没落令嬢、貧乏騎士のメイドになります
第十四話 新たなる大問題
本日のベルナールは休日である。
早起きして身支度を整え、枕元に置いていた剣を掴んで外に出る。
外は雪こそ降っていなかったが、吹く風は肌に突き刺さるほどに冷たい。
薄暗い中、庭師のドミニクは早朝からせっせと働いていた。
「おう、ドミニク、相変わらず早いな」
帽子を上げ、会釈をするドミニク。屋敷で一番の大男は、薪を担いで裏庭に向かっていた。
風がびゅうびゅうと強くなる。
敢えて向かい風となるような位置に立ち、剣を抜いて素振りを始める。
ひゅん、ひゅんと重たい音が庭に響き渡っていた。
回数などは数えていないが、陽が昇れば終了となる。
剣を収めれば、背後より気配を感じる。
「おはようございます、ご主人様」
振り返ればアニエスが居て、はにかんだ笑顔を見せながらタオルを差し出していた。
タオルを受け取り、額の汗を拭う。
「お食事の準備が整ったようです」
「分かった」
ふと、ベルナールはある違和感に気付く。
アニエスが纏っているのは、出会った時に身に付けていた安っぽい作りのワンピースだった。それに、いつもの薄い生地のエプロンをかけている。
ワンピースはアニエスの体には大きすぎて合っておらず、不格好な姿で居た。
「お前、仕着せはどうしたんだよ」
「!」
ハッと目を見開き、気まずそうに顔を伏せるアニエス。
消え入りそうな声で、以前着ていた仕着せは寸法が合っておらず、ボタンが取れてしまったことを告白していた。
「腕を上げたらボタンがはじけ飛んだって、んな馬鹿な」
「ほ、本当、なのです。ジジルさんも、見ていました」
昨日の仕着せの発注はこれが原因だったのかと、事情を理解する。
今まで着ていたのは、結婚したジジルの長女の仕着せだったことも発覚した。
「でも、どうしてそんなことになったんだ?」
「す、少し…………です」
「なんだって?」
「……わたくしは、す、少しふとやか、なの、です」
「はあ!?」
アニエスの体を頭からつま先まで見る。
大き目の服を着ているので、姿形がはっきり分かるわけではないが、全体的にすらりとしていた。それを太っているというのは、首を傾げる主張であった。
「どこが太ってんだよ」
「今は、その、矯正下着で体を絞っているので」
「こるせっと?」
「はい。金具の入った下着で、紐で縛って体の線を整える物です」
「それって苦しくないのか?」
「それは……はい。苦しみは伴います」
「なんでそんなことするんだよ。わけが分からん」
「ええ、やっぱり、そう思いますよね」
話せば話すほど、暗く沈んでいくアニエス。
矯正下着なんか着けて仕事が出来るわけがない、着けるのを止めろと言ったが、他に下着を持っていないと言う。今日、ジジルが街に、下着を買いに行ってくれることを告げた。
「まあ、代わりが無いのなら、仕方がないが」
「申し訳ありません」
「いや、いいけどよ」
大袈裟に落ち込むアニエスを気の毒に思ったベルナールは、一言声をかける。
「お前がどれだけ太っているのかは知らんが、痩せ細っているよりは、太っている方がいい」
「え!?」
パッと顔を上げ、ベルナールを見上げるアニエス。
「そ、それは、ほっそりとした女性よりも、ふくよかな女性が好ましい、ということですか?」
「い、いや、まあ、どちらかと言えば……」
ガリガリに痩せているよりも、ふっくらとしている方がいい。
回答を聞けば、アニエスの暗かった表情もぱっと晴れた。
「良かったです。社交界デビュー前からの悩みだったので」
「いや、お前はもっと太れよ。腕なんかこんなに細い――」
何度かアニエスの腕や手首を掴んだことのあるベルナールは、再び掴んで確かめる。
手首を掴まれたアニエスは、服の上からだったのにも拘らず、顔を真っ赤にした。
それを見たベルナールはぎょっとして、慌てて手を離した。
「す、すまない」
「い、いいえ。お気になさらないで、く、下さい」
この時になって、相手が箱入りのご令嬢だったと思い出した。
そうでなくても、妻以外の女性に気軽に触れていいわけがない。
互いに照れた状態で顔を逸らしたまま、佇むだけ。
そんな彼らの様子を眺める影が、ついに動き出す。
「アニエスさん!」
「は、はい!」
ジジルの呼びかけに、ビクリと肩を震わせるアニエスとベルナール。
「今、忙しいかしら?」
「いいえ」
二人が会話をする姿を見ながら、人の気配に気付かないくらい動揺していたのかと、ベルナールは自身を恥じていた。
「だったら、厨房の手伝い、お願い」
「分かりました」
アニエスはベルナールに深々と頭を下げ、この場から小走りで去って行く。
庭から居なくなったのを確認して、ジジルは苦言を呈した。
「――旦那様、一つ、言わせて頂きます」
「な、なんだよ」
「この先、もしもアニエスさんに手を出した場合は、責任を取って結婚をして頂きます」
「は、はあ!? なんでだよ!!」
「世間ではそれが当たり前です」
「つーか、手なんか出してないし!!」
「出していました。未婚女性は夜会の舞踏などを除いて、夫以外の殿方が触れていい相手ではないのですよ。それに、そろそろ結婚について考えるよう、奥様よりお手紙が届いております」
「いつ来た!?」
「昨日です」
ジジルがエプロンのポケットから取り出した手紙を、ベルナールは奪い取ろうとしたが、手にする寸前で避けられてしまった。
「お前!!」
「旦那様宛ではありません」
「なんだと?」
「私宛です」
「……」
ジジルはベルナールの母親からの手紙の一部を読み聞かせる。
それは、一向に結婚をしない息子を心配するものだった。
「奥様が、王都にいらっしゃいます」
「はあ、なんで!?」
「旦那様の結婚相手を探して差し上げるそうです」
「いい、結婚は、まだいい。それに、このボロ屋敷に嫁ぎたい貴族の女なんかいるわけないだろ!」
「奥様は、結婚相手は貴族のご令嬢でなくてもいいとおっしゃっています」
性格が良くて、ベルナールを愛してくれる人なら大歓迎だと書かれていた。
「奥様は有言実行をなさる方です」
いくつか心当たりがあったベルナールは、思わず白目を剥いてしまう。
彼の母親は昔から行動力があり、達成するまで諦めない粘り強い人物であった。
もしかしたら、無理矢理結婚をすることになるのではと思い、額に汗が浮かんでいた。
「俺は、まだ、結婚なんてしない!」
「……私ではなくて、奥様におっしゃって下さいよ」
『強襲第三部隊』にやって来てから二ヶ月。
新しい職場や仕事に慣れているわけはなく、アニエスのこともあって、いっぱいいっぱいの状態であった。まだ、結婚する余裕なんてどこにもなかった。
「おい、母上に来るなと言え!」
「一介の使用人である私が、奥様に意見なんて言えるわけがないでしょう」
「いいから、なんとかしろよ!」
「難しいですね」
すでに貴族男性の結婚適齢期なのだから、腹を括ったらどうかと言われてしまう。
だが、ベルナールはつい先日大きな決意を固めたばかりで、次から次へと出来るわけもないとジジルに訴えていた。
「男らしくないですね」
「そういう個人の感覚で、人を量るな!」
「そうですね。申し訳ありませんでした」
ジジルはこれで話は終了とばかりに会釈をし、庭から去ろうとした。
ベルナールは慌てて引き止める。
「おい!」
「旦那様、使用人の朝は忙しいのです」
「いいから、聞け」
「なんですか?」
「俺は結婚したくない」
「それは先ほど聞きました」
「だ、だから、まだ、結婚をしたくないから、助けろ」
「人にものを頼む態度ではないですね」
「……」
主人と使用人という関係にあったが、彼にとってジジルは育ての母だ。
幼少期より、逆らえない人物の一人である。ベルナールは姿勢を正し、頭を下げながら乞う。
「ジジル、どうか俺を、助けて、下さい」
「分かりました」
「え!?」
「なんで驚いているのですか」
「い、いや、本当に、出来るのかと、驚いて」
「ええ、可能です」
駄目元で頼んだことだったが、ジジルはあっさりと結婚を回避する方法があると言う。
「それは、どういう――」
「簡単なことです」
ジジルはにっこりと微笑顔をベルナールに向けて、言い放った。
「アニエスさんに婚約者役をお願いすればいいのですよ」
早起きして身支度を整え、枕元に置いていた剣を掴んで外に出る。
外は雪こそ降っていなかったが、吹く風は肌に突き刺さるほどに冷たい。
薄暗い中、庭師のドミニクは早朝からせっせと働いていた。
「おう、ドミニク、相変わらず早いな」
帽子を上げ、会釈をするドミニク。屋敷で一番の大男は、薪を担いで裏庭に向かっていた。
風がびゅうびゅうと強くなる。
敢えて向かい風となるような位置に立ち、剣を抜いて素振りを始める。
ひゅん、ひゅんと重たい音が庭に響き渡っていた。
回数などは数えていないが、陽が昇れば終了となる。
剣を収めれば、背後より気配を感じる。
「おはようございます、ご主人様」
振り返ればアニエスが居て、はにかんだ笑顔を見せながらタオルを差し出していた。
タオルを受け取り、額の汗を拭う。
「お食事の準備が整ったようです」
「分かった」
ふと、ベルナールはある違和感に気付く。
アニエスが纏っているのは、出会った時に身に付けていた安っぽい作りのワンピースだった。それに、いつもの薄い生地のエプロンをかけている。
ワンピースはアニエスの体には大きすぎて合っておらず、不格好な姿で居た。
「お前、仕着せはどうしたんだよ」
「!」
ハッと目を見開き、気まずそうに顔を伏せるアニエス。
消え入りそうな声で、以前着ていた仕着せは寸法が合っておらず、ボタンが取れてしまったことを告白していた。
「腕を上げたらボタンがはじけ飛んだって、んな馬鹿な」
「ほ、本当、なのです。ジジルさんも、見ていました」
昨日の仕着せの発注はこれが原因だったのかと、事情を理解する。
今まで着ていたのは、結婚したジジルの長女の仕着せだったことも発覚した。
「でも、どうしてそんなことになったんだ?」
「す、少し…………です」
「なんだって?」
「……わたくしは、す、少しふとやか、なの、です」
「はあ!?」
アニエスの体を頭からつま先まで見る。
大き目の服を着ているので、姿形がはっきり分かるわけではないが、全体的にすらりとしていた。それを太っているというのは、首を傾げる主張であった。
「どこが太ってんだよ」
「今は、その、矯正下着で体を絞っているので」
「こるせっと?」
「はい。金具の入った下着で、紐で縛って体の線を整える物です」
「それって苦しくないのか?」
「それは……はい。苦しみは伴います」
「なんでそんなことするんだよ。わけが分からん」
「ええ、やっぱり、そう思いますよね」
話せば話すほど、暗く沈んでいくアニエス。
矯正下着なんか着けて仕事が出来るわけがない、着けるのを止めろと言ったが、他に下着を持っていないと言う。今日、ジジルが街に、下着を買いに行ってくれることを告げた。
「まあ、代わりが無いのなら、仕方がないが」
「申し訳ありません」
「いや、いいけどよ」
大袈裟に落ち込むアニエスを気の毒に思ったベルナールは、一言声をかける。
「お前がどれだけ太っているのかは知らんが、痩せ細っているよりは、太っている方がいい」
「え!?」
パッと顔を上げ、ベルナールを見上げるアニエス。
「そ、それは、ほっそりとした女性よりも、ふくよかな女性が好ましい、ということですか?」
「い、いや、まあ、どちらかと言えば……」
ガリガリに痩せているよりも、ふっくらとしている方がいい。
回答を聞けば、アニエスの暗かった表情もぱっと晴れた。
「良かったです。社交界デビュー前からの悩みだったので」
「いや、お前はもっと太れよ。腕なんかこんなに細い――」
何度かアニエスの腕や手首を掴んだことのあるベルナールは、再び掴んで確かめる。
手首を掴まれたアニエスは、服の上からだったのにも拘らず、顔を真っ赤にした。
それを見たベルナールはぎょっとして、慌てて手を離した。
「す、すまない」
「い、いいえ。お気になさらないで、く、下さい」
この時になって、相手が箱入りのご令嬢だったと思い出した。
そうでなくても、妻以外の女性に気軽に触れていいわけがない。
互いに照れた状態で顔を逸らしたまま、佇むだけ。
そんな彼らの様子を眺める影が、ついに動き出す。
「アニエスさん!」
「は、はい!」
ジジルの呼びかけに、ビクリと肩を震わせるアニエスとベルナール。
「今、忙しいかしら?」
「いいえ」
二人が会話をする姿を見ながら、人の気配に気付かないくらい動揺していたのかと、ベルナールは自身を恥じていた。
「だったら、厨房の手伝い、お願い」
「分かりました」
アニエスはベルナールに深々と頭を下げ、この場から小走りで去って行く。
庭から居なくなったのを確認して、ジジルは苦言を呈した。
「――旦那様、一つ、言わせて頂きます」
「な、なんだよ」
「この先、もしもアニエスさんに手を出した場合は、責任を取って結婚をして頂きます」
「は、はあ!? なんでだよ!!」
「世間ではそれが当たり前です」
「つーか、手なんか出してないし!!」
「出していました。未婚女性は夜会の舞踏などを除いて、夫以外の殿方が触れていい相手ではないのですよ。それに、そろそろ結婚について考えるよう、奥様よりお手紙が届いております」
「いつ来た!?」
「昨日です」
ジジルがエプロンのポケットから取り出した手紙を、ベルナールは奪い取ろうとしたが、手にする寸前で避けられてしまった。
「お前!!」
「旦那様宛ではありません」
「なんだと?」
「私宛です」
「……」
ジジルはベルナールの母親からの手紙の一部を読み聞かせる。
それは、一向に結婚をしない息子を心配するものだった。
「奥様が、王都にいらっしゃいます」
「はあ、なんで!?」
「旦那様の結婚相手を探して差し上げるそうです」
「いい、結婚は、まだいい。それに、このボロ屋敷に嫁ぎたい貴族の女なんかいるわけないだろ!」
「奥様は、結婚相手は貴族のご令嬢でなくてもいいとおっしゃっています」
性格が良くて、ベルナールを愛してくれる人なら大歓迎だと書かれていた。
「奥様は有言実行をなさる方です」
いくつか心当たりがあったベルナールは、思わず白目を剥いてしまう。
彼の母親は昔から行動力があり、達成するまで諦めない粘り強い人物であった。
もしかしたら、無理矢理結婚をすることになるのではと思い、額に汗が浮かんでいた。
「俺は、まだ、結婚なんてしない!」
「……私ではなくて、奥様におっしゃって下さいよ」
『強襲第三部隊』にやって来てから二ヶ月。
新しい職場や仕事に慣れているわけはなく、アニエスのこともあって、いっぱいいっぱいの状態であった。まだ、結婚する余裕なんてどこにもなかった。
「おい、母上に来るなと言え!」
「一介の使用人である私が、奥様に意見なんて言えるわけがないでしょう」
「いいから、なんとかしろよ!」
「難しいですね」
すでに貴族男性の結婚適齢期なのだから、腹を括ったらどうかと言われてしまう。
だが、ベルナールはつい先日大きな決意を固めたばかりで、次から次へと出来るわけもないとジジルに訴えていた。
「男らしくないですね」
「そういう個人の感覚で、人を量るな!」
「そうですね。申し訳ありませんでした」
ジジルはこれで話は終了とばかりに会釈をし、庭から去ろうとした。
ベルナールは慌てて引き止める。
「おい!」
「旦那様、使用人の朝は忙しいのです」
「いいから、聞け」
「なんですか?」
「俺は結婚したくない」
「それは先ほど聞きました」
「だ、だから、まだ、結婚をしたくないから、助けろ」
「人にものを頼む態度ではないですね」
「……」
主人と使用人という関係にあったが、彼にとってジジルは育ての母だ。
幼少期より、逆らえない人物の一人である。ベルナールは姿勢を正し、頭を下げながら乞う。
「ジジル、どうか俺を、助けて、下さい」
「分かりました」
「え!?」
「なんで驚いているのですか」
「い、いや、本当に、出来るのかと、驚いて」
「ええ、可能です」
駄目元で頼んだことだったが、ジジルはあっさりと結婚を回避する方法があると言う。
「それは、どういう――」
「簡単なことです」
ジジルはにっこりと微笑顔をベルナールに向けて、言い放った。
「アニエスさんに婚約者役をお願いすればいいのですよ」
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