オーストラリア!自由気ままにぐるっとバイク旅

ノベルバユーザー526355

第45話:幸せの感じ方

11月28日 晴 367キロ
→overlander r.h.→nanga.→shell beach→denham→monkey mia(CP)
オーバーランダーロードハウスでハイウェイ(幹線道路)を脇道に逸れて、シャークベイを囲む半島に入って行く。半島の地形は今までの内陸とは趣きも変え、小高い山並の連なりとなり、どこからともなく降り注いでくる風は潮の香りを含んでいた。そのひんやりしっとりとした空気は、内陸のモノとは全く違い新鮮な心地を与えてくれる。天候もWA(西オーストラリア)に入ってきてからは晴天が続き、青く透き通った大空を無意識に見上げている時が増えたような気がする。とりわけここにきて、その透明な蒼い空は、あたかも目を細めると昼間なのに星が見えんばかりに感じた。たった少し地形が変化しただけで、ここまで風土が変わり、まるで今まで閉め切っていた部屋の窓を開けた時のように心の窓にもそよ風が吹き込むかのような気分にくれるものなのか。
砂浜も行き先々で点在しており、バイクを走らせながら、ワインの香りを確かめるようにして潮風を嗅ぎ分け嗜んだ。気に入った香りがあればそこにバイクを止めて、嗅覚を凝らし鼻先が向くままに歩を進めたものだ。すると決まって必ず人っ子ひとりいない僕だけのプライベートビーチに行き当たる。何箇所ものビーチを独り占めして遊び、大空を仰ぐがために砂浜に寝そべった。そう言えば、昔、青い絵の具には、「空色」と書いてあったっけ。大人になっていつの間にか、空が青いなんて忘れちまっていた。今、すばらしい青があるがままの空を見上げて、無垢な自分な部分を呼び覚ます。大人になるということは、こんな在り来たりの感動を当たり前と片付け、平気で忘れしまうことなのか。なんと寂しいもんだ。大人になることで心にしまい込んでしまった感動って、まだまだあるのだろうなと思いながらも自分を悲観するでもなく、逆にひとつでも思い出せたことに大空に感謝し、素直に心踊らせた。
このシャークベイには、「シェルビーチ」という名の他とは異なる特徴を持つビーチがある。直訳すれば『貝ビーチ』、でも潮干狩りが有名というわけではない。そのビーチは砂の浜ではなく、実は古代から積もった貝殻が細かく砕け浜一面を埋め尽くしているのだ。なんとこの真っ白なビーチ全部が貝殻化石とは・・・。姿かたちある恐竜の化石のように遠い昔から時を超越した遺物という感じはさらさらない。でも手に掬えば確かに貝の微塵だった。昔の日本が作った貝塚のように人工的なものでもない。形ないが故に、歴史を感じたりもしない。ただ白いビーチが横たわっている。日光の照り返しも半端でなく、ビーチ自体が発光しているかのようで、今ではビーチオタクの僕でも、このシェルビーチほど眩しいすぎる浜には過去にお目にかかったことがなかった。浜には、売店どころか人っ子ひとり、人の手の加わったモノなど全くない。こういったビーチでは半恒例化というか、条件反射というか、独りマッパ(真裸)になり、海で泳ごうとした。いかにも火傷しそうなシェルビーチを打ち寄せる水際まで駆け抜けようとしたら、足の裏が痛いの痛くないの。足の裏を見ると、細かく割れた貝殻が突き刺さっていた(血が出るほどでもない)。星の数など比ではない微塵の貝殻が、そこに畏怖堂々といつからともなく存在し続けてきた。その上で片足立つ僕ほど、本当は微塵な存在はないような気がした。でも間近でみれば確かに貝であるように、痛さを以って自分の存在をじっくり感じた。きれいなモノにはトゲがある、よく言ったものだ。

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