同期の御曹司様は浮気がお嫌い
同期の御曹司は不貞がお嫌い
「それではプレオープンお疲れさまでした! 乾杯!」
部長の合図で社員がグラスを高く掲げ「乾杯!」とグラスをぶつける音が響く。
商業施設内のテナントにコーヒーショップをオープンさせた祝賀会を閉店後の店内で行った。テーブルには会社が用意したお酒やおつまみが並べられている。
お酒に強くない私はビールを飲むふりをしてサンプルのアイスコーヒーを飲んだ。
「安西さん、お疲れ様」
コーヒー豆の小売会社で同期入社の城藤優磨くんが私の隣に来てグラスを傾けるから、優磨くんのグラスに自分のグラスを軽く付ける。
「優磨くんこそ一番の功労者でしょ。このオープンは優磨くんの営業努力があってこそなのに」
「いいんだ、それで下田が評価されるならね」
私と優磨くんは上司や商業施設の関係者に囲まれテンション高くお酒を飲んでいる下田くんに目をやった。
同じく同期である下田くんはこの店舗の責任者として初期から担当してきた。でも元々この商業施設への出店の話を取り付けたのは優磨くんなのだ。
「安西さんもよかったね。これで下田は春の人事で昇格確定だね」
「うーん……いいのかな。同期として先を越されるのは悔しいけど」
「恋人が出世して嬉しいでしょ?」
「まあね……」
私と下田くんは入社時から付き合って4年になる。彼の仕事での成功はもちろん嬉しいけれど、それは彼の本当の実力ではないからモヤモヤした気持ちが残る。
「優磨くんが担当した方がもっとスムーズにいったかもしれないのに……」
「どうせ俺が担当したって、またコネだなんだって言われるからね」
「そんなことないのに……」
私の不満そうな顔に優磨くんは微笑む。
優磨くんの方が下田くんの何倍も実績がある。けれど社員は優磨くんを腫れ物に触るように接する。
財閥として名高い城藤グループ会社の御曹司である城藤優磨の機嫌を損ねないように、大変な仕事を会社は優磨くんに担当させることはない。新規オープンの店舗担当なんて残業も休日出勤も当たり前の仕事をさせないのだ。実績があっても城藤の名前を使って取ってきた仕事なのではと思っている者もいる。
優磨くん本人も自分がどう思われているか自覚しているから仕事で主張してくることは少ない。
けれど今回恋人の下田くんが自分の仕事のように喜んでいることに私は納得できない。優磨くんが時間をかけて交渉した結果の今日があるのに。それは自分の名前を売ったのではなく熱心に会社と商品を売り込んだからだ。本来この場の主役であるはずの優磨くんが控えめなのはもったいないと思う。
「安西さんが知っててくれればいいよ」
それでいいの? と優磨くんを見るとそれ以上話す気はないように新しい缶ビールを開けた。
「ではここで担当の下田からも一言!」
誰かが声を張り上げると下田くんは店の中心から大きな声を出した。
「皆様今日までありがとうございました! 今回俺もたくさん成長させていただきました。今後ともよろしくお願いします!」
当たり障りのない挨拶にも社員から拍手が起こる。
まあ、下田くんもここまで頑張ったし、私も負けないよう頑張ろう。
「奥さんも喜んでるぞ!」
下田くんに向けられただろう誰かの大声に私の体は固まった。
今、誰に何を言った?
一瞬の沈黙のあと「あざーす!」と下田くんが返事をした。
え? 奥さんって何?
私は下田くんに視線を向けるけれど彼が私を見返してくれることはない。今の会話を疑問に思っても他の社員は誰も何も聞いてくれない。
困惑していると優磨くんが私を見ていることに気がついた。その優磨くんも不思議そうな顔をしている。
「安西さんと下田って結婚したの?」
「いや、してないよ! そんなの全然……」
どういうことだと下田くんのもとへ向かった。
「下田くん!」
私が近づくと下田くんは焦った顔をした。
「今のどういうこと?」
「え……何が?」
「奥さんて何?」
すると近くにいた人事部の社員が口を挟んだ。
「下田くんこの間結婚したんだよ。新婚さん」
「え?」
下田くんは顔面蒼白になり、私の顔を見ながら口をパクパクさせている。
「どういうこと?」
「いやー……その……」
私の質問に答えたのは人事の社員だ。
「まだ同期にも言ってなかったの? まあもうすぐ社内メールで発表されるけどね」
「波瑠……ごめん俺……言ってなかったんだけど……」
下田くんの言葉は彼の頭の上から降ってきた液体によって遮られる。いつの間にか下田くんの横に立った優磨くんが下田くんの頭の上からビールをかけた。ぴちゃぴちゃと床に滴るビールの音に店内は静かになる。
「え?」
下田くんはもちろんその場にいる全員が驚いて動けなくなる。
缶ビールの中身全部を下田くんにかけた優磨くんは怖いくらいの笑顔で言い放った。
「プレオープンと下田の結婚祝いにビールかけだよ」
「………」
長い静寂を破ったのは下田くんだった。
「おい優磨―、せめて水にしろよー」
苦笑いの下田くんに徐々に周りも笑顔になる。
「ちょっとトイレで拭いてくるわ」
そう言って下田くんは店を出て行った。呆気にとられた私は優磨くんに手を掴まれ我に返る。
「優磨くん?」
「追いかけなきゃ。下田と話さないと」
優磨くんに手を引かれ店を出ると閉館した商業ビルには誰もいない。通路を曲がった先の男子トイレから水を流す音がしている。
下田くんが出てくるまで待ち構えるように立った優磨くんは怖い顔をしている。私は何が何だかわからなくて、思わず握られたままの優磨くんの手から自分の手を引っ込めた。
「あ、ごめん」
優磨くんは困ったように笑うけれど私に笑い返す余裕はなかった。
トイレから出てきた下田くんは私たちを見ると怯えた顔をする。髪の毛はびちゃびちゃで、蛇口から直接水を被り頭を洗ったのだろう。スーツは肩まで液体が染みている。
「お、おい優磨、今の何だよ……驚くだろ……」
「驚くのはこっちだよ。いつ結婚したの?」
「それは……」
下田くんは私の顔を不安そうに見る。
「ごめん波瑠……俺結婚した……」
「何それ? どういうこと? 誰と? 急すぎるでしょ! 私たち付き合ってたよね?」
下田くんの口から結婚と聞いて一気に言葉が溢れる。
「言おうと思ってたんだ……本当に……」
「結婚したって信じられない……どうして?」
向かい合った私は目を合わせない下田くんになるべく冷静に問い詰める。
「あの……他にも女がいて……結婚した」
同じ内容を繰り返し私に呟く。
「それってどういうこと? 私以外の女の人とも付き合ってて、その人と結婚したってこと?」
下田くんは迷う様にゆっくりと頷く。情けない姿の恋人に私は泣きそうになる。
「波瑠ごめん……その子のお腹に俺の子供がいる……」
衝撃の言葉に頭が真っ白になる。
「え……ちょっと待って……それってどういうこと? 私と付き合っててどうして他の人と子供ができるの? ねえ!」
「ごめん……ずっと言えなかった……」
目が霞む。鼻の奥がツンと痛んだ。
「最低……」
頬を涙が伝う。
「いつっ……いつから?」
「去年から……」
「うそ……」
もう何ヶ月も下田くんは私を裏切っていた。去年からなんて全然気づかなかった。だってその間も私は下田くんとデートしてお互いの家にも泊って、体を重ねてきたのに。
同じことを下田くんは別の女ともしていたということ? その事実をこんな時に知って苦しい。
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