没落令嬢、貧乏騎士のメイドになります
第六十五話 別れは突然に
その後、アニエスとシュ・エリーの交流は一ヶ月間みっちりと続いた。
さまざまな場所に観光に行ったり、厨房の一角を借りてお菓子を作ったり、互いの国の言葉を教えあったり。
友達と言うよりは、姉妹のような二人であった。
楽しい日々であったが、終わりも近づいていた。
シュ・エリーは大華輪国に居る父親より、帰って来るようにという手紙が届いたと言う。さすがの彼女でも、親の指示に逆らうことはしないらしい。明日に、ここを発つことに決めたと話す。だが、話はここで終わりではなく、突然とんでもない提案をした――アニエスに、一緒に国に来ないかと。
『ねえ、アニエス。私の国に来て一緒に暮らしましょうよ。きっと、毎日楽しいと思うわ』
コウ・エンはシュ・エリーの言葉をそのまま伝えた。
途端に、困惑するアニエス。返事を言わなくとも、分かってしまうような表情であった。
シュ・エリーは縋って懇願する。
『アニエス、お願いよ。お友達なんて、あなたしか居ないのに……!』
いつもの笑顔ではなく、気の毒といった表情でコウ・エンは通訳をする。
「お嬢様はどうしてもとおっしゃっていますが――難しいことですよね。無理なお願いをしてしまい、申し訳ありません」
シュ・エリーの言葉をそのまま伝えつつも、自らの見解を交え謝罪をするコウ・エン。
アニエスは、気持ちは嬉しいけれど一緒に行くことはできないとはっきり述べ、伝えるように願った。
返事を聞いたシュ・エリーは、すぐさま目を潤ませ、独り言のように呟く。
『うちの国に来たら、従者との仲も人目を憚らずに済むのに……』
『お嬢様、彼らは目に見えている関係性ではないと思います』
『どういうこと?』
『お二方は、私達のように主従関係ではなく、対等な関係にあります』
『主従のふりをしていると言うの?』
『恐らく』
信じがたいという視線を向けるシュ・エリー。目を凝らしても、お嬢様と従僕にしか見えなかった。
『なんなの? コウ・エンは恋愛感情に敏感なの?』
『そういうわけではありませんが、互いを思いやる雰囲気を見て分かったと言えばいいのしょうか?』
『ええ~~……?』
シュ・エリーは再びアニエスを一瞥し、そのあと従者ミエルを見る。ぎらりと鋭い視線に睨まれ、思わず目を咄嗟に逸らした。
『ね、ねえ、ミエルって使用人らしくないわよね。見て、あの猛禽類のような目! ちょっとアニエスを見ただけなのに!』
『ええ、彼は普通の使用人ではないでしょう。一目で分かります。立ち姿の体幹がまったくブレていませんから。多分、彼は戦う人かと。脚を多少引きずっているので、引退をしているのかもしれませんが』
『そうなんだ』
だったら一体どういう関係なのかと気になるお年頃なシュ・エリー。
しばし考えていたら、ハッとある可能性を思いつく。
『――分かったわ、主従プレイなのよ、きっと!! そういうの、前に本で読んだことがあるわ。状況萌えって言うの? 何が面白いか知らないけれど! ね、ねえ、コウ・エン、ちょっと聞いてみてちょうだい!』
『それはちょっと……』
『いいから聞きなさいよ!!』
シュ・エリーは力いっぱいコウ・エンの背中を叩く。
護衛も務める彼が少女の殴打でよろめくことはなかったが、悲痛な表情を浮かべていた。
俗に言う、無茶振りというやつである。
はあと盛大な溜息を吐き、コウ・エンはかいつまんだ通訳をする。
「お嬢様が……お二人の関係について、お聞きしたいと申しているのですが」
踏み込んではいけない質問だったようで聞いた瞬間、アニエスはおろおろと目に見えて狼狽している。一方で、従僕のミエルは眉間に皺を作り、険しい顔をしていた。
「あの、それは――」
「想像に任せると、馬鹿丁寧な言葉で言っておけ」
「はい、承知いたしました」
回答を聞いたシュ・エリーは不服そうな顔をしていたが、コウ・エンに諫められて最終的には謝罪をすることになった。
翌日――
別れの朝がやって来た。
アニエスとベルナールは港までシュ・エリーを見送りにやって来る。
「アニエス、アリガト」
シュ・エリーは覚えたての言葉でアニエスにお礼を言う。
アニエスも、教えてもらった大華輪国の言葉で『こちらこそ、ありがとうございます』と返した。
微笑み合う二人。
国を跨いだ者達の、確かな友情がそこにはあった。
が、すぐに真顔になったシュ・エリーが問いただす。
『でもやっぱり、二人は出来ているのよね!?』
アニエスとベルナールは、通訳をするコウ・エンを見た。
美貌の青年従者は、柔らかな笑みを浮かべ、シュ・エリーの言葉を伝えた。
「一か月間、大変お世話になりました。別れは辛く、寂しいものですが、落ち着いたらお手紙を書きます。アニエスお嬢様に優しくしていただいたことを、一生忘れません。今後も、健やかにお過ごしくださいますことを、お祈り申し上げております」
そこまで言い切ったあと、シュ・エリーとベルナールより抗議の声が上がる。
『そんなに長い内容喋っていないでしょう!?』
「おい、お前、お嬢様の一言に対し、長いんだよ! また適当に通訳していないか?」
双方の責めの言葉を、もうすぐ船が出ますと言って聞かなかったふりをするコウ・エンであった。
こうして、二人は次なる再会の日を願って、笑顔でお別れをする。
◇◇◇
怒涛の一ヶ月だったとベルナールは振り返る。
大華輪国の少女、シュ・エリーは嵐のような少女であった。
だが、おかげでアニエスは随分と本来の明るさを取り戻したように思っている。二人共一人っ子なので、互いに良い刺激となったのだ。
そんな中、ベルナールは一人祖父の元へとやって来た。
港街に来てすぐにゆっくりと話す場を設けて欲しいと言っていたが、カルヴィンが長期の買い付けに行っていたので、会う機会が一ヶ月後の今日となってしまったのだ。
「すまんかったな。急に仕事が入って」
「いえ」
「で、本題は?」
「アニエスのことです」
「だろうな」
ベルナールはかねてより考えていたことを口にする。
事件解決まで、アニエスを預かってもらえないかと。
「ああ、それがいい。王都に居るよりも、ここが安全だ」
カルヴィンの商会拠点は要塞のようになっており、侵入者を許さない造りとなっていた。安心して預けるといいと言って、ベルナールの要望を受け入れる。
王都に居るラザールやエルネストとは、ここに来てからも何度か手紙を交わしていた。
調査は順調に進んでいるようで、あとは直接的な現場を押さえるばかりだという報告も上がっている。
「彼女には言ってあるのか?」
「いえ、今からです」
「あれは賢い女だ。無理矢理ついて行くとは言わないだろう。……まあ、そうだな。何かしら仕事を与えて、暇潰しをさせておくか。その方が気も紛れる」
「お願いいたします」
アニエスが誘拐されるような事態は避けたかった。なので、事件が解決するまで、この地に身を置いてもらうことを決めていた。
支えになればと思い、母オセアンヌや、使用人のジジルもここに残しておこうと考えている。
「いいか、最後まで、気を抜くなよ」
「はい」
「どうしても困った時は、俺の名を出せ。あいつらは、金に弱い」
「そういう事態にならないことを、心から願っています」
「まあ、頑張れや」
「はい、しっかり務めたいと思います」
一通り言いたいことや要望を伝えたので、ホッと胸を撫で下ろすベルナール。
まだ安堵をするには早いが、アニエスの安全は確保出来た。
机の上にあった、すっかり冷え切った紅茶を飲み、乾いた喉を潤す。
「それで――」
「?」
カップに口を付けたまま、カルヴィンを見るベルナール。
次に発せられた言葉は、想像すらしていないものであった。
「早くひ孫が見たいんだが、結婚式はいつにするんだ?」
「!」
思わず、紅茶を祖父に向かって噴きそうになった。
「ま、まだ、その辺は……」
というか、求婚すらしていない。そんなことをもごもごと呟く。
「結婚の申し込みだけは先にしておけ。あれは良い女だ。いつ、誰かに盗られるかも分からん」
カルヴィンの言葉を聞いて、船で開催された立食パーティを思い出す。
ただその場に佇んでいただけなのに、アニエスは男達から注目を集めていた。
「いいか、ベルナール。事件が解決したら――なんて悠長なことをしていると、絶対に後悔するからな」
「……はい、分かりました」
祖父の助言を聞き入れ、今晩はアニエスとじっくり話し合うことを決めた。
さまざまな場所に観光に行ったり、厨房の一角を借りてお菓子を作ったり、互いの国の言葉を教えあったり。
友達と言うよりは、姉妹のような二人であった。
楽しい日々であったが、終わりも近づいていた。
シュ・エリーは大華輪国に居る父親より、帰って来るようにという手紙が届いたと言う。さすがの彼女でも、親の指示に逆らうことはしないらしい。明日に、ここを発つことに決めたと話す。だが、話はここで終わりではなく、突然とんでもない提案をした――アニエスに、一緒に国に来ないかと。
『ねえ、アニエス。私の国に来て一緒に暮らしましょうよ。きっと、毎日楽しいと思うわ』
コウ・エンはシュ・エリーの言葉をそのまま伝えた。
途端に、困惑するアニエス。返事を言わなくとも、分かってしまうような表情であった。
シュ・エリーは縋って懇願する。
『アニエス、お願いよ。お友達なんて、あなたしか居ないのに……!』
いつもの笑顔ではなく、気の毒といった表情でコウ・エンは通訳をする。
「お嬢様はどうしてもとおっしゃっていますが――難しいことですよね。無理なお願いをしてしまい、申し訳ありません」
シュ・エリーの言葉をそのまま伝えつつも、自らの見解を交え謝罪をするコウ・エン。
アニエスは、気持ちは嬉しいけれど一緒に行くことはできないとはっきり述べ、伝えるように願った。
返事を聞いたシュ・エリーは、すぐさま目を潤ませ、独り言のように呟く。
『うちの国に来たら、従者との仲も人目を憚らずに済むのに……』
『お嬢様、彼らは目に見えている関係性ではないと思います』
『どういうこと?』
『お二方は、私達のように主従関係ではなく、対等な関係にあります』
『主従のふりをしていると言うの?』
『恐らく』
信じがたいという視線を向けるシュ・エリー。目を凝らしても、お嬢様と従僕にしか見えなかった。
『なんなの? コウ・エンは恋愛感情に敏感なの?』
『そういうわけではありませんが、互いを思いやる雰囲気を見て分かったと言えばいいのしょうか?』
『ええ~~……?』
シュ・エリーは再びアニエスを一瞥し、そのあと従者ミエルを見る。ぎらりと鋭い視線に睨まれ、思わず目を咄嗟に逸らした。
『ね、ねえ、ミエルって使用人らしくないわよね。見て、あの猛禽類のような目! ちょっとアニエスを見ただけなのに!』
『ええ、彼は普通の使用人ではないでしょう。一目で分かります。立ち姿の体幹がまったくブレていませんから。多分、彼は戦う人かと。脚を多少引きずっているので、引退をしているのかもしれませんが』
『そうなんだ』
だったら一体どういう関係なのかと気になるお年頃なシュ・エリー。
しばし考えていたら、ハッとある可能性を思いつく。
『――分かったわ、主従プレイなのよ、きっと!! そういうの、前に本で読んだことがあるわ。状況萌えって言うの? 何が面白いか知らないけれど! ね、ねえ、コウ・エン、ちょっと聞いてみてちょうだい!』
『それはちょっと……』
『いいから聞きなさいよ!!』
シュ・エリーは力いっぱいコウ・エンの背中を叩く。
護衛も務める彼が少女の殴打でよろめくことはなかったが、悲痛な表情を浮かべていた。
俗に言う、無茶振りというやつである。
はあと盛大な溜息を吐き、コウ・エンはかいつまんだ通訳をする。
「お嬢様が……お二人の関係について、お聞きしたいと申しているのですが」
踏み込んではいけない質問だったようで聞いた瞬間、アニエスはおろおろと目に見えて狼狽している。一方で、従僕のミエルは眉間に皺を作り、険しい顔をしていた。
「あの、それは――」
「想像に任せると、馬鹿丁寧な言葉で言っておけ」
「はい、承知いたしました」
回答を聞いたシュ・エリーは不服そうな顔をしていたが、コウ・エンに諫められて最終的には謝罪をすることになった。
翌日――
別れの朝がやって来た。
アニエスとベルナールは港までシュ・エリーを見送りにやって来る。
「アニエス、アリガト」
シュ・エリーは覚えたての言葉でアニエスにお礼を言う。
アニエスも、教えてもらった大華輪国の言葉で『こちらこそ、ありがとうございます』と返した。
微笑み合う二人。
国を跨いだ者達の、確かな友情がそこにはあった。
が、すぐに真顔になったシュ・エリーが問いただす。
『でもやっぱり、二人は出来ているのよね!?』
アニエスとベルナールは、通訳をするコウ・エンを見た。
美貌の青年従者は、柔らかな笑みを浮かべ、シュ・エリーの言葉を伝えた。
「一か月間、大変お世話になりました。別れは辛く、寂しいものですが、落ち着いたらお手紙を書きます。アニエスお嬢様に優しくしていただいたことを、一生忘れません。今後も、健やかにお過ごしくださいますことを、お祈り申し上げております」
そこまで言い切ったあと、シュ・エリーとベルナールより抗議の声が上がる。
『そんなに長い内容喋っていないでしょう!?』
「おい、お前、お嬢様の一言に対し、長いんだよ! また適当に通訳していないか?」
双方の責めの言葉を、もうすぐ船が出ますと言って聞かなかったふりをするコウ・エンであった。
こうして、二人は次なる再会の日を願って、笑顔でお別れをする。
◇◇◇
怒涛の一ヶ月だったとベルナールは振り返る。
大華輪国の少女、シュ・エリーは嵐のような少女であった。
だが、おかげでアニエスは随分と本来の明るさを取り戻したように思っている。二人共一人っ子なので、互いに良い刺激となったのだ。
そんな中、ベルナールは一人祖父の元へとやって来た。
港街に来てすぐにゆっくりと話す場を設けて欲しいと言っていたが、カルヴィンが長期の買い付けに行っていたので、会う機会が一ヶ月後の今日となってしまったのだ。
「すまんかったな。急に仕事が入って」
「いえ」
「で、本題は?」
「アニエスのことです」
「だろうな」
ベルナールはかねてより考えていたことを口にする。
事件解決まで、アニエスを預かってもらえないかと。
「ああ、それがいい。王都に居るよりも、ここが安全だ」
カルヴィンの商会拠点は要塞のようになっており、侵入者を許さない造りとなっていた。安心して預けるといいと言って、ベルナールの要望を受け入れる。
王都に居るラザールやエルネストとは、ここに来てからも何度か手紙を交わしていた。
調査は順調に進んでいるようで、あとは直接的な現場を押さえるばかりだという報告も上がっている。
「彼女には言ってあるのか?」
「いえ、今からです」
「あれは賢い女だ。無理矢理ついて行くとは言わないだろう。……まあ、そうだな。何かしら仕事を与えて、暇潰しをさせておくか。その方が気も紛れる」
「お願いいたします」
アニエスが誘拐されるような事態は避けたかった。なので、事件が解決するまで、この地に身を置いてもらうことを決めていた。
支えになればと思い、母オセアンヌや、使用人のジジルもここに残しておこうと考えている。
「いいか、最後まで、気を抜くなよ」
「はい」
「どうしても困った時は、俺の名を出せ。あいつらは、金に弱い」
「そういう事態にならないことを、心から願っています」
「まあ、頑張れや」
「はい、しっかり務めたいと思います」
一通り言いたいことや要望を伝えたので、ホッと胸を撫で下ろすベルナール。
まだ安堵をするには早いが、アニエスの安全は確保出来た。
机の上にあった、すっかり冷え切った紅茶を飲み、乾いた喉を潤す。
「それで――」
「?」
カップに口を付けたまま、カルヴィンを見るベルナール。
次に発せられた言葉は、想像すらしていないものであった。
「早くひ孫が見たいんだが、結婚式はいつにするんだ?」
「!」
思わず、紅茶を祖父に向かって噴きそうになった。
「ま、まだ、その辺は……」
というか、求婚すらしていない。そんなことをもごもごと呟く。
「結婚の申し込みだけは先にしておけ。あれは良い女だ。いつ、誰かに盗られるかも分からん」
カルヴィンの言葉を聞いて、船で開催された立食パーティを思い出す。
ただその場に佇んでいただけなのに、アニエスは男達から注目を集めていた。
「いいか、ベルナール。事件が解決したら――なんて悠長なことをしていると、絶対に後悔するからな」
「……はい、分かりました」
祖父の助言を聞き入れ、今晩はアニエスとじっくり話し合うことを決めた。
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