同期の御曹司様は浮気がお嫌い

秋葉なな

◇◇◇◇◇



退職まであと一週間となった。送別会をやってくれるという同僚に遠慮する。会社内での私は微妙な立場だし、最後まで気配を消して去りたいと思う。

「安西さん、1番に駅前店舗からお電話です」

「駅前店舗? 私宛?」

事務の子に聞き返すと「名乗らないんですけど、店舗の人からです。バイトさんかな?」と困惑した返事が返ってくる。駅前店舗はもう担当を外されている。そのことを知らないバイトがかけてきたのかもしれない。

「分かりました……出てみます。ありがとうございます」

デスクの受話器を取ると『外線1』のボタンを押した。

「営業部安西です」

「………」

「もしもし?」

「……波瑠?」

「え?」

「波瑠……俺だよ」

「え……下田くん?」

驚いて声を潜める。他の社員に聞かれたらまた問題になりそうなのに、なぜ会社に電話してきたのだ。

「店舗社員のふりしてかけてきたの?」

「波瑠が連絡くれないから……」

下田くんからは今でも時々電話やLINEがきていたけれど変わらず無視していた。

「待って! 切らないで!」

私が受話器を置こうとしたのが分かったのか、下田くんは大きな声を出した。

「話したいんだ。お願いだから切らないで」

電話の向こうは下田くんの声に混ざって雑音が聞こえる。異動させられた下田くんは本社から遠い店舗勤務になっているから、そこからかけてきたのだろうか。

「別人を装って電話かけてこられても困ります」

「波瑠が会社辞めるって聞いたから……」

「そうです。おかげ様で来週退職です」

思わず嫌みったらしい言葉が出る。下田くんのせいで退職に追い込まれたと言っても過言じゃない。

「ごめん俺のせいで……これからどうするの?」

「そちら様には関係のないことなので、失礼します」

「待って! 波瑠! 俺は……」

下田くんの言葉を聞き終わらないうちに受話器を乱暴に置いた。

何を言われても私はもう前に進む。今はそばに優しい恋人がいてくれる。下田くんのことはもう振り返らない。










転職活動はうまくいっているとは言えず、この間面接に行ったところは不採用だった。その後数社面接をしたところ全てが不採用に終わる。さすがに落ち込んで送り返された履歴書を眺める。

「焦らなくてもいいんだよ」

後ろから抱きしめる優磨くんに体重を預けて寄りかかる。

「でもさすがにこれだけ不採用が続くと落ち込む……」

「波瑠は正社員がいいの?」

「それはまあ……」

これからのことを考えると正社員がいいに決まっている。

「まだここを出て行くつもりなの? 生活費のことなら気にしなくていいんだよ?」

「でも甘えっぱなしはやっぱり悪いし……早く私も生活費を入れないと」

「いいの。たくさん甘えて」

優磨くんは私の首にキスをする。

「なんなら働かなくてもいいんだって」

「それは無理……」

くすぐったくて体をよじりながら優磨くんに言い返す。

「無職はちょっと……」

もしも、もしもの話、優磨くんと今後何かあったら、仕事がないと私は不安になる。
優磨くんは私が何を考えているのかおおよそ分かるのだろう、ぎゅうっと強く抱きしめる。

「俺はずっと離れないから。波瑠はそばにいてくれるだけでいいんだからね」

「うん……でも、あんまり私を甘やかすとダメ人間になるからね」

「ダメ人間でも俺が支えるよ?」

当たり前だと言わんばかりに真顔になる。この人はどこまでも私を甘やかす。

「毎朝波瑠の顔を見て起きたいし、帰宅したら波瑠に迎えてほしい。毎晩波瑠を抱いて寝たいし、本当は外に出したくない。この部屋に閉じ込めておきたいくらいに大事にしてる」

閉じ込めるなんて大袈裟なと呆れて振り返るとキスされる。

「それくらい好きなの。だから俺の気持ちも汲んで、甘えて。仕事も焦らなくてもいいから」

「うん。でも、そうなると私ブクブク太りそうなんだけど……」

「太っても可愛いから大丈夫」

優磨くんにここまで甘やかされて独占されたらダメ人間になる日は近いかも。
そう思いながらも求められる度に私は優磨くんと唇を重ねた。










退職するその日に外食しようと約束していたものの、優磨くんの仕事が終わりそうもないというので延期することにした。マンションに帰ったところで優磨くんから電話がきた。

「波瑠、もう家?」

「うん。今帰ったところだよ」

「あのさ、書斎に白い封筒あるか見てくれない?」

書斎に入ると机の上に確かに定形外サイズの白い封筒が置いてある。表に『城藤不動産株式会社』と印字されている。

「やっぱ忘れてきてたか……悪いんだけど、今から泉さんがそっちにその封筒を取りに行くから渡してくれない?」

「ああうん、わかった」

「あとちょっとで着くらしいから申し訳ないけど下で待ってて」

「うん」

通話を終えると封筒を持ってマンションの下で泉さんを待った。数分後に車が停まり、運転席から泉さんが顔を出した。

「お手数おかけしました」

「いえ……」

落ち着いた雰囲気の泉さんも優磨くんに負けず劣らず綺麗な顔をしている。城藤に関わる人は皆美形なのだろうか。秘書という仕事のイメージのせいか口数が少ない泉さんはミステリアスだ。

「ハルちゃーん!」

後部座席の窓が開き美麗さんが顔を出す。

「お姉さん!?」

「ねえ、ハルちゃんも今から優磨の会社に行かない?」

「え?」

思いがけない誘いだった。

「だめです美麗さん」

泉さんがすかさず止めるけれど美麗さんは「泉ちゃんだけずるい」と拗ねる。

「優磨さんが怒りますよ。美麗さんだけは連れてくるなと社長にも言われています」

「そんな厄介者扱いしなくてもいいじゃん!」

ぷうっと膨れる美麗さんは怒っても美人だ。

「ハルちゃん乗って」

「え!? でも……」

「美麗さん」

泉さんが厳しい声で止める。

「美麗はだめでもハルちゃんはだめって言われてないでしょ」

「私が優磨さんに怒られます」

「美麗が連れて来たって言えばいいでしょ。ほら乗って」

ドアを開けられると手を引かれ車内に乗せられた。

「あの……」

「美麗さん、私は知りませんよ。社長に見つかったら怒られるのは優磨さんですよ」

「優磨が怒られっぱなしなら、それは優磨にとってハルちゃんがその程度ってことだよ」

二人の会話の意味が分からなくて私は封筒を抱えたまま口を噤む。

「はあ……」

泉さんは溜め息をつくと渋々車を発進させた。

「ねえ、ハルちゃん、連絡先教えてよ」

「ああ、はい……」

私は美麗さんとLINEを登録し合う。

「へー、名前こういう字を書くんだ。季節の春じゃないんだね」

美麗さんは私の名の漢字に興味を持ったようだ。

「あの……お姉さんは……」

「美麗でいいよ」

「はい。美麗さんはよく優磨くんのマンションに来るんですか?」

「月に何回かかな。まともに相手してくれるの優磨しかいないし」

不思議な人だなと思う。こんなに綺麗なのに優磨くんしか相手にしないなんてことあるのだろうか。私より年上なのに、美麗さんは年齢を感じさせない。

「優磨に会いに行くというよりはあの部屋に行きたいからかな」

「え?」

それはどういう意味だろうかと美麗さんを見るけれど、それ以上何も言う気はないようだ。気のせいかバックミラーで泉さんが美麗さんを見ているような気がした。

しばらく走って優磨くんの会社の駐車場で降ろされた。

「正面玄関を入って受付で優磨さんを呼んでもらってください」

「はい……泉さんが届けなくていいんでしょうか?」

「私は美麗さんを自宅までお送りしないといけません。申し訳ございませんがお願い致します」


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