猫と宇宙人はゴーストバスターを始めたようです
第58話 どうしても水だけは嫌いなんだよー!
今日は待ちに待ったわけではないが、プールの授業が始まる日だ。
クラスメイトも浮き足立っている。学校指定の水着に身を包み、今か今かとプールサイドでゴリマツ先生の長い話を聞き流している。
「タマちゃん………とうとうこの日が、来ちゃった、ね。」
「クロちゃん。それは言わないお約束だよー………」
「ぼくもうかえりたい………」
その中にも例外はいた。プールを楽しみにしていないやつら。
つまり猫たちだ。
こいつらだけは体育座りでゴリマツ先生の方を向きながら、明後日を見ていた。
おっちゃんが毎日風呂に放り込んでいるものの、濡れることを極端に嫌う猫たちには、このプールの授業は苦痛でしかないらしい。
だけど、それは僕には全く関係のない事だ。僕は水泳の授業は嫌いじゃないし、別に好きでもない。早く家に帰ってネット麻雀でもしようとしか考えていないんだ。
「―――で、今回は最初のプールの授業だから、自由時間にしようと思う。みんなもその方がいいだろう?」
『『『『 ぃいやぁあったぁあああああああああ!! 』』』』
突然の大声に猫たちはビクリと肩が跳ねた。自由時間か。それは逆にめんどくさいな。
残念ながら僕に友達はいないから、一緒に泳ぐ人もいない。
ちょっと潜ってからプールサイドに座って寝とくか。
「それじゃ、準備運動してから、飛び込まないようにな。」
ゴリマツ先生はブーメランパンツに筋骨隆々の肉体、まさにゴリラ。誰得だよ。
適当に準備運動をして、プールサイドからプールに飛び込む馬鹿や
しっかり準備運動をしたにも関わらず、足をもつれさせて盛大な水しぶきを上げてプールに落ちた正明
やれやれと首をすくめたところ、里澄が背後から押して変な声を上げながらプールに落ちた坊主
ケラケラ笑っていたところ、足元から伸びてきたナナシの手によってプールに引きずり込まれた里澄
それを見ていた狂戦士たちが次々とナナシの真上に飛び込んでいき、しまいにはぷかぷかと坊主頭のなにかがプールを漂っていた。
((( カタカタカタカタ )))
それを見ていた猫たちは、互いの肩を抱いて震えていた。
「な、なんであんなものに嬉々として飛び込めるのー!? おかしいんじゃないかなー!」
「そ、それに………みんなで、沈めようと、してる、ね。」
「もうやだぼくかえるー! にいちゃあああああん!」
ティモはもう泣き出してるし、運動が得意なクロや、あのタマでさえ青ざめた顔をしている。
僕はというと、やる気はないので、プールには入ったけどプールの縁に右手を置いて風呂みたいに肩まで浸かっていた。思ったよりもちょっと冷たいな。
女子グループと追いかけっこをしていた里澄は、プールサイドで震えていた猫たちの方へと泳いでいくと
「ねーえ。泳がないにしても、せめて水の中には入らないのー?」
リズムはプールの縁に腕を組んで顎を乗せ、首を傾げた。というか僕の隣だ。
「うぅ~………お恥ずかしながら、私達は濡れるのが嫌いなんだよー………」
「えっ!? それじゃあお風呂とかはいつもどうしてるの!?」
「いつもおっちゃん………お兄ちゃんが逃げ回る私たちを捕まえて、首根っこを掴んでから地面に転がして、無理やり服を引っぺがした後に風呂場に連れ込まれてそこで一度戦闘をするんだけど、お風呂場のお兄ちゃんは強敵で………通常の3倍くらいの戦闘力で私たちを無力化してから全員の身体を隅々まで高笑いしながら洗うのー。」
「そ、それ犯罪じゃないの!?」
「その………洗い方は、すごく丁寧、なの。」
僕も風呂場のおっちゃんの戦闘を見たことがある。
あれはまさに鬼だった。僕があそこまで怯えたのは初めてだ。イスルギさんの時でさえ悲鳴を上げなかったのに。
「うえ~………それでも、無理やり服をひん剥くのはなぁ~………。クロちゃんたちのお兄さんって、あの人でしょ? あの番組で澄海くんのお母さんの一番弟子になったっていう………。お姉ちゃんも時々その人の話をしてたけど、友達がいないらしいじゃない。なんていうか、その、オタクっぽかったし………危険だよ。」
「むー! リズムちゃん! にいちゃんをわるく言わないで! たしかにおふろの時はちょっと怖いけど、それでもにいちゃんはやさしいんだもん! おふろの時だって、ちょっとうでをうしろに組まされて押さえつけてから洗うだけだもん!」
ティモがなんか変な反論したけど、それは何の反論なんだ? リズムはさらに変な顔をしているぞ。
誤解ばかりが広がりそうだから、僕が里澄に補足説明をする。
「………そうでもしないと、こいつ等は風呂に入ろうとすらしないからだ。」と。
先月、タマを押さえつけていたおっちゃんは、タマが暴れ、誤っておっちゃんの頸動脈を傷つけて、真っ赤な鮮血で浴室を彩りながら死んだ。運が悪いとしか言いようがないが、僕もビビった。
その日のタマは完全にしおらしく、おっちゃんの説教を受け、されるがままに体を洗われていた。かなり反省していたみたい。初めての殺人が、まさかおっちゃんとは。
ちなみに、その日初めてタマの泣いている姿を見た。それを僕は見なかったことにして、浴槽からあがった。だから僕は何も見ていない。三姉弟の長女は、涙なんか見せないんだ。
――その日は、一応ティモを押さえつけて僕が洗ってやっていた。本当は面倒くさかった。だけどおっちゃんには料理の世話になっていたし、少しくらいは恩返しがしたかっんだよ。
でも目の前で血を噴き出して倒れそうになるおっちゃんを見て、背筋が凍った。
クロが風呂を嫌がり、今度はおっちゃんの静脈を傷つけたのだ。僕は焦った。しかし、腕からドロリと赤黒い血を流しながらも人間とは力の差があるはずのクロを必死で押さえつけるおっちゃんは、鬼であると同時に戦士だった。
その時は致死量ギリギリの出血であったらしく、応急手当をしてなんとか一命を取り留めたが、クロは顔を真っ青にしておっちゃんにしがみつき、わんわんと泣いた。
おっちゃんの腕は、まだその生傷がふさがらずに包帯を巻いてある。
猫たちを風呂に入れるのはまさに命がけ。それほどまでに猫たちは風呂を嫌がるんだ。
もちろん、こんな話をしても里澄は信じてくれないだろう。里澄は僕の短い補足説明に目を丸くするだけだった。
「なんで、澄海くんがそんなことを知ってるの? まさか、一緒にお風呂………なんて。」
「………別に。先週僕の家にティモたちが泊まりに来たから。………その時は僕のおばあちゃんがティモたちを床に叩きつけて服を剥いでいたよ。そこまでされるほど、濡れたくないんだ。」
里澄のセリフには否定も肯定もしない。それに僕は嘘はついていない。
あの時のおばあちゃんはすごかった。一瞬で猫たちを無力化して服を剥ぎとったもんな。優もなんだかんだでガテン系だから普通より力は強い。おばあちゃんがタマを洗っている間に、ティモを押さえつける役割を担ってくれていた。
「なんで………。そんなに、濡れたくないの………?」
里澄は視線を猫たちに戻すと、猫たちは俯いた。
「うぅ………そーなのー。」
「それでも、ぼくたちは浴槽にもはいったこともないんだよ………」
「いつもは、シャワーを浴びたら………すぐに上がる、から。」
だって長時間押さえつけるのって面倒じゃん。おっちゃんにいたっては死の危険が増えるわけだし。おそらく、死ぬ回数も有限ってわけではないだろうしさ。
それに、どうせ手を離したらすぐに逃げるもん。風呂に入らないのになんの言い訳をしているんだ。
「もったいないなぁ。食わず嫌いはダメだよ、みんな。よっこらしょっと」
里澄はプールから上がると、タマの手を取った
「ほら、泳げないんだったらあたしが練習に付き合ってあげるから。とりあえず肩まで浸かってみようよ。ね?」
「やだやだこわいよ無理だって里澄ちゃーん! それは私たちにはハードルが高いよー!」
「何言ってんのよ。ハードルなんてむしろマイナスよ。チョロすぎるくらいね。ほらティモ君。クロちゃんも!」
「む、むり………だよ。水はその………やっぱり、こわいよ。」
「だとしても、いつまでもこのまま泳がないでいいわけにはいかないんだから。平泳ぎとかクロールの練習もあるんだよ? 自由時間があるのは最初だけなんだし、ちょっとは水にも慣れておかないとっ!」
「う………うぅううううううううう!! …………じゃあ、ちょっとだけ………」
里澄の説得により、長い葛藤を経てようやくティモが折れた。
いつになく、ティモが枯れた表情をしている。虎柄の猫耳もペタンと伏せていた。
ツルツルと引っ張られるタマの隣を歩くティモ。
「いーやーだー! 私は梅雨も雨も湿気もお風呂もシャワーもプールも嫌いなのー! 濡れたくないんだよー! 澄海くん助けてぇ~!」
「………めんどい。」
「ひとでなしー!」
「知ってる。」
人間じゃないもん。というかお前らも人じゃねぇだろ。
「………………。」
ため息を一つ。
水嫌いはタマが一番重症だな。肌寒くなってきたから僕はプールサイドに腰掛け、猫たちの行く末を見守ることにした。
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