没落令嬢、貧乏騎士のメイドになります

江本マシメサ

第六十八話 王都にて

 船に乗り、割り当てられた部屋まで移動する。
 乗船券はベルナールが自身で購入した物で、四名で利用する相部屋を選んでいた。
 部屋には二段になった寝台が二つ。
 一応、カーテンで寝台の周りを仕切れるようにはなっている。他人との共同生活は騎士をしていたので慣れていた。
 行きの豪華客船には、何もかも部屋にあったなと、若干切ない気持ちにもなる。

 指定されていた二段目に登り、カーテンを閉めてアニエスからもらった包みを開いた。
 中にはチョコレートケーキにクッキー、スコーンと甘いお菓子が詰められている。
 クッキーを一枚手に取って齧った。
 甘くて、優しい味がした。

 別れたばかりであったが、早く迎えに行きたいと思う。

 そのためには、もうひと頑張りする必要があった。

 ◇◇◇

 王都に到着すれば、まっすぐにラザールやエルネストと約束していた店へと向かおうとした――が、背後より数人のあとをつけるような気配を感じる。
 すぐに、ブロンデルが放った追っ手だろうと考え、市場の人混みに紛れて振り切ろうとしたが、残念ながら撒くことは出来なかった。

 先へと進むにつれて、どんどんと歩行を速めるが、痛めた脚が枷となって思ったように進めない。
 市場の通り抜けを諦め、人と人の間をすり抜けて誰も居ない細い路地へと飛び込んだ。
 早足から駆け足となり、ついに相手は人混みから姿を現す。

 肩で荒い息をしながら長い階段を下れば、昼間でも薄暗い下町に出てくる。
 ここは住民の住処となる高くそびえる建物が、左右の道を取り囲むように建っている。双方の窓と窓を紐繋ぎ、そこに洗濯物を吊るしている。幾重にも服が重なって空を覆うので、町中はどうしても薄暗くなってしまうのだ。

 通路も整備されておらず、石畳は敷き石が浮き上がったり欠落して窪みができている。

 そんな見通しも悪く、足元も悪い中へと逃げ込んだ。
 ここはベルナールが従騎士時代、見回りをしていた場所である。人が一人、やっとのことで通れる小道も、店と店の間の路地裏も、勝手知ったる場所だった。

 ツイていれば、見回りの騎士にも出会えるだろう。

 そう思いながら、必死になって走っているところに、巡回の騎士と出会うことになる。

「おい、お前ら――」

 二人組の騎士に声をかけた、が――背後より聞こえた叫び声にぎょっとすることになる。

「おい、前を走るそいつは盗人だ!」
「捕まえてくれ!」
「はあ!?」

 盗人情報を聞いた騎士たちは、走ってきたベルナールの方に厳しい視線を向ける。
 どう考えてもおかしいだろうと思ったが、背後を振り返ってぎょっとした。
 追い駆けていたのは、騎士団の制服に身を包んだ騎士だったからだ。
 どちらの主張を信じるかは、目に見えている。
 ベルナールは舌打ちをして、狭い通路に逃げ込んだ。

 動かない脚に鞭打って、走って、走って、走った。

 辿り着いた先は、街中を流れる小川。下町の人達の生活用水でもある。
 背後から数人の足音が聞こえていた。
 騎士が緊急事態だと言って、周囲を巡回していた者達を集めたのだろうと予測する。

 ベルナールは躊躇いもせずに川の中へと飛び込んだ。
 脚はすでに限界で、そうするしか逃げる術はなかったのである。

 昨晩の王都は雨。小川の水量は増水し、いつもより流れも速くなっていた。
 普段綺麗な水は茶色く濁り、葉や木の枝なども大量にあった。
 泳ぐという選択肢はない。ただただ、一方的に流されるばかりである。
 途中、酸素を求めた体が意思に逆らい、水中で息を吸い込んでしまった。それによって激しく噎せることになり、水を大量に呑み込む。

 このままでは危ないとの自覚をしているが、どうにもならない状況である。
 川の行く着く先は――地下へと繋がる深い水路。
 それまでにはなんとか地上に這い出なければならない。
 途中で水面まで枝葉を伸ばす大きな木があることは知っていた。そこが、地上に這い上がる最初で最後のチャンスとなる。

 水中は濁っていたが、幸いにも水面に垂れた枝葉が背中に接触し、認識することができた。

 最後の力を振り絞り、ベルナールは木から伸びる枝に手を伸ばす。

 結果、ベルナールは運良く木を伝い、小川から這い上がることに成功した。
 だがしかし、立ち上がることができず、地面に膝を突いて荒い息を繰り返していた。
 あと少しで息が整うと思っていた折に、人に囲まれてしまう。追っ手である騎士達が追い付いてしまったのだ。

 不思議なことに、騎士達の人数が減っていた。
 ベルナールは咳き込みながら、騎士の中でもブロンデルの息がかかった者達だけがやって来たのかと思う。

 体力も脚も、限界状態であったが、大人しく捕まる彼ではない。
 のろのろと立ち上がったかと思えば、負傷していない脚で地面の砂を騎士の目元に向かって蹴り上げた。一人は目を押さえ、その場に蹲る。もう一人は剣を抜き、ベルナールへと襲いかかってきた。

 振り下ろされた切っ先を、寸前で避ける。
 そして、僅かな隙を見て、容赦なく一番の急所――下半身の中心に向かって蹴りを入れた。
 すぐさま悲鳴を上げ、悶絶する騎士。
 同じ男として、普段なら絶対にしない攻撃であるが、今日ばかりは仕方がなかった。
 残りは一人。

 決着はすぐについた。

 相手が吹き矢をベルナールに向かって放ったのだ。
 即効性の毒が塗られた針を受け、ベルナールはその場に倒れる。

 呆気ない最後であった。

 ◇◇◇

 突き刺さるような冷気を感じ、覚醒をする。
 部屋が薄暗く、ここがどこかは分からない。
 目の前に見えるのは、堅い鉄格子。
 他には、部屋の高い位置に小さな窓があるばかり。そこから、酷く冷えた空気と、月夜の僅かな明かりが差し込んでいた。

 身じろぐと、金属が重なり合う音が聞えた。
 それは太い鎖で、両手足を拘束されていることに気付く。

「なんだ、これは――」

 呟いた声は、酷くしわがれていた。
 口の中は乾き、血の味がしている。
 体は重く、頭がズキズキと痛みを訴えていた。

 痛みは頭だけではなく、背中を中心に体の至るところが悲鳴を上げている。
 確認をしたかったが、手足を拘束されているので、それも叶わなかった。

 鉄格子の外から誰かが覗き込んできた。
 そこから、ざわざわと騒がしくなる。

 しばらくすれば、静かになった。
 その後、コツコツと廊下を歩く足音が、こちらへと近づいてくる。

「ようやく目を覚ましたようですね」

 聞き覚えのある嫌味な声。
 そこで、ハッと我に返る。
 ぼんやりとしていた頭の中も、はっきり鮮明になった。

 月明かりが僅かに差し込む薄明りの中現れたのは――総隊長の副官、ヨハン・ブロンデル。

「お前ッ!」
「ベルナール・オルレリアン、そんな状態になっても、威勢がいいものです。ある意味感心しました」
「この、下種野郎が!」
「わりと痛めつけたと聞いていましたが、案外元気でしたね」

 ベルナールは毒で昏倒させられたあと、とある場所まで運び込まれた。
 そこは、ブロンデルが隠れ家として使っていた場所で、地階に作られた牢獄に囚われていたのだ。
 それから一時間後、意識を取り戻したベルナールの尋問が始まった。
 知りたい情報は、アニエスの居場所と財宝の在処。
 殴られても、蹴られても、ベルナールが情報を漏らすことはなかった。

「まあ、物理的な苦痛を与えても、情報を吐かないことは分かっていましたが。あなたはそういうものよりも、誰かを人質にして痛めつけた方が、効果がありますよね?」

 ブロンデルはベルナールの返事を聞く前に、背後に居た部下に命じる。
 鉄格子の前に転がされたのは、エルネスト・バルテレモンであった。
 全身を縄で拘束され、口の端には血が滲んでいた。

「お前、どうして――」
「ああ、オルレリアン君、無事だった、みたいだね」
「一応な。でも、かろうじて、だ」

 事情をブロンデルが話し出す。
 偶然、街の食堂でベルナールの起こした盗難事件の噂話をする騎士に、エルネストが喧嘩を売ったらしい。
 その騒ぎを聞き付けたブロンデルの手下が、数で圧倒して拘束したのだ。

「お前、そういう熱い奴じゃないだろう?」
「だって、オルレリアン君の悪口を、言っていたから……」

 ベルナールは衰弱しきったエルネストの姿をみて、奥歯を噛みしめる。
 これからブロンデルがやろうとしていることは、目に見えていた。

 すらりとナイフを取り出す様子を見て、ベルナールは問いかける。

「おい、こいつが侯爵家の人間だと分かっているだろう? 痛めつければ、大変なことになる!」
「分かっています。でもまあ、この男は侯爵も見放している放蕩息子です。問題はないでしょう」

 出来れば、傷を付けたくないとブロンデルは言う。
 そのためには、ベルナールの協力・・が必要だとも。

「どうして、そこまでする?」
「それは単純なお話で、お金がないと騎士団では昇進出来ないからです」
「それは分かっているが、実力のある者が、内部告発もしないで悪事に手を染めるなんて、理解出来ないと――」
「かつての私にも、己の中の正義だけで動いていた時期はありました」

 個の糾弾は、多の圧力によってあっさりと封じられたのだとブロンデルは語った。

「私も、あなたにしたことと同じようなことをされました」
「どうしてそれを繰り返す!?」
「どうにもならないからです。腐った物は、どれだけ頑張っても、元通りにはならない。だから、私自身も腐るしかなかった」

 上層部を糾弾したことにより、身に覚えのない罪を被り、拘束され、暴力的な尋問を受けた。
 家の力もあって、なんとか騎士に復職出来たが、周囲の目は冷ややかで、孤独な毎日を過ごす。

「私は、心を入れ替えたのです――騎士団の伝統・・に従い、染まるしかない、と!」

 最後は声を荒げて言うブロンデル。
 悲しい人だと、ベルナールは思った。

「つまりは、裏で金を積んで、接待を繰り返し、今の立場を手に入れたと」
「然り」

 ベルナールは興味がないとばかりに、「そうかい」と呟いた。

「お喋りはここまでです。情報を、吐いてもらいますよ」

 キラリとナイフが光り、それはまっすぐにエルネストの首元へと当てられた。

「――すぐに言わなければ、この男の頸動脈を斬りつけます」
「……と仰っていますが、そろそろ助けてくれませんかね?」

 ベルナールは、ここには顔を出していない誰か・・に話しかけた。
 一瞬にして周囲の空気が変わったことに気付いたブロンデルは、慌てて背後を振り返る。

 そこに立っていたのは、上等な外套に身を包んだ中年男性。
 呑気な様子で、拍手をしつつやって来た。

「――いやいや、面白い話だったから、ついつい聞き入っちゃった!」

 軽い調子で喋り、柔和な笑みを浮かべているのはエルネストの父であり、国の財務を担う、バルテレモン侯爵であった。

「語るも涙、聞くも涙なお話、頂戴いたしました。あとは、陛下に判断を委ねるから、オルレリアン君と放蕩息子君、君らは安心してもいいよ。なんて言うのかな。うーんと、ナイス演技!」

 ぐっと親指を立てながら片目をパチンと瞑る侯爵を前に、苦笑するしかないベルナールとエルネストであった。

 ゾロゾロと地下部屋にやって来たのはカルヴィンの私兵団で、あっという間にブロンデルを拘束していた。
 ベルナールは鎖を外され、牢から救出される。
 縄を解かれたエルネストも、ふうと安堵の息を吐いていた。
 フラフラの状態で立ち上がり、少し疲れたような笑みを浮かべる。

「オルレリアン君、これでもう、終わりなのかな?」
「いや、これからが始まりだろう」

 近いうちに、騎士団内部は大きな改革が起こる。
 その一歩が、今日の事件となるのだ。

 今から大変なことになるので、覚悟をしておくようにとエルネストに言っておいた。

 騎士達が現場の検分を開始する。
 同時にその場で事情聴取を受けるベルナールとエルネストの二人。
 終了と共に、ラザールがやって来た。
 出会いがしら、すまなかったとベルナールに頭を下げる。

「昨日の雨で作戦の変更を伝えようとしていたんだが、部下と入れ違いになっていたようで」
「だろうと思っていました。川の水位、凄いことになっていましたから」

 ベルナールが王都へ帰ることは、お喋りな同期、ノアイエ・ジブリルの協力で広まった。
 彼のよく通る声で話された内容は、瞬く間に噂話として拡散されていったのだ。
 情報を知ったブロンデルはベルナールに追っ手を仕かけるはず。
 わざと捕まり、相手の拠点を探る作戦であった。

 市場から下町を駆け回り、小川に飛び込んで捕まるところまで計画どおりであったが、雨が降ったことによって水中での危険が高まってしまったのだ。
 ラザールは部下に作戦の変更を伝えるように手配をしたが、馬車の運行時間が乱れたこともあって運悪く入れ違いとなってしまった。

「一応、深みに落ちても大丈夫なように、網を張っていた」
「魚みたいに捕獲される予定だったのですね」

 安全は確保していたが、それでも流れの速い川の中に飛び込ませてしまったと、ラザールは重ねて謝罪をしていた。  

「まあ、こうして無事だったわけですし」
「いや、お前、ボロボロじゃないか」
「そうだ、オルレリアン君、治療を受けた方がいい」
 
 本人を含め、この時になって気付く。酷い暴行を受けており、体中傷だらけであったと。

 その後、ベルナールは治療を受け、しばし入院をすることになった。

 ◇◇◇

 騎士団のナンバー2、ヨハン・ブロンデルの逮捕を受け、騎士団も、市民も大きな衝撃を受ける。
 自らの行いを振り返って危機感を覚え、姿をくらました騎士も数名いた。

 次々と王命で調査の実施が行われ、粛々と内部査察が執り行われた。

 ブロンデルは財産及び爵位のはく奪、禁固刑十五年と、重い判決が下される。
 同じような事件が二度と起こらぬよう、一罰百戒の意味も含まれていた。

 その中で、ベルナールの処罰も決まる。

「今回の行いは褒められたものではありませんが、アニエス・レーヴェルジュ誘拐事件のことも視野に入れ――」

 カルヴィンの商会の法務部が、事件の資料をそろえてくれたお蔭で、審問は終始滞りなく、有利な状況で過ぎていく。
 最終的にベルナールに言い渡された判決は――お咎めなし。だが、やってはいけないことに手を染めたのは確かなので、一ヶ月の謹慎と半年の減給、それから、騎士団の数か所ある風呂場の清掃を一年間命じられた。

 上層部の人間が次々と辞任を迫られる中で、ベルナールは新しいことを始める。
 ラザールの勧めで、騎士団の教官になるための勉強を始めたのだ。

 謹慎の一ヶ月間は王都どころか、外出さえも禁じられる厳しいものであった。
 だが、ブロンデルに捕まった際に出来た傷も癒えていないので、いい静養期間だと思うようにする。

 家族には、無事に問題は解決したと知らせた。
 だが、依然として王都は混乱の中にあるので、アニエスを迎えに行くのはもう少し先になりそうだとも伝えておく。

 祖父と母親への手紙と、アニエスへの手紙、三通をそれぞれの封筒に入れ、封をする部分に蝋燭を垂らし、オルレリアン家の印を押し付ける。
 朝方にやって来る、御用聞きの騎士に渡せば数日後に届くようになっていた。

 窓の外を見やれば、暗い夜空の地平線から太陽の光が僅かに差し込んでいた。
 そろそろ騎士が訪問してくる時間だろうと思い、外に出る。

 だんだんと太陽が昇っていく空を見上げながら、ベルナールは思う。
 
 長い夜は終わったのだと。

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