没落令嬢、貧乏騎士のメイドになります
第五十五話 揺るがない想い
それから、ベルナールは泥のように眠る。
張りつめていた緊張の糸が切れ、ようやく安らかにぐっすりと眠ることが出来たのだ。
翌日は昼過ぎに目を覚ます。
「おはようございます」
「ああ、おはよ――」
壁にかけてある時計を見て、とっくに朝の挨拶の時間が過ぎていることに気付き、慌てて起き上ろうとすれば、それ以上に驚くべきことがあって言葉に詰まる。
「ア、アニエス、お前、いつからそこに?」
目覚めたベルナールの傍に居たのはジジルではなく、アニエスだった。今朝からちょこちょこ部屋に来ていたと話す。
なんだか恥ずかしくなり、慈愛に満ち溢れた微笑みを浮かべる彼女から、ふいと目を逸らした。
「ベルナール様」
「なんだ?」
「お食事になさいます? それとも、お体をお拭きしましょうか? それとも――」
三択目はなんなのか。思わず、ごくりと息を呑む。
「お母様かジジルさんをお呼びしましょうか?」
まさかの三択目に、ベルナールは起き上がらせていた上半身を再び布団に沈めることになった。
このアニエスに、色っぽい展開など期待出来るわけがなかったのだ。
「風呂の準備をジジルに頼んでくれ」
「わたくしが清拭を致しますが」
「いや、いい。気持ちだけ受け取っておく」
体を拭かれた日なんかには、大変なことになるに違いないと思ったので、丁重にお断りをした。
アニエスは分かりましたと言って、部屋から出て行く。
扉が閉まったのを見て、はあと盛大な溜息を吐いた。
想いが通じ合ったことが分かれば、あれやこれやと妄想があらぬ方向へと進んで行ってしまう。
これでは心臓が保たないと、彼女の献身的過ぎる支えに危機感を覚えていた。
数分後、ジジルがやって来る。
「お風呂に入りたいと聞きましたが」
「ああ、頼む」
「私が体を拭きましょうか?」
「いい」
「でしたら、エリックに」
「止めろ」
ベルナールの初めてとも言える大怪我に、屋敷の使用人全員が過保護になっていた。
心配は要らないと言っても聞きやしない。
「そういえば、双子は領地に置いてきたのか?」
「ええ、この通りの治安ですから」
「それがいい」
それと、ジジルの夫ドミニクが話をしたいと言っていたことを聞く。
アニエスの母親の形見を預けていた件だろうとベルナールは思う。
「分かった。風呂に入ったあと、部屋に呼んでくれ」
「承知いたしました」
ひとまず、お風呂に入って落ち着くことにした。
◇◇◇
汗を流してすっきりしたあと、ドミニクよりアニエスの母親のペンダントが返却された。
ベルナールは礼を言って受け取る。
それから、入れ替わるように医師がやって来て、腿の怪我の具合を診てもらった。
刺し傷の完治までについては順調だと診断したが、脚の経過についてはなんとも言えないと話す。
「社会復帰は怪我が完治されてからですぞ」
「ああ……」
果たして、それは叶うものかと、今から不安に思う。
将来図は不透明のままだった。
いっそのこと、領地に帰って名産のカボチャでも作ろうかと考える。それか、ジジルが前に言っていた、食堂を開くのもいいかもしれないとも思っていた。
可愛い看板娘も居る。
ちらりと、診断に同席していたアニエスを見た。薬の塗布や包帯の巻き方などを一生懸命習っている。
そんな彼女を眺めながら、この先の人生、苦労はさせたくないなと考える。
元より、労働を知らない境遇で育ったお嬢様だ。
なのに、家が没落し、身寄りを失くしてベルナールの家で使用人として暮らすことになった。
自分が提案したこととはいえ、これまで大変だっただろうにと、気の毒に思う。
医師が帰ったあと、アニエスを見ながら呟くように言う。
「……今まで、よく頑張った」
「はい?」
「いや、なんでもない」
アニエスはベルナールの顔を覗き込み、食事にしましょうと提案してくる。
「お前は食べたのか?」
「いえ、まだです」
「だったら、一緒に食べよう」
そう提案をすれば、アニエスは花が綻ぶような笑みを浮かべ、嬉しそうにしていた。
その表情を、眩しいものを見るかのように、ベルナールは目を細めた。
「では、しばしお待ちを」
「ああ、分かった」
部屋に一人きりとなって考える。どうすれば、彼女を幸せに出来るのかと。
答えはまだ、浮かんでこなかった。
◇◇◇
昼食後、アニエスと二人でペンダントをどうするかについて話し合った。
「お母様より頂いた大切な品ですが、所持し続けることを恐ろしく思います」
「ああ、そうだな」
ベルナールの祖父、カルヴィンに預けることも考えたが、いつか分からない将来、それが争いの火種になる事態を考えたら、恐ろしいことだとベルナールも思う。
「お前の母親も、財宝の詳細は知らなかったのかもしれないな」
「その可能性は大いにあります。首飾りの扱いについて、困ったことになったら使うようにと言っていた以外に、注意などありませんでしたから」
首飾りを眺めたまま、しばし沈黙する。
どれだけの金が隠されているか知らないし、知りたくもないと思った。
ベルナールは、アニエスに問いかける。
「アニエス、お前はどうしたい?」
「わたくしは――必要ないものだと、思います。ベルナール様は、どうお感じになられますか?」
「そうだな。俺も、個人で抱えるには大きすぎるモノだと思っている」
ならば、どうするのか。
幸い、二人の考えは同じところにあった。
「何か、案はあるか?」
「はい。海に、沈めようかと」
「それがいい」
ちょうど、ベルナールは祖父の商会がある港街に来ないかと誘われていたのだ。
静養をかねて、行ってみるのもいいかと思っていた。
「そこに行く途中に、首飾りを捨てよう。あの辺りの海域は流れが速い。二度と、見つかることはないだろう」
「分かりました」
首飾りの扱いは、案外すんなりと決まった。
「それと――」
「?」
ベルナールはこの前の約束をなかったことにして欲しいと頼む。それは、首飾りの情報について、口外してはいけないというものだ。
「もちろん、時と場合によるが、この前のように脅され、命の危険が迫れば、隠さずに言って欲しい」
「それは――」
「頼む」
アニエスのことを、何があっても守り抜くと言いたかった。
だが、この脚ではそれも叶わない。
自らを不甲斐なく思いながら、強く懇願する。
アニエスは顔を伏せ、膝の上で拳を握る。
名を呼べば、すぐにパッと顔を上げた。
その表情は何かを決意したような、凛としたものであった。
「でしたら、わたくしも」
「なんだ?」
「もしも、この前のように攫われた場合は、どうかそのまま、お捨て置きくださいませ」
「それは出来ない!」
「いいえ、そうなさってください。でないと、平等ではありません」
断固として、譲歩案はないと言わんばかりの力強い口調である。
今まで芯が強いところがある女性だと思っていたが、ベルナールの想定をはるかに超えたものであった。
今回ばかりは、どうしてそうなると、頭を抱えてしまう。
アニエスは話を続けた。
「生意気なことかもしれませんが、わたくしはベルナール様と、同じ場所に立っていたいのです」
「アニエス……」
「共に、生き残ることを第一に考えましょう」
その言葉を、ベルナールは嬉しく思う。
同時に、考えは揺るがないだろうと諦め、彼女の交換条件を受けることになった。
◇◇◇
一週間後。
ベルナールの刺し傷が完治すれば、港街へ静養に行くための準備が始まる。
そこへは王都の近くにある港から船で二日ほど。
国内でも三本指に入る大きな街だということで、アニエスは旅支度をしながら楽しみだと話していた。
「人の出入りも激しいが、治安はいいと言っていた」
「そうなのですね」
「ああ。そういえば、旅行は初めてか?」
「はい。王都から出るのは初めてなので、とてもドキドキしています」
正真正銘の箱入り娘なのだと、ベルナールの衣服を畳み、丁寧に鞄に詰めている姿を眺めながら思う。
そうこうしていると、エリックがやって来て来客が伝えられた。
「誰だ?」
「ラザール・シリエ様です」
「隊長が……?」
思いがけない来訪者に、ベルナールの心臓はどくりと大きな鼓動を打っていた。
張りつめていた緊張の糸が切れ、ようやく安らかにぐっすりと眠ることが出来たのだ。
翌日は昼過ぎに目を覚ます。
「おはようございます」
「ああ、おはよ――」
壁にかけてある時計を見て、とっくに朝の挨拶の時間が過ぎていることに気付き、慌てて起き上ろうとすれば、それ以上に驚くべきことがあって言葉に詰まる。
「ア、アニエス、お前、いつからそこに?」
目覚めたベルナールの傍に居たのはジジルではなく、アニエスだった。今朝からちょこちょこ部屋に来ていたと話す。
なんだか恥ずかしくなり、慈愛に満ち溢れた微笑みを浮かべる彼女から、ふいと目を逸らした。
「ベルナール様」
「なんだ?」
「お食事になさいます? それとも、お体をお拭きしましょうか? それとも――」
三択目はなんなのか。思わず、ごくりと息を呑む。
「お母様かジジルさんをお呼びしましょうか?」
まさかの三択目に、ベルナールは起き上がらせていた上半身を再び布団に沈めることになった。
このアニエスに、色っぽい展開など期待出来るわけがなかったのだ。
「風呂の準備をジジルに頼んでくれ」
「わたくしが清拭を致しますが」
「いや、いい。気持ちだけ受け取っておく」
体を拭かれた日なんかには、大変なことになるに違いないと思ったので、丁重にお断りをした。
アニエスは分かりましたと言って、部屋から出て行く。
扉が閉まったのを見て、はあと盛大な溜息を吐いた。
想いが通じ合ったことが分かれば、あれやこれやと妄想があらぬ方向へと進んで行ってしまう。
これでは心臓が保たないと、彼女の献身的過ぎる支えに危機感を覚えていた。
数分後、ジジルがやって来る。
「お風呂に入りたいと聞きましたが」
「ああ、頼む」
「私が体を拭きましょうか?」
「いい」
「でしたら、エリックに」
「止めろ」
ベルナールの初めてとも言える大怪我に、屋敷の使用人全員が過保護になっていた。
心配は要らないと言っても聞きやしない。
「そういえば、双子は領地に置いてきたのか?」
「ええ、この通りの治安ですから」
「それがいい」
それと、ジジルの夫ドミニクが話をしたいと言っていたことを聞く。
アニエスの母親の形見を預けていた件だろうとベルナールは思う。
「分かった。風呂に入ったあと、部屋に呼んでくれ」
「承知いたしました」
ひとまず、お風呂に入って落ち着くことにした。
◇◇◇
汗を流してすっきりしたあと、ドミニクよりアニエスの母親のペンダントが返却された。
ベルナールは礼を言って受け取る。
それから、入れ替わるように医師がやって来て、腿の怪我の具合を診てもらった。
刺し傷の完治までについては順調だと診断したが、脚の経過についてはなんとも言えないと話す。
「社会復帰は怪我が完治されてからですぞ」
「ああ……」
果たして、それは叶うものかと、今から不安に思う。
将来図は不透明のままだった。
いっそのこと、領地に帰って名産のカボチャでも作ろうかと考える。それか、ジジルが前に言っていた、食堂を開くのもいいかもしれないとも思っていた。
可愛い看板娘も居る。
ちらりと、診断に同席していたアニエスを見た。薬の塗布や包帯の巻き方などを一生懸命習っている。
そんな彼女を眺めながら、この先の人生、苦労はさせたくないなと考える。
元より、労働を知らない境遇で育ったお嬢様だ。
なのに、家が没落し、身寄りを失くしてベルナールの家で使用人として暮らすことになった。
自分が提案したこととはいえ、これまで大変だっただろうにと、気の毒に思う。
医師が帰ったあと、アニエスを見ながら呟くように言う。
「……今まで、よく頑張った」
「はい?」
「いや、なんでもない」
アニエスはベルナールの顔を覗き込み、食事にしましょうと提案してくる。
「お前は食べたのか?」
「いえ、まだです」
「だったら、一緒に食べよう」
そう提案をすれば、アニエスは花が綻ぶような笑みを浮かべ、嬉しそうにしていた。
その表情を、眩しいものを見るかのように、ベルナールは目を細めた。
「では、しばしお待ちを」
「ああ、分かった」
部屋に一人きりとなって考える。どうすれば、彼女を幸せに出来るのかと。
答えはまだ、浮かんでこなかった。
◇◇◇
昼食後、アニエスと二人でペンダントをどうするかについて話し合った。
「お母様より頂いた大切な品ですが、所持し続けることを恐ろしく思います」
「ああ、そうだな」
ベルナールの祖父、カルヴィンに預けることも考えたが、いつか分からない将来、それが争いの火種になる事態を考えたら、恐ろしいことだとベルナールも思う。
「お前の母親も、財宝の詳細は知らなかったのかもしれないな」
「その可能性は大いにあります。首飾りの扱いについて、困ったことになったら使うようにと言っていた以外に、注意などありませんでしたから」
首飾りを眺めたまま、しばし沈黙する。
どれだけの金が隠されているか知らないし、知りたくもないと思った。
ベルナールは、アニエスに問いかける。
「アニエス、お前はどうしたい?」
「わたくしは――必要ないものだと、思います。ベルナール様は、どうお感じになられますか?」
「そうだな。俺も、個人で抱えるには大きすぎるモノだと思っている」
ならば、どうするのか。
幸い、二人の考えは同じところにあった。
「何か、案はあるか?」
「はい。海に、沈めようかと」
「それがいい」
ちょうど、ベルナールは祖父の商会がある港街に来ないかと誘われていたのだ。
静養をかねて、行ってみるのもいいかと思っていた。
「そこに行く途中に、首飾りを捨てよう。あの辺りの海域は流れが速い。二度と、見つかることはないだろう」
「分かりました」
首飾りの扱いは、案外すんなりと決まった。
「それと――」
「?」
ベルナールはこの前の約束をなかったことにして欲しいと頼む。それは、首飾りの情報について、口外してはいけないというものだ。
「もちろん、時と場合によるが、この前のように脅され、命の危険が迫れば、隠さずに言って欲しい」
「それは――」
「頼む」
アニエスのことを、何があっても守り抜くと言いたかった。
だが、この脚ではそれも叶わない。
自らを不甲斐なく思いながら、強く懇願する。
アニエスは顔を伏せ、膝の上で拳を握る。
名を呼べば、すぐにパッと顔を上げた。
その表情は何かを決意したような、凛としたものであった。
「でしたら、わたくしも」
「なんだ?」
「もしも、この前のように攫われた場合は、どうかそのまま、お捨て置きくださいませ」
「それは出来ない!」
「いいえ、そうなさってください。でないと、平等ではありません」
断固として、譲歩案はないと言わんばかりの力強い口調である。
今まで芯が強いところがある女性だと思っていたが、ベルナールの想定をはるかに超えたものであった。
今回ばかりは、どうしてそうなると、頭を抱えてしまう。
アニエスは話を続けた。
「生意気なことかもしれませんが、わたくしはベルナール様と、同じ場所に立っていたいのです」
「アニエス……」
「共に、生き残ることを第一に考えましょう」
その言葉を、ベルナールは嬉しく思う。
同時に、考えは揺るがないだろうと諦め、彼女の交換条件を受けることになった。
◇◇◇
一週間後。
ベルナールの刺し傷が完治すれば、港街へ静養に行くための準備が始まる。
そこへは王都の近くにある港から船で二日ほど。
国内でも三本指に入る大きな街だということで、アニエスは旅支度をしながら楽しみだと話していた。
「人の出入りも激しいが、治安はいいと言っていた」
「そうなのですね」
「ああ。そういえば、旅行は初めてか?」
「はい。王都から出るのは初めてなので、とてもドキドキしています」
正真正銘の箱入り娘なのだと、ベルナールの衣服を畳み、丁寧に鞄に詰めている姿を眺めながら思う。
そうこうしていると、エリックがやって来て来客が伝えられた。
「誰だ?」
「ラザール・シリエ様です」
「隊長が……?」
思いがけない来訪者に、ベルナールの心臓はどくりと大きな鼓動を打っていた。
「没落令嬢、貧乏騎士のメイドになります」を読んでいる人はこの作品も読んでいます
-
【完結】苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~
-
78
-
-
寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした
-
254
-
-
異母妹に婚約者を奪われ、義母に帝国方伯家に売られましたが、若き方伯閣下に溺愛されました。しかも帝国守護神の聖女にまで選ばれました。
-
23
-
-
聖女は教会に裏切られ、王子達に輪姦され、奈落の底に落とされました。
-
26
-
-
同期の御曹司様は浮気がお嫌い
-
44
-
-
社長、それは忘れて下さい!?
-
62
-
-
身代わり婚約者は生真面目社長に甘く愛される
-
149
-
-
秘め恋ブルーム〜極甘CEOの蜜愛包囲網〜
-
52
-
-
自称身体の弱い聖女の妹に、婚約者の王太子を奪われ、辺境に追放されてしまいました。
-
29
-
-
【書籍化】王宮を追放された聖女ですが、実は本物の悪女は妹だと気づいてももう遅い 私は価値を認めてくれる公爵と幸せになります【コミカライズ】
-
30
-
-
【完結】幼馴染の専業ニセ嫁始めましたが、どうやらニセ夫の溺愛は本物のようです
-
140
-
-
【コミカライズ】寵愛紳士 ~今夜、献身的なエリート上司に迫られる~
-
164
-
-
ただいま冷徹上司を調・教・中・!
-
50
-
-
わかりました、結婚しましょう!(原題:橘部長を観察したい!)
-
72
-
-
【完結】私の赤点恋愛~スパダリ部長は恋愛ベタでした~
-
49
-
-
【完結】契約書は婚姻届
-
80
-
-
嫁ぎ先の旦那様に溺愛されています。
-
72
-
-
視線が絡んで、熱になる
-
25
-
-
冷たい部長の甘い素顔【完】
-
150
-
-
溺愛誓約~意地悪なカレの愛し方~
-
130
-
コメント