オーストラリア!自由気ままにぐるっとバイク旅

ノベルバユーザー526355

第63話:僕にも流れ出したオージーの血

12月11日 晴 163キロ
→hahndorf→murray bridge→wellington→meningie
「よっ。久しぶりだな」。愛車に語りかける。そろそろ体があの路面をたたく振動を恋しがっていた。ペット愛好家で、自分のペットはお喋りができるなんていう人もいるが、僕とバイクの関係も今やそれに近かった。
「早くシートにまたがってくれ。エンジンかけて、転がしてくれ」。
せがむバイクにニンマリ応え、エンジン始動のセルボタンをプッシュする。でもどうしたことだ、ウンともスンとも言わない。アレッと思い、もう一度試みる。やはり同じだ、エンジンがかからない。今までの旅で、泣く子の手を引っ張るように、エンジンにかなり負担を強いてきたのは確かだ。それでも、ダダをこねながらも、軽快な音をいつも発てていてくれた。どうしてしまったんだろう。数日の乗らないと、バイクは息をしなくなってしまっていた。
相棒が動かない。ふつうならその時、『やばい!』という不安感でいっぱいなるはずだろう。なのに、実際は逆で、「ふう、よかった。」という安堵感が先行した。その理由。もしガタビシ音を立てるエンジンをごまかしながらも無理して越えてきたナラボー砂漠のど真ん中、朝起きてと突然エンジンが死んでいたら、なんて想像するだけで、後ろからキンタマを鷲づかみにされるがごとくブルってしまう。だから、助かったという深いため息が先に出てきた。
急にエンジンが動かなくなる原因のひとつは、バッテリーの寿命がまず考えられる。とにかくバイクを診てもらうべく、バイク屋までこの巨漢を押していくことにした。エンジンがかからないバイクはただ鉄屑にすぎず、こんなに息が切れ、心臓が踊ったこは久々だった。バイクショップにたどり着いたときは、汗で汁ダクだった。故障の原因は予想どおり、やはりバッテリーの老朽化。バイクでこの先旅を続けていく上で、ほか諸々の部品交換を勧められたが、とりあえず修理の方は、エンジンが息吹き返すバッテリー交換だけにしておいた。この先は、西オーストラリアのように人の往来が全くないような所を走るようなことはないだろうから、故障がすぐ死に繋がることもなく、気楽なものであった。だから、道中、再びエンジンが止まりバイクが動かなくなったとしても、その時また考えればいいことだ。この丁度好い加減さは、オーストラリア人魂が乗り移ったようだった。良い意味で、オージーを見習い、身につけた性格だ。目くじらを立てず、場合によっては少し目をつぶるだけで、すこぶる生活を快適になってしまう。TAKE IT EASY.

あっそうそう、いい加減といい意味で、こんなことを思い出した。以前シドニーにいたときのこと。定刻をかなり送れてバス停に滑り込んできたバスに乗り込んだ。
「こっち(オーストラリア)の乗り物は、時間通りに着たためしがないや」
と独り言を言うと、前に座っていた中年オジさんが、僕をなだめるようにして、
「まあそう言わずに落ち着けよ。女といっしょで、少し待たすぐらいが丁度いいんだよ」
カッコいいこというなと思ったのも一瞬だった。そのオジさんの発言を受けて、隣に座っていた奥さんが放っておかなかった。何やら奥さんに一発でやり込められたオジさんが、奥さんに難波の商人のようにへーへーして、その後照れくさそうに「ま、こんなもんだ」というしぐさを僕に見せた。実に愛らしかったで、僕のイライラ急かす気が飛んでしまった。どこの国でも旦那も奥さんには頭が上らないものなんだなあ。窓の外と見ると、後からきた同じ番号(路線)のバスが僕のバスを追い越して行った。でも、気にするのはやめた。

アデレードを旅立つは翌日にして、その日の午後は、有名な観光地ハーンドルフに足を運んだ。アデレード近郊の丘陵地帯にある町。ドイツ人の入植によりできたというだけあって、アンティークなドイツ風情を漂わせ、メルヘンティックな雰囲気で満たされていた。きっと恋人と連れ立ってデートに来ると、最高だろうに。で、なんで、ストイックな生活を強いられている僕が、こんな場違い場所に来たか。それには大いなる野望があった。ドイツと言えばやっぱりソーセージ、ソーセージといえばビールしかないでしょ。街並み風情なんてこの際どうでもよかった。訪れた理由は、そうひとつあるのみ。う~ん、美味!サイコー。絶妙のコンビネーションだった。旅は美味しいが一番!なんて。でも、カノジョと来たかったなあ。煮え切らない自分をかわいく思った。
さあ、明日は出発だ。『いざ行かん。…いずこへ』。このテキトー加減。オージー化していく僕がいた。

「オーストラリア!自由気ままにぐるっとバイク旅」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「エッセイ」の人気作品

コメント

コメントを書く