忘却不能な恋煩い

白山小梅

始まりの日(3)〜美琴の場合〜

 どうしてこうなったんだっけ……。

 ホテルの部屋に入るとすぐに壁に体を押し付けられ、唇を塞がれる。先ほどのバーと違って、貪るようなキス。絡み合う舌が、息をするのさえ忘れさせる。

 キスってこんなに気持ちがいいものなんだ……頭がクラクラする。

 次第に足に力が入らなくなり、そのまま崩れ落ちそうになる。だが両足の間に差し込まれていた尋人の膝が支えとなって、なんとか体勢を維持出来た。

「あの……お願いだから聞いて……私
初めてなの……」

 キスの合間になんとか言葉にする。それでも尋人は美琴を離そうとはしない。

「……じゃあ優しくしないとな……。それともやめてほしい?」

 尋人は唇を離すと、美琴の唇に舌を這わせていく。たったそれだけのことなのに、美琴から熱い吐息が漏れる。

「やめるなんて出来ない……」

 尋人は美琴を抱き上げると、ベッドの上にそっと下ろした。再び熱いキスが降り注ぐ。

「愛してるよ……」

 その言葉を聞いて、美琴は小さく笑った。

「嘘つき……さっき会ったばかりじゃないですか……」
「まぁそうなんだけどさ、なんかお前めちゃくちゃかわいいから自然と愛してるって出ちゃったんだよ」
「嘘つきは泥棒の始まりって言うのよ。知らないの……?」
「何を子どもみたいなことぬかしてるんだよ……まぁあながちハズレでもないけどな。だってこれからお前の初めてを奪うんだから……」

 美琴が何か言おうとする前に唇を塞がれる。甘くて、優しくて、それでいて激しいキス。もう何も考えられない……。

「お前の初めて、全部俺で埋め尽くしてやるよ」

 そして美琴は尋人によって与えられる快楽の波に飲まれていった。

* * * *

 差し込む朝日が眩しくて、美琴は目を覚ました。

 隣でぐっすりと眠っている尋人と、下半身の鈍痛により、昨夜の出来事を再認識する。

 まさかこんなふうに初めてを失っちゃうなんて……でもこんなことがなければ、もしかしたら一生処女だったかもしれない。どちらがいいとは一概には言えないけれど、ただ……。

 尋人の寝顔を見ながら体の奥が熱くなる。キスしたい、彼に触れたい……そう思う衝動をグッと抑える。

 彼にとってはたった一夜の相手だろうし、たくさんいる女性の中の一人でしかないのはわかってる。なのにこの数時間だけでも、彼に愛されていたかのような錯覚を覚えてしまう。

 初めてなのにすごく気持ち良かった……もうこれ以上の経験は出来ない気がする。

 美琴はなるべく音を立てないようにベッドから下りると、パッと服を着る。サイドテーブルの上に置いてあったメモ帳に一言だけ書き残した。一夜の相手なのに、重い印象だけは残したくなかったのだ。

 こんなに後ろ髪を引かれるのはなんでかな……。何度も耳元で囁かれた「愛してる」の響きがリフレインする。美琴は振り返らず静かに部屋を出た。

 こういうシーン、ドラマとか漫画でよく見る。まさか自分がそんな体験をするなんて不思議。

 外に出て、ホテルとバーが隣り合っていることに気付く。酔っていたので、歩いた距離までは覚えていなかった。

 ホテルの前に止まっていたタクシーに乗り込むと、美琴はそっと目を閉じた。きっと忘れられないだろうな。彼の息遣い、愛してると言った声……ふと右耳に手を触れた時、いつもと違う感触に気付く。慌ててカバンの中から鏡を取り出して確認する。

 これ、私のピアスじゃない。

 少し太めの輪の中に、唐草のような模様の入ったシルバーのピアスは、どう見ても男性のものだった。

 昨夜はお気に入りの月をかたどったピアスをつけていたはず……。

 あぁ、そうだ。尋人の耳元で揺れていたのを思い出した。

 目が覚めてからずっと冷静だったのに、その時に初めて頭が混乱した。あの人が付け替えたの? なんのために? たった一夜の相手のピアスを持っていくなんて……戦利品みたいな感じ? でもそれならこんなふうに自分の痕跡を残したりする? ……いや、あの人ならするかもしれない。遊んでそうだったし。

 窓から遠ざかっていくホテルを横目に、少しずつ胸が苦しくなる。

 こんなこと、最初で最後。きっともう会うこともない人。好きになっても仕方ない人。このピアスは一夜の恋の思い出の品として大切にしよう……。

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