オーストラリア!自由気ままにぐるっとバイク旅

ノベルバユーザー526355

第86話:クリスマス トレッキング

12月25日 晴 106キロ
→franford→exeter→blackwall→gravelly beach→batman bridge→george town(cp)
昨夜の飲みすぎと深夜のポッサムの舞踏会のおかげで、目を覚ましたときには、すでに太陽が水平方法より約30度昇っていた。日の出より2時間すぎてくらいか。テントを出ると、夕暮れ時あれだけ走りまわっていたウォンバットもろもと、じいさんも姿をくらましてしまっていた。車のタイヤの跡さえ見当たらない。夢か誠か、あのじいさん、まじサンタだったのかもしれないなんて考えてみたりもした。
今日も朝から飽きもせず、ブッシュウォーキング。昨日の夕方、散歩しているときに見つけた獣道。その道を行けばきっと、ずっと先に見える小高い山の頂上に登れるはずだった。あのてっぺんからの眺め、どうしても見てみたい。衝動、直感で、行動を決める日々。これこそ、獣道を行く、マコトの獣。およそ文明人が楽しむ娯楽とは程遠く、それでも動物的活動の日々に充実感を覚えていた。
この辺りの風は、微妙に潮の香りを含み、肌に触れた感触がかすかにまとわりつく。すぐそこというわけでもないが、間近くに海がある証拠だ。このサバンナはブッシュというよりも草木が生い茂るジャングルと言った方が近いかもしれたい。地理的に、この北側にはきっと海岸線が走り、平地の先に見える丘のふもとまでは1時間強といったところだろう。そし山登りに1時間強って感じか。片道2~3時間の冒険トレッキング。ここであえて冒険としておこう。冒険には危険も付き物だ。なぜなら、タスマニアでもこの地域には、牛をも一撃で殺してしまう毒蛇や毒蜘蛛が生息していると聞いていたからだ。そこをのん気にひとり歩き。おそらく120%行き帰り誰とも出くわすことはないだろう。自然、心地よい緊張感が走る。
歩き出すと、土地が低いためか平野は思ったよりも湿地帯で、かしこに大小の池が点在し、湖に匹敵するものもあった。樹木が茂る藪の中を抜ける道風(ふう)の道はクモの巣が折り重なっていて、棒を振り回しクモの巣を綿飴マシーンのように絡み取っていかないと前進できなかった状態だった。自ずと注意が頭上に集中し、木の枝から毒クモが降ってこないかヒヤヒヤものだった。
とそのとき、踏み出した前足と後ろ足のあいだをすり抜ける一筋の影が視界にかすめた。反射的に足がビタっと止まり、ゾクゾワッと足元から股関節・肩甲骨・うなじへとシビレが走った。息が止まる。もうダメか、とマジ思ったほどだった。なんと、1.5メーターほどの毒蛇が踏み出した足のかかとを舐めるように、名の通り、蛇行していた。心臓はもとより、全ての臓器が停止した感覚が体を襲う。頭上の毒クモに対する警戒心で、毒蛇のことはすっかり忘れてしまっていた。バイク用のブーツを履いていたとはいえ、幸いにもよく踏んづけなかったものだ。命拾い。でもあの瞬間の感覚は毒ヘビにかまれたも同然だった。その後のトレッキングは、生涯きっての神経力だった。ひたすら長い道のり、でも過ぎる時間経過は感じられなかった。
岩に足掛け、丘陵を登り、頂上に到達したとき、すべての苦労は、一陣の風が持ち去ってくれた。そのからの眺望、巨大造園ジオラマとでも言おうか、京都龍安寺の枯山水を彷彿とさせる造形美を大パノラマで拝むことができた。床机にかけた殿様よろしく、僕は尻心地のよい岩に背筋を伸ばし腰掛けた。右目に飛び込んでくるのは、前方僅かにカーブしながらまっすぐ伸びる砂浜。その砂浜に平行して海面に這う白い波の筋が等間隔で押し寄せていた。左目に飛び込んでくるのは、今しがた通り抜けてきた湿地帯。そのジャングルの中央部には滑走路のような湖が縦長に延びていた。両目で見ると天然3D状態。右手眼下に広がる海からは、こんな離れているのに、波が浜に打ち寄せる音が、かすかに風に乗って山の斜面を這い上がってきた。しばし黙想して、この奇妙な景勝地について形成の生い立ちを考察してみる。左手のゾウリムシ、いやミカズキモを連想させる湖は、遠い昔かつては海であったのであろう。それが長い年月を経て海風が砂丘を築き、陸地側に取り残された海は湖なった。そして今ではもう、その湖も淡水化が進んだためか、、水の色も海のものとは違っていた。湖の潤沢な水と湿地によってジャングルが育まれ、その証拠に湖から離れ内陸に入るほど、草木は背を縮め、サバンナに様子を変えてゆく。この想像力、ケッコーいけてるかもしれない気がしてきた。

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