レインカルナティオ(全4話)

Misaaaa

Ep.3 素直

Ep.3




あれから何度体を痛めつけてきたことか。
もう…痛みにはとっくに慣れた。




それなりに手足のない体にも馴染んできた。




消しゴムの視界は案外広く、
側面(前、横、下、上)のほぼ360°全てが快適に視える。





カバーをつけられると、その部分だけは見えなくなってしまうが…

でもカズはカバーをつけない主義だったことが不幸中の幸いだな。




今の季節も、時間も、何一つわからない。

カズが半袖だから…きっと夏だろうか。


ただ、唯一わかるのは、

目の前の「カズ」と「その母親」が不仲ってことだけだ。


…酷く狭い世界。







┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈





「っ…ママ…」


また、カズが泣いている。




こいつは勉強しながら、母親のいないところでママ、ママって情けなく泣くのが日常だ。





どうやらカズは、母親に強く依存しているらしい。

母親に認めて欲しい、それだけの気持ちで全てを頑張っているように見えた。
最初はカズのことを、「情けない」「女々しい」なんて思っていた。






やっぱり女々しい奴だった。
異常に女々しい。



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その日は、カズが珍しくブランドの買い物をしたようだった。




COACH と書かれた袋が、僕の30cm先くらい先に置かれている。




キャッチ…?なんて読むんだこれは。

とりあえず高そうなのは…わかる、多分ブランド。

ていうか、「COACH」のバック、よく山手線とかで持ってる人いたような。




キャッチだか、コアッチだか、知らないけど…



COACHの袋の中から、
一輪のカーネーションがこちらを覗いている。


母の日のプレゼントか。










思い出すなー…







僕も生きていた頃、母の日にカーネーションを渡してみたことがあった。




花を買うの、恥ずかしかった。
花ってこんなにハードル高かったんだ、って思ったな。

でも渡したら、
「あんたからのプレゼントなんていらないよ」って、一瞬で床に叩きつけられた。









あぁ…ダメだ考えたって意味が無い、
やめろやめろ。やめやめ。










「ママへ

いつもありがとう。
受験頑張るわ ママもがんばってね
        
                                           一輝」










カズが母親に手紙を綴っている…

カズって、一輝っていう漢字なのか。





あれ、僕は、なんて名前だったっけ。


気付いたら過去の記憶を全く思い出せなくなっていた。




______________________________




「カズ!!!勉強した?ちゃんと。」

「…やったって。」







カズは母親にノートを押し付けた。


「あっそ。」



母親は、適当にペラペラとページをめくる。

満足したのか、母親はカズのノートを雑に机の上に投げた。

カズがなにを勉強したのか、全く見ようともしない。


「…あのさ。
お、俺さぁ、結構頑張ってるんだけど、さ。
なんでそんないつも不機嫌なわけ…?ママ」



「邪魔だから!!!邪魔邪魔、バカな息子で最悪ですよ。うちはね、お父さんもいないからね、もっと優秀な子じゃないと、この先困るわけ。」







「………そうなんだね。」



カズがまた下を向き始めた。





その瞬間、
カズは勢いよく部屋を飛び出し、
ものすごい速さで階段を下って行く音が聴こえた。



この時に、ついにカズの心が爆発して限界を迎えていたのだ。






残された母親の大きなため息が、部屋に響き渡る。

外から聞こえる子供の声が鬱陶しかったのか、窓を閉めて、立ったまましばらくボーッとしている。





魂が抜けているような、死んだ魚の目だ…


頬に浮び上がる薄いほうれい線が、加齢と疲れを感じさせる。
横顔からは、どこか寂しい感じもした。


…?





母親が、机の上のCOACHの袋に気付いた。
中のカーネーションと、包装された箱を見るなり目をまん丸くしている。





「ママへ」






カズの手紙をゆっくり手に取ると、母親は小刻みに肩を震わせはじめた。



母親の泣き顔は、まるで、母親とは思えない、まだ少女のようだった。






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…飯田一輝、高校3年。



産まれてからずっと、ママに認めて欲しくて生きてきた。


俺は自分のことなんてどうでもよくて、無関心だった。

順番なんてどうでもいい。
でも一位だとママが喜ぶから、ママが喜ぶなら順位や数字にも価値があると思って頑張った。





昔のママは優しかった。
俺の順位なんて関係ない、俺が頑張ればそれが素敵なのだと言ってくれた。


でもパパとの離婚を境に、ママはおかしくなった。




生活費をパチンコで破産、お陰で生活は祖母たちの年金で成り立っていた。
夜は相席屋で男を捕まえて金をむしり取って帰ってくる毎日。
それをまたパチンコで溶かす。




仕事なんてろくにやらない女になっていった。
家に何度警察が来たことか。





でもやっぱそれでも俺はママが好きだった。

恨みに変わる瞬間もあった。






でも、でも、好きだった。




決めた。

もう、俺はママのために生きるのをやめた。

ママは俺を求めていないから。
邪魔でごめん。
望むような人間になれなくて、




ごめん。







俺は自分のために、
初めて、
やりたいことをやってみることにした。






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カズが戻ってくることはなかった。



どうして帰ってこないのか、どこで何してるのか、僕には分からない。


薬の売人にでもなってるような気がしている。



机の教材、散らかった服。

なにもかも、カズがいた頃のまま残っている。




僕、消しゴムもその一部だ。
机の上の散らかった教材と、シャーペンと一緒に、ここでずっと放置されている。




…ガチャ








今日も来た。


カズが帰ってこなくなってから、
決まって夕方に母親がカズの部屋に入って来る。




別になにをするわけでもなかった。



泣いている時もあれば、じっとしている時もある。

前よりも濃くなったほうれい線、髪の手入れもかなり雑になった。

ところどころの白髪のせいで、随分と年月を感じる。






「一輝へ

かずを傷付けていたね。
本当にごめんね。



怒ったりしてばかりで、かずを褒めてあげられなくて、ごめんね。




ママは、パパと別れてから、毎日不安でした。
この先どうやってかずと生きていこうか、毎日悩んでたよ。




色々怖くて、ずっと逃げてしまいました。
かず、ごめんね。

かずのこと本当に本当に愛してるからね。


ママもかずにまた会えるように頑張るよ。」






窓の外から、賑やかな子供達の声が聞こえた。


昔を思い出す。





僕の親も、僕を認めたことも受け取ってくれたことも、愛してくれたこともなかった。
許してはいない。



でも、認める勇気と、愛す余裕がない、寂しい人間だったのかな。

恐れてばかりで、本当は震えている人間。






カズの母親の瞳は、寂しい人間の深さをしている。




僕と同じだ。

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