受難の魔王 -転生しても忌子だった件-

たっさそ

第85話 ☆トラウマを乗り越えて。







 あたしは大泣きして、いっぱい涙を流して、やっと落ち着いた。
 ルーの胸から顔を離して、俯いて鼻をすすりながらながらお礼を言う。


「ぐすっ………ありがと」
「にへへ、どういたしましてなの」


 すると、ルーもすこし恥ずかしそうにしていた。
 頬を染めてはにかんむその笑顔に、この子の人を惹きつける魅力を感じた。


「………。」
「うゅ?」


 泣き腫らした目でじっとルーを見つめると、不思議そうに首を捻った。


 ルーは見れば見る程、きれいな子だ。
 容姿もそうだけど、心がとくに綺麗なんだ。


 昨日までのあたしなら、ルーのような容姿の整った子を見ただけで、嫉妬の感情が膨れ上がっていただろう。
 だが、もうそう言った感情は湧いてこない。


 あたしが、ルーのことを友達だと思っているからなのかな
 ………そうかもしれない


「ファンちゃんの、そのお顔のけが、どうしてついたの?」


 あたしが、ルーに心を許したところで、ルーが言いにくそうにあたしの顔の火傷の痕について聞いてきた。
 先ほどまでのあたしだったら、言わなかったかもしれない。黙ったまま何もしゃべれなかったかもしれない。


 だけど、今なら。あたしを受け入れてくれたルーになら、話しても大丈夫な気がした。


「………言いたくないなら、言わなくていいの。ファンちゃんがつらくなってまで、ききたくないから………」


 気を利かせてルーはそう言ってくれたけどあたしは、それを断った


「………ううん。聞いてほしい。たいした理由じゃないもの。」
「………わかったの」


 ルーはあたしの目を見て、頷いた。
 それを確認したあたしは、顔に巻いていた包帯を、ゆっくりと全部取り払う。


 ルーなら受け入れてくれると信じてる。
 信じているけど、やはり心のどこかで怯えられてしまうことを恐れているのか、手が震えてしまう


「っ………。」


 すべての包帯を外したあたしの顔を見て、ルーは目を見開いた。
 それはそうだろう。顔のほぼ右半分が焼け爛れてしまっていたのだから。


 浅黒かったあたしの皮膚は薄桃色に変色してしまっているし、皮膚は突っ張ってまばたきが上手にできない。
 幸いにして顔の形や皮膚の形が大きく崩れてはいないけれど、それでも、色素の違うこの皮膚は、通常の皮膚に比べて大きな違和感があることに違いは無いのだ。


「これはね、精霊とのけいやくにシッパイしたあとなのよ。」
「せいれい?」
「そう、精霊。エルフは10さいになるときに、精霊とけいやくして、はじめて一人前になるの」
「10さい? でも、ファンちゃんって、ルーと同じくらいなの………」


 そうなのだ。あたしはまだ6歳だし、精霊契約を行ったのは3歳の時だ。




「うん。あたしはまだ6さい。あたしが契約をしたときは、まだ3さいだったわ。
 本来………ダークエルフは精霊との“しんわせい”がゼツボウテキに低くて、精霊とは契約できないっていわれていたの」


 ダークエルフが出てくる昔話には、そう書いてあったし、ダークエルフは闇魔法を使ってエルフの国をメチャクチャにしたのだと聞いた。
 エルフの武器は高い魔力適性と、精霊魔法だ。


 だが、ダークエルフには精霊魔法は使えない。その代りに、強力無比な闇魔法が備わっていた。


「でも、あたしはダークエルフの浅黒い肌と“古代長耳族ハイエルフ”のとくちょうである長い耳を持って産まれてしまった。きわめつけに、あたしの適性魔法属性は“闇属性”と“光属性”で、ダークエルフとハイエルフの二つのとくせいを持っていたのよ。」


「………そーなんだ」


「そしたら、大人たちはあたしをハイエルフとして崇めるか、ダークエルフとして殺すか、すっごくもめたみたいなのよ。」


 浅黒い肌と長い耳。残酷な現実に板挟みになるあたしのことなど顧みず、大人たちは自分勝手にあたしの命の行く先を決めた。
 その結果が………


「だったら、精霊契約をしたらいいじゃないかって。ダークエルフは精霊との契約はできないし、ハイエルフなら上位精霊でも契約はかんたんのはずだって。だから、あたしは精霊契約をしたの。森の聖域で、火の上位精霊であるイフリートを呼び出したのよ。それで―――」


「しっぱい、しちゃったの?」


「………うん。失敗して、そしたら………」


 そしたら、こうなっていたのだ。
 焼けてただれた皮膚。すでに治癒してしまって、これ以上の回復は見込めない。


「………そっか」
「………うん」


 あたしの目を見て、静かに相槌を打ってくれたルー。
 あたしの目から視線を外して、しばらく泉の水面を見つめて何かを考え込んだ


「ファンちゃんはさ、せいれいさん、こわいの?」


 そう言って、再びあたしの目を見つめる。
 あたしはその吸い込まれそうな蒼い瞳を見つめ返し




「………うん。でもちょっとだけよ。ほんのちょっと。あたしはダークエルフだし、精霊はあたしのことキライかもしれない、もの」




 あたしが精霊契約に失敗したのは、おそらく、あたしがダークエルフだから。
 そう思ったら、自然と目頭が熱くなってきた。


 そんなあたしを見たルーは、あたしの手を優しく握って、安心させるように微笑む


「だいじょうぶ。せいれいさんはファンちゃんのことをきらったりしないよ。もっとじしんをもってもいいの。」
「うそよ。だって、だからあたしは、こんな………」




 自分の頬を撫でるが、ルーはその手を掴んで、力のこもった瞳であたしの目を見つめる


「しんじて。」
「っ―――!」


 有無を言わさぬその物言いに、思わず息をのむ


「で、でも………」


「じゃあ、いっしょにせいれいさんをさがそ? そして、聞いたらいいとおもうの。きっと、だいじょうぶだから。」


 ルーはあたしの手を引っ張って立ち上がらせると、泉に足を着けた


「さ、さがすって、どこを?」


 あたしは困惑しながらもルーに手を引かれて泉に足を着ける


「んっとね、にへへ、わかんない。」
「えー………」


 自信満々に連れ出したから何か案があるかと思ったけど、特にそう言うわけではないらしい
 ルーは恥ずかしそうに笑いながら頬を染めた


「わかんないなら、きけばいいってリオが言ってたの」
「でも、聞くって、だれに」
「リオー!」


 ここには誰もいない。あたしとルーだけだ。誰に聞くというのだ、そう思っていたら、唐突にルーは魔王の子を呼んだ


「あのね、ルーね、せいれいさんをさがしてるの。せいれいさんのばしょ、リオわかる?」


 なにをしているのだろうと首を捻るも、ルーは虚空を見つめてどこかにむけて話し続ける




「ほんとう!? すごいの、さすがなの!」


 目を輝かせてぴょんぴょんと跳ねるルーの瞳には、魔王の子に対する惜しみない称賛が映っていた


「ルー、どうしたの?」
「あのね、いまリオがせいれいさんといっしょにいるんだって!」
「えっ!」


 どういうこと!? そもそも、なんでルーはここにいない魔王の子とお話ができるの!?
 それに、魔王の子が精霊と一緒に居るってどういうこと!?


「いっしょにリオのところにいこ?」
「え、で、でも………」


 あたしの手を引いて魔王の子のところに連れて行こうとするルー。
 しかし、あたしは難色を示していた。
 どうしても、人と話すことがこわいのだ。


 ルーはあたしを認めてくれた。友達だと言ってくれた。


 でも、魔王の子は?
 彼は“魔王の子”だが“神子”がもっとも慕っている兄だ。
 信用しても、いいのだろうか


 おじいちゃんは、彼はあたしと友達になろうとしていると言っていたけど………。


「………。リオがこわいの?」
「………。」
「………わかったの。」


 あたしが考え込んでいると、黙っていることがすでに答えだったのか、ルーは一瞬だけ悲しそうに眉を下げ、納得したように頷いた


「じゃあ、ルーがせいれいさんつれてくるから、まってて!」


 ルーが駆け出そうとしたが、あたしは慌ててルーの手を取った


「まって!」
「ふにゅ?」


 いきなり手を掴まれて一瞬だけバランスを崩したものの、見事な体重移動で一瞬で体勢を整えてから振り返り、首を捻る


「あ………あたしも、いくわ。精霊さんとも、魔王の子とも、なかよくなりたい………から」


 小さな声を絞り出した。
 あたしにとっての小さな小さな勇気。
 この勇気が、今までのあたしにはなかったものだ。


 でも、ルーが勇気をくれた。背中を押してくれた。
 なにより、友達になってくれた。それだけで、どれだけあたしの心が救われただろう。
 だからこそ、こうして勇気を出して、ルーに打ち明けることができたし、魔王の子とも仲良くなりたいって思えるようになったのだ


 そう答えたあたしを見て、ルーはにへっと微笑んだ―――その瞬間。




『よー言ってくれはった!! さすがウチのファンちゃんや!』




 背後からいきなり声を掛けられて思いっきり肩が跳ねてしまった


 現れたのは、半透明で、全身が水でできたような体を持つ女の人。
 先ほど泉であたしの名前を呼んでいた、水の精霊だった。
 な、なんであたしの名前を知っているのかしら


 ルーの方を見てみると、ルーも精霊さんの、そのいきなりの登場に驚いた表情をしていた


「リオは?」
『あの子ならさっきまでウチと一緒にずっとそこの草陰に隠れとったからまだその辺におるで。せやけど、ファンちゃんとあの子と友達になるためには、ファンちゃんにもうちょっと時間と勇気が必要やろうし、今はウチだけでかんにんな。あの子はウチに『ファンちゃんが勇気を出すまで、出て行くのは待ってて』って言っとったで。大分気に入られとるやん、ファンちゃん」


 訛りのある口調でそんなことを言う精霊さんに対し


「あ、あうぅ………」


 あたしは、コミュ障をこじらせてしまい、何も話すことができなくなってしまった
 急な状況の変化についていけず、頭の中は大パニックだ


 せっかく勇気を出して、精霊さんともお話をしたいって思ったのに、どうしてあたしはいつもいつも、必要な言葉が出てこないのだろう


 それを見かねたルーが、すかさずあたしの手を握ってくれた




『あ、もしかしてウチも怯えられとる? 心配いらへんて。ウチ、ファンちゃんの事大好きやし、嫌うわけがあらへんよ』


 精霊さんが何か言っているけど、グルグルと混乱する頭では理解ができなかった
 あたしはダークエルフ、精霊契約に一度失敗しているし、精霊には嫌われて当然のはず
 なのに、どうしてあたしの目の前に現れてくれるの?


 どうして? どうして? どうして?
 疑問ばかりが頭の中を駆け回る


『うーん。やっぱりこの姿やからあかんのかな。ちょっと待っててな』


 腕を組んで少し悩んだ精霊さんは、ポンッというかわいらしい効果音と共に、手のひらサイズに小さくなった


「あ………」
「かわいいの………」


『この姿なら見覚えあるんとちゃう?』


 手のひらサイズに小さくなった精霊さんは、水色の髪をした妖精さんだった。


「ど、どうして………?」


『ウチら妖精族はな? 空気中から魔素もろうて、数十年の時間をかけて一定以上の魔力が溜まると精霊に進化すんねんて。不思議やろ? ただし、妖精族の頃は無邪気で能天気で頭の出来の悪い子供みたいになるんやけどな。』


 自嘲気味にそう呟く精霊さん。
 その周りに、いつもあたしがこの泉でいっしょに遊んでいる妖精たちが集まってきた


 赤髪の妖精。
 緑髪の妖精
 茶髪の妖精
 そして、青髪の、精霊。


 賢人級以上の魔力を持つあたしには、精霊さんの纏っている魔力が他の妖精たちと格が違うということがよく見えていた




『ウチらはファンちゃんから毎日のように直接魔力を食べさせてもろうとったさかい、大幅に時間を短縮させてもろたんや。』


 精霊さんは『この子たちもファンちゃんのおかげでそろそろ精霊に進化するで』と付け足すと、胸を張ってあたしに優しい笑顔を向けてくる


『これでわかったやろ。ウチらはファンちゃんのことを嫌ったりなんかせぇへん。ファンちゃんがなんで自信をなくしているのかもわかっとるつもりや。せやから………』


 精霊さんは再び、妖精の姿から身体が水で構成された精霊の姿に変身わり


『ウチと精霊契約しよーや。そしたら、ファンちゃんにも自信が付くやろ?』


 あたしの頭の上に手を乗せた。




                 ☆






 泉の中心に精霊が立ち、ファンは肩を縮こまらせて、服をギュッと掴んで上目使いに精霊さんを見上げる
 ルスカは泉の畔に腰掛けあたしたちの様子をうかがっていた
 妖精たちも、ルスカの肩や頭に座り込み、固唾を飲んでこちらに視線を向けていた




「精霊契約って言われても………あたし、一度失敗しているのよ………できるわけないわ」




 ファンは、一度エルフの隠れ里で精霊契約に失敗した。
 失敗したからこそ、今のファンはここに居るのだ


 再び精霊契約に失敗したら、そう思うと大切なものを何もかも失ってしまう恐怖がよみがえってしまう


 家族を失った悲しみが。
 里のみんなが自分を殺そうと話し合っている屈辱が。
 自分を見つめるみんなの目が。


 受難の日々が鮮明に思い浮かび、ファンの心を震え上がらせる




『ええか? ファンちゃんはな、本来精霊にめっちゃ好かれる体質の子なんやで? 手順をしっかりと守れば、ファンちゃんに契約できへん精霊はおらん。ウチが証明したる。』


「………てじゅん? しょうめい?」


『ホンマは降霊する前に教えられとるはずなんやけど、今回はウチの唄を復唱してな?』


 精霊は片目を閉じて人差し指を立てた。
 ファンがそれに対して困惑しながらも頷いて返すと、精霊は目を閉じた。




『“古代歌唱エンシェントリリック”・《契約の唄》』


 静粛な世界。夕陽で黄金色に輝く泉に、少女の澄んだ歌声が流れる。


 精霊と少女のやさしい唄声が、唄に込められた言霊を紡いでゆく。




『我は此処に契約を望むものなり』
「我は此処に契約を望むものなり」


 それは、少女が羽ばたくための物語。


『我が名はファン。』
「我が名はファン。」


 勇気を持てない少女が、自らの枷を打ち破る筋道プロセス
 成長し、苦悩し、それでも前を向き続けるために、必要な儀式。


 精霊契約。


 本来なら一人前の長耳族エルフだと認められるための、通過点であるはずのこの儀式は、彼女にとっては大空に羽ばたくための、大きな関門。




『ああ、人よ、精霊よ。今ここで一つになり、共に旅に出よう』
「ああ、人よ、精霊よ。今ここで一つになり、共に旅に出よう」


―――とぷん


 という音がした。


 その音は、ファンの全身を包み込んだ精霊からだった。
 精霊はその形を崩し、ただの水の塊へと変貌した。


 生物のように蠢くその水はファンの全身をからめ捕り、ファンの身体をすっぽり覆い尽くしてしまったのだ


「ッ~~~~~~!!?」


 突然の出来事に声にならない悲鳴を上げ、口から空気が漏れる


「ファンちゃん!」


 それを見たルスカがファンの下に駆け出そうとするが、その後ろからポンと肩に手を置かれて静止する


「まだダメ。アレはファンちゃんが自分で超えないといけないものだから。」
「リオ………。でも、ファンちゃんが………」


 振り返ると、そこにはリオルが居た。
 リオルは真剣なまなざしを水に囚われているファンちゃんに向ける




『彼の者は水精。其方そなたを生涯、我が友とし共に舞うことを今ここに誓う。』
「ッ――――!!!」




 水の塊はだんだんとファンの胸の中心に集束してくる
 しかし、ファンは水に囚われたことでパニックに陥り、唄に集中することができなかった


(くるしい、くるしい、いやだ、しにたくない!!)


 水の中でもがくファンは、溺れて水を飲みながらも、過去に精霊契約を行ったことを思い出していた
 イフリートとの契約の時は、イフリートとの同化の際、唄を知らず、さらに魂を焼き尽くさんばかりに熱を発するイフリートに恐怖し、無意識に同化を拒絶してしまったことを


(あの時とおなじ………精霊にきょぜつされて、また、しっぱいするんだ)




 ファンが捕らえられている水は魔力でできており、実体は存在していない。
 故に、呼吸しようと思えばできるのだ。


 ではなぜ苦しそうにしているのか。ファンの魂に同化をしようとしているため、その水に実体があるように感じてしまっているからだ


(こわい、こわいよ………でも、しっぱいしたら、顔も、体も、どうなるかわからない!)


 その魂に刻みつける水の波動で、ファンはイフリートとの契約に失敗した時のトラウマを思い出し、契約に失敗すれば、顔に火傷を負った時と同じように再び魔力の暴走を起こし、もっと人前に出られない身体になるのではないかという恐怖で満たされてしまう


 本来、エルフが行う精霊契約は、子供がある程度成熟してからでなければ、ファンのように魂に刻み込まれる精霊の波動に強い恐怖を抱いてしまうことから、精霊と契約することを拒絶してしまう子がいる。
 幼い子供が魂を火に炙られる幻痛に、溺れる幻覚に、土に埋まる錯覚に、疾風に煽られる感覚に耐えられるだろうか。


 否。


 間違いなく耐えられず、恐怖する。
 者によっては、発狂すらするだろう。


 だからこそ、ある程度身体も精神も成熟してきた10歳を過ぎてから、さらに入念に準備をしてから精霊契約を行うのだ


 ゆえに、何の準備もしていない、精霊契約のことを何も知らない、まだ6歳であるファンは拒絶してしまうのも、無理もない事であった。


『気をしっかり持つんやファンちゃん。恐れることはなんもない! ウチを受け入れて!!』


 水の精霊も、ファンに我を戻してほしくて声を掛けるも、パニックを起こしたファンには届かない


「リオ………まだなの………?」


 苦しむファンを心配して不安げな声を漏らすルスカ。


 リオルも、本当にコレで正しいのか、迷っていた。


 リオルはファンに自身のトラウマを打ち破ってもらいたいがため、草むらからルスカに精霊がファンと仲良くなりたがっていることを伝えていた。
 だからこそ、リオルの言葉だからこそ、ルスカはそれを信じ、ファンに一緒に精霊を探そうと言ったのだ。


 その後、リオルと精霊が一緒に居ることをルスカに伝え、リオルは精霊に、ファンが精霊と仲良くなるつもりがあると判断した場合は、すぐにファンの下に行くように指示してあった。


 精霊と仲良くなりたい。
 コミュ障のファンにはその気持ちを表に出すだけでも、勇気が必要だったはずだ。リオルの作戦はその気持ちが揺らがぬうちに、その勢いのまま精霊契約を行ってしまおう、というやや強引なモノだった。


 誤算があるとすれば、リオルもついさっき聞きかじった程度しか精霊契約の知識が無く、契約の際中にファンがあんなに苦しむとは、思ってもいなかったということだ。


(トラウマっていうのは、心の中に深く根を張っているモノだ。僕だって、今もまだ生まれ変わってなお前世のことが忘れられないんだから。)


 リオルは前世のことを思い出していた。殺された時のこと、親友に見捨てられてしまったこと、それらが今のリオルを縛る。
 再びあの陰湿なイジメを孤独で受けることになれば、きっと心が壊れる。
 転生して6年という年月を経て、ようやく傷も癒えてきた。すこしは冷静に考えられるようになったため、今の自分でも、無力なあの頃に戻ったらきっと耐えられないと、悟ることができた。


(別に、一人じゃなくてもいい。一緒にトラウマを乗り越えられる友達が居たって、いいじゃないか。現に僕は、侍刃が居たからこそ、あの辛い現状を生き抜くことができたんだから。)


 ならば、ファンの問題はファンが片づけるのは当然だが、それを支えてくれる友人が居てもいいはずだ。
 確かにファンは今、目覚ましいスピードで成長している。だが、リオルはファンの成長に期待して、ファンに負担を、孤独に戦うことを強要しすぎたのだ。
 ようやく、リオルも自分の作戦の稚拙さと間違いに気付いた。


 自分自身のトラウマもまだ克服できていないというのに、上から目線で『トラウマを克服させてあげる』だの、『友達を作らせよう』だの、おこがましいにもほどがある


 今、自分がやっているのは、目の前にいきなり前世での自分が殺された原因を作った銀介を用意して「さあ友達になれ」と言っているような無茶ぶりだ。
 自分ならどうだ。そのトラウマを前に、自分一人の力で仲良くできるか。それも否。
 おそらく、恐怖と痛みがフラッシュバックして正常では居られなくなる。


(………勝手に上から目線で物申して、勝手に空回りしていたのか………)


 リオルは目元を片手で押さえ、天を仰ぐ。


「ごめん、僕が間違っていたよ。ファンちゃんを助けてあげて。これは他の誰でもない。ルーにしかできない事だよ。」
「わかったの!」


 ルスカが水の中でもがくファンに向かって駆け出すと、ルスカの肩や頭に乗っていた精霊が『ひゃあー!』という悲鳴と共に転がり落ち、羽を広げて今度はリオルの肩と頭に座った


「………。」


 リオルは数歩だけ下がってルスカとファンを見守ることにした。
 胸を押さえて苦しむファンを見ていると、それをけしかけた自分に罪悪感が募っていく。


 水の精霊と打ち合わせした時に、精霊が謎の自信に満ち溢れていたために、精霊契約の際にファンの身に何が起こるのかを確認していなかったのだから、コレはリオルの落ち度である。


 尻拭いをルスカにさせているようなモヤモヤが心を支配し、精霊契約が成功するのを祈ることしかできない自分に余計に腹が立った。




「ッ~~~~~~!!」
「ファンちゃんっ!!」


 ファンのもとにたどり着いたルスカは、ファンを覆っている水の中に手を伸ばし、ファンの名を呼ぶ。
 パニックを起こしたファンの手を掴み、ぐっと引き寄せる。




「ふにゅ? にゅわー!」


 しかし、水に絡み取られたファンの身体に逆に引っ張られてルスカまでも水の中に囚われてしまう
 さらに、ファンも何かにすがるかのように力強くルスカを掴んで引き寄せていた。
 それは、ファンにとっても無意識の行動であった。


 ルスカがその行動に驚いたのは一瞬だけで、ルスカはすぐにファンの身体を自らの胸に抱いた。


(だいじょうぶ。こわくないの。こわくない)


 やさしく、やさしく、ファンの頭を撫でる。
 先ほどファンの頭を撫でた時と同じように、不安になっているファンを安心させるために、心音を聞かせるようにファンの頭を胸に抱き、パニックを起こして万力のように締め付けられるファンの握力にも、まるで痛くないとばかりに優しい微笑みを浮かべて頭を撫で続けていた。


 ルスカは、魔力でできた精霊の水に触れ、その本質をほとんど理解しつつあった。
 その気になれば呼吸もできる。話しもできる。


 それになにより、この水は、精霊の優しさで満ちている。
 精霊が本当にファンのことが好きなのだと、ルスカはすぐに悟ることができた




 あとは、ファンがこの精霊を受け入れるだけなのだと、すぐに分かった。


(だったら………)


 それを伝えるために、言葉ではなく、心で語り合うために。


(リオがいっつもやってる、これで………!)


 ルスカは手に魔力を集中し、《糸魔法》を発動する


 ルスカは糸魔法を覚えてまだ日が浅い。
 日が浅いということは、この糸で何ができるのかを把握しきれていないということである。


 リオルが糸電話をイメージして作った糸で念話ができたように、ルスカはもっと深くにあるものに触れるために、糸を紡ぐ。


(『マインド・コネクト』)




 覚えたての魔法を、本能的にどのように使用するのが正しいのかを、“知っている”かのように、ルスカは迷いなくファンの中に糸を巡らせる。
 不可視の糸はファンの身体を通って、その奥のココロに繋がる。


「ッ!!?」




 その瞬間。ココロに直接意識が流れ込んでくる不思議な感覚にビクリと身体を振わせ―――


(『リラクゼーション』)


 続くルスカの光魔法が、繋がった糸からファンのココロに優しく染みわたり、パニックを起こしたファンを正気に戻させた


(きこえる? ファンちゃん。)


 やさしい声色で、ファンの頭を撫でながらルスカは語りかける。


(な、なに、これ? ルーの声があたまに………?)


 正気に戻っても、めまぐるしく変わる状況に頭が付いて行っていないらしく、水の中で涙目で息を止めながらも、聞こえてくるルスカの声にさらに混乱する。


(だいじょうぶなの。おちついて、ゆっくりといきをすってみて)
(で、でも、水の中じゃ………いきも………)


 ファンの心を落ち着かせるまではよかったものの、ファンは何度も水を飲み、水に囚われているこの状況にかなり恐怖していた。
 何度も咳き込み、それでも息を止め続けているため、そろそろ限界も近い。


 なのに、息をすってみてと言われても、恐怖が勝ってしまった。
 魔力でできた水に実態を感じてしまう故に、ここに空気は無いと体が訴えているのだ


 それを―――


「………ルーをしんじて。」
「っ―――!!」


 ルスカが“声”に出したことで、打ち壊した。




「せいれいさんのこと、こわがらないでほしいの。ちゃあんと、うけ入れて。ファンちゃんがせいれいさんをこわがったら、ぜんぶがダメになっちゃう。たぶん、しっぱい、しちゃうの。だから………」


 そこまで続けたルスカはファンを見ると、ファンは決意を秘めた目でルーを見つめ、頷いた。


「精霊を………受け入れる、わ。」




 おそるおそる、声に出し、ゆっくりと、息を吸う。
 魔力でできた、実体のない水だ。


 感じているのは、水の精霊が魂に直接同化しようとしていることから起こる錯覚だ。


 そう認識できて、ようやく、全ての準備が整った。




『ほな、最後の仕上げや。後一言。後一言ファンちゃんが言うてくれたら、精霊契約は完了や。神子の嬢ちゃん、ホンマにありがとう。ファンちゃんも、えろう頑張ったな。』


 精霊も、ファンと同化しながら、ファンの心に語りかけるように声を掛ける


「にへへ………」
「うん………」


 うれしそうにはにかむルスカとファン。
 ルスカは最後の仕上げと聞いて、ファンに繋いだ糸魔法を切り、ファンが不安にならないようにと手を繋いで、契約の完了を待った
 精霊は『もういっぺんだけ復唱してな』と言うと、唄を再び唄いなおす。


『彼の者は水精。其方そなたを生涯、我が友とし共に舞うことを今ここに誓う。』
「彼の者は水精。其方を生涯、我が友とし共に舞うことを今ここに誓う。」




 それを言い終えると、ファンを覆っていた精霊の水はファンの胸を中心に急激な収縮しはじめた


「ッ―――!!」


 精霊が魂と同化する感覚にファンは少しだけ苦しそうに胸を押さえるが、ルスカが手を握ってそれを落ち着かせた。
 やがて、全ての水がファンの胸に集まりそのすべてがファンの魂と同化をする。


 あたりに静寂が戻ると、泉には手をつなぐ二人の少女だけが残されていた。



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