忘却不能な恋煩い

白山小梅

始まりの日(2)〜美琴の場合〜

 おしゃべりもお酒も食事も進み、時間はあっという間に過ぎていく。ほろ酔いになってきた頃、美琴は一人お手洗いに立った。

 やっぱり友達とのおしゃべりは楽しい。心がスッとする。たった三ヶ月だけど、思っていた以上に我慢してたのだと気付く。

 お手洗いを出て席に戻ろうとすると、通路の壁にもたれかかる男性がいた。

 この人、カウンターで飲んでいた人だ。ブルーのストライプのシャツに黒のズボン。少し長めの髪は暗めの茶色。後ろ姿が美琴の席からよく見えたので覚えていた。

 狭い通路だったので、美琴はぶつからないようなるべく壁寄りを歩こうとした。

 すれ違う瞬間、美琴は横から伸びてきた手に進路を遮断される。突然の出来事に少し混乱した。

「あ、あの……通していただけませんか?」

 タチの悪い酔っ払いだったらどうしよう……。絡まれるのが怖くて、前方を見据えたまま言った。

「さっきから君たちの話し声がよく聞こえてさ」

「ご、ごめんなさい! うるさかったですか? 久しぶりに友達に会ったからはしゃいでしまって……静かにしますね。すみませんでした」

 美琴は男の腕の下をくぐろうとすると、今度は腕を掴まれ壁に押しつけられる。

「うるさいって言ってるんじゃない。あんたの話が面白かったから、二人で話したいって思ったんだ」

 その言葉を聞いて、美琴は初めて男の顔を見た。切長の目が印象的なキレイな顔立ちのその人は、美琴の生活に関わったことがないような大人の香りがした。二十代後半くらいだろうか。大人びた雰囲気が、見た目の印象を曖昧にさせる。

「あの……ごめんなさい。友達が待っているので……」

 美琴はその場を離れようと、男の腕を振り払おうとする。しかし力が及ばない。

「その友達から許可をもらってんだけど」

 美琴は驚いて千鶴と紗世のいる方向に目をやる。すると二人は酔っているのか、楽しそうに手を振ってくる。

 その様子を見て、美琴の顔から作り笑顔が消えた。

「私の気持ちは無視ですか?」
「そんなこと言ってない。嫌なら断ればいいよ。別に取って食おうとしてるわけじゃないし、話したいって思っただけ」

 言葉から俺様な雰囲気を感じるが、それ以上のことはわからなかった。

「……手、離してください」

 でもどちらかといえば警戒心が強めの千鶴と紗世が了承したからには、それなりの何かがあるのだろう。

 男は掴んでいた手を離したものの、美琴の行く手を遮っている手はそのままだった。

「返事は?」
「……話すだけですからね」

 男に連れられ、一番端のカウンター席に座る。振り返って二人を睨むと、今度は拳を振り上げるフリをする。頑張れって、一体何を頑張るの。意味がわからないんだけど。

「何か飲む?」
「……じゃあ何かオススメがあれば」
「甘いカクテル好きなの? さっきからそういのばかり頼んでたよね」

 見られていたかと思うと、急に恥ずかしくなった。

「私ビールが苦くて飲めないんです。カクテルは私の中ではジュースの延長かな」

 男はクスッと笑うと、美琴を上から下まで視線を動かす。バーテンダーに何か耳打ちをし、美琴の前に運ばれてきたのは真っ白なカクテルだった。

「ホワイトレディ。なんかあんたのイメージっぽいかな」
「……服が白いから?」
「違う違う。純粋そうってこと。さっきら三人の会話が聞こえてさ、かわいいなって思ってた」
「……チャラい……」
「えっ、いやいや、全然チャラくないだろ。むしろ硬派」
「勝手に言ってください。私は純粋なんで、チャラい人はお断りですから」

 美琴が言うと、男は大きな声で笑い出す。

 何故いきなり笑い出したのかわからず、美琴は驚き戸惑った。それを隠すかのようにカクテルに口をつけると、目を見開いた。

「わぁ! 美味しい……すごく爽やか。カクテルって種類がたくさんあるんですね!」
「店によってオリジナルもあるし。一生かかっても出会えないものもたくさんあるんだろうな」
「一期一会ですからね。出会えたら運命なんですよ」
「……じゃあ俺たちのこの出会いも運命ってこと?」
「……し、知りません!」

 男のいたずらっぽい視線がくすぐったくなり、美琴はプイッとそっぽを向く。

「ねぇ、名前教えてよ。俺は尋人ひろと
「……美琴です」

 先に言われてしまっては答えるしかなかった。

「美琴、海外ドラマ好きなの?」

 あっという間に呼び捨てにされた上、それまでのやりとりがなかったかのように進む会話に、美琴はペースを乱され続ける。

「たくさん見てるわけじゃないですよ。地上波で見たものとかは続きが気になっちゃって。でもああいうのっていいところで終わっちゃうのに、続きを放送してくれないからモヤモヤしちゃう」
「へぇ。どんなの見てるの?」
「ミステリー系が多いかな。FBIと
法医研のドラマは好きすぎてボックス買いしちゃいました」

  美琴ははっと我に帰る。好きなことを語り過ぎると暴走してしまう所があるので、気をつけていたのだ。

「あぁ、あれね。俺あのダイナーで二人が一緒に食事しながらおしゃべりするシーンがすごい好き」

  思いがけない返答に美琴は固まった。

「知ってるの?」
「俺も海外ドラマ好きだから、時間があれば休みの日とかに一気見したりするし」

 あれっ、なんでこんなに嬉しいんだろう……美琴は急に胸が苦しくなった。今まで海外ドラマについて熱く語ると、イメージと違うなど引かれることばかりだったので、好きなものを共有出来るという経験が初めてだった。

「俺あれからチリコンカンが食べられないんだよなぁ」

 美琴は吹き出す。ドラマを知ってる人にしか伝わらない特別な会話。私、少しずつこの人に興味を持ち始めている。こんな些細なことでもっと話したいと思い始めている自分に驚いた。

「美琴ちゃん」

 背後から声をかけられ、美琴の体はビクッと震えた。振り向くと千鶴と紗世が二人の様子を伺うように立っている。

「私たちそろそろ帰ろうかって話してたんだけど、美琴ちゃんはどうする?」
「一緒に帰る? それとももう少しいる?」

  いつもの美琴だったら確実にみんなと帰ると言ったはずだ。五分前であってもそうだったかもしれない。なのに今は……。

 美琴は尋人の顔を見る。黙ったまま美琴を見つめていた。視線が絡み合うと、息が苦しくなる。

「もう少し……いようかな……」

 その言葉を聞いて、二人は笑顔になった。

「わかった! じゃあ私たちは先に帰るね」

  明るく言う千鶴とは対照的に、紗世は尋人に向かって冷たい視線を投げかける。

「何かあったら容赦しませんよ……」

「りょ、了解です」

  二人が帰るのを見届けてから、尋人は不敵な笑みを浮かべる。その表情が妙に色っぽくてドキドキした。

「いいの? 一緒に帰らなくて」
「……いいの」
「俺と一緒にいたかった?」
「違う。話したかっただけ」
「同じじゃん?」
「同じじゃない」

 尋人は美琴の顔を覗き込むと、そのまま唇が重なる。尋人の指が美琴の頬をなぞり、輪郭の横に流れた髪を耳にそっとかけた。

「抵抗しないの?」

 唇が離れる。酔っているからかしら。抵抗しようなんて考えは浮かばなかった。

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