率が格段に下がりました。本人の応対スキルもさることながら、部下の教育とコントロールが上手なんですよ、彼女」
「へえ」

 上司に急に褒められ、陽芽子の背筋がしゃんと伸びた。親指と人差し指で自分の顎を撫でた啓五が、陽芽子の顔を見つめて少しだけ驚いたような顔をする。

「ふうん。白雪姫と従者の小人か」
「!?!?」

 新しい発見をしたように感慨深げに頷く啓五と目が合うと、陽芽子の手には無意識に力が入った。

(その呼び方止めてって言ったのに!)

 啓五にIMPERIALで会ったとき『白雪姫』と呼ばないで欲しいと訴えた。それには啓五も同意してくれた。と思ったのに。

 楽しそうに笑う口元を見て、陽芽子はさらに拳を固く握る。次会ったら覚えてなさいよ~! なんて具体的な仕返し方法を思いつけないまま、ぐつぐつと腸を煮る。

「白雪姫……久しぶりに聞きますね」

 誰にも気付かれないように啓五を睨んでいると、隣にいた春岡が急に笑い出した。

 今でこそ『毒りんごで死なない白雪姫』だとか『お客様相談室の魔女』だとか呼ばれているが、入社したばかりの頃の陽芽子は、一部の社員に『白雪姫』と呼ばれていた。春岡自身が陽芽子をそう呼んだことはないはずだが、呼ばれていた事自体は知っているのだろう。

 上司まで余計な事を言い出すのではないかとハラハラしていると、春岡が再び陽芽子を褒めた。

「でも王子様に迎えに来られたら困りますよ。白木がいなくなったら、ここの業務は崩壊してしまいますから」

 啓五を介した不意の褒め言葉に、陽芽子は数秒停止した後でそっと照れた。

 お客様相談室長だった春岡が課長に昇格すると同時に、当時主任だった陽芽子が次の室長へ昇格した。

 あれから早三年。正社員であることと経験年数だけで昇格したとばかり思っていた陽芽子は、上司の賛辞を今この瞬間初めて耳にした。

「課長にそのようなご評価を頂けるとは光栄です」
「なんだ、いつも褒めてるじゃないか」
「えぇ? 褒められたのなんて初めてですよ」
「そうだったか?」

 思いがけない褒め言葉に照れて俯くと、傍にいた啓五の手がピクリと動いたことに気が付いた。そのまま顔を上げてみると、啓五が春岡の顔をじっと睨んでいた。

(え……お、怒ってるの?)

 鋭い視線を至近距離で見つけた陽芽子は、その場で氷のように固まってしまった。ただでさえ目力の強い啓五の視線に、さらに冷たい色が含まれている。

 今の話のどこに怒るポイントがあるのだろう。確かに少し脱線してしまったけれど、啓五が視察を兼ねてここに来たのなら、それも含めての現場の今の状況だと思うのに。

「では、我々はこれで失礼します」
「ご足労頂きありがとうございます」

 不機嫌に踵を返したことも、眉間に皺が寄っていることも、他の者にはわからないだろう。

 啓五はもともと端正な顔立ちをしている上に、目付きが鋭い。少しぐらい冷たい言動があったとしてもそれが彼の性格だと判断されるだろうし、ましてこの場にいる大半の者が彼と初対面のはず。だから啓五が不機嫌になってしまったことなど、誰も気が付かないと思う。

 陽芽子以外は。

「かっこいいですよね、副社長」
「身長高いし、スタイルいいし。なんか芸能人みたいじゃないです?」
「いいなー、俺もあんな顔に生まれたかったな」
「ちょっと、声大きいわよ。業務中でしょ」

 啓五と鳴海が立ち去ったことを確認すると、陽芽子も自席へ戻った。そこでワイワイと盛り上がっていた部下たちを軽く叱責する。

 今は誰も電話応対中ではないが、業務中に無駄話をすることに慣れてはいけない。オペレーターの雑談を電話機が拾ってしまうなど、万が一にもあってはならないのだから。

 陽芽子の注意を受けてペロリと舌を出した部下たちに、陽芽子も苦笑いを残す。性別も年齢も様々な仕事仲間は、陽芽子を慕ってくれる素直で可愛い部下たちだ。

「ていうか、室長。鳴海秘書めっちゃ睨んでましたね」
「……やっぱりそう思う?」

 忘れた頃にポツリと呟いた鈴本の言葉に、啓五の傍に控えていた秘書の鳴海の様子を思い出す。

 無言の圧が怖すぎるので、途中から存在をないものとして会話を進めてしまったが、鳴海の冷淡な視線は常に陽芽子へ向けられていた。

 皆が啓五の登場に色めき立っている間、鈴本はその様子に気付いて鳴海の表情をずっと観察していたらしい。にまにまと笑いながら陽芽子の顔を眺める彼女が、悪戯を思いついたような顔をした。

「室長、鳴海秘書から貰いものしちゃだめですよぉ。白雪姫に届けられるものが、りんごだけとは限らないんですからね~」
「……」

 陽芽子の可愛い部下は、今日も陽芽子をからかうことに余念がない。

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