仇討浪人と座頭梅一
第45話:養祖父
「お久しぶりでございます」
「本当に久しぶりだな、梅一。
もっと頻繁に顔を見せてくれ。
それで、今日は何の用できたのだ」
「実はお金を運用していただきたいと思いまして」
「ふぉっ、ふぉふぉふぉふぉっ。
随分と荒稼ぎしたようだな、梅一」
「恐れ入ります、養祖父様」
梅一は長瀬検校梅一として深々と頭を下げた。
目の見える梅一を引き込み役にするために盲人として仕込んだのは、目の前にいる二老と尊称される江戸当道座の第二位にある検校だった。
養祖父こそ目が見えるのに盗みの為に座頭となった最初の人間だった。
その鍼灸や按摩の技は神業とまで言われ、多くの商家や大名屋敷に出入りすることができ、誰一人殺傷することなく大金を盗みだせたのだ。
最高の引き込みでもあり錠前破りでもあった。
梅一を仕込んで一人前にしたのが養祖父だった。
「盗んだ金を安全な金にするために一旦座頭に預ける。
私の教えを守ってくれているようだね、梅一」
養祖父の言葉はとても重い。
養祖父が当道座の二老だという事は、養父と養祖父時代の幹部しか知らない事だ。
養父が検校の地位を得ている事も、小頭と古参幹部の中でも数人しか知らない。
そんな中で梅一が養祖父と祖父が検校だと知っているのは、次期頭目として育てられていたからだ。
それは今も梅一を絡めとり自由な動きを封じようとしている。
「私が今やっている事を、全て許してくれると言うのですか。
私の行いは、盗みの掟に反していると思われるのですが」
「ふぉっ、ふぉふぉふぉふぉっ。
誰にだって秘密の一つや二つはあるものだよ、梅一。
お前が悪人を許せない、殺すと言うのなら、好きにするがいいさ。
ただし、桜小僧である事も、梅一である事も知られないようにな」
「ではこれからは遠慮なくやらせていただきます。
それで、お宝の運用の件なのですが……」
江戸時代の貸付利息はとても高かった。
年貢や扶持米を担保にした札差の年利は表向き一割八分だったが、実際には話し合いや又貸しだという名目で、もっと高い金利を取っていた。
両替商の年利は二割で、質屋は年利が四割八分だが、実際は貸主と借主の話し合いとなり、ほとんどの場合弱い借主の方に不利な高い金利となっていた。
特に庶民が当日担保なしで借りて翌日に返す烏金などは、百文借りてその日の夜に一文返すのが最低金利で、年利にすると三倍から十倍とい暴利だった。
武家では親戚同士で金を融通するが、その時には一割八分の利息を取る。
武士が縁組に同格の者を選ぶのは、万が一金に困った時に融通してもらわなければいけないという点もあった。
どれほど美人であろうと、いざという時に借金が頼めないような実家なら、縁組をする相手としては不足なのだ。
夫側がよほど裕福で権力を持っていれば問題ないが、主君の代替わり次第でいつ没落するか分からないのがこの時代の武家だ。
肝心の座頭貸しの金利は、表向きは一割五分と言ってはいたが、実際には三割の利息を取っており、長谷部検校熊一のように六割から十割の利息をとる者もいた。
利息が三割の場合でも、礼金や筆墨料という名目で、最初から五分や一割の金額を天引きして貸すのだ。
しかも徳川幕府は官金を与えて盲人を保護している関係上、よほど悪質な金利を取らない限り座頭貸しは見逃してくれるのだ。
「本当に久しぶりだな、梅一。
もっと頻繁に顔を見せてくれ。
それで、今日は何の用できたのだ」
「実はお金を運用していただきたいと思いまして」
「ふぉっ、ふぉふぉふぉふぉっ。
随分と荒稼ぎしたようだな、梅一」
「恐れ入ります、養祖父様」
梅一は長瀬検校梅一として深々と頭を下げた。
目の見える梅一を引き込み役にするために盲人として仕込んだのは、目の前にいる二老と尊称される江戸当道座の第二位にある検校だった。
養祖父こそ目が見えるのに盗みの為に座頭となった最初の人間だった。
その鍼灸や按摩の技は神業とまで言われ、多くの商家や大名屋敷に出入りすることができ、誰一人殺傷することなく大金を盗みだせたのだ。
最高の引き込みでもあり錠前破りでもあった。
梅一を仕込んで一人前にしたのが養祖父だった。
「盗んだ金を安全な金にするために一旦座頭に預ける。
私の教えを守ってくれているようだね、梅一」
養祖父の言葉はとても重い。
養祖父が当道座の二老だという事は、養父と養祖父時代の幹部しか知らない事だ。
養父が検校の地位を得ている事も、小頭と古参幹部の中でも数人しか知らない。
そんな中で梅一が養祖父と祖父が検校だと知っているのは、次期頭目として育てられていたからだ。
それは今も梅一を絡めとり自由な動きを封じようとしている。
「私が今やっている事を、全て許してくれると言うのですか。
私の行いは、盗みの掟に反していると思われるのですが」
「ふぉっ、ふぉふぉふぉふぉっ。
誰にだって秘密の一つや二つはあるものだよ、梅一。
お前が悪人を許せない、殺すと言うのなら、好きにするがいいさ。
ただし、桜小僧である事も、梅一である事も知られないようにな」
「ではこれからは遠慮なくやらせていただきます。
それで、お宝の運用の件なのですが……」
江戸時代の貸付利息はとても高かった。
年貢や扶持米を担保にした札差の年利は表向き一割八分だったが、実際には話し合いや又貸しだという名目で、もっと高い金利を取っていた。
両替商の年利は二割で、質屋は年利が四割八分だが、実際は貸主と借主の話し合いとなり、ほとんどの場合弱い借主の方に不利な高い金利となっていた。
特に庶民が当日担保なしで借りて翌日に返す烏金などは、百文借りてその日の夜に一文返すのが最低金利で、年利にすると三倍から十倍とい暴利だった。
武家では親戚同士で金を融通するが、その時には一割八分の利息を取る。
武士が縁組に同格の者を選ぶのは、万が一金に困った時に融通してもらわなければいけないという点もあった。
どれほど美人であろうと、いざという時に借金が頼めないような実家なら、縁組をする相手としては不足なのだ。
夫側がよほど裕福で権力を持っていれば問題ないが、主君の代替わり次第でいつ没落するか分からないのがこの時代の武家だ。
肝心の座頭貸しの金利は、表向きは一割五分と言ってはいたが、実際には三割の利息を取っており、長谷部検校熊一のように六割から十割の利息をとる者もいた。
利息が三割の場合でも、礼金や筆墨料という名目で、最初から五分や一割の金額を天引きして貸すのだ。
しかも徳川幕府は官金を与えて盲人を保護している関係上、よほど悪質な金利を取らない限り座頭貸しは見逃してくれるのだ。
コメント