なんと平和な(非)日常 ~せっかく異世界転生したのに何もやることがない件~
俺に任せて先に行け!
「よ、よぉ小林! そ、その服、着替えたんだな!」
「……ええそうね。泥を洗い流して、お風呂にも入って、とてもさっぱりしたわ」
しんなりと湿ったツインテールと、ほのかに上気した肌がその証拠だろう。服装もいつものパーカーとホットパンツではなく、ややダボついたスウェットシャツとジャージのズボン、それにサンダルという、とてもラフな格好になっている。
そんな格好でも、だらしない印象は感じず、一つのファッションのように思えるのは、さすが女の子というべきだろうか。
「そのスウェット、ピンク色で可愛いのです!」
「ありがとサリエル。あなたも可愛いわよ」
「い、いやぁ、お前も元気になったようでよかった!」
「……ええ、サンゴには私らしくないところを見せちゃったわね」
な、何だろう、この違和感。小林がいつもよりおとなしいからか? しょんぼり状態からは回復したようだが、やはりまだ本調子ではないのだろうか。
「は、ははっ! 気にすんなって! 誰だろうと、沼に落ちたら落ち込むさ! り、リフレッシュできたようで何よりだよ!」
「……ええ、サンゴの方も、サリエルで随分と楽しんでいたみたいね」
なぜか頭の中に警報が鳴っている。傍から見たら普通の会話のように見えるし、事実普通の会話をしているはずなのに、なぜこんなにも嫌な予感がするのだろう。
というか、小林の言葉、少しおかしくなかったか? サリエルちゃん『と』じゃなく、サリエルちゃん『で』って言ってたような……。
「は、ははは……それほどでも……」
「はい! ボクもとっても楽しかったのです」
「へぇ……そう……」
小林のツインテールがうねっているような気がする。そして彼女の背後に不穏なオーラが見えるのは気のせいだろうか。
「…………」
「…………」
ち、沈黙がつらい。
小林は身体をプルプルと震わせツインテールをわなわなさせる。だがそれだけで何かを言ってくるわけでもない。サリエルちゃんもこの場に流れる空気の異変に気づいたのか、神妙な面持ちでこちらを見守っている。
謎の緊張感。それに俺の直感がすぐにでも誤解を解けと叫ぶ。誤解、誤解か。しかし小林はいったい何を誤解しているのだろうか。
状況を整理して考えてみよう。
サリエルちゃん ← 泣いた形跡がある
俺 ← 笑顔でサリエルちゃんの胸に顔をうずめていた
なるほど、理解した。
「サンゴォッ!」
「は、はいぃ!」
「何やってんのよこんのおバカぁッ!!」
「ち、違うんだっ!」
小林、ツインテールをぶんぶんさせて大爆発。
わぁとても元気になったみたいで安心したよでもお願いだから少し落ち着き給え!
「説明をさせてくれ! きっとお前はすごい勘違いをしている」
「説明ぃ? できるもんならやってみなさいよ!」
「これは合意の上だ!」
「嘘つけぇ!」
くそっ、なんで信じてくれないんだ! でも諦めないぞ! こうなったら信じてもらえるまで説明するだけだ! 懇切丁寧で詳細な説明に恐れおののくがいい!
「まず俺がパフパフをお願いして――待て! わかった俺が悪かった! だからその携帯から手を放せ! どこに通報するつもりだ!」
「しかるべき機関もしくは魔王様よ」
「やめろォ!」
詰ませに来るのがはやい! もっと駆け引きしようよ!
落ち着けサンゴ。あきらめるにはまだ早い。きっとここからでも助かる方法はあるはずだ。そうとなればどう行動すべきかいくつか候補を上げて考えてみよう。
【候補1・素直に捕まる】
論外。捕まらないためにどうするか考えてるのにこれじゃ意味がない。
【候補2・逃げる】
不可能。魔王様から逃げられる未来が見えない。
【候補3・小林を説得する】
保留。一番可能性がありそうにも思えるが、確実でない以上不安が大きい。
ぐう、ダメっぽい。俺一人ではこの状況をひっくり返すことは出来ない。
ならば、残されたもう一つの方法を使うしかない。
「サリエルちゃん。君からもあいつに何か言ってやってくれないか?」
「ふえ? ぼ、ボクですか?」
候補4・サリエルちゃんを頼る。
なんとも情けない限りだが、しかし俺よりもサリエルちゃんの方が小林を説得する可能性が高い。俺の言うことは信じられなくても、サリエルちゃんの言うことなら小林も信じるだろう。
「わ、わかりました! 自信はないですが、ボク頑張ります!」
ぐっと握りこぶしを作り、やる気を見せるサリエルちゃん。
とてもかわい――頼りになる。
「あの、エリさん! ボクの話を聞いてください!」
「サリエル、無理しなくていいのよ? サンゴに無理矢理言わされてるのよね?」
「俺はそこまで畜生じゃないぞ!」
「嘘おっしゃい! だってサリエルの顔に泣いた跡があるじゃない!」
「ふぇっ? わわっ」
小林の言葉を聞き、驚きの声を上げるサリエルちゃん。そこで自分がどんな顔をしているのかに初めて気づき、慌てて目元をごしごしと拭った。
「こ、これはそのっ、ち、違いますのでっ」
赤くなりながら、バレバレなのに頑張って誤魔化そうとするサリエルちゃん、というほほえましい光景が目の前に広がっている。まるでここがエデンのようだ。この光景だけ切り取って保存したい。写真集とかでねぇかな。
「違うって、何が違うの? サリエル、あなたの優しさは美徳だけれど、でも犯罪者をかばう必要はないのよ? どんな理由であれ、男が女を泣かせるのは罪よ」
「な、泣いてません! 泣かされてませんっ! サンゴさんはひどいことなんてしてないのです! むしろ、ボクのほうがサンゴさんに迷惑をおかけしてしまったのです!」
「サリエル……」
サリエルちゃんの必死のアピールに、流石の小林も黙らざるを得ない。小林は続きを促すように、真剣なまなざしで小さな少女を見つめた。
その視線を受け、少女は拙いながらも一生懸命、思いを言葉にする。
「えっと、ボクがサンゴさんにパフパフをして、でも、その、恥ずかしくて失敗しちゃって、それで、あの、その後今度はサンゴさんがボクにパフパフをお願いして来て――」
「もしもし魔王様!? ここにロリコンがいます!」
「止まれ止まれ止まれ止まれぇ!! 二人とも待て! 待てだ! そうだ動くな!」
とっさの命令もむなしく魔王様に通話をつなぐ小林。くそっ、間に合わなかった!
小林め、なんて素早い通報、俺じゃなきゃ見逃しちゃうね。
「さ、サンゴさん?」
そして目をぱちくりさせてこっちを見てくるサリエルちゃん。そうだよね。俺をかばうためにしゃべってたのに、その当人に止められるとかなぞだよね。
「あの、もしかしてボク、何かまずいこと言ってしまったでしょうか」
「あはは……だ、大丈夫。サリエルちゃんの頑張りは伝わってきたよ……」
うん、頑張りは伝わった。伝わったよ?
でも圧倒的に言葉が足りない。それだと俺が恥ずかしがってるサリエルちゃんにパフパフを強要したみたいじゃないか! おおむねその通りだけど!
「その慌てようからして、どうやらサリエルにひどいことをしたっていうのは間違いないようね。さぁサンゴ、言い残す言葉はあるかしら?」
「お前もいい加減しつこいな小林。俺の無実こそ証明することはできなかったが、そっちだって俺が有罪だという証拠はどこにもあるまい。ははぁん、さては嫉妬か? 確かにお前のそのお粗末な胸じゃパフパフなんて到底無理――」
「胸のことは言うなァッッ!!」
「――ッぶねぇ!!」
殺気を感じ、とっさに飛び退く。そのすぐ後に殺(や)る気十分な小林の飛び蹴りが、俺の真横に突き刺さった。
「てめっ小林ィ! 殺す気か!」
「ふ、ふふ、ふふふふふ……サンゴったら何を言ってるのかしらぁ? ちょっとした勇者ジョークじゃない。そんなに怖がらないで、同じ人間種として仲良くしましょうよ」
「躊躇なく飛び蹴りかましてきた奴の言うセリフじゃねぇぞ!」
「やぁねェ、これくらい普通じゃナイ。遊びよア・ソ・ビ。ホラ、早くたちなサイ。もう一度、今度コソ食らわせてアゲルから……ニゲルナヨ」
「ひぃぃっ!」
「え、エリさん、目が笑ってないのです……!」
光を失った漆黒の瞳でこちらを見据えるダークサイド小林。口がにたりと弧を描いているのが余計に怖さを引き立たせている。
「くっ……サリエルちゃん! ここは俺が食い止める! その隙に逃げるんだ!」
「サンゴさん!? そんな、そしたらサンゴさんは……っ!」
「ああ、無事では済まないだろう。闇落ちした奴の戦闘力は計り知れない」
「や、やみおち……? よ、よくわかりませんが、それならサンゴさんも逃げないと!」
「いや、恐らく逃げ切れないだろう。それに、君を危険な目に会わせたくない」
「サンゴさん……」
不安そうな表情でサリエルちゃんは俺を見てくる。……ありがとうサリエルちゃん。そんなに心配してくれて。それだけで俺は報われる。
「さあ早く逃げろサリエルちゃん! 小林が酸性の唾とか飛ばしてこないうちに!」
「するわけないし出来るわけないでしょそんなこと! エイリアンか私は!」
さすがに乙女として見逃せなかったのだろうか、ツインテールをぶんぶんさせながらツッコミを入れてきた。
「おや、どうやらまだ人の言葉は忘れていないようだな。コミュニケーションが通じる」
「あんた、私を一体何だと思ってんのよ……!」
頬をひきつらせながら、小林は俺の言葉に苦言を呈する。先ほどまでの不穏な危うさは鳴りを潜め、黒より黒く闇より暗かった瞳には光が戻り始めていた。
「よかった、正気に戻ったか小林」
「そりゃあんな茶番劇見せられたら毒気を抜かれもするわよ」
それは重畳。結構マジだったことは黙っておこう。その調子でもろもろ許してくれ。
「エリさん! よかったです……いつものエリさんに戻ったのですね」
「うっ……そ、そんなに怖かったかしら? ごめんなさいね」
「い、いえっ! 気にしないでください!」
「うん。小林史上最恐だった。もうね、同じ人間とは思えないぐらい」
「あんたはいいのよッ! というかそこまでではないでしょ! ……ま、まあ? 今回は私も大人げなかったと思うし? これ以上は勘弁してあげてもいいけど? 貧乳だなんていわれのない言いがかりで怒るなんて、勇者っぽくないしね!」
「え? 貧乳は言いがかりでもいわれのないことでもない、ただの事実では?」
「あっっんたはァ! 私と戦争がしたいのかしらァ!?」
許してくれ、つい口が滑った。
「ふんっ! いいかしらサンゴ!? 大事なのは見た目の大きさじゃないのよ! もちろん形とか感度なんて『逃げ』を言うつもりもないわ! 大事なのは、その胸に抱いているもの。夢や野望、意思の大きさ……つまり『己』よ! 内に秘めしものこそ、真実の大きさなのよ!」
決め顔でそう言い切り、胸を張る。
ふむ、そこまで堂々とした態度をとられると、小林の言うことも一理あるように思えてくるな。ならば『小林の胸=胸に抱いているもの』という式から考えると。
「つまり、自称勇者という虚構を抱いている小林の胸はハリボテということか……」
「どういう思考プロセスをたどったらその『つまり』が出てくるのよ!」
「へっ、トンデモ理論で煙に撒こうったってそうは行くか。目に見えない物を言い訳に使ってるだけじゃねぇか」
「あらかわいそうに。サンゴは本当に大切なものはなにか、理解できていないようね。そんなんだからモテないのよ」
「関係ないだろそれは! この自称勇者が! 一生妄想にすがってろ!」
「何よ暇人転生者! 魔王様に言いつけてやる!」
「ごめんなさいでも卑怯だぞ!」
くそ、脊髄反射で負けを認めてしまったじゃないか。わかればいいのよ、みたいな顔で頷くな。
「あはは……お二人とも落ち着いて落ち着いて。あっ、そうだ! サンゴさんとエリさんの仲直りついでに、ボクのおうちで晩御飯を一緒に食べましょう!」
一部始終を見守っていたサリエルちゃんは、閃いたと言わんばかりにそんな提案をしてきた。仲直り云々はともかく、サリエルちゃんと一緒にご飯というのは非常に魅力的なお誘いだ。でも、そんな急にお邪魔してしまってもいいのだろうか。
「サリエルちゃんの家って魔王城だよね? いいの? 迷惑じゃない?」
「そうよ、魔王様に迷惑をかけるわけにもいかないし……それにサリエルが気を使わなくても、私とサンゴはこれが普通みたいなものだから大丈夫よ?」
そうそう、この程度は喧嘩のうちに入らないというか、そんなことよりも、サリエルちゃんや魔王様に迷惑をかけてしまう方が問題だ。
「大丈夫なのです! ボクもサンゴさんとエリさんが一緒の方がうれしいです! 迷惑なわけありません!」
優しさが眩しい……! この優しさのひとかけらでも、どこぞの神様に分けてやってほしいくらいだ!
身体をいっぱいに使って迷惑じゃないアピールをしたサリエルちゃんは、そのままなぜか視線を俺と小林の後ろへと移し、そして同意を求める声を上げた。
「――ですよね、オーダおじさん!」
「うん、そうだね。サリエルの言う通り、迷惑なわけないよ。大歓迎さ」
「――――へ?」
ギギギ……と首を後ろに向ける。そこには筋骨隆々で大柄の鬼が――魔王様がいた。
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