没落令嬢、貧乏騎士のメイドになります
最終話 共に歩む人生を!
カルヴィンの采配か、あとから王都から持って来ていた鞄や荷物などが部屋に届けられた。
アニエスの私物も、いくつか持ち込まれる。
ベルナールはラザールより渡された品物を荷物の包みの中から取り出し、アニエスへと手渡した。
「ベルナール様、これは?」
「開けてみろ」
アニエスは受け取った包みを、丁寧に開封していく。
そして、中から出て来た白い婚礼衣装を広げ、目を見開いていた。
「これは――」
「お前の母親のドレスだ。やっと、返してもらった」
「で、ですが、証拠物品として押収されたと」
「その辺は気にするな」
「ベルナール様……!」
アニエスは母親のドレスをぎゅっと胸の中に抱き締め、母親への懐かしさを募らせている。それを見て、心から良かったと思った。思い切って落札させたベルナールの母親の判断は間違っていなかったとも。
「このご恩は、必ずお返しいたします」
「ならば、生涯、俺の人生に付き合ってもらうとしようか」
そう言えば、アニエスは喜んでと返事をした。
◇◇◇
翌日、ベルナールとアニエスは、カルヴィンに面会を求めた。
「無事、宝物は見つかったようだな」
「先に見つけたのは彼女の方でしたが」
以前、豪華客船で催された夜会の時に、人混みの中でアニエスをすぐに発見出来たように、彼女も同じように多くの人に紛れたベルナールが分かったのかもしれない。
何か不思議な引力が働いているのではとも考えていた。
それから、互いに近況について伝えあった。
アニエスは半年の間よく働いていたようで、王都に帰すのが惜しいとカルヴィンは言う。
「ベルナールと二人、俺の手伝いをしてくれたら、良かったんだがな」
「お祖父様……」
「なあに、分かっている。騎士であることは、お前の絶対に譲れない点であるとな」
「このような状態になっても、騎士団で出来ることがあるので――」
「ああ、しっかり励め。そして、困ったことがあったら、俺を頼ればいい」
「ありがとうございます」
アニエスもベルナールに続き、頭を下げて謝意を示した。
寂しくなるなとカルヴィンは言う。
長期休暇が取れれば、再び訪れることを約束した。次なる話題は明るいものだった。
「お祖父様、もう一つ報告が」
「なんだ?」
「その、彼女……アニエスさんと、結婚を考えていまして」
「そうかそうか!」
カルヴィンの沈んでいた表情が一気に晴れる。
アニエスの父、シェザールの許可はまだもらっていないが、結婚する約束を交わしたことを告げた。
「親父が反対すれば、俺に相談しろ。なんとかしてやる」
「そうならないように、説得に努めます」
「まあしかし、心配は要らないだろう」
「そうでしょうか?」
「そうだろう」
きっかけはどうであれ、ベルナールはアニエスのためを思い、誠心誠意尽くしてきた。
そんな男の申し出を、反対するわけがないだろうと言う。
「挙式は王都の大聖堂でするか?」
「……お祖父様、大聖堂は王族しか使えません」
「そうだったのか? ふうむ。ひとつ、国王でも強請ってみるとしよう」
「!?」
「あれの弱みをいくつか握っていてな。若い頃、何度か助けてやって――」
「お祖父様……非常に困ります」
「冗談だ」
どこからが冗談なのか分からないが、詳細を聞くのが怖かったので、それ以上追及しないでおいた。
「アニエスよ、お前はどうしたい?」
「わたくしは――王都のお屋敷で、ささやかな結婚式をしたいです。ごちそうをたくさん作って、お庭に皆さまをご招待したいと」
「慎ましい結婚式だな。だが、それもいいだろう」
一応、ベルナールは貴族の習わしに則り、大きな会場を借りて披露宴を行うことを考えていた。だが、実家が没落したこともあるので、派手なことは望んでいないと言う。
不祥事を起こした父親のこともあり、反感を買うだろうとも。
「うるさく言う奴がいれば、俺に言え。ぶっとばす」
「重ねて、そうならないように努めたいと思います」
「ま、そうだな」
物騒な祖父の助言に戦々恐々としながらも、無事に報告が済んだので、ホッとするベルナールとアニエスであった。
それから、母オセアンヌと使用人一家、アニエスを伴って王都に帰る。
オルレリアン領に一時的に避難をしていたジジルの娘達――セリアとキャロルも同時期に帰って来ており、王都の近くにある港町で落ち合った。久々の再会となる。
半年ぶりに会うベルナールを見て、驚きの声をあげる双子。
「旦那様、なんだか優しい顔になった」
「旦那様、なんだか穏やかになった!」
「今までどんだけ殺伐としていたんだよ……」
「よかった!」
「本当に!」
能天気に見えるセリアとキャロルだったが、彼女達なりに心配をしていたようだった。
二度と、皆が離れ離れになることはないと告げれば、きらきらと輝く笑顔を見せていた。
こうして、一同は揃ってベルナールの屋敷に帰ることになった。
森の中にある王都郊外の停留所で降り、屋敷までの道を歩く。
いつの間にか長い冬は終わり、森は美しい新緑の風景が広がっていた。
さらさらと吹く風は若干冷たいものの、肌に感じるものは爽やかなものである。
長い冬は終わり、暖かな春がやって来たのだと、一同は森を歩きながら実感することになる。
先頭を歩くのは屋敷の鍵を持つエリック。そのあとにオセアンヌ、ジジルと続き、他の者も進んで行く。
最後にのんびりと歩くのは、ベルナールとアニエス。
途中、ベルナールはアニエスの手を握る。
ハッとするように顔を上げた彼女に、周囲にバレないよう大人しくしているよう耳元に囁く。
みるみるうちに顔を赤くするアニエス。
その様子を、愛おしく思うベルナールだった。
◇◇◇
半年ぶりのオルレリアン邸を見上げ、アニエスは瞠目する。
修繕で赤い瓦となっていた屋根が、元通りの青に塗られていた。
若干薄汚れていた白亜の壁も、染み一つない綺麗な状態になっている。
アニエスは背後にいたベルナールを振り返り、驚きの表情を見せていた。
「ベルナール様!」
「お前のために塗ってやった」
「!」
「青い屋根と白い壁を気に入っていただろう?」
「はい……嬉しいです、とても」
初めて見た時、童話に出てくるような可愛らしい屋敷で、ここに部屋を借りて暮らせるのが夢のようだとアニエスは伝えていたのだ。
ベルナールはそれを覚えていて、彼女が帰って来るまでに、元通りにしていた。
頬を紅く染め、嬉しそうにお礼を言うアニエスにベルナールは手を差し伸べ、懇願の言葉を口にする。
「――今度は俺の妻として、ここに住んで欲しい」
アニエスは返事をしようとしたけれど、言葉にならなかった。
思わず顔を伏せてしまう。
嬉しいのに瞼が熱くなり、誤魔化そうと瞬きをすればぽろりと喜びの結晶が雫となって溢れ、頬を伝って流れて行った。
アニエスは顔を上げ、差し出された手にそっと指先を重ねる。
彼女の借り暮らしの日々が、終わった瞬間でもあった。
◇◇◇
オセアンヌは大張り切りで結婚式の準備を着々と進めていった。
領地の夫とも連絡を取り合っていたようで、一度、アニエスとの顔合わせも行った。
入籍は役所で済ませ、教会での挙式は行わないことにした。
代わりに、屋敷に親しい者達を招き、披露宴を行うことになった。
結婚の話がどんどんと進む中で、ベルナールとアニエスは揃ってシェザール・レーヴェルジュに結婚の許しを乞いに行く。
今度はコネを使わずに、正式な申し込みを経て面会へと至ったので、会うまでに時間がかかってしまった。
鉄格子越しに会う父の姿を見たアニエスは、喜んでいいものやら憐れんだらいいものやらと、複雑な表情でいる。
シェザールはシェザールで、娘の無事を見て心底ほっとしたような表情でいた。
だが、口から出てきたのは、とんでもない言葉であった。
「お前は、今までどこをほっつき歩いていたのだ!」
「お父様、大変なご心配をおかけしてしまい……」
「べ、別に、心配などしていなかったがな!」
素直じゃないと呆れるベルナール。
アニエスは目を伏せ、悲しそうな顔をしていた。
それに気付いたベルナールは、誤解をしたままではいけないと思い、真実を伝える。
「アニエス、レーヴェルジュ殿は行方不明になったと報じられていたお前を俺に探すよう、頼んできたんだ」
「なっ!」
「まあ」
余計なことを言ってと怒るシェザール。
「レーヴェルジュ殿、一人しかいない家族です。もっと大事にしてください」
「お前なんかに言われなくとも、ずっと大切に思っていたわ!!」
叫んでから、ハッとなるシェザール。
呆然とするアニエスの顔を見て、顔全体を真っ赤に染めていた。
「お父様、ありがとうございます」
「う、うるさい!」
「いい加減、素直になってくださいよ」
「だから、なんでお前に諭されなければならん! で、出来たら、そうしている!」
「お父様……!」
「ああ、だから、その、ぐぬう!」
アニエスの感極まった視線を感じ、照れと羞恥で頭を掻きむしるシェザール。
ベルナールは埒が明かないと思い、この話題は流すことにした。
十分、父の娘への愛情は伝わったものと思われる。
「――それで、本題なのですが」
「は、早く言え!」
「アニエスさんとの結婚の許しを」
「なんだと!?」
シェザールは鉄格子を掴み、ジロリと睨んだ。地面に膝を突き、許しを乞うベルナール。
「かならず、幸せにしますので」
「……ありがとう」
「え?」
「い、いや、なんでもない!」
アニエスも地面に膝を突き、祈りを捧げるように両手を合わせて父に許しを願う。
「お父様、どうかお許しを」
「……勝手にしろ」
「お父様!」
「ありがとうございます!」
ベルナールとアニエスは、手と手を取り合って喜ぶ。
その様子を、シェザールは穏やかな顔で見守ったが、あまりにも密着する時間が長かったので、ついつい怒鳴ってしまった。
「ここでいちゃつくな! 浮かれた馬鹿者が!」
暴言も、幸せな二人には届かない。
彼は小さな声で、どうか幸せになってくれと、ささやかな願いを口にした。
「あ、最後に」
「なんだ、まだ何かあるのか?」
「もうすぐ刑期が明けるようで」
「そうだな」
「それで、一緒に住まないかと」
「誰が、誰と?」
「お義父上と、私達が」
「お前にお父さんと言われる筋合いは――あるか。い、いや、それよりも、今、なんと?」
「良かったら、一緒に住みましょう」
この件については、アニエスも知らなかったようで、父親同様に驚いていた。
「舅いびりでもするつもりなのか!?」
「いえ、郊外にある家なので、ゆっくり過ごしてもらいたいなって。それから、手が空いていたら家の帳簿付けとか、して欲しい下心も」
「元宰相に、一般家庭の帳簿を付けさせるだと!?」
「する暇がなくて。無理だったら別に――」
「そんなの、私の腕にかかれば、朝飯前に決まっているだろう」
「でしたら、お願いいたします」
こうして、ベルナールの家に新たな家族を招く予定となった。
◇◇◇
それから半年後、ベルナールとアニエスは役所へ婚姻届を提出し、正式な夫婦となった。
その日に、披露宴も執り行われる。
アニエスは手直しをした母親の婚礼衣装を纏い、皆の前に現れる。
あまりにも美しい花嫁を前に、誰もが溜息を吐いていた。
ベルナールは騎士団教官の正装を初お披露目する。
先日、試験に合格をしたばかりであった。
屋敷には大勢の客人を招き、園遊会のような結婚式を行う。
騎士団からは元上司のラザールに、同期のお喋り騎士ジブリル、そして、騎士として復職したエルネストが招待されていた。
釈放となったアニエスの父も、庭の片隅に佇んでいた。
花嫁姿の娘を見て、ボロボロと涙を流していたが、周囲の者達は空気を読み、見て見ぬ振りを決め込んでいた。
若い夫婦となった二人を肴に、披露宴は大いに盛り上がる。
執事のエリックは参列者の給仕で忙しく立ち回っていたが、どこか嬉しそうにしていた。
庭師のドミニクは庭の花をご婦人方に配るので忙しい。
セリアとキャロルはおめかしをして、楽しそうに受付の担当をしている。
アレンは厨房で料理を作るために鍋を振るい続けていた。
ジジルは幸せそうに微笑むベルナールとアニエスを見て、眦に浮かんだ涙をそっと拭う。
その肩を優しく叩くのは、オセアンヌだった。
「ジジル、ベルナールをいい子に育ててくれて、ありがとう」
「奥様、私は何も……。奥様と、旦那様の背中を見て、あのようにご立派になられたのだと」
「あなたの力でもあるわ」
ベルナールはジジルの息子でもあると、オセアンヌは言う。
「これからも、あの子達をよろしくね。私は、いつまでもここにいられるわけじゃないから」
「はい、お任せを」
やんちゃだった少年が大人になり、一人前となって素晴らしい女性を妻として迎えた。
これ以上の喜びはないとジジルは思う。
溢れ出る涙を流すまいと、空を見上げた。
空は雲一つない青空で、夫婦となった二人を祝福するかのような天気であった。
◇◇◇
その日の晩、ベルナールとアニエスはオセアンヌに呼び出された。
いったい何の用事だと、首を傾げることになる。
「何故、呼び出されたか、分かりますか?」
「いいえ、まったく」
アニエスも首を横に振り、分からないことを正直に伝える。
ギラギラとした目をする母親を前に、意味もなく焦燥感に駆られたベルナールは喉の渇きを覚え、水差しの中の水をカップに注ぎ、一気に口に含む。
それと同時に、オセアンヌは要件を述べた。
「今から、夫婦の夜の営みについての注意と説明を行います」
「ぶっは!」
ベルナールは口の中の水をすべて噴いてしまった。
幸い、母親にはかからず、テーブルクロスを濡らすばかりだったが、非難の視線を浴びてしまった。
「ベルナール、あなたという子は!」
「す、すみません」
エリックが素早く机の上の物をどかし、ジジルがテーブルクロスを取り去る。
その場は一瞬で何もなかったかのようになった。
場が整えば、話は再開される。
額に汗を浮かべ、神妙な面持ちとなるベルナールとアニエスを前に、オセアンヌは真面目な顔で初夜について語り出した。
「ベルナール、いいですか、女性に触れる時は、優しく」
「……ハイ」
「アニエスさん、嫌だと思ったら、我慢をせずにはっきり言葉にするのですよ」
「……はい」
このような内容を小一時間、みっちりと聞くことになった。
やっとのことで解放され、寝台へとたどり着く。
ベルナールはごろりと転がり、虚ろな目で呟いた。
「母上……てっきり気付いていたとばかり」
「わたくしも、そのように思っていました」
オセアンヌは婚前交渉について、気付いていなかった。
たった一度だけだったが、しっかり把握をしていて、今まで知らぬ振りをしているものだと思っていたのだ。
「まあ、いいか」
そう言って起き上がり、寝台の前に立っていたアニエスの手を取って傍に引き寄せる。
向かい合って座り、しばし見つめ合っていれば、ミエルが間に入って来て、「ニャア」と鳴く。
「おいお前、今日もその辺にいてもいいが、邪魔するなよ」
ベルナールの注意に返事をするように、ミエルは再び「ニャア」と鳴いて寝台から降りて行った。
猫に真剣な顔で注意する様子を見て、アニエスは微笑む。
そんな彼女の肩をベルナールはそっと抱きしめ、幸せな気分を堪能していた。
◇◇◇
それから、夫婦となったベルナールとアニエスは子宝にも恵まれ、賑やかな家庭となる。
騎士達の教官となったベルナールは隊員の育成に熱心に取り組み、アニエスはそんな夫を陰で支えた。
上手くいくことばかりではなかったが、どんな困難も二人で乗り越える。
そんな二人の人生は順風満帆で、満たされた日々であった。
そして、物語は『めでたしめでたし』で幕を閉じる。
借り暮らしのご令嬢 完
アニエスの私物も、いくつか持ち込まれる。
ベルナールはラザールより渡された品物を荷物の包みの中から取り出し、アニエスへと手渡した。
「ベルナール様、これは?」
「開けてみろ」
アニエスは受け取った包みを、丁寧に開封していく。
そして、中から出て来た白い婚礼衣装を広げ、目を見開いていた。
「これは――」
「お前の母親のドレスだ。やっと、返してもらった」
「で、ですが、証拠物品として押収されたと」
「その辺は気にするな」
「ベルナール様……!」
アニエスは母親のドレスをぎゅっと胸の中に抱き締め、母親への懐かしさを募らせている。それを見て、心から良かったと思った。思い切って落札させたベルナールの母親の判断は間違っていなかったとも。
「このご恩は、必ずお返しいたします」
「ならば、生涯、俺の人生に付き合ってもらうとしようか」
そう言えば、アニエスは喜んでと返事をした。
◇◇◇
翌日、ベルナールとアニエスは、カルヴィンに面会を求めた。
「無事、宝物は見つかったようだな」
「先に見つけたのは彼女の方でしたが」
以前、豪華客船で催された夜会の時に、人混みの中でアニエスをすぐに発見出来たように、彼女も同じように多くの人に紛れたベルナールが分かったのかもしれない。
何か不思議な引力が働いているのではとも考えていた。
それから、互いに近況について伝えあった。
アニエスは半年の間よく働いていたようで、王都に帰すのが惜しいとカルヴィンは言う。
「ベルナールと二人、俺の手伝いをしてくれたら、良かったんだがな」
「お祖父様……」
「なあに、分かっている。騎士であることは、お前の絶対に譲れない点であるとな」
「このような状態になっても、騎士団で出来ることがあるので――」
「ああ、しっかり励め。そして、困ったことがあったら、俺を頼ればいい」
「ありがとうございます」
アニエスもベルナールに続き、頭を下げて謝意を示した。
寂しくなるなとカルヴィンは言う。
長期休暇が取れれば、再び訪れることを約束した。次なる話題は明るいものだった。
「お祖父様、もう一つ報告が」
「なんだ?」
「その、彼女……アニエスさんと、結婚を考えていまして」
「そうかそうか!」
カルヴィンの沈んでいた表情が一気に晴れる。
アニエスの父、シェザールの許可はまだもらっていないが、結婚する約束を交わしたことを告げた。
「親父が反対すれば、俺に相談しろ。なんとかしてやる」
「そうならないように、説得に努めます」
「まあしかし、心配は要らないだろう」
「そうでしょうか?」
「そうだろう」
きっかけはどうであれ、ベルナールはアニエスのためを思い、誠心誠意尽くしてきた。
そんな男の申し出を、反対するわけがないだろうと言う。
「挙式は王都の大聖堂でするか?」
「……お祖父様、大聖堂は王族しか使えません」
「そうだったのか? ふうむ。ひとつ、国王でも強請ってみるとしよう」
「!?」
「あれの弱みをいくつか握っていてな。若い頃、何度か助けてやって――」
「お祖父様……非常に困ります」
「冗談だ」
どこからが冗談なのか分からないが、詳細を聞くのが怖かったので、それ以上追及しないでおいた。
「アニエスよ、お前はどうしたい?」
「わたくしは――王都のお屋敷で、ささやかな結婚式をしたいです。ごちそうをたくさん作って、お庭に皆さまをご招待したいと」
「慎ましい結婚式だな。だが、それもいいだろう」
一応、ベルナールは貴族の習わしに則り、大きな会場を借りて披露宴を行うことを考えていた。だが、実家が没落したこともあるので、派手なことは望んでいないと言う。
不祥事を起こした父親のこともあり、反感を買うだろうとも。
「うるさく言う奴がいれば、俺に言え。ぶっとばす」
「重ねて、そうならないように努めたいと思います」
「ま、そうだな」
物騒な祖父の助言に戦々恐々としながらも、無事に報告が済んだので、ホッとするベルナールとアニエスであった。
それから、母オセアンヌと使用人一家、アニエスを伴って王都に帰る。
オルレリアン領に一時的に避難をしていたジジルの娘達――セリアとキャロルも同時期に帰って来ており、王都の近くにある港町で落ち合った。久々の再会となる。
半年ぶりに会うベルナールを見て、驚きの声をあげる双子。
「旦那様、なんだか優しい顔になった」
「旦那様、なんだか穏やかになった!」
「今までどんだけ殺伐としていたんだよ……」
「よかった!」
「本当に!」
能天気に見えるセリアとキャロルだったが、彼女達なりに心配をしていたようだった。
二度と、皆が離れ離れになることはないと告げれば、きらきらと輝く笑顔を見せていた。
こうして、一同は揃ってベルナールの屋敷に帰ることになった。
森の中にある王都郊外の停留所で降り、屋敷までの道を歩く。
いつの間にか長い冬は終わり、森は美しい新緑の風景が広がっていた。
さらさらと吹く風は若干冷たいものの、肌に感じるものは爽やかなものである。
長い冬は終わり、暖かな春がやって来たのだと、一同は森を歩きながら実感することになる。
先頭を歩くのは屋敷の鍵を持つエリック。そのあとにオセアンヌ、ジジルと続き、他の者も進んで行く。
最後にのんびりと歩くのは、ベルナールとアニエス。
途中、ベルナールはアニエスの手を握る。
ハッとするように顔を上げた彼女に、周囲にバレないよう大人しくしているよう耳元に囁く。
みるみるうちに顔を赤くするアニエス。
その様子を、愛おしく思うベルナールだった。
◇◇◇
半年ぶりのオルレリアン邸を見上げ、アニエスは瞠目する。
修繕で赤い瓦となっていた屋根が、元通りの青に塗られていた。
若干薄汚れていた白亜の壁も、染み一つない綺麗な状態になっている。
アニエスは背後にいたベルナールを振り返り、驚きの表情を見せていた。
「ベルナール様!」
「お前のために塗ってやった」
「!」
「青い屋根と白い壁を気に入っていただろう?」
「はい……嬉しいです、とても」
初めて見た時、童話に出てくるような可愛らしい屋敷で、ここに部屋を借りて暮らせるのが夢のようだとアニエスは伝えていたのだ。
ベルナールはそれを覚えていて、彼女が帰って来るまでに、元通りにしていた。
頬を紅く染め、嬉しそうにお礼を言うアニエスにベルナールは手を差し伸べ、懇願の言葉を口にする。
「――今度は俺の妻として、ここに住んで欲しい」
アニエスは返事をしようとしたけれど、言葉にならなかった。
思わず顔を伏せてしまう。
嬉しいのに瞼が熱くなり、誤魔化そうと瞬きをすればぽろりと喜びの結晶が雫となって溢れ、頬を伝って流れて行った。
アニエスは顔を上げ、差し出された手にそっと指先を重ねる。
彼女の借り暮らしの日々が、終わった瞬間でもあった。
◇◇◇
オセアンヌは大張り切りで結婚式の準備を着々と進めていった。
領地の夫とも連絡を取り合っていたようで、一度、アニエスとの顔合わせも行った。
入籍は役所で済ませ、教会での挙式は行わないことにした。
代わりに、屋敷に親しい者達を招き、披露宴を行うことになった。
結婚の話がどんどんと進む中で、ベルナールとアニエスは揃ってシェザール・レーヴェルジュに結婚の許しを乞いに行く。
今度はコネを使わずに、正式な申し込みを経て面会へと至ったので、会うまでに時間がかかってしまった。
鉄格子越しに会う父の姿を見たアニエスは、喜んでいいものやら憐れんだらいいものやらと、複雑な表情でいる。
シェザールはシェザールで、娘の無事を見て心底ほっとしたような表情でいた。
だが、口から出てきたのは、とんでもない言葉であった。
「お前は、今までどこをほっつき歩いていたのだ!」
「お父様、大変なご心配をおかけしてしまい……」
「べ、別に、心配などしていなかったがな!」
素直じゃないと呆れるベルナール。
アニエスは目を伏せ、悲しそうな顔をしていた。
それに気付いたベルナールは、誤解をしたままではいけないと思い、真実を伝える。
「アニエス、レーヴェルジュ殿は行方不明になったと報じられていたお前を俺に探すよう、頼んできたんだ」
「なっ!」
「まあ」
余計なことを言ってと怒るシェザール。
「レーヴェルジュ殿、一人しかいない家族です。もっと大事にしてください」
「お前なんかに言われなくとも、ずっと大切に思っていたわ!!」
叫んでから、ハッとなるシェザール。
呆然とするアニエスの顔を見て、顔全体を真っ赤に染めていた。
「お父様、ありがとうございます」
「う、うるさい!」
「いい加減、素直になってくださいよ」
「だから、なんでお前に諭されなければならん! で、出来たら、そうしている!」
「お父様……!」
「ああ、だから、その、ぐぬう!」
アニエスの感極まった視線を感じ、照れと羞恥で頭を掻きむしるシェザール。
ベルナールは埒が明かないと思い、この話題は流すことにした。
十分、父の娘への愛情は伝わったものと思われる。
「――それで、本題なのですが」
「は、早く言え!」
「アニエスさんとの結婚の許しを」
「なんだと!?」
シェザールは鉄格子を掴み、ジロリと睨んだ。地面に膝を突き、許しを乞うベルナール。
「かならず、幸せにしますので」
「……ありがとう」
「え?」
「い、いや、なんでもない!」
アニエスも地面に膝を突き、祈りを捧げるように両手を合わせて父に許しを願う。
「お父様、どうかお許しを」
「……勝手にしろ」
「お父様!」
「ありがとうございます!」
ベルナールとアニエスは、手と手を取り合って喜ぶ。
その様子を、シェザールは穏やかな顔で見守ったが、あまりにも密着する時間が長かったので、ついつい怒鳴ってしまった。
「ここでいちゃつくな! 浮かれた馬鹿者が!」
暴言も、幸せな二人には届かない。
彼は小さな声で、どうか幸せになってくれと、ささやかな願いを口にした。
「あ、最後に」
「なんだ、まだ何かあるのか?」
「もうすぐ刑期が明けるようで」
「そうだな」
「それで、一緒に住まないかと」
「誰が、誰と?」
「お義父上と、私達が」
「お前にお父さんと言われる筋合いは――あるか。い、いや、それよりも、今、なんと?」
「良かったら、一緒に住みましょう」
この件については、アニエスも知らなかったようで、父親同様に驚いていた。
「舅いびりでもするつもりなのか!?」
「いえ、郊外にある家なので、ゆっくり過ごしてもらいたいなって。それから、手が空いていたら家の帳簿付けとか、して欲しい下心も」
「元宰相に、一般家庭の帳簿を付けさせるだと!?」
「する暇がなくて。無理だったら別に――」
「そんなの、私の腕にかかれば、朝飯前に決まっているだろう」
「でしたら、お願いいたします」
こうして、ベルナールの家に新たな家族を招く予定となった。
◇◇◇
それから半年後、ベルナールとアニエスは役所へ婚姻届を提出し、正式な夫婦となった。
その日に、披露宴も執り行われる。
アニエスは手直しをした母親の婚礼衣装を纏い、皆の前に現れる。
あまりにも美しい花嫁を前に、誰もが溜息を吐いていた。
ベルナールは騎士団教官の正装を初お披露目する。
先日、試験に合格をしたばかりであった。
屋敷には大勢の客人を招き、園遊会のような結婚式を行う。
騎士団からは元上司のラザールに、同期のお喋り騎士ジブリル、そして、騎士として復職したエルネストが招待されていた。
釈放となったアニエスの父も、庭の片隅に佇んでいた。
花嫁姿の娘を見て、ボロボロと涙を流していたが、周囲の者達は空気を読み、見て見ぬ振りを決め込んでいた。
若い夫婦となった二人を肴に、披露宴は大いに盛り上がる。
執事のエリックは参列者の給仕で忙しく立ち回っていたが、どこか嬉しそうにしていた。
庭師のドミニクは庭の花をご婦人方に配るので忙しい。
セリアとキャロルはおめかしをして、楽しそうに受付の担当をしている。
アレンは厨房で料理を作るために鍋を振るい続けていた。
ジジルは幸せそうに微笑むベルナールとアニエスを見て、眦に浮かんだ涙をそっと拭う。
その肩を優しく叩くのは、オセアンヌだった。
「ジジル、ベルナールをいい子に育ててくれて、ありがとう」
「奥様、私は何も……。奥様と、旦那様の背中を見て、あのようにご立派になられたのだと」
「あなたの力でもあるわ」
ベルナールはジジルの息子でもあると、オセアンヌは言う。
「これからも、あの子達をよろしくね。私は、いつまでもここにいられるわけじゃないから」
「はい、お任せを」
やんちゃだった少年が大人になり、一人前となって素晴らしい女性を妻として迎えた。
これ以上の喜びはないとジジルは思う。
溢れ出る涙を流すまいと、空を見上げた。
空は雲一つない青空で、夫婦となった二人を祝福するかのような天気であった。
◇◇◇
その日の晩、ベルナールとアニエスはオセアンヌに呼び出された。
いったい何の用事だと、首を傾げることになる。
「何故、呼び出されたか、分かりますか?」
「いいえ、まったく」
アニエスも首を横に振り、分からないことを正直に伝える。
ギラギラとした目をする母親を前に、意味もなく焦燥感に駆られたベルナールは喉の渇きを覚え、水差しの中の水をカップに注ぎ、一気に口に含む。
それと同時に、オセアンヌは要件を述べた。
「今から、夫婦の夜の営みについての注意と説明を行います」
「ぶっは!」
ベルナールは口の中の水をすべて噴いてしまった。
幸い、母親にはかからず、テーブルクロスを濡らすばかりだったが、非難の視線を浴びてしまった。
「ベルナール、あなたという子は!」
「す、すみません」
エリックが素早く机の上の物をどかし、ジジルがテーブルクロスを取り去る。
その場は一瞬で何もなかったかのようになった。
場が整えば、話は再開される。
額に汗を浮かべ、神妙な面持ちとなるベルナールとアニエスを前に、オセアンヌは真面目な顔で初夜について語り出した。
「ベルナール、いいですか、女性に触れる時は、優しく」
「……ハイ」
「アニエスさん、嫌だと思ったら、我慢をせずにはっきり言葉にするのですよ」
「……はい」
このような内容を小一時間、みっちりと聞くことになった。
やっとのことで解放され、寝台へとたどり着く。
ベルナールはごろりと転がり、虚ろな目で呟いた。
「母上……てっきり気付いていたとばかり」
「わたくしも、そのように思っていました」
オセアンヌは婚前交渉について、気付いていなかった。
たった一度だけだったが、しっかり把握をしていて、今まで知らぬ振りをしているものだと思っていたのだ。
「まあ、いいか」
そう言って起き上がり、寝台の前に立っていたアニエスの手を取って傍に引き寄せる。
向かい合って座り、しばし見つめ合っていれば、ミエルが間に入って来て、「ニャア」と鳴く。
「おいお前、今日もその辺にいてもいいが、邪魔するなよ」
ベルナールの注意に返事をするように、ミエルは再び「ニャア」と鳴いて寝台から降りて行った。
猫に真剣な顔で注意する様子を見て、アニエスは微笑む。
そんな彼女の肩をベルナールはそっと抱きしめ、幸せな気分を堪能していた。
◇◇◇
それから、夫婦となったベルナールとアニエスは子宝にも恵まれ、賑やかな家庭となる。
騎士達の教官となったベルナールは隊員の育成に熱心に取り組み、アニエスはそんな夫を陰で支えた。
上手くいくことばかりではなかったが、どんな困難も二人で乗り越える。
そんな二人の人生は順風満帆で、満たされた日々であった。
そして、物語は『めでたしめでたし』で幕を閉じる。
借り暮らしのご令嬢 完
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