オーストラリア!自由気ままにぐるっとバイク旅

ノベルバユーザー526355

第68話:森の精霊たちの息づかい

12月13日 曇りのち雨 427キロ
→portland→koroit(tower hill)→warrnamboo→peterborough→great ocean read(bay of island
→london bridge→the arch→port cambell→loch ard→twelve apostles)→lavers hill→apollo bay
→lorn(rain forest) YH
小雨の森の中、バイクを走らせている。霧が道路をゆっくりを横切り、その度にスピードを緩め、マイナスイオンを全身で噛み締め、呼吸する。一団のもやの塊を通過し浴びる度に、どこからともなく体内に染み出てくる感情。それが森からの声と交応する。もうこれ以上堪えきれない。森に分け入ろう。雨がしっとりと時をさらうように降っていた。ピクニックなら雨天順延となる天候。それでも、この単純で純粋な思いを満たさずにはいられなかった。ひょっとしたら、だからこそ今なのかもしない。
あいにくの雨、雨に打たれながらテントを張ることほど憂鬱なものはない。だから、せめて雨風のしのげる山小屋に投宿することにした。夜、寝床で、雨風の心配がしなくていいことほど、幸せなことはない。そそくさとバイクから荷を降ろし、夕暮れが間近に迫ってはいたが、さっそく本能の趣くままに森の中へと足を踏み入れた。
今までの体験からいうと、砂漠歩きは、行けども行けども見えないはこない出口を求め辿りつくこと、それだけを目的に、踏み入れるものだった。砂漠は人の侵入を拒む。でもって、フォレスト(森)歩きは甘い蜜だった。樹齢何百年という樹木が太陽光線を地面に達するのを遮るくらい根を絡ませあい立ち並ぶ森林。それは、人の魂・生命を誘惑・魅了し、踏み入れさせようと誘惑する。森には精霊(意図的な感情はないが、何からの意思を宿した生ある存在感)が棲む。精霊たちは、雨が降ると、生命エネルギーをいっそう強める。何事も恐れぬ向こうに見ずな若気の至りで、一歩間違えばと思うことも多々、砂漠地帯を幸運にも切りぬけてきた。そこでまるで蝉の抜け殻のごとくカラカラに身も心も干上がることを体験した僕にとって、雨の豊富な環境に着てからは、森の持つ生命力・意味・大きさそして精霊を感ぜずにいられなかった。それを感じる者、感じぬ者。森は見えない声で手招きし、その源へと僕を誘う。森の持つ目には見えない生命力が、まるで血が通い脈を打ち、触手を伸ばし僕の体に流れ込み、魂に呼応する。森は、生きとし生ける者の根源「精なる生命エネルギー」を放ち、そこに自らの意思を持って踏み入れた者をみな虜にしてしまう。その力の存在を、僕は「精霊」と言い表すしか表現できそうにない。
夢遊病者のごとく、森の中を宛てもなく、ほっつき歩く。いや、あてなど全くないのはわかっているが、どこかで精神的に満たしてくれるようなご馳走にありつけるかもしれないという根拠のない期待感で心は溢れかえっていた。肉体的な乾きを満たしてくれるようなご馳走を捜し求めて、乾燥しきった砂漠の未開地をあてもなく歩き回るブッシュウォーキングとは、その点で異質のものであった。また、カカドゥの森ような原生林で覆われた熱帯雨林地帯特有のジャングルでのウォーキングは、ここと同じ生命エネルギーを感じつつも、異質な感じがしてならなかった。この雨の森レインフォレストには、柔らかにしなやかにあらゆる生命を包み込み浄化させる精霊を住んでいる。その精霊のパワーを感じ取る野性的なカンを、この旅を通じて、知らずと僕は身につけていたようだ。今の僕は、ほのかにではあったが、確かにその精霊の存在を嗅ぎ分けることができた。この培った野性的第六感が媒体となり、森の精霊の生命力が肺と肌から染み入り、僕の魂の抑揚させ、踊らせた。
はてさて、どれくらい森深く歩いたのだろうか。時間にして大したものではなかったが、この数十分の道のりは、シドニーより豪州の旅をはじめてからの果てしない距離に匹敵するような気がした。案内標識など立て札もない獣道の跡を辿って、引きつけられるように行き当たったその先には、ふた筋の滝があった。天地の流れる激流は水煙を吹き上げ、霧のしぶきとなって、僕の全身を背後からも覆い尽くす。水の粒子を満々と浴び、濡れそぼるという行為が、これほどまで心地よいものと感じたことは未だかつてなかった。これもまた精霊たちのしわざなのか。森は声を出し語らぬとも、非力な僕に、その意志・存在をはっきりと感じさせた。
森の日暮れは早かった。しとしと降り続く雨もあって、あっという間に辺りは薄暗くなってゆく。来た道を見失わないためにも早く引き返さなければならない。そう言えば、どこにも誰もいないんだった。独りの森で感じる恐怖。時間の経過に取り残されぬようにと、一心不乱に森の出口を目指した。刻々と辺りに景色はなくなり、暗く落ち込んでゆく道を立ち止まることができなかった。日はもうないのに光が燈る森の出口、どうして辿りついたか思い出せなかった。 今しがた目にした滝の全貌もなぜかはっきりと思い出せなかった。しかし、涌き出る今までに感じたことのない自然の力・精霊の力は、明確に肌で感じ起こすことができた。
町は程遠く民家も少ない山の中腹に位置する宿に戻り、オーナーに、森での出来事は話して聞かせた。すると彼曰く、「ほう、君にも私がなぜ近くにパブもないようなところに住みついているかがわかるようだな。」
その夜、共同のダイニングキッチンで、既にここに何泊もしているバックパッカ-が、オーナーに質問した。
「毎日、こんな何もないところで退屈しませんか。」
「パブはなくとも、酒の相手なら君らがいる。それに町にいても実は暇なもんさ。それよか、ここには退屈しない森もあるし滝もある。お前さんにもそれが感じてるだろ。」
バックパッカーの彼は愚問に気づき、無言で相槌を打った。
そう言えば、日本でも山や滝が信仰の対象となってたりするよな。初めて、なんとなく理解できる気がした。

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