水晶を覗くばあさん

文戸玲

戻りたい男⑦ 昼下がり

 腕を使って目元を抑える。カーテンの隙間から漏れ出る太陽の光が鬱陶しい。頭が重い。まだ寝ていたい。いつまでも夜が続けばいいのに。昨夜は眠れなかった。やっと眠りにつけたと思ったらすぐ朝だ。付けっ放しで寝たエアコンの風が直接体に吹き付けて,無性に気分が悪い。
 寝ていたい,寝ていたい,寝ていたい。こんなに辛いならいつまでも寝ていたい。もうどうだっていい。人間誰しも幸せになりたいという願望を抱いて生きている。それはお腹の中で授けられた健康な生物の宿命じゃないか。それをおれは叶えることができなかったんだ。もう,生きていてもろくなことはない。
 生きるとは絶望することだ。叶うことなら酒でいっぱいに満たされた風呂の中で溺れ死にたい。思えば名前のないあの猫は世間が思うよりもよっぽど幸せな死に方をしたのではないだろうか。おれもその死に方にあやかりたい。あんなことを言われるぐらいなら。



 あんなこと? あんなことって,昨晩何があったんだっけ?



 頭の中で記憶のありかを探るセンサーが駆け巡る。めあてのものを発見した時,身体中に電流が駆け巡り,電気ショックを受けた患者のように飛び上がった。


コメント

コメントを書く

「文学」の人気作品

書籍化作品