水晶を覗くばあさん

文戸玲

戻りたい男16 水晶のストラップ

「ちょっと待って」

 こぼれ落ちる涙を悟られる前に背中を向けて去ろうとするおれを夏海は引き留めた。気付かれないように肩で目元を拭ってから振り向く。夏海は服の裾についたゴミを気にしていた。きっとバレてる。夏海は気づかないふりをしてくれた。優しくて,配慮できる人だから。
 きっと何もついていない指先のゴミを玄関に落としてから,「あのさ」とポケットを探り始めた。取り出したのは,一緒によく写真を撮ったスマホだった。ぶら下がったストラップを手こずりながらほどいている。おれはそれをただただ見ていた。それはまるで,イヤホンの片耳を失ってしまうみたいで,くっついていなければならないものが無理やり引き剥がされるているみたいで,ナイフでえぐられたように心が痛んだ。

「これ,古くなったから取り替えようと思っているんだけど,なんか捨てるのも忍びないでしょ? 貰ってよ。どこか成仏できそうなところで処分してよね。大切にしてたんだから」
「そんなに大切なら,しまっておけよ」

 そう言いながら受け取った。歯を食いしばっていないと今度は目の前で泣き崩れてしまいそうだった。水晶のストラップ。綺麗だね,と言って二人で自分たちに買ったお土産だった。海沿いのテラスでお酒を飲み,ほろ酔い気分でお土産さんを巡っていた時の。

 じゃ,と片手を挙げて今度こそドアノブに手をかけて外に出た。夏海がおれを追いかけることはもちろんない。

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