バーテンダーは夜を隠す~ 昼間に営業する不思議なバーは夜の闇を晴らす ~

北きつね

第四話 ブロンクス


「マスター」

 マスターは、グラスを磨いていた手を止めて、カウンターに座る女性を見つめる。

「はい」

「何か作って」

「わかりました」

「あっ今日で最後だから、マスターのオリジナルが飲みたい」

「かしこまりました」

 マスターは少しだけ考えてから、みかんの缶詰と白桃の缶詰を開ける。中身を取り出してミキサーにかける。ドライ・ジンとドライ・ベルモットを取り出す。すべての液体をシェークしてから、味を確かめる。カクテルグラスに注いで、女性の前に置く。

「即興で作りました。名前はありません」

「ありがとう。マスター。このカクテルに名前をつけていい?」

「はい。お願いします」

「”誘惑”」

 女性は、最初から決めていた名前を口にする。

「わかりました」

「ハハハ。やっぱり、ダメね。マスター。忘れて・・・」

 マスターは女性に頭を下げる。

 女性は、改めてかなりの金額をデポジットする。初めて来る子が困っていたら、”使って”とだけ告げて店を出て行った。
 今日で卒業と言っているが、女性がこの後、警察に出頭するのを、マスターは男から聞いて知っている。彼氏に騙されて、薬に手を出した。その彼氏が、昨日警察に捕まった。女性まで警察の手が伸びるとは限らないが、怯えて暮らす位なら、出頭することに決めた。
 女性は、男に相談した。”最後にマスターの店で飲んでから、警察に出頭したい”と・・・。警察が自分を追っているようなら、10分で構わないから止めて欲しいと依頼した。実際には、女性に警察の手は伸びていなかった。売人の捜査を行っていたからだ。女性は、その話を男から聞いても、警察への出頭の意思は変えなかった。自分の過ちを清算する機会だと考えて、警察に出頭してすべてを説明すると決めていた。

 マスターが店の片づけを始めた時間になって、男が店にやってきた。

「マスター」

「あぁ」

「助かった。それで別件だけど・・・。今晩、時間が欲しい」

「珍しいな。そんな言い方をして・・・。難しいのか?」

「うん。ボクは、反対の立場だけど、ボク以外が賛成している」

「ほぉ・・・。それで?」

「やっぱり?」

「俺は、別に”正義”を気取るつもりはない。依頼なら受ける。ただ、それだけだ」

「・・・。いつもの時間に」

「わかった」

 マスターは、男から書類を受け取る。
 そのまま奥の部屋に入っていく。仮眠を取る。

(あと、1時間か)

 マスターは、事務所に利用している部屋のソファーで目を覚ました。
 卓上にある時計を見ると、待ち合わせの1時間前だ。資料を読み込んでおこうと考えて、事務所のパソコンを目覚めさせる。

 封筒の中には、記憶媒体が入っているだけだ。丁寧にラベルまで作成して張り付けてある。

 マスターは苦笑しながら、円盤をパソコンにセットする。中身を確認するために、媒体をチェックする。

(本当に、面倒な方法を考える)

 データは暗号化された一つのファイルになっていた。複合化する為のパスコードは、自動実行された時にスマホに届くようになっていた。スマホでパスコードを受け取って、複合化する。

(ほぉ・・・。確かに、アイツなら反対するだろう。相手が悪すぎる)

 データには、ターゲットの名前と職業が書かれていた。

 マスターがデータを確認して、ターゲットを知ったタイミングで、来店を告げるランプが光る。

「マスター」

「あぁ」

 男が、初老の女性を連れてきていた。
 データには、ターゲットに関する情報が書かれていたが、依頼主は記載されていなかった。依頼主が、依頼するまでに至った経緯は書かれていた。マスターは、依頼主の経緯を読んで、依頼を受けるつもりにはなっていた。最後は、依頼主が本気なのか知りたいと思っているだけだ。

 女性は、男に言われて、カウンターに座る。
 マスターは、女性の前にコースターを置いた。

「マスター。ブロンクス」

「ん?」

「彼女とボクに、ブロンクスをお願い」

 マスターは女性を見る。女性も、マスターの視線を感じて頷く。

「かしこまりました」

 ビーフィータージンとドライ・ベルモットとスイートベルモットをカウンターに取り出す。
 氷を入れたシェイカーに適量を注いでから、オレンジジュースを注ぎ込む。しっかりとシェークして、よく冷やしたカクテルグラスに注ぐ。

「お待たせしました。ブロンクスです。強いので、無理はなさらないように・・・」

「ありがとう」

 女性は、液体で満たされたカクテルグラスを持ち上げて、ライトに照らす。

「綺麗なオレンジ色ね」

「恐れ入ります」

「頂きます」

 女性は、グラスを目の高さで止めてから、掲げるような仕草をしてから、一気に飲み干す。

 マスターは、女性の様子を見て、冷えた水を用意する。

「チェイサーです」

「ふふふ。ありがとう。今度は、営業時間に寄らせてもらうわ」

「ありがとうございます」

 女性は、マスターから水が入ったグラスを受け取って、ゆっくりとした動作で喉の熱を冷ます。

「ボクも、”まやかし”を頂くよ」

 男も、グラスに入った液体を飲み干す。マスターが用意した水を続けて飲む。

「それで、マスター?」

「大丈夫だ」

「嬉しいわ。受けていただけるの?」

「はい」

「”まやかし”で染まったあの人を・・・」

「はい。もう”まやかし”が使えない状態にいたします」

「できるだけ、ご自分が行ったことを、思い出せる状況を・・・。長い間、感じて欲しいわ」

「わかりました。ご希望に添えられるかわかりませんが・・・」

「いいわ。お任せするしかありません。わたくしには、もう何も・・・。残されておりません」

 女性は、立ち上がって、持っていた鞄から封筒を取り出す。
 男に、封筒を渡してから、しっかりとした足取りで店から出ていく。

 男は、封筒を確認して、マスターに手渡す。
 そのまま、女性の後を追った。

 マスターは、受け取った封筒の中身を確認しないで、デポジットされているお金が入っている棚の下に作られている引き出しに放り込む。

 そして、店を閉めてから、奥の部屋に入っていく。店の電気は消していない。

 男から渡されたのは、封筒だけではない。封筒と一緒にSDカードが渡されている。
 マスターはSDカードに入っている情報を確認する。

 男と仲間たちが調べた情報だ。
 女性は、最愛の旦那を亡くしている。それも、不条理に奪われる形だ。事故死。交通事故の被害者だ。よくある話だ。しかし、相手は薬を極めていた。事故を起こした男は、すでに死んでいる。無罪を勝ち取った翌日に、事故死した。
 しかし、女性の復讐はそれだけで終わらなかった。男を弁護した弁護士がマスターのターゲットだ。
 この弁護士は、女性の旦那さんが被った二度の事故とも、相手側の弁護を担当して、無罪を勝ち取っている。それだけではなく、旦那さんが旦那さんの父親から引き継いだ店を潰した相手の法務担当だった。
 他にも、この弁護士は”人権派”として加害者の弁護を担当して無罪や執行猶予を勝ち取っている。パフォーマンスが得意で、権力にすり寄って弁護を行っている。

 女性はすでに肺癌が全身に転移して、立っているのが不思議な状態だった。食べ物や飲み物の味が感じられなくなっていた。
 余命60日。
 それが、女性に残された時間だ。

 マスターは、そのままパソコンを閉じて、男に連絡をする。指示を伝えるためだ。男が、この仕事に反対したのは、相手が弁護士だということも理由の一つだが、マスターの目的に近い筋の人間であることも理由になっている。資金源の一つを潰したばかりだ。立て続けに、使える駒を潰されたら、相手が警戒する可能性があると考えた。

 しかし、マスターは、依頼は依頼だとして、女性の願いを叶えることを選んだ。

 翌日、関西の都市に飛んだマスターと男は、ターゲットの弁護士を見つける。
 そして、磨いた牙で首筋に噛みついた。

 弁護士を拉致して、離島に連れ出した。マスコミが弁護士の行方不明を一斉に報じた。しかし、しばらくすると、弁護士が行ってきていた事が明るみに出る。そうすると、今まで仲間だと思っていた者たちが一斉に批判し始めた。
 蜜月だと思っていた政党やマスコミや弁護した有名人が一斉に批判し始めたのだ。

 弁護士は、その様子を、生理食塩水の中から眺めている。
 手足をそぎ落とされて、喉を潰され、片目をねぐられ、両耳を切り落とされ、心臓は人工心臓に変えられ、胃も取り外されている。生きているのが不思議な状態になって、生理食塩水の上に浮かんでいる、眠くことも出来ずに、自分が批判されている映像を見続けている。考える事はできるが、それ以外には何もできない。死ぬこともできない。

 女性が生きている間は、生かされ続ける。
 死にたいと思いながら、生かされ続ける。それが、女性が願った弁護士への復讐だ。

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