とろけるような、キスをして。

青花美来

夜明け(2)


*****

「お世話になりました」

「こちらこそ。寂しくなるけど、向こうでも頑張ってね」

「はい。ありがとうございます」


三週間後。季節は秋を通りすぎ、冬本番を迎えた十二月。
私は年内最後、そして今の職場の最後の出勤を終えて、お世話になった部署の方々に挨拶をして回った。有休を消化して退職するため、他の社員よりは早めの仕事納めだ。

特別仲が良かった人もいないのに、忘年会とは別に送別会まで開いてくれたのには驚いた。
私が勝手に孤独に苛まれていただけで、もしかしたら周りはそうじゃなかったのかもしれないな、なんて。今更気が付いても遅いことを思う。

まぁ、ただ皆で飲みたいだけだったのかもしれないけれど。


「野々村さん、行こっか」

「はい」


橋本さんは約束通り私を食事に誘ってくれて、お洒落なバルで食事とお酒をご馳走してくれた。
飲み足りないからバーに行こうと誘われて、駅の裏にある隠れ家のようなバーでカクテルを飲む。
話題はもちろん私の話だ。


「向こうでの仕事はもう決まってるの?」

「はい。また事務系の仕事なんです。来月の半ばから働き始める予定です」


母校の学校事務として来月の半ば、つまり学校のカレンダーで考えると冬休み明けから働くことが決まっていた。

とは言え先生方は変わらず冬休みも出勤しているようだし、私ももう一人いるらしい事務の方から仕事を教わらないといけない。
おそらく実際に出勤するのはもうちょっと早くなるだろう。

年越しも向こうでする予定で、晴美姉ちゃんに年越しパーティーに誘われている。それもあり、今週は荷造りに専念して来週には今のアパートを引き払うことが決まっていた。


「そっか。頑張ってね。応援してる」

「ありがとうございます」


お礼を告げて、グラスに入ったスクリュードライバーを口に傾ける。
ウォッカ少なめで作ってもらったからか、オレンジの酸味が強くて飲みやすい。
小皿に盛られたカシューナッツを摘んでいると、私を見つめた橋本さんがニヤニヤしながら呟いた。


「最近の野々村さん、すごく笑顔が増えて明るくなったよね」

「えっ。……そうですかね?自分じゃよくわからないです」


初めてそんなことを言われて、驚いてナッツをお皿に落としてしまった。それをもう一度摘んで、口に運ぶ。


「いや、今までも可愛い子だなって思ってたけどね?最近は明るくなってもっと素敵になった感じ。きっと良い恋してるんだろうなって。勝手に思ってた」

「恋、ですか!?」


タイムリーな単語に、私は大袈裟に肩を跳ねさせた。


「あれ?違った?女の子が綺麗になるのは、大体恋してる時だからさ。野々村さんも多分そうなんだろうなって」


女の勘というやつなのだろうか。それにしても鋭い。……いや私がわかりやすかっただけだろうか。
ウィスキーが入ったグラスを軽く回しながら、橋本さんは頬杖をつく。
私は目の前のグラスを見つめた。


「……多分、そうなんだと思います」


この三週間の間に、私は自分でもわかっていた。
これは恋だと思う。私、好きなんだと思う。
いくら卒業したとは言え、教師を好きになるなんて全く想像だにしなかったけれど。


「野々村さん見てるとわかるよ。その相手、すっごく素敵な人でしょ」

「……はい」


そうなのだ。素敵な人なんだよ。
恥ずかしいけれど頷くと、橋本さんは面白そうに口を開く。


「野々村さんって、もしかして結構奥手な感じ?」

「……私あんまり男性経験無くて」

「え、意外!可愛いから引く手数多だと思ってたよ」

「まさかそんなことないですよ」


誰かを想って一喜一憂するなんて、久しぶりすぎて私は困惑するばかりだ。


「その人は、どんな人なの?」

「……とても優しい人です」


優しくて。私のことを大切に想ってくれていて。


「優しくて、頼りがいがあって、私の弱い部分をちゃんと聞いて受け止めてくれて、甘えさせてくれる人です」

「そっか。素敵な人じゃん。やっぱり良い恋してるんだね」

「昔からの知り合い……なんですけど、今までそういう目で見たことなかったから、まだ少し混乱してて。本当にこれを恋って呼んで良いのか、ちょっと不安になってました」


ずっと考えていた。
確かに私は修斗さんのことを、男性として意識し始めていた。
でもそれが果たして恋だと言っていいものなのか。久しぶりのときめきと、突然の告白で気持ちが昂っているだけなんじゃないか。
修斗さんと同じ気持ちなのだろうかと、ずっと考えていた。


「どんな人かって聞かれて、まずその人の魅力をすぐに伝えられるって、結構すごいことだと思うよ」

「……そうですか?」

「うん。私ならどんな人?って聞かれたらまず"合コンで出会った年上の営業マン"とか言っちゃいそうだもん」


言われてみれば、確かにそういう答え方もできる。むしろそう答える人の方が多いのかもしれない。
へらりと笑った橋本さんに、私も笑ってしまった。


「それに、その人のこと話してる時の野々村さんの顔。すごく良い顔してる。その人に会いたいって言ってるように見える。可愛くて、キラキラしてる。それってもう、恋って言っていいんじゃないかな」


しかし、橋本さんの言葉に少し安心する。


「……確かに、会いたいなって思います。会えなくても声が聞きたいなって思います。それってやっぱり、どうも想ってない人には抱かない気持ちですよね」

「うん。そうだと思うよ」


あれ以来、毎日のように夜に電話をしている。

"おやすみ"を聞いてから寝たいし、"みゃーこ"ってあの優しい声で呼んでほしい。声を聞くだけでも安心できて、次会えるまで頑張ろうって思える。
欲を言えば抱きしめてほしいし、キスだって……、してほしい。


「幸せそうな顔しちゃって。その人と、うまくいくといいね」

「……はい。今日、橋本さんと話せて良かったです。ありがとうございます」

「私も。野々村さんと飲みに来て良かった。いつかまたこっちに遊びに来る時は、連絡してね」

「はい」


橋本さんと別れて帰宅した後。
今日も無機質な音が着信を知らせる。

相手はもちろん修斗さんで。気持ちを再確認した後だからか、なんだかそわそわしてしまう。


『どうした?』


なんて、心配されたって言えるわけもない。


「来週、そっちに帰るから」

『うん。迎え行けそうもないんだけど大丈夫か?』

「大丈夫だよ。子どもじゃあるまいし」

『でも心配だから、実家着いたら連絡して?』

「わかった」


修斗さんも年末だからか、いろいろと忙しいらしい。
まぁ、私も向こうに到着するのは夜遅くなりそうだから、そもそも会う時間など無いだろう。

数分喋った後、『おやすみ』を聞いてから電話を切った。


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