没落令嬢、貧乏騎士のメイドになります
第二十四話 アニエスとお薬
朝、アニエスはフラフラな状態でミエルの朝食の準備をする。
食欲旺盛な子猫は、足元でミャアミャアと元気よく鳴いていた。
途中、ジジルが朝食を持ってやって来る。
「おはよう」
「おはようございます」
「顔色悪いわね」
「そうですか?」
「ええ、大丈夫?」
「はい、平気です」
「だったらいいけれど」
ジジルは朝食の載った皿を椅子の上に置き、ミエルを抱き上げて籠の中に入れて布を被せた。
アニエスは一晩中ベルナールの看病をしていた。恩返しの一つとして、自ら望んだのだ。
看病する相手は成人男性であり、薬を飲んだあとならば悪化することもない。
医者も一晩安静にしていれば、すぐに治ると言っていた。
なので、万が一アニエスが看病の途中で眠ってしまっても、問題ないだろうと思ってジジルは任せることにしていた。
アニエスの顔は青ざめ、目の下には濃いくまがある。彼女は酷く憔悴していた。一生懸命看病をしていたというのは見て分かる。
「どうだった?」
「上手く、看病出来ていたかは分かりませんが……」
子どもの頃、風邪を引いたら乳母が一晩中看病をしてくれたのを思い出しながら、行ったと話す。
「途中、母上様が蜂蜜レモンを作って持って来てくれて――」
それが美味しくて、ホッとした気分になっていた。
風邪を引いた時は心も不安定になる。少しでも、それを和らげることが出来たらいいとアニエスははにかみながら言う。
「大丈夫。看病、上手くいったみたい。旦那様、すっかり元気になっていたわ」
「ああ、良かったです」
その言葉を聞き、深く安堵した様子を見せていた。
落ち着いたところで、ジジルは朝食を食べようかと声をかける。
本日の品目は大きなビスケットに、チーズ、ゆで卵、皮付きのリンゴが一切れ。
調理場担当のアレンが休みの日なので、実にシンプルな朝食が用意されていた。
残念なことに、徹夜明けのアニエスはほとんど食べられなかった。代わりにジジルが平らげる。
「すみません、せっかく準備して頂いたのに」
「そういう日もあるわ」
しょぼんとするアニエスの背をポンポンと叩きながら、軽い調子で励ます。
朝食後、このあとの予定が言い渡された。
「アニエスさん、お仕事は午後からお願い出来るかしら」
「え?」
「ミエルの面倒はドミニクが見ているから、安心して」
「そ、そんな。わたくしは大丈夫です」
「昨日から働き詰めだったでしょう? これは命令」
「……はい、分かりました。ありがとうございます」
命じたことを素直に受け入れたので、いい子だと頭を撫でるジジル。
アニエスは言われた通り、午前中は休むことにした。
◇◇◇
ゆっくり睡眠を取ることが出来たアニエスは、張り切って仕着せに着替え、一階まで降りていく。
まず、庭にミエルを迎えに行った。
ドミニクは庭木周辺の土を解し、油かすや落ち葉、家畜の糞などの肥料を埋めていた。
これらは土の中で発酵し、春になる頃に木々の栄養となる。
忙しそうにしていたので、頃合いを見て、声を掛ける。
ミエルはドミニクのポケットの中ですやすやと眠っていた。お礼を言って受け取る。
母親の胎内のような場所で丸くなっていたミエルは、ほかほかと温かくなっていた。
そんな子猫を抱き、三階の陽当たりが良い場所に寝かせておく。餌はお腹が空いたら食べるだろうと思い、いつもの場所に置いた。つい最近、自力で食べられるようになったので、その辺の心配もいらない。
調理場を覗き込めば、ジジルが昼食の準備をしていた。アニエスも手伝う。
使用人全員で昼食を摂る。
品目は焼いた肉をパンに挟んだものに、山盛りになった揚げた芋。
休みのアレンも一階にやって来て、母親の作った料理に愕然とする。
「今日の料理当番、母さんだったのか……。なんていうか、相変わらず雑い」
「文句言わないの!」
アレンの料理は繊細で、彩りも鮮やか。
一方で、ジジルは大ざっぱで茶色い料理しか作らなかった。
ドミニクとエリック、アニエスは、黙って食べている。それを見習えと、ジジルは二番目の息子に指導していた。
「旦那様ですら、私の作った料理に文句を言ったことがないのに」
「旦那様は昔からなんでも食べるいい子です」
「なんですって!?」
まあまあと、無表情で間に割って入るエリック。
親子喧嘩はあっさりと終息した。
しんと静かな食卓で、アニエスは我慢できなくなり、笑い出してしまった。
「ほら、アレンのせいで笑われてしまったじゃない」
「面白いのは母さんの料理で、僕じゃない」
「また、あなたは」
「ご、ごめんなさい……お食事中なのに」
「いいのよ。キャロルやセリアなんかが居る時は、もっと賑やかだから」
アニエスはここに来てからお喋りしながら食事を楽しむことを覚えた。
貴族社会ではあり得ない行為であったが、彼女はもう伯爵家のご令嬢でもなんでもない。
様々な柵(しがらみ)に囚われることなく、庶民としてのささやかな生活を満喫している。
今まで味わったことのない、充実した日々を過ごしていた。
午後からは傷薬作りを教えてもらうことになった。
ジジルの指導の元、製薬開始となる。
「まず、材料から説明するわね」
「はい」
まず取り出したのは、蝋に似たくすんだ黄色の塊。
「これは蜜蝋。皮膚の保湿と抗菌、美肌効果なんかもあるのですって」
アニエスは教えてもらっていることを一生懸命書いていく。
「で、こっちは精油」
香りには鎮静効果があり、消炎、殺菌作用がある薫衣草。
万能薬とも言われている茶樹草。
それから、皮膚の保湿や抗炎症作用のある砂漠の実。
夏季に採れる三つの植物で、ドミニクがせっせと精油を作るのだ。
「作り方はね、本当に簡単」
鍋の中に水を入れ、その中に小瓶に入れた蜜蝋に砂漠の実の精油を垂らしたものを置く。
鍋の湯が沸騰する前の温度で蜜蝋を溶かす。ある程度溶けてきたら鍋から取り出し、余熱で溶けるのを待つ。
蜜蝋の塊が綺麗になくなれば、薫衣草と茶樹草の精油を数滴垂らしてかき混ぜる。
完成したものは煮沸消毒した缶に入れて、トントンと机に打ち付けて中の空気を抜く。それから、きっちりと蓋を閉じたら完成となった。
「とまあ、こんな感じ」
「ご指導、ありがとうございます」
「いえいえ」
他にも、様々な精油の組み合わせで薬が作れることを教えてくれる。
筋肉痛を緩和するものに、日焼けの跡を薄くするものなど。
「この傷薬はアニエスさんにあげる」
「いいのでしょうか?」
「ええ。お好きにどうぞ」
「ありがとうございます!」
初めて作った薬を、アニエスは胸の中にぎゅっと抱きしめた。
◇◇◇
冬の日没は早い。
騎士団の終業を知らせる鐘が鳴る頃には、すっかり暗くなっている。
終礼を終わらせ、家に帰ろうとしているベルナールを引き止める者が出てきた。
「やあ、奇遇だね」
「……どうも」
「ちょっと話があるんだ」
行く手を阻むのは、エルネスト・バルテレモン。
ベルナールは話をしたくなかったが、どうせアニエス関連のことだろうと思い、渋々誘いに応じる。
通された部屋は埃っぽく、喉が敏感になっていたので咳き込んでしまった。
その様子に、エルネストは不快そうな表情を浮かべている。
「――それで、話とは?」
「アニエス・レーヴェルジュのことだよ」
「だろうな」
彼は焦っていた。
社交界で再びアニエスへの注目が集まり、エルネスト同様に捜索を始めている者達が居ると話す。
「いつの間にか悲劇の聖女扱いだよ」
「それはそれは、お気の毒に」
ベルナールはあくまでも「無関係です」と言った感じの言葉を返す。
「こういった事態は面白くない。彼女は私が先に目を付けたのに」
社交界の者達の鮮やかな手のひら返しに、ベルナールは呆れた気持ちになる。
記事に書かれた話が何倍にも膨らみ、アニエス像をどんどん歪めていた。
彼女は聖女なんかではない。
ごくごく普通の、どこにでもいる平凡な女性だった。
「それで?」
「いや、話を聞いて欲しかっただけだ」
「は?」
「人に話せば、案外すっきりするものだね」
呆然とするベルナールを残して、エルネストは部屋から去って行く。
訳が分からないと部屋で一人、怒りを覚えることになった。
食欲旺盛な子猫は、足元でミャアミャアと元気よく鳴いていた。
途中、ジジルが朝食を持ってやって来る。
「おはよう」
「おはようございます」
「顔色悪いわね」
「そうですか?」
「ええ、大丈夫?」
「はい、平気です」
「だったらいいけれど」
ジジルは朝食の載った皿を椅子の上に置き、ミエルを抱き上げて籠の中に入れて布を被せた。
アニエスは一晩中ベルナールの看病をしていた。恩返しの一つとして、自ら望んだのだ。
看病する相手は成人男性であり、薬を飲んだあとならば悪化することもない。
医者も一晩安静にしていれば、すぐに治ると言っていた。
なので、万が一アニエスが看病の途中で眠ってしまっても、問題ないだろうと思ってジジルは任せることにしていた。
アニエスの顔は青ざめ、目の下には濃いくまがある。彼女は酷く憔悴していた。一生懸命看病をしていたというのは見て分かる。
「どうだった?」
「上手く、看病出来ていたかは分かりませんが……」
子どもの頃、風邪を引いたら乳母が一晩中看病をしてくれたのを思い出しながら、行ったと話す。
「途中、母上様が蜂蜜レモンを作って持って来てくれて――」
それが美味しくて、ホッとした気分になっていた。
風邪を引いた時は心も不安定になる。少しでも、それを和らげることが出来たらいいとアニエスははにかみながら言う。
「大丈夫。看病、上手くいったみたい。旦那様、すっかり元気になっていたわ」
「ああ、良かったです」
その言葉を聞き、深く安堵した様子を見せていた。
落ち着いたところで、ジジルは朝食を食べようかと声をかける。
本日の品目は大きなビスケットに、チーズ、ゆで卵、皮付きのリンゴが一切れ。
調理場担当のアレンが休みの日なので、実にシンプルな朝食が用意されていた。
残念なことに、徹夜明けのアニエスはほとんど食べられなかった。代わりにジジルが平らげる。
「すみません、せっかく準備して頂いたのに」
「そういう日もあるわ」
しょぼんとするアニエスの背をポンポンと叩きながら、軽い調子で励ます。
朝食後、このあとの予定が言い渡された。
「アニエスさん、お仕事は午後からお願い出来るかしら」
「え?」
「ミエルの面倒はドミニクが見ているから、安心して」
「そ、そんな。わたくしは大丈夫です」
「昨日から働き詰めだったでしょう? これは命令」
「……はい、分かりました。ありがとうございます」
命じたことを素直に受け入れたので、いい子だと頭を撫でるジジル。
アニエスは言われた通り、午前中は休むことにした。
◇◇◇
ゆっくり睡眠を取ることが出来たアニエスは、張り切って仕着せに着替え、一階まで降りていく。
まず、庭にミエルを迎えに行った。
ドミニクは庭木周辺の土を解し、油かすや落ち葉、家畜の糞などの肥料を埋めていた。
これらは土の中で発酵し、春になる頃に木々の栄養となる。
忙しそうにしていたので、頃合いを見て、声を掛ける。
ミエルはドミニクのポケットの中ですやすやと眠っていた。お礼を言って受け取る。
母親の胎内のような場所で丸くなっていたミエルは、ほかほかと温かくなっていた。
そんな子猫を抱き、三階の陽当たりが良い場所に寝かせておく。餌はお腹が空いたら食べるだろうと思い、いつもの場所に置いた。つい最近、自力で食べられるようになったので、その辺の心配もいらない。
調理場を覗き込めば、ジジルが昼食の準備をしていた。アニエスも手伝う。
使用人全員で昼食を摂る。
品目は焼いた肉をパンに挟んだものに、山盛りになった揚げた芋。
休みのアレンも一階にやって来て、母親の作った料理に愕然とする。
「今日の料理当番、母さんだったのか……。なんていうか、相変わらず雑い」
「文句言わないの!」
アレンの料理は繊細で、彩りも鮮やか。
一方で、ジジルは大ざっぱで茶色い料理しか作らなかった。
ドミニクとエリック、アニエスは、黙って食べている。それを見習えと、ジジルは二番目の息子に指導していた。
「旦那様ですら、私の作った料理に文句を言ったことがないのに」
「旦那様は昔からなんでも食べるいい子です」
「なんですって!?」
まあまあと、無表情で間に割って入るエリック。
親子喧嘩はあっさりと終息した。
しんと静かな食卓で、アニエスは我慢できなくなり、笑い出してしまった。
「ほら、アレンのせいで笑われてしまったじゃない」
「面白いのは母さんの料理で、僕じゃない」
「また、あなたは」
「ご、ごめんなさい……お食事中なのに」
「いいのよ。キャロルやセリアなんかが居る時は、もっと賑やかだから」
アニエスはここに来てからお喋りしながら食事を楽しむことを覚えた。
貴族社会ではあり得ない行為であったが、彼女はもう伯爵家のご令嬢でもなんでもない。
様々な柵(しがらみ)に囚われることなく、庶民としてのささやかな生活を満喫している。
今まで味わったことのない、充実した日々を過ごしていた。
午後からは傷薬作りを教えてもらうことになった。
ジジルの指導の元、製薬開始となる。
「まず、材料から説明するわね」
「はい」
まず取り出したのは、蝋に似たくすんだ黄色の塊。
「これは蜜蝋。皮膚の保湿と抗菌、美肌効果なんかもあるのですって」
アニエスは教えてもらっていることを一生懸命書いていく。
「で、こっちは精油」
香りには鎮静効果があり、消炎、殺菌作用がある薫衣草。
万能薬とも言われている茶樹草。
それから、皮膚の保湿や抗炎症作用のある砂漠の実。
夏季に採れる三つの植物で、ドミニクがせっせと精油を作るのだ。
「作り方はね、本当に簡単」
鍋の中に水を入れ、その中に小瓶に入れた蜜蝋に砂漠の実の精油を垂らしたものを置く。
鍋の湯が沸騰する前の温度で蜜蝋を溶かす。ある程度溶けてきたら鍋から取り出し、余熱で溶けるのを待つ。
蜜蝋の塊が綺麗になくなれば、薫衣草と茶樹草の精油を数滴垂らしてかき混ぜる。
完成したものは煮沸消毒した缶に入れて、トントンと机に打ち付けて中の空気を抜く。それから、きっちりと蓋を閉じたら完成となった。
「とまあ、こんな感じ」
「ご指導、ありがとうございます」
「いえいえ」
他にも、様々な精油の組み合わせで薬が作れることを教えてくれる。
筋肉痛を緩和するものに、日焼けの跡を薄くするものなど。
「この傷薬はアニエスさんにあげる」
「いいのでしょうか?」
「ええ。お好きにどうぞ」
「ありがとうございます!」
初めて作った薬を、アニエスは胸の中にぎゅっと抱きしめた。
◇◇◇
冬の日没は早い。
騎士団の終業を知らせる鐘が鳴る頃には、すっかり暗くなっている。
終礼を終わらせ、家に帰ろうとしているベルナールを引き止める者が出てきた。
「やあ、奇遇だね」
「……どうも」
「ちょっと話があるんだ」
行く手を阻むのは、エルネスト・バルテレモン。
ベルナールは話をしたくなかったが、どうせアニエス関連のことだろうと思い、渋々誘いに応じる。
通された部屋は埃っぽく、喉が敏感になっていたので咳き込んでしまった。
その様子に、エルネストは不快そうな表情を浮かべている。
「――それで、話とは?」
「アニエス・レーヴェルジュのことだよ」
「だろうな」
彼は焦っていた。
社交界で再びアニエスへの注目が集まり、エルネスト同様に捜索を始めている者達が居ると話す。
「いつの間にか悲劇の聖女扱いだよ」
「それはそれは、お気の毒に」
ベルナールはあくまでも「無関係です」と言った感じの言葉を返す。
「こういった事態は面白くない。彼女は私が先に目を付けたのに」
社交界の者達の鮮やかな手のひら返しに、ベルナールは呆れた気持ちになる。
記事に書かれた話が何倍にも膨らみ、アニエス像をどんどん歪めていた。
彼女は聖女なんかではない。
ごくごく普通の、どこにでもいる平凡な女性だった。
「それで?」
「いや、話を聞いて欲しかっただけだ」
「は?」
「人に話せば、案外すっきりするものだね」
呆然とするベルナールを残して、エルネストは部屋から去って行く。
訳が分からないと部屋で一人、怒りを覚えることになった。
コメント