オーストラリア!自由気ままにぐるっとバイク旅

ノベルバユーザー526355

第42話:ロードトレイン

11月26日 晴 575キロ
→karratha→dampier→nanutarra r.h.(CP)
オーストラリアの各州を結ぶ幹線道路を走っていると、ロードトレインにしばしば出会う。その名のとおり、線路ではなく、道を走る列車と言ったところだ。鉄の車輪の代わりに巨大なタイヤがいくつもくっついた貨物車を連結して、アウトバックの一本道を爆走する。すれ違うときの風圧がものすごく、その瞬間耳元でバンを鳴るほどだ。その衝撃は、プールの飛び込み台から腹ばいに飛び込み、水面にぶち当たる感じだ。だから気を抜いて自分も高速ですれ違ったりすると、転倒し命取りになる恐れもある。また車両を連ねて走るロードトレインを追い越すには、それ以上の猛スピードでかなりの距離(全長が長い為)を併走しなければならないで、こちらも命がけだった。注意を払わず近寄りすぎると、気流の変化が激しいため、あっと言う間に吸い寄せられ、その下に巻き込まれてそうになる。あの戦慄を発し回転するタイヤの下敷きになると、確実に骨も立体を留めずノシイカに違いない。だから、ロードトレインとの接近遭遇には要注意し、その接近を知らせるため、警戒を促す伴走者が先導してしていることも多い。
そう言えば以前、家を乗っけて走るロードトレインを見たことがある。それも工事現場のプレハブのようなちっぽけものではなく、れっきとした家屋で、その基礎ごと引っこ抜き貨物車両に乗せて走っていた。壮観な眺め、さすがオーストラリアはやることが違う。引越しは家ごと、これほど合理的な方法はないだろう。発想のレベルが僕のキャパから完全逸脱していた。「曲がるときはどうするのだろう」と考えが過ぎる僕は、やっぱりまだまだアマちゃん、小心者なのだろうか。ひょっとして、これはキャンピングカーなのかもしれない。そう思いついたら、なぜか少し気持ちが楽になれた。で、ほんの数十坪の民家を背負いロードトレインは、道いっぱい、いや道からはみ出して走行する。これには追い越しはおろか、対向して走る車も舗装路を走る事ができず、砂漠の路肩に車を逸らし、道を譲るしかない。ひょっとして、本当にちょっとそこまでキャンプにでも行くのかもしれない。発想の転換。自分の中の常識が崩れる。また、少し楽になれた。
[ロードトレイン]ネタで、もうひとつ。道端によく、パンクしたロードトレインの馬鹿でかいタイヤを見かける。でも、今回見た落としモノには度肝を抜かれてしまった。一瞬目を疑ったのだが、ロードトレインそのものが腹を見せて道を半分塞ぐ形に横転してしまっているのだ。映画のロケでも何でも無い。実際、事実、現実だ。電車の横転事故さながら。日本でならその日のトップニュース間違いなく、テレビ局のヘリコプターが上空を飛び交うシーンだろう。でもここは異国オーストラリア。『テイク・イット・イージー(まあ、気楽にやろうよ)』。現場には人っ子ひとり見当たらず、列車が悠然と乗り捨てられている。これはひょっとして、砂漠の中暇になってきた旅人を和ます巨大なオブジェ、新鋭のアートの一種なのか。またまた恐るべしオーストラリア。ますますオーストラリアが好きになった一瞬であった。
バイクでの長旅は体力を消耗する。それがテント生活だとなおさらだ。気候・天候・自然に合わせたスローライフ。生活全てがその3要素に左右される。たった雨が降る降らないのことで、その日の過ごし方・気分が全く違ってくる。体型も依然より引き締まり、日焼けもばっちり日陰に入ると完全カモフラージュできるほどになった。だからといって健康体というわけでもなく、自然が相手、怪我・体の不調も事欠かない。でもそれも想定の範囲内ならOK。ていうか、自分の体のことは、どんなに痛んでも放っておけば、自然と治癒するから、たんだんそれが当たり前になり、今では気にならない。それよりも、バイクの法がかなりガタがきていた。これは放っておいても絶対に直らない。毎日、出発前には整備・チェックを欠かさないのだが、色々と消耗し、こける度にダメージを受け、知らない間にネジが抜け落ち、確実にシドニーを出発したときよりも、バイクの振動やエンジンの音が大きり、今まで聞かなかった異音を鳴り始めていた。相棒が過酷な労働条件を訴え、悲鳴を上げている。なんとかなだめてご機嫌をとりつつ、ダマしダマしここまでやってきた。でも、僕の素人手の整備では限界にきているのだろう。一度、西オーストラリア州の最大の町パースのバイク屋さんのプロの手で、総点検してみる必要がありそうだ。その先には、旅の難所のひとつ『ナラボー砂漠』が待ちうけているのだから。

コメント

コメントを書く

「エッセイ」の人気作品

書籍化作品