没落令嬢、貧乏騎士のメイドになります

江本マシメサ

第十一話 子猫と子猫と子熊!?

 ベルナールはアニエスについてどうするべきなのか考える。だが、ここで今すぐ答えを出すのは難しい。一人で抱えるには、あまりにも大きな問題であった。

「――隊長」
「なんだ?」
「相談が、あるんです」

 深刻な顔で言うので、ラザールは終業後にゆっくり聞こうかと提案してくれる。

「いえ、その、もう少し、考えたいので、後日に聞いてもらいたい、です」
「分かった。いつでも聞こう」
「ありがとうございます」

 報告は早い方がいいと分かっていたものの、気持ちの整理が出来ていない状態で相談するのもどうかと思った。ラザールにも、そう伝える。

「気にすることはない。迷っている状態で話を聞くのも間違いではないが、最終的にことを決めるのは自分だ。ある程度、問題について考えるのもいいだろう」

 だが、あまり根を詰めないようにと注意された。

 ◇◇◇

 終業の鐘が鳴り、ベルナールは家路に就く。
 空は曇天。風があって、黒い雲がどんどん流れていた。雨が降り出すのも時間の問題かと、空を見上げながら思う。

 早足で馬車乗り場まで歩いていたが、突然強い雨が降り出してしまった。
 雨に濡れた状態で馬車に乗り込めば、他の乗客に白い目で見られる。過去に何度かそういう経験があったベルナールは、閉店した本屋の日除けの下で雨宿りすることにした。

 小降りだった雨は、だんだんと大降りになっていた。
 そういえばと、ジジルが傘を持った方がいいと言っていたのを思い出した。
 朝は雲一つない晴天だったので、大丈夫だろうと持って行かなかったのだ。
 ベルナールの母親は、彼女ジジルの言うことは全て間違いないので、素直に聞いておくようにと、口を酸っぱくして言っていた。その言葉が今になって身に染みる。

 幸い、この季節の雨は突然降っては止むことを繰り返す。長い間降ることはない。なので、すぐに晴れるだろうと、本屋の前で待つことにした。

 期待通り、勢いがあった雨もだんだんと小降りになっていく。
 これくらいの勢いならば、あまり濡れることなく馬車に乗り込むことが可能だ。外套を頭の上から被ればいいと思い、一番上のボタンを外していたら、背後より何かの鳴き声が聞こえてきた。

 ――ミャア、ミャア

 それは、弱々しい猫の鳴き声であった。
 一体どこから聞こえて来たのかと周囲を見渡せば、空になった手押し車の下に箱に入った子猫が居た。今まで大きな雨音で聞こえていなかったのだ。

 しゃがみ込んで覗き込めば、酷くやせ細った猫と目が合う。ふるふると震えながら、助けを求めるように鳴いていた。
 体は泥で薄汚れていて、まなじりには目ヤニが溜まっており、目は半開きとなっている。

 一目で捨てられている子猫であることが分かった。

 雨の中、人通りはほとんどない。ここ数日、夜は酷く冷え込んでいる。
 このまま置いて帰れば、子猫がどうなるかは、ベルナールにもよく分かっていた。

 ――ミャア、ミャア!

 子猫は必死になって何かを訴えている。空腹だか、寒さだか、ベルナールには分からない。
 その様子は、見ていて胸が締め付けられるようなものだった。
 子猫は澄んだ青い目をしていた。よく見れば、毛並みは金色。

 箱に前脚を掛け、ミャアミャアと鳴いている。それは昨晩、ベルナールに縋ったアニエスの姿にとても似ていた。

 子猫を前に、頭を抱えるベルナール。

 考えて答えが出ないことは騎士の教えに従えと、数日間忘れていた父の言葉が蘇った。

 いつの間にか、雨は止んでいた。空からは、少しだけ夕日が差し込む。

「――クソ!!」

 ベルナールは手にあった外套で子猫の入っている箱を包み、立ち上がる。
 それから、馬車乗り場まで走って行った。

 子猫は馬車の中では静かだった。案外空気が読める猫で、ベルナールは安堵する。

 家に辿り着いた頃には、すっかり辺りは暗くなっていた。重い足取りで玄関まで向かう。

 扉を開けば、アニエスが出迎えていた。

「おかえりなさいませ、ご主人様」
「……ああ」

 ベルナールとアニエスの表情は暗かった。
 互いに言いたいことがあるのだが、言葉を発することなく見つめ合っている。

 アニエスの潤んでいるような青い目は、先ほどの捨てられた子猫と同じだった。

 そこから滲み出ている感情を読み取ることは、ベルナールには難しいことである。

 しかしながら、分かりやすい点もあった。

 子猫もアニエスも、ベルナールにとっては『弱き者』、という揺るがない事実。

 騎士である彼が取るべき行動は、実に単純だった。
 そう気付いた瞬間に、腹を括る。

「おい」
「はい?」

 ベルナールは外套から子猫の入った箱を出す。それをそのままアニエスに差し出した。

「今日から、お前の仕事は子猫の世話係だ」
「!?」
「分からないことはジジルに聞け。昔猫を飼っていたから」
「あ、あの、わたくし、は」

 呆然とベルナールを見上げるアニエスに、子猫の箱を押し付ける。
 彼女は渡された箱をしっかりと受け取り、ぎゅっと胸に抱きしめ、聞いてくる。

「ほ、本当に、わたくしは、ここに居ても、よろしいの、でしょうか?」
「好きにしろ」
「あ、ありがとう、ございます」
「ただし一つだけ、条件がある」
「?」
「契約書になかったことだが――」

 追加で出された条件は、アニエスにとって驚くべきものであった。
 それは、街への外出を禁じるというもの。必要な物があれば、ジジルに頼むように言われたのだ。

「これが守れないようであれば――」
「はい、問題ありません」

 アニエスの答えは即決だった。潤んでいた目はいつの間にかキラキラと輝いている。
 あっさりと決めるので、ベルナールは唖然とする。ミャア、という子猫の鳴き声が聞こえ、我に返った。

「も、もしも破ったら、即解雇だ」
「はい」

 この深い森の中へやって来る物好きはほとんど居ない。屋敷から出なかったら、見つかることもないだろうと考えている。

「ご主人様、本当に、ありがとうございます」
「いいから、猫をジジルに診てもらえ」
「分かりました」

 ぺこりとお辞儀をして、アニエスは玄関から去って行く。最後に見せた表情は、晴れ晴れとしたものだった。
 その後ろ姿を、複雑な心境で見送る。

 夕食後、ジジルより子猫について報告があった。

「大丈夫なのか?」
「ええ、乳離れをしていたので」

 生後一ヶ月ほどで、歯も生えており、離乳食を食べられる状態にあると言う。
 しばらく世話をしていれば、問題なく育つ状態にあった。

「あいつには、しばらく猫の世話でもさせておけ」
「承知いたしました」

 名前はどうするかと聞かれたが、そういうことは苦手なので、命名もアニエスに任せることにした。

 ついでにアニエスを正式に雇うことに決めたことを話す。
 彼女については誰に何を聞かれても、情報を漏らさないようにと命じた。

「……でしょうね。レーヴェルジュ家は世間では時の人ですから」
「頼んだぞ」
「ええ。家族にもよくよく言い聞かせておきます」

 最後に、ベルナールはジジルに質問をする。

「もしもの話だが、ある日突然騎士の位がはく奪されて、家からも勘当。王都を追い出されることになったら、お前達はどうする?」

 ジジルは問いかけに対し。目を丸くする。だが、それもすぐに笑顔に変わった。

「だったら、田舎にお店を開きましょうよ。辺境レストラン『子猫と子熊亭』とか、どうでしょう?」
「なんでだよ」
「旦那様が森で仕留めた獣の肉を使い、アレンが料理を出すんです。野菜はドミニクが育てたのを使って、そうだ! 給仕はエリックに任せましょう。お昼は喫茶店にして、キャロルとセリアが作ったお菓子をお客様にお出しする。可愛らしい看板娘がいるのもいいですね。……なんてことを考えたら、楽しそうじゃないですか?」
「随分と前向きだな」
「人生、なるようにしかならないですからね。楽しくも短い生涯です。悲観的に考えると損をしますよ」

 今まで悩んでいたのが馬鹿らしくなり、盛大なため息を吐いた。

 人生、なるようにしかならない。悲観すると損をする。
 それは、ベルナールの心に深く響いた。

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