忘却不能な恋煩い
理性と自制
洗濯物を干しながら、額を伝う汗を拭う。もう夏だと感じる暑さだ。
美琴は洗濯カゴを持って、エアコンの効いた部屋に戻る。
尋人は乾燥しちゃえばと言うけど、なんとなく洗濯物は日に当てて乾かしたかった。
お日様の匂いも好き。でも何より干している間は無心になれることがいい。バランスを考えながら干している時間は、意外と何も考えていないことに気がついたのだ。
尋人と暮らし始めてもうすぐ一ヶ月が経とうとしている。
尋人は美琴に愛情を注いでくれるし、この家での生活も問題ない。むしろ満足過ぎるくらいだった。
気になっていることといえば……テーブルの上のスマホを見る。尋人が着信拒否設定にしてくれたから、山脇さんからの連絡はなくなった。ただこの拒否している間に、何回か連絡が来ているのではないかと思うと不安になるのだ。
尋人は自然消滅と言っていたが、美琴は今まで別れを経験したことがないから、よくわからなかった。
何も言わずにいて、別れたって言えるの? 私が別れたと思っていても、相手はそう思わずに、付き合っているつもりでいるかもしれない。そうなったら話はややこしくなるんじゃない?
何より彼は美琴の職場を知っているし、いきなり会いに来たらどうしようという怖さもあった。尋人がずっとそばにいるわけじゃないし……。
そこで尋人の存在の大きさに気がつく。
三年前に尋人に愛されたいと思ってから、愛されたい欲求が強くなってしまった。でもそれって、相手は誰でも良かったわけではないのかもしれないと、今更ながら気付く。
今彼に愛されて、満ち足りて……。きっと私はずっと尋人を求めていたんだって気付く。
だから今山脇さんが来て何かを言われても、前みたいに流されることは絶対にない。
私はきちんと別れるって言って、白黒つけたいんだと思う。
尋人の言うタイミングがいつかわからないからモヤモヤする。
身支度を終えて書斎から出てきた尋人は、今日は紺色のスーツを着ていた。
美琴は尋人のスーツ姿が好きだった。毎朝見ているのに、そのたびにときめいてしまう。
それをわかっているのか、そんな美琴の姿に笑顔を見せると、尋人は毎日美琴を抱きしめるのだった。
優しいと言えば聞こえは良いんだけど、なんだか最近尋人が素っ気ない気がする……。以前に比べて会話も減っていると感じているのは私だけだろうか。
もっと強引すぎるくらいでもいいのに……。
「今日は早いね」
「工場の視察に直接行くから迎えの車が来るんだ。あと今夜も会食があって、帰りもたぶん遅くなるから先に寝てて」
「うん、わかった」
当たり障りのない会話。なんだか切なくなる。
尋人は美琴にキスをすると、
「じゃあ行ってくる」
と言って家を出た。
もっと尋人に触れたいのにな……欲求不満みたい。
今夜は一人か……。一人の時間ももちろん好きだけど、尋人のいないこの部屋は少し寂しい。
* * * *
エントランス前に停めた車の前に尚政が立っている。
「おはようございます」
「おはよう」
尋人は後部座席に乗り込むと、運転席のドアを開けた尚政に不機嫌そうな視線を投げかける。
「なんで外で待ってるんだ。降りなくていいって言ってるだろ」
「いやぁ、そろそろ美琴ちゃんに会いたいなぁと思って。いつになったら紹介してくれるんだよ〜! 俺ずっと待ってるんだぜ〜!」
「……なんでお前に紹介しないといけないんだよ」
「なんだよ〜! 親友だろ〜!」
「……お前は俺の秘書だ」
「つれないなぁ。で、まだ出てこないの?」
マンションのエントランスの方を楽しそうに覗き込む。
「早く出せ」
「へいへい、兄貴の言うことだし従いますよー」
本当にこいつは軽いんだよな。でも仕事は出来るし、この明るさに救われる時もある。
美琴に紹介してもいいはずなのに、会わせたくないとも思う。独占欲って言葉がしっくりくる。
あいつのかわいさは俺だけが知っていればいいんだ。特にこいつは馴れ馴れしくちょっかいを出すに決まってる。そんなの耐えられない。
車が走り出す。
「そろそろ一ヶ月経つけど、美琴ちゃんとの暮らしは問題なし?」
「問題か……大アリだよ……」
「えっ、既に別れの気配⁈」
「違うわ、ボケ」
「なんだ残念。で、何が問題?」
尚政に聞かれ、尋人は口籠る。こいつには言いたくない……言いたくないのに、聞いてほしい気持ちも隠せず、つい口が滑ってしまった。
「美琴がかわいすぎて、どこでも触りたくなるし押し倒したくなる……」
「はぁっ⁈」
「一生懸命、理性と大人の態度で我慢してるんだ」
尋人は悶々とした気持ちを鎮めるかのように頭を掻きむしる。
「朝だって、美琴は俺のスーツ姿が好きみたいでさ、もうそれは色っぽい目でこっちを見てくるんだ。とりあえず抱きしめてキスするけど、理性崩壊寸前。せめて夜にしてくれと心の中で叫んでる……」
尚政は運転しながら大爆笑している。
「笑うな! ちゃんと運転しろ!」
「あの尋人が理性崩壊だって〜! ウケる〜!」
「うるさい! 俺だって困惑してるんだよ。こんなふうになるなんて想像もしてなかった。大人の男らしく、美琴をリードしたいって思うのに、この衝動を抑えるのに必死になって上手く振る舞えなかったりしてさ。ちゃんと美琴を安心させてやれてるのか心配になる……」
尋人をこんなにするなんて、美琴ちゃんって何者なんだ? こんな尋人、初めてみたよ。でも人間らしくていいと思うけど。
「尋人の気持ち、そのままぶつけてみれば? 美琴ちゃんなら理性崩壊寸前の尋人も受け入れてくれるんじゃない?」
「……知ったようなこと言いやがって」
「なんなら一ヶ月記念とかで旅行とか誘ってみれば? いつもと違うシチュエーションなら言いやすいかもよ」
「……お前にしては良いアイディアだな」
「……ケンカ売ってる?」
「冗談だよ。ありがとう」
バックミラー越しに見える尋人があまりにもいい顔をしていたから、尚政もなんだか嬉しくなった。
美琴ちゃんか。こんなに尋人をメロメロにするなんて、本当にどんな子なんだろうな。気になって仕方がない。
美琴は洗濯カゴを持って、エアコンの効いた部屋に戻る。
尋人は乾燥しちゃえばと言うけど、なんとなく洗濯物は日に当てて乾かしたかった。
お日様の匂いも好き。でも何より干している間は無心になれることがいい。バランスを考えながら干している時間は、意外と何も考えていないことに気がついたのだ。
尋人と暮らし始めてもうすぐ一ヶ月が経とうとしている。
尋人は美琴に愛情を注いでくれるし、この家での生活も問題ない。むしろ満足過ぎるくらいだった。
気になっていることといえば……テーブルの上のスマホを見る。尋人が着信拒否設定にしてくれたから、山脇さんからの連絡はなくなった。ただこの拒否している間に、何回か連絡が来ているのではないかと思うと不安になるのだ。
尋人は自然消滅と言っていたが、美琴は今まで別れを経験したことがないから、よくわからなかった。
何も言わずにいて、別れたって言えるの? 私が別れたと思っていても、相手はそう思わずに、付き合っているつもりでいるかもしれない。そうなったら話はややこしくなるんじゃない?
何より彼は美琴の職場を知っているし、いきなり会いに来たらどうしようという怖さもあった。尋人がずっとそばにいるわけじゃないし……。
そこで尋人の存在の大きさに気がつく。
三年前に尋人に愛されたいと思ってから、愛されたい欲求が強くなってしまった。でもそれって、相手は誰でも良かったわけではないのかもしれないと、今更ながら気付く。
今彼に愛されて、満ち足りて……。きっと私はずっと尋人を求めていたんだって気付く。
だから今山脇さんが来て何かを言われても、前みたいに流されることは絶対にない。
私はきちんと別れるって言って、白黒つけたいんだと思う。
尋人の言うタイミングがいつかわからないからモヤモヤする。
身支度を終えて書斎から出てきた尋人は、今日は紺色のスーツを着ていた。
美琴は尋人のスーツ姿が好きだった。毎朝見ているのに、そのたびにときめいてしまう。
それをわかっているのか、そんな美琴の姿に笑顔を見せると、尋人は毎日美琴を抱きしめるのだった。
優しいと言えば聞こえは良いんだけど、なんだか最近尋人が素っ気ない気がする……。以前に比べて会話も減っていると感じているのは私だけだろうか。
もっと強引すぎるくらいでもいいのに……。
「今日は早いね」
「工場の視察に直接行くから迎えの車が来るんだ。あと今夜も会食があって、帰りもたぶん遅くなるから先に寝てて」
「うん、わかった」
当たり障りのない会話。なんだか切なくなる。
尋人は美琴にキスをすると、
「じゃあ行ってくる」
と言って家を出た。
もっと尋人に触れたいのにな……欲求不満みたい。
今夜は一人か……。一人の時間ももちろん好きだけど、尋人のいないこの部屋は少し寂しい。
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エントランス前に停めた車の前に尚政が立っている。
「おはようございます」
「おはよう」
尋人は後部座席に乗り込むと、運転席のドアを開けた尚政に不機嫌そうな視線を投げかける。
「なんで外で待ってるんだ。降りなくていいって言ってるだろ」
「いやぁ、そろそろ美琴ちゃんに会いたいなぁと思って。いつになったら紹介してくれるんだよ〜! 俺ずっと待ってるんだぜ〜!」
「……なんでお前に紹介しないといけないんだよ」
「なんだよ〜! 親友だろ〜!」
「……お前は俺の秘書だ」
「つれないなぁ。で、まだ出てこないの?」
マンションのエントランスの方を楽しそうに覗き込む。
「早く出せ」
「へいへい、兄貴の言うことだし従いますよー」
本当にこいつは軽いんだよな。でも仕事は出来るし、この明るさに救われる時もある。
美琴に紹介してもいいはずなのに、会わせたくないとも思う。独占欲って言葉がしっくりくる。
あいつのかわいさは俺だけが知っていればいいんだ。特にこいつは馴れ馴れしくちょっかいを出すに決まってる。そんなの耐えられない。
車が走り出す。
「そろそろ一ヶ月経つけど、美琴ちゃんとの暮らしは問題なし?」
「問題か……大アリだよ……」
「えっ、既に別れの気配⁈」
「違うわ、ボケ」
「なんだ残念。で、何が問題?」
尚政に聞かれ、尋人は口籠る。こいつには言いたくない……言いたくないのに、聞いてほしい気持ちも隠せず、つい口が滑ってしまった。
「美琴がかわいすぎて、どこでも触りたくなるし押し倒したくなる……」
「はぁっ⁈」
「一生懸命、理性と大人の態度で我慢してるんだ」
尋人は悶々とした気持ちを鎮めるかのように頭を掻きむしる。
「朝だって、美琴は俺のスーツ姿が好きみたいでさ、もうそれは色っぽい目でこっちを見てくるんだ。とりあえず抱きしめてキスするけど、理性崩壊寸前。せめて夜にしてくれと心の中で叫んでる……」
尚政は運転しながら大爆笑している。
「笑うな! ちゃんと運転しろ!」
「あの尋人が理性崩壊だって〜! ウケる〜!」
「うるさい! 俺だって困惑してるんだよ。こんなふうになるなんて想像もしてなかった。大人の男らしく、美琴をリードしたいって思うのに、この衝動を抑えるのに必死になって上手く振る舞えなかったりしてさ。ちゃんと美琴を安心させてやれてるのか心配になる……」
尋人をこんなにするなんて、美琴ちゃんって何者なんだ? こんな尋人、初めてみたよ。でも人間らしくていいと思うけど。
「尋人の気持ち、そのままぶつけてみれば? 美琴ちゃんなら理性崩壊寸前の尋人も受け入れてくれるんじゃない?」
「……知ったようなこと言いやがって」
「なんなら一ヶ月記念とかで旅行とか誘ってみれば? いつもと違うシチュエーションなら言いやすいかもよ」
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