ブラック企業戦士、異世界で救国の勇者になる

海道 一人

迷い

 すっかり日は落ち、窓の外から見える空は濃藍色に変わっていた。
 今、部屋にいるのは俺1人だ。
 あれからずっとルノアリアにこの国の事情と俺の状況の説明を受け、彼女が部屋を去る時に男達―彼らはこの王宮を護る近衛兵らしい―も去っていった。
 そして俺は一人ベッドに寝ころび、先ほどまでの会話を反芻していた。


 今はちゃんとした服を着ている。
 あの後、ルノアリアが大量の服を持った侍女と共に戻ってきてその中から俺に合ったサイズの服を置いていってくれた。
 俺が来ているのは分厚い木綿(だと思う)で出来たシャツに縁が刺繍してある紺色のチョッキ、腿の部分がたっぷりした紺色のズボンだ。
 床には靴も置いてある。
 革製のスリッパのような踵の浅い靴で靴底も革製なせいかまるでスリッパを履いてるような感じがする。


 この王国、ミッドネア王国は森の中に建てられた山小屋のように山間にひっそり佇む小国で、北をノーザスト共和国、南をサウザン王国という二つの巨大な国に囲まれているらしい。


 この二国は元々領土争いの小競り合いを繰り広げていたが十年ほど前に本格的に戦火の火蓋が切って落とされ、タールを掻きまわすような消耗戦が続いているのだとか。


 ミッドネア王国の前王はその争いに関わらないよう苦心していたようだが、戦争が長期化するに従って二国の資源は底を尽きかけ、それに伴って背後に豊富な鉱物資源を持った山地を抱えるミッドネア王国が目を付けられたらしい。


 ルノアリアは言っていなかったがおそらく前王夫妻の死もそれに関係しているのだろう。
 ともかく前王の死後、喪も明けないうちから二国による外交という名のごり押しが続いており、最近ではあからさまな軍事圧力もかかってきていてこのままでは王国が二国の新たな戦場になるのは確実だった。
 そこでその事態を解決すべく俺が召喚されたらしい。


 しかし、何故俺なのか。
 はっきり言って一介のリーマンである俺にそんな能力はない。
 召喚時に謎パワーが備わったが、それで国を救えというのだろうか?
 それだったら俺じゃなくてもっとアメリカの特殊部隊の軍人とかそっちの方が良いはずだ。
 その事もルノアリアに聞いてみたが、結局よくは分からなかった。


 かいつまんで言うなら、どうやら現状の王国の状況と望む王国の状態、これを召喚術式に組み込んで術を発動させると因(現状)と果(未来)を実現させる可能性のもっとも高い人間を異邦、ルノアリアの住む世界とは異なる世界から呼び出す事になるらしい。


 ルノアリアがいうには選ばれる人間は魔術的に相応しいかどうかであって、単純に肉体とか知力とか精神で測れるものではないのだとか。
 因と果の紐を正しく結ぶ事の出来る人間が選ばれる、とルノアリアは言っていた。


 ちなみに俺が普通にこの世界の人間と話ができるのもその術のお蔭らしい。


 線路に落ちた俺が更に落ちた穴が俺のいる世界とミッドネアを結ぶ通路となっており、そこを通る時に俺の体は魔術的な分解が行われ、この世界に合わせて再構成されたらしいのだがその時にこの世界の言語体系も一緒に組み込まれたらしい。


 俺の身に備わった謎の体力や俊敏さもそのお蔭らしく、穴の中で俺が何度も潜り抜けた謎の色の塊がおそらく魔力そのもので、通り抜ける時に魔力を吸収したのだろうとルノアリアは言っていた。


 本当かどうかはわからないがなんとなく納得はいく。
 この事は過去の文献にも載っていないらしく、ルノアリアがしきりに聞いてきた。
 だが、正直何故俺が選ばれたのかさっぱりわからない。


 しかし、現実問題として俺は呼ばれてしまった。


 本当の問題はそこで、ここから俺は何をしたらいいのか、という事だ。
 もちろん何が何でもしなくてはいけないのは元の世界に戻るという事だ。
 仕事はおそらく馘首だろうが、なんだかんだであの世界は気にいっている。
 コンビニに行けば食事は事欠かないし、漫画もゲームもある。
 みなし残業という奴隷以下の扱いをさせるための法律のせいで大して残業代は出ていなかったが使う暇がなかったからそれなりに貯金はある。


 馘首になってもしばらくは暮らしていけるし、折角だからどこか温泉宿か南の国にでも行ってのんびりしたい。
 この世界の事はよく分からないが、おそらくコンビニはないだろう。


 俺は立ち上がって窓から景色を見た。
 窓の外には城下街が広がっている。
 俺が召喚されたのはミッドネアの王城だった。
 城は総石造りで西洋の城を彷彿させる。


 大理石をふんだんに使い、至る所に装飾が施されて恐ろしく豪華だが電力がある様子はない。
 壁や天井に付けられたガラス状の物体から発する光が部屋を照らしているが、これは電灯ではなく魔力で光る魔灯というらしい。
熱が全く出ていないが数個の魔灯で50畳はあろうかという部屋を明るく照らしている。
 それはそれで凄いが、どうやらテクノロジーというものはほとんど発達していないらしい。


 当然ながらテレビもゲームもない。
 窓から城下町を見ても家々から漏れる明かりと街灯が見える位で、ネオンサインは全く見えない。


 ここには現代日本にあるものが全くなかった。


 しかしどうやったら日本に戻れるのか。
 ルノアリアは戻す方法は知らないと言っていた。
 この国の歴史において過去に何度かこの術を使い国が救われた事があったらしいが、どの時も召喚された元の世界の記憶を失っていたらしい。


 どこから来たのかもわからない以上帰る場所も分からない訳で、過去に召喚した人間を元の世界に戻した事例はないらしく、みなこの世界でその後の生を全うしているとルノアリアは言っていた。


 それが本当の事か嘘なのか、今の俺に判断する術はなかった。
 しかしルノアリアはこうも言っていた。


 「ミッドネアには貴方様を返す術はありませんが、ノーザストやサウザンではミッドネアとは別の方法で魔術の研究をしています。
  彼の国にはその方法があるかもしれません。
  特にノーザストの”万知の眼”ドミラノウスなら何か知っているかも。」


 ”万知の眼”ドミラノウスとはノーザスト史上最高の魔術師と呼ばれている人間で、齢四百歳とも五百歳とも言われており、ノーザスト建国にも関わっていたと噂されている人物だそうだ。


 最近ではその姿を見たものもほとんどおらず、ほぼ伝説の扱いになっているらしいが今でもノーザストの政治中枢に大きな影響力を持っているのだとか。
 これも本当か嘘か俺には判断できない。
 俺に行動する理由を持たせるための嘘かもしれないし、その可能性は大いにあり得る。


 しかし、仮にその話が嘘だとして、今の俺に何ができるだろうか。
 そう、今の俺には幾つかの選択肢があった。


 一)ルノアリアの言葉を全面的に信用し、彼女と行動を共にする
 二)この城を逃げ出し(謎の力があるからおそらく可能だ)サウザンかノーザストに行き帰る方法を探す
 三)この城を抜け出し、この世界で気ままに生きる(謎の力を使えば山賊だのなんだので生きていく事は出来るはず)
 四)全てを放棄し、死を選ぶ


 とりあえず四)は置いておくとして一)と二)と三)、どれを選ぶべきか。
 日本に戻る事を目的とするなら三)はない。


 残るは一)と二)だが、ノーザストにいるというドミラ何某なら知っているかもしれないというルノアリアの言葉を信じるなら二)という選択肢は大いにあり得る。
が、ルノアリアの言葉を信じるという行為は自動的に一)の選択を導き出すことになる。
 三)の選択も十分視野に入れられるが、これは日本に戻るという選択をほぼ放棄することになるだろう。
 あえて三)を選んで権力を付けた後にこの国を征服しルノアリアに帰す方法を迫るとしてもそれは一)よりも遥かに遠回りになる。
 結局のところ、当面は一)を選択せざるを得ない訳で問題は一)を選択してどこまで自分の利を引き出せるかという事になる。


 言われるがままにルノアリアの言う事を聞くのはあまりに危険すぎる。
 まだどんなことをさせられるのか、彼女の目的が何なのかはっきりしてないのだから。


 「やっぱ選択肢はないか…」
 頭の中で状況を整理しながらそんな事を呟いていると扉がノックされた。


 「どうぞ~」
 俺の言葉に扉が開いた。
 扉の前に立っていたのはルノアリアだった。



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