没落令嬢、貧乏騎士のメイドになります
第五十四話 熊男の決意表明
馬車は王都の街を抜け、郊外の森の中へと進んだ。
窓の外には豊かな緑が広がっている。
二週間見なかっただけで、それが酷く懐かしいようにベルナールは感じていた。
馬車は森の中の屋敷に到着したが、いつの間にかすっかり様変わりしていた。
屋敷の周囲には長い杭が打たれ、棘の付いた鉄線が幾重にも張り巡らされている。
そして、全身黒尽くめの男達が数十名辺りに配置されていた。
「なんですか、これは…?」
「盗人対策だ」
黒尽くめの男達はカルヴィン傘下の私兵団で、今回屋敷の警備をさせるために連れて来たと話す。
「お祖父様の、私兵団、ですか」
「そうよ。俺のように金を持っている奴は狙われるからな。用心にこしたことはないと思い、三十年前に作ったんだ」
「そんなに前から……」
私兵団については、娘であるオセアンヌも知らなかったと言う。
彼らは普段、商会の従業員に紛れているために、存在を把握している者は多くないと内部事情を語る。
ギラついた目の男達が配置された庭を抜け、玄関の前まで辿り着く。
白亜の屋敷を、ベルナールは見上げた。
しばらくじっくり見る暇もなかったが、ところどころ塗装は剥げ、外観は微妙な状態になっていた。加えて、白い壁と赤い瓦の色が合っていないような気がする。やはり、青く塗らなければならないなと思った。それは、一瞬の現実逃避である。
これから先のことを考えれば、酷く憂鬱になった。
だが、しっかりしなければと前を向いたその時、玄関の扉が開く。
屋敷から出て来たのは、アニエスだった。
「ベ、ベルナール様……!」
「アニエス」
アニエスは口元を押さえ、目を潤ませていた。感極まって、そこから動けなくなる。
ベルナールはそんな彼女に近づき、存在を確かめるかのように細い体をぎゅっと抱きしめた。
アニエスの瞳から涙が溢れ、瞬きをすればぽろり、ぽろりと頬を伝っていく。
彼女は震える声で、ベルナールを迎える言葉を口にした。
「お帰りなさいませ。ずっと、お待ち申し上げておりました」
「ああ、ただいま帰った」
二人の再会を、周囲の者達は温かな視線で見守る。
そのことに気付いたベルナールは顔を真っ赤にさせ、一度離れると、アニエスを連れて家の中に入って行った。
◇◇◇
屋敷にはカルヴィンの連れて来た秘書や従僕などが滞在していた。
一度、オルレリアン家の領地へ帰っていたジジル達も、今回の件に対応するために、王都の屋敷に戻って来ていた。
食堂に集まり、これまでの報告会を行う。
まず、誘拐事件について。
アニエスは頭を強く打ち、ブロンデルより尋問を受けた記憶があいまいとなっていた。具体的にどういった言動を行っていたか思い出せず、証言は難しいということだった。
騎士団の内部調査は、とある一派が進めている。
情報が固まれば、詳細を話すとカルヴィンは言っていた。
最後に、これからについて。
「ベルナールよ、お前はどうしたい?」
「俺は――」
ブロンデルの悪事を暴き、然るべき処罰を受けさせたい。そう思っているが、現状として出来ることは何もないように思える。
事件を起こし、騎士の位をはく奪され、足も負傷してしまった。
ずっと騎士を続けることだけを考えていたベルナールの人生設計は一瞬にして崩れさってしまう。
「まあ、すぐに決められるものでもないだろう。しばらくは、ゆっくり療養に務めるのだ。――アニエス・レーヴェルジュよ、孫の世話を頼めるか?」
「はい、お役に立てるよう、しっかり努めます」
カルヴィンは目の下にくっきりとくまがあるベルナールを見て、眠るように勧める。
指摘されて気付いたが、ここ一週間、ぐっすりと眠れていなかったのだ。それだけ、緊張状態の中に身を置いていた。
立ち上がればアニエスが近付き、ベルナールの手を握る。
家族の前でこのように密着するなんてと思ったが、彼女なりの看護なのかもしれないと気付き、なされるがままになっていた。
二週間ぶりの私室に戻り、そのまま寝室に向かう。
寝台の縁に座り、ぼんやりとしていたら、アニエスが寝間着を持って来てくれた。
「何か、お飲み物は必要ですか?」
「いや、いい」
「お食事は?」
「まだ、腹は減っていない」
「左様でございましたか」
雑居房で毎日のように出されていた、石のように硬いパンと薄く酸っぱいスープを思い出し、なんとも言えない気持ちになる。
アニエスからの差し入れだけが、ベルナールの食生活を支えていた。
心配そうに顔を覗く存在に気付き、首を横に振る。
「それよりも、お前と話がしたい」
「ベルナール様……」
「ここに」
隣に腰かけるように言えば、アニエスは静かに頷いた。
「――良かった」
ベルナールはぽつりと呟く。
アニエスが無事で本当に良かったと、心から思う。
「少し、いいか?」
「え? は、はい」
一度断ってから、アニエスの前髪をかき上げる。そこには、傷跡があった。
幸いにも、ブロンデル家で負傷した怪我は小さなもので、二週間経った現在ではほとんど分からなくなっていた。
「お医者様は、そのうち分からないようになるだろうと」
「それは良かった」
ホッと安堵の息を吐く。
じっと見つめ合えば、アニエスの瞳が揺れた。青い双眸が、暗い輝きを放つ。
「ベルナール様は、その、大きなお怪我を――」
アニエスは言い終わらないうちに、ボロボロと涙を流し出した。ごめんなさいと、何度も謝罪の言の葉を繰り返す。
「大丈夫だ、心配は要らない」
「わ、わたくしの、せいで」
「お前のせいじゃない。これは、俺の不用心から負った傷だ」
「ですが、わたくしが攫われなかったら」
「お前には関係ない!」
強い口調で言われ、アニエスはしゅんと落ちこんだ様子を見せる。
そして肩を震わせ、声を押し殺しつつはらはらと涙を流していた。
ベルナールは言い方を間違ったと、己の発言を後悔する。このままではいけないと思い、発言を訂正した。
「違う、そうではない……その、あれだ」
こういう弁解めいたことを言うのは、今までのベルナールにとってありえないことであった。だが、今ここではっきりと言い訳しておかないと、アニエスから見放されるのではと思った。なので、意を決し言葉にする。
「足は、もしかしたら治らないかもしれないし、治るかもしれない。まだ分からない。だが、はっきりと言われたのは、治るとしても、日常生活水準で問題ない程度だと」
「……はい」
「この先、剣を揮うことは出来なくなるだろう。……だが、その前に騎士の身分ははく奪された。俺は自分勝手な判断で、嘘の書類を作り、盗みを働き、他人に暴行を加えた。まあ、妥当な処分だろう」
「……はい」
「口は悪いし頭も悪い。金もないし、家も襤褸(ぼろ)い。いいところなんかありゃしないが……」
ベルナールは自分で言っておいて、その言葉に傷ついてしまう。
改めて、騎士ではない己自身は存在価値が薄くなるのだと気付くことになった。
今一度、アニエスの顔を見る。
驚いたことに、彼女は泣き止んで、まっすぐな目をベルナールに向けていた。
その視線に導かれるかのように、問いかける。
「これは、個人的な我儘だと思っている。断ってもいい、だが、聞いておきたい」
こくりとアニエスは深く頷いた。
意思を確認すれば、ベルナールは言葉を続ける。
「――これからも、俺を支えてくれないか?」
そんな問いかけをすれば、アニエスは膝の上にあったベルナールの握られた拳に、そっと手を重ね合わせる。
目が合った彼女の表情は、さきほどまでの弱々しいものではない。
さまざまな覚悟を決め、腹を括ったように見えた。
そして、返事の言葉を口にする。
「はい、わたくしで、よろしかったら」
ベルナールはアニエスの体を抱き締め、耳元でありがとうと礼を言う。
アニエスはふるふると首を横に振っていた。
一度体を離し、顔を覗き込む。
顔を真っ赤にさせたアニエスは、照れて恥ずかしそうにしていた。
「どうした?」
「いえ、その、嬉しくて」
「お前だけだよ、そんな風に言ってくれるのは」
「そ、そんなことないです」
先ほどまでキリっとした様子を見せていたのに、あっという間に表情は崩れ、おろおろとしていて落ち着かない様子を見せている。
そんなアニエスを見て、ベルナールは笑ってしまった。
「ベルナール様……」
「すまない、笑ってしまって」
「いいえ、笑顔を見たいと、ずっと思っておりました」
「そうか」
二人の間に流れるものは穏やかで、とても居心地のいいものだった。
 じんわりと、ベルナールの心の中に灯った温かな気持ちを、素直に告げる。
「長い間、想っていたんだろうが、気付くのが遅くて――」
ベルナールの言葉に首を傾げるアニエス。
ぐっと近づき、彼女の耳元で低い声で囁いた。
「俺、お前のことが好きなんだと思う」
「!」
ベルナールの言葉に、大きな目を更に大きくし、パチパチと何度も瞬かせるアニエス。
「わ、わたくしは――」
「いいよ、知ってるから」
そう言って、ベルナールはアニエスの言葉を封じるように、そっと口付けをした。
窓の外には豊かな緑が広がっている。
二週間見なかっただけで、それが酷く懐かしいようにベルナールは感じていた。
馬車は森の中の屋敷に到着したが、いつの間にかすっかり様変わりしていた。
屋敷の周囲には長い杭が打たれ、棘の付いた鉄線が幾重にも張り巡らされている。
そして、全身黒尽くめの男達が数十名辺りに配置されていた。
「なんですか、これは…?」
「盗人対策だ」
黒尽くめの男達はカルヴィン傘下の私兵団で、今回屋敷の警備をさせるために連れて来たと話す。
「お祖父様の、私兵団、ですか」
「そうよ。俺のように金を持っている奴は狙われるからな。用心にこしたことはないと思い、三十年前に作ったんだ」
「そんなに前から……」
私兵団については、娘であるオセアンヌも知らなかったと言う。
彼らは普段、商会の従業員に紛れているために、存在を把握している者は多くないと内部事情を語る。
ギラついた目の男達が配置された庭を抜け、玄関の前まで辿り着く。
白亜の屋敷を、ベルナールは見上げた。
しばらくじっくり見る暇もなかったが、ところどころ塗装は剥げ、外観は微妙な状態になっていた。加えて、白い壁と赤い瓦の色が合っていないような気がする。やはり、青く塗らなければならないなと思った。それは、一瞬の現実逃避である。
これから先のことを考えれば、酷く憂鬱になった。
だが、しっかりしなければと前を向いたその時、玄関の扉が開く。
屋敷から出て来たのは、アニエスだった。
「ベ、ベルナール様……!」
「アニエス」
アニエスは口元を押さえ、目を潤ませていた。感極まって、そこから動けなくなる。
ベルナールはそんな彼女に近づき、存在を確かめるかのように細い体をぎゅっと抱きしめた。
アニエスの瞳から涙が溢れ、瞬きをすればぽろり、ぽろりと頬を伝っていく。
彼女は震える声で、ベルナールを迎える言葉を口にした。
「お帰りなさいませ。ずっと、お待ち申し上げておりました」
「ああ、ただいま帰った」
二人の再会を、周囲の者達は温かな視線で見守る。
そのことに気付いたベルナールは顔を真っ赤にさせ、一度離れると、アニエスを連れて家の中に入って行った。
◇◇◇
屋敷にはカルヴィンの連れて来た秘書や従僕などが滞在していた。
一度、オルレリアン家の領地へ帰っていたジジル達も、今回の件に対応するために、王都の屋敷に戻って来ていた。
食堂に集まり、これまでの報告会を行う。
まず、誘拐事件について。
アニエスは頭を強く打ち、ブロンデルより尋問を受けた記憶があいまいとなっていた。具体的にどういった言動を行っていたか思い出せず、証言は難しいということだった。
騎士団の内部調査は、とある一派が進めている。
情報が固まれば、詳細を話すとカルヴィンは言っていた。
最後に、これからについて。
「ベルナールよ、お前はどうしたい?」
「俺は――」
ブロンデルの悪事を暴き、然るべき処罰を受けさせたい。そう思っているが、現状として出来ることは何もないように思える。
事件を起こし、騎士の位をはく奪され、足も負傷してしまった。
ずっと騎士を続けることだけを考えていたベルナールの人生設計は一瞬にして崩れさってしまう。
「まあ、すぐに決められるものでもないだろう。しばらくは、ゆっくり療養に務めるのだ。――アニエス・レーヴェルジュよ、孫の世話を頼めるか?」
「はい、お役に立てるよう、しっかり努めます」
カルヴィンは目の下にくっきりとくまがあるベルナールを見て、眠るように勧める。
指摘されて気付いたが、ここ一週間、ぐっすりと眠れていなかったのだ。それだけ、緊張状態の中に身を置いていた。
立ち上がればアニエスが近付き、ベルナールの手を握る。
家族の前でこのように密着するなんてと思ったが、彼女なりの看護なのかもしれないと気付き、なされるがままになっていた。
二週間ぶりの私室に戻り、そのまま寝室に向かう。
寝台の縁に座り、ぼんやりとしていたら、アニエスが寝間着を持って来てくれた。
「何か、お飲み物は必要ですか?」
「いや、いい」
「お食事は?」
「まだ、腹は減っていない」
「左様でございましたか」
雑居房で毎日のように出されていた、石のように硬いパンと薄く酸っぱいスープを思い出し、なんとも言えない気持ちになる。
アニエスからの差し入れだけが、ベルナールの食生活を支えていた。
心配そうに顔を覗く存在に気付き、首を横に振る。
「それよりも、お前と話がしたい」
「ベルナール様……」
「ここに」
隣に腰かけるように言えば、アニエスは静かに頷いた。
「――良かった」
ベルナールはぽつりと呟く。
アニエスが無事で本当に良かったと、心から思う。
「少し、いいか?」
「え? は、はい」
一度断ってから、アニエスの前髪をかき上げる。そこには、傷跡があった。
幸いにも、ブロンデル家で負傷した怪我は小さなもので、二週間経った現在ではほとんど分からなくなっていた。
「お医者様は、そのうち分からないようになるだろうと」
「それは良かった」
ホッと安堵の息を吐く。
じっと見つめ合えば、アニエスの瞳が揺れた。青い双眸が、暗い輝きを放つ。
「ベルナール様は、その、大きなお怪我を――」
アニエスは言い終わらないうちに、ボロボロと涙を流し出した。ごめんなさいと、何度も謝罪の言の葉を繰り返す。
「大丈夫だ、心配は要らない」
「わ、わたくしの、せいで」
「お前のせいじゃない。これは、俺の不用心から負った傷だ」
「ですが、わたくしが攫われなかったら」
「お前には関係ない!」
強い口調で言われ、アニエスはしゅんと落ちこんだ様子を見せる。
そして肩を震わせ、声を押し殺しつつはらはらと涙を流していた。
ベルナールは言い方を間違ったと、己の発言を後悔する。このままではいけないと思い、発言を訂正した。
「違う、そうではない……その、あれだ」
こういう弁解めいたことを言うのは、今までのベルナールにとってありえないことであった。だが、今ここではっきりと言い訳しておかないと、アニエスから見放されるのではと思った。なので、意を決し言葉にする。
「足は、もしかしたら治らないかもしれないし、治るかもしれない。まだ分からない。だが、はっきりと言われたのは、治るとしても、日常生活水準で問題ない程度だと」
「……はい」
「この先、剣を揮うことは出来なくなるだろう。……だが、その前に騎士の身分ははく奪された。俺は自分勝手な判断で、嘘の書類を作り、盗みを働き、他人に暴行を加えた。まあ、妥当な処分だろう」
「……はい」
「口は悪いし頭も悪い。金もないし、家も襤褸(ぼろ)い。いいところなんかありゃしないが……」
ベルナールは自分で言っておいて、その言葉に傷ついてしまう。
改めて、騎士ではない己自身は存在価値が薄くなるのだと気付くことになった。
今一度、アニエスの顔を見る。
驚いたことに、彼女は泣き止んで、まっすぐな目をベルナールに向けていた。
その視線に導かれるかのように、問いかける。
「これは、個人的な我儘だと思っている。断ってもいい、だが、聞いておきたい」
こくりとアニエスは深く頷いた。
意思を確認すれば、ベルナールは言葉を続ける。
「――これからも、俺を支えてくれないか?」
そんな問いかけをすれば、アニエスは膝の上にあったベルナールの握られた拳に、そっと手を重ね合わせる。
目が合った彼女の表情は、さきほどまでの弱々しいものではない。
さまざまな覚悟を決め、腹を括ったように見えた。
そして、返事の言葉を口にする。
「はい、わたくしで、よろしかったら」
ベルナールはアニエスの体を抱き締め、耳元でありがとうと礼を言う。
アニエスはふるふると首を横に振っていた。
一度体を離し、顔を覗き込む。
顔を真っ赤にさせたアニエスは、照れて恥ずかしそうにしていた。
「どうした?」
「いえ、その、嬉しくて」
「お前だけだよ、そんな風に言ってくれるのは」
「そ、そんなことないです」
先ほどまでキリっとした様子を見せていたのに、あっという間に表情は崩れ、おろおろとしていて落ち着かない様子を見せている。
そんなアニエスを見て、ベルナールは笑ってしまった。
「ベルナール様……」
「すまない、笑ってしまって」
「いいえ、笑顔を見たいと、ずっと思っておりました」
「そうか」
二人の間に流れるものは穏やかで、とても居心地のいいものだった。
 じんわりと、ベルナールの心の中に灯った温かな気持ちを、素直に告げる。
「長い間、想っていたんだろうが、気付くのが遅くて――」
ベルナールの言葉に首を傾げるアニエス。
ぐっと近づき、彼女の耳元で低い声で囁いた。
「俺、お前のことが好きなんだと思う」
「!」
ベルナールの言葉に、大きな目を更に大きくし、パチパチと何度も瞬かせるアニエス。
「わ、わたくしは――」
「いいよ、知ってるから」
そう言って、ベルナールはアニエスの言葉を封じるように、そっと口付けをした。
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