オーストラリア!自由気ままにぐるっとバイク旅

ノベルバユーザー526355

第98話:落日の陽々

01月03日 晴 104キロ
→tweed head→kingscliff→brunswick heads→byron bay(c.p.)
このサーファーズ・パラダイスは、観光客がひしめく一大リゾート地であるが、決して治安がいいところでは言えない。昨日の朝、バイクを見ると、バックミラーが割られていた。盗難に遭わないようにと、通りからの人目を避け、宿の中庭にいれておいても、この有様だ。入居者の誰かの仕業だ。その誰かと同じ屋根の下で寝ていると思うと、虫唾が走るが、この繁忙期に他の宿屋など見つかるわけもなく、仕方がなかった。で、今朝はヘッドライトにひびが入っていた。そろそろ、潮時かもしれない。長い旅の最後、ご褒美にこの地ゴールドコーストでリゾート気分を存分に味あわせてもらった。バイクの被害も、腹が立つどころが、この子供のイタズラ程度のモノで済んで、逆にホッとしているくらいだった。でも明日はどうなるかわからない。今日でここを後にし、後は旅のクールダウンはたまたエンドロール代わりに、数日間の南下ツーリング、シドニーに向け出発しようと決心した。
実はシドニーに戻ったところで、帰る家があるわけでもない。ただ旅をはじめた街がたまたまシドニーであったゆえに、この旅のゴールも何となくシドニーだと決めていただけだった。だからバイクに乗るのが嫌気がさし、どこでこの旅を終え、バイクを降りても、問題はなかった。でも旅の日々を重ねれば重ねるほど、無事に生きてシドニーに帰りつくのだという目標が掲げられ、ことある毎に知らず、その思いを奥歯でかみ締め、呪文とし励みにして、今ではシドニーの街をこの目で再び拝むことが、この旅に深い意味を与えるような気がしていた。そういった意味で、これからのシドニーに至る数日間は、旅の生還を祝うウィニングランといったところだった。
シドニーを発した数ヶ月前に通った同じ道を逆に今また走っている。ウブだったあの頃、僕の幻影を対向車線に探し、遠い昔の出来事のように懐かしんだ。森の香り・岬の風・小さな港町の湿り気が、まだ肩に力が入り強張っていた当時の面影を、脳裏に鮮明な情景となって蘇らせた。今では気楽で優しく心地よいバイクの走りを楽しむ術を身に付け、受ける風と戯れていると、ふとバックミラーの先に、逆車線を高速でハンドルにしがみつきながら走り去る自分のうしろ姿が映った気がした。
一分・一秒、1キロ・1メーターと、シドニーに近づくにつれ、このまま旅が終わってしまうのが惜しく思われ、まだまだ陽の高いうちから早々とバイクで走るのをきりあげ、気に入ったビーチのキャラバンパークでテントを張った。気持ちのいい潮風が吹く抜ける木陰の下で、バイクのセンタースタンドを立て、バイクのシートに上向けに寝そべり(けっこう技術が入り、バイクと一体感がないとできない)、うたた寝を楽しんだ。ここは夏真っ盛り。波打つように吹く浜風が、頭上に張り出た枝にくっつく無数の葉っぱをサラサラ揺らし、突き刺す日差しは葉っぱの黒いシルエットの間をすり抜けて、目を閉じたまま僕のまぶたの裏を赤く焦がした。
夕暮れ時、いつものように飯ごう炊飯をし、定番メニューの『シーチキンぶっかけゴハン』を食らった。鍋を火にかけての炊飯ながら、米の炊き具合は電気炊飯ジャー顔負けで、炊き上がりにムラなく焦がすことも全くなく、プロの域となっていた。そして、マイマグカップに注いだインスタントコーヒーを片手に、浜までテクテク歩き、まだ落ちぬ太陽が夕陽に変わり落ちる様を眺めにいった。今では日々の常となっていた野生の生活。果たして社会復帰できるだろうか。そしてまたいつか、このスローライフを味わうことができるのだろうか。どうするわけでもない、ただあるがままのヌルい生活感は、まるで冷めきって、もう熱くもなければ冷たくもない手にしたコーヒーとそっくりに思えた。それをゆっくりとかみ締めるように飲み下した。
そう言えば、日本なら今寒い正月真っ盛り。久しく連絡も入れていない母は、元気にやっているだろうか。

コメント

コメントを書く

「エッセイ」の人気作品

書籍化作品