ペンタゴンにストロベリー

桜間八尋

第21話

「初めまして。宮藤流歌といいます」

「ボクがネットのごく一部で話題になっていると聞いて、もしかしたら気になってる人もいるんじゃないかと思って」

「そのことを話す前に、まずはボク自身についてお話しさせてください」

「ボクは男です」

「これは性自認についても同様です」

「女の子とキスしてるところを見られちゃったわけだから、疑われることもないかもだけど、一応。念のため」

「だから、男として、男の人を好きになったりもします」

「女の子の格好をしているのは、あくまで宣伝のためです」

「小さい頃から女の子の服を着ることに抵抗はなかったけど」

「モデルとして活動している上で性別を偽ったつもりはありませんが、意図的に伏せていたことは事実です」

「このことで不快感を感じた方がもしいらっしゃったなら、本当に申し訳ないことをしたな、と」

「なので、今後はモデルとしての活動を控えようと思ってます」

「その代わり、今回のように動画投稿や、これを見てくれた皆さんとお話しできるような配信を行ってみようかと」

「ごめんなさい。凄く緊張してて」

「上手くいくかはわからないけれど。是非興味のある方は覗きにきてください」

「それから、今日の本題です」

「先日、駅でボクが騒ぎを起こしてしまったこと。あれは間違いなくボクです。酔った勢いで友達の女の子とキスしてしまいました」

「この度はお騒がせして、本当に申し訳ございませんでした。以後このようなことがないように、お酒はほどほどにします」

「それと、この件に乗じてか、ボクの写真がネット上に多数アップロードされていることが確認されました」

「いわゆる盗撮です」

「このことは警察に相談済みです」

「もしかすると犯人さんがこの動画を見てくれてるかもしれないけれど」

「ごめんなさい。優雨のことまで巻き込んでしまったから、許せません」

「ボクにはかけがえのない友人がいます。彼を傷つけることは看過できませんし、できることならもうこんなことはしないで欲しい」

「これはボクからのお願いです」


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 予定通りに動画の撮影を済ませると、すぐさまそれを(未だに非公開の状態ではあるが)ネット上にアップロードした。動画には編集の手をほとんど加えず、撮影自体も蘭子の自宅で行われたため、形式ばったものというよりもホームビデオに近い仕上がりとなっている。

 誠に相談して適当なスタジオでも借りようかという話も出ていたのだが、流歌の「可能な限り自然体で」という意向によって、今回の形に収まった。おかげで投稿までの手間は掛からなかったのだが。

「本当にこれで良かったんですか」

 ファッションモデルとしての活動を自粛するつもりとはいえ、自分を美しく見せることが仕事といっても過言ではない立場であったにも関わらず、撮影環境に対してこんなにも無頓着であっていいものなのか。「宮藤流歌」という一級品の素材を前にしながら、それを活かす機会も与えられないことに優雨はやきもきしていた。

「いいよ、これで」

 そんな彼とは対照的に、流歌自身は出来上がった映像に対する拘りが一切ないようだった。まるで憑き物が落ちたかのように、晴れ晴れとした顔を見せている。

「ララさんにも見せてくる」

 そう言って流歌が撮影に使ったカメラを持ち出すと、自室にいるであろう蘭子の元へと向かった。それを見送りながら、腹の底で僅かに気が重くなるのを感じた。

 昨日から、まともに蘭子とは口を聞いていない。お互いに会話とは名ばかりの適当な相槌を打つばかりで、今後についての踏み込んだ話は未だにできていなかった。

 まだ子供、か。

 昨晩の蘭子の言葉を反芻しながら、浅はかな考えで動いていた自分に辟易する。これでは、自分一人でなんとかしようと足掻いていた頃と何も変わらない。それに加えて蘭子に口止めを強いている分、現状の方が周囲への負担も重かった。着替えを届けに来てくれた妹の水面にも「原稿の追い込み」と嘘をついたままだ。

「いいかんじ、だってさ」

 しばらくすると、カメラを持った流歌が蘭子の部屋から戻ってきた。優雨がダイニングテーブルの上で開いていたノートパソコンの画面に目をやりながら、彼の隣に腰掛ける。そこには流歌のチャンネル開設に伴うネット上の反応が並んでいた。

「これから、どうなっちゃうのかな」

 流歌の言葉に、思わずどきりとさせられる。まるで自分の考えが見透かされたような気になって。

「それは、わかりません。でも、学べることはあると思います」

 無難な言葉を並べながら、流歌の不安に思考の焦点を合わせていく。

「何事も、最初の一歩は不安なものです。いざ踏み込んでみたら、二の足を踏んでいたことが馬鹿らしく思えてきたり」

 まっすぐにこちらを見据える流歌の目と向かいながら、優雨が言葉を作る。

「失敗を後悔するのは悪いことじゃないと思うんです。そのときの反省があって、今の自分があるわけだし。むしろ、失敗を恐れて何も学べないままだったら、どうなっちゃうんだろうって。その方がぞっとします」

 随分と偉そうなことを言っているな、と自分でも思う。正直なところ、流歌の不安を取り除こうというよりも、自分に対して言い聞かせているような感覚に近い。

「結局、痛い目を見るのが早いか遅いかの違いでしかないんです。そもそも、失敗するとは限らないですし。これを見てくれた人の中には、オジョさんの味方になってくれる人も、きっといます」

 最後は取って付けたような物言いになってしまったが、概ね言いたいことは伝えられた。ちらと流歌の方を窺うと、真剣な面持ちのままこちらを見つめている。

「俺はそう、信じてます」

 年上を相手に恥ずかしげもなく長口上を言い立ててしまった。子供なんだから、という蘭子の言葉が再び脳裏をよぎる。そうして口を噤んでいると、流歌から思いもよらない言葉が返ってきた。

「ユウは、さ」

 彼は慈しむような目をこちらに向けると、優雨がテーブルの上で固めていた拳に自らの手を添える。

「大変だったでしょ」

 優雨が言葉の真意を捉えられずに目を丸くしていると、流歌はそれに構わず続けた。

「何があったかは、知らないよ。でも、ユウが辛い思いをしたんじゃないかな、って」

 彼の表情が柔和なものに変わる。

「ユウの話すことって、受け売りって感じがしないんだよね。だから」

 そこで言葉が途切れる。不思議に思った優雨が流歌の方を見ると、困惑した様子でこちらを見やっていた。どうかしたんですか、と。そう口にしかけて初めて、自分の頬を伝う涙の感触に気がついた。

「すみません、」

 優雨がシャツの襟を引っ張ってそれを拭い取ると、続いて自分の顔が羞恥心で熱くなるのを感じた。

「ごめんね、変なこと言って」

 急に泣き出した自分を見て慌てふためく流歌を見ていると、不思議と胸の内に安堵感が広がっていくのを覚える。

「いえ、俺は大丈夫です」

 差し出された流歌の手を握り返すと、その温かさに心を動かされずにはいられなかった。

「なんだか、元気が出てきました」

 そう言って彼の顔を見やると、きょとんとした表情でこちらを見つめていた。それから少しの間を置いて、はっとした様子で握られていた手を引き抜くと、自分の胸を抑えるようにした。

 それきりそっぽを向いてしまった流歌の手の行方を未練がましい目で追いながら、優雨は空になった手で握っては開いてを繰り返す。するりと自分の手の内から逃れていった滑らかな感触。できることならもう少し堪能していたかった。

      *

 ボク、どうしちゃったんだろう。

 不意に訪れた胸の高鳴りに思わず困惑した流歌は、自分自身の行動に対する不可解さに頭を悩ませる。優雨の話を聞いているうち、その表情に翳りが見えた気がした。きっと経験則を語っているに違いない。そう考えると途端に目の前の少年が不憫に思えたのだ。

 辛い思いをしている人がいたら、寄り添ってあげなさい。それが大切な人ならなおさら―――そんな祖母の言葉を思い出した流歌は、優雨を慰めることにした。たとえそれが過去の出来事だったとしても、こうして傷ついているのは今を生きている彼自身なのだから。

「あのー、オジョさん?」

 優雨が気まずそうにこちらを見ている。それもそのはず、急に手を握ったかと思えば握り返されると引っ込めたりして。これで変に思われないはずがなかった。

「あの、その、」

 上手い具合に言い逃れる方法はないものか、あれやこれやと頭の中で言い訳を並べ立てようとする。しかし、妙案と呼べそうなものは何一つ思いつかなかった。

「いや、まあ、気にしないでください」

 苦い表情で優雨がそう言うと、今度こそ返す言葉がなくなってしまう。

 これは、自分が思っていた以上に重症だったみたいだ―――こうして恋にのぼせ上がるのも、高校時代も含めて二度目の経験になる。その上、またしても同性が対象になってしまうとは。そうなると、再び恋に破れる結果になりはしないかと不安になった。

「うん、ごめん」

 流歌が俯きがちに答えると、それきり優雨の方も気まずさに口を閉ざしてしまった。頬が熱くなるのを感じながら、なんとかこの場を打開しようと流歌は画策していた。失敗をしても前向きに捉えるべきだと、そう教えてくれたのは優雨ではないか。

「「あの、」」

 そう切り出した二人の声が見事に重なった。すると、どちらともなくお互いの顔に笑みがこぼれる。

「オジョさんからどうぞ」

 紳士的な態度で打って出たのは優雨の方だった。それに甘える形で、流歌が改めて話を切り出そうとする。

「さっき撮ったやつ、まだ上げないの?」

 画面に注意を戻しながら、優雨が答える。

「オジョさんさえよければ、いつでも」

 見たところ未だにネット上での評判を気にしているようだが、初投稿となる動画がこの出来では不安に思うのも無理はない。

「ちゃんとしたやつも今度撮るからさ」

 この程度の口約束で優雨が納得するとも思えないが、何も言わないよりはましだろう。せめてポジティブな姿勢を見せなければ。

「ゲームもいいけど、今度はマコちゃんも巻き込んだりしてさ。みんなで面白いのいっぱい撮ろうよ」
「みんなで、ですか」

 優雨が考え込む様子を見せる。

「んー、ボクがお姉ちゃんのブランド宣伝して、千歳ちゃんがメイク講座でしょ。あと、ララさんにチャンネルイメージのデザインとか頼めないかな」
「いいですね、それ。男性陣が霞んでしまいそうですが」
「あー、マコちゃんが女の子の口説き方教えて、大佐はゲーム。ユウだったら、料理とか」
「なんだか、やってることばらばらですね」
「上手く一つの番組風にまとめられないかな」
「動画編集が当面の課題でしょうか。でも、面白くなりそうですね」
「でしょ」

      *

「そういえば、ユウはさっきなんて言おうとしてたの」
「えっ、ああ」

 言われてみれば、お互いの言葉を遮ってしまったタイミングがあったか。

「一言お礼を、と思いまして」

 このまま伝えずにおこうかとも思ったが、ここは正直に話すことにした。

「そんなの、いいよ」

 優雨の言葉に、流歌が照れくさそうに微笑んだ。突拍子のない行動に見えても、彼の言動は純粋な博愛の精神から生じたものだということは想像できる。それが偽りのない感情だということを、信頼させるだけの人間味を流歌は持っていた。

 流歌の純真さに触れたことで、優雨は自分自身の心と素直に向き合えた気がした。それをたった一言の慰めに気づかされた。考えるまでもなかった。自分はただこうして、誰かに慰めてもらいたかっただけなのだ、と。

「ありがとうございます」

 目の前で頭を下げて見せると、流歌は「いいって、もう」と困惑するばかりだった。彼を困らせるつもりは毛頭なかったが、こちらの気が済むまでやらせてもらおう。

「上げちゃうからね」

 流歌がテーブルに上半身を乗り出すと、優雨が広げていたノートバソコンに覆い被さるようにして操作を横取りする。開設したばかりのアカウントから投稿した動画を公開状態にすると、大して待たないうちに多くの反響が返ってきた。

      *

「遅くなる前に送りますよ」

 しばらく二人でネット上の反応を楽しんでいたのだが、それも唐突に鳴った流歌の腹の虫の音を合図にお開きとなった。

「ごめん、ありがと」

 帰り支度をする彼の姿を尻目にしながら、アパートの外に出ることを蘭子に告げるかどうか、優雨は迷った末に決めかねていた。しきりに彼女の寝室に通じるドアを見やっていると、外出の許可を求めた途端に憤慨される光景が目に浮かぶようだ。

 もしかしたら、流歌に事情を察せられることを危惧して表面上は大人しくしているかもしれないが、内心はきっと穏やかでないに違いない。それとも、流歌に全てを打ち明けてでも自分がアパートの外に出ることを阻止するだろうか。

 どちらに転ぶにせよ、面倒事になるのは避けられないだろう。流歌に「送る」と言ってしまった手前、今更になって引き下がるのも不自然だ。優雨は拳をぎゅっと固めると、この身に降りかかるかもしれない不幸に関する想像の一切を頭の中から締め出そうとした。

      *

「お待たせ」

 帰り支度を済ませた矢先に目に入ったのは、なんだか頭を悩ませている様子の優雨だった。

「どうかした?」

 こちらから声を掛けてみると、「いえ、なんでも」と誤魔化しながら彼は席を立った。どうにもおかしいが、追及したところで素直に答えてくれるとは思えない。

「あっ、ちょっと待ってください」

 流歌が玄関に向かおうとすると、優雨が何かを思い出したかのようにリビングの方へと駆けて行った。

「すみません。もう大丈夫です」

 そう言ってすぐに戻ってきた彼の先導に従ってアパートを後にすると、外に出た途端に流歌の肌を湿気のある空気が包み込んだ。

「少し降りそうですね」
「うん」
「傘いります?」
「急げば平気だよ」

 家を出る前に天気予報を見ておくべきだった。土砂降りであるならまだしも、小雨程度で蘭子の家の傘を借りるのもなんだか悪い気がする。空模様を見て外出を躊躇する優雨を尻目に流歌が歩を進めると、彼もしぶしぶその後について行った。こうして二人で肩を並べて歩くのも、三度目になるだろうか。数えてみると存外に少ないものだ。長い付き合いの友人だというのに。

「どうかしましたか」
「ううん、なんでも」

 思い返すと、優雨と初めて出会ってからというもの、随分と濃密な時間を過ごしている。気の置けない間柄の友人だと思っていたら、いつのまにか恋心を抱いてしまっていたり。彼の顔を見ていたら、余計に不思議な気分にさせられた。

 こんな風に誰かを想うことなど、生まれて初めてのことだ。高校時代の恋は、相手の人柄というよりも「恋」という言葉そのものに捕らわれていたような気がする。パートナーの期待に応えたいという欲求や、その存在を誇示することで得られる充足感に。

 今はどうだろう。

 二人の仲を決定付けるような事柄は何もないし、そもそも向こうにその気があるのかどうかもわからない。何より、彼が同性であるという事実に思い至る度にどんよりとした重苦しい気分にさせられた。

 容姿という一点に関しては自信がある。しかし、それでも尚、性別というのは越えがたいハードルといえるだろう。過去に痛い目を見たせいで、その点も重々承知していた。期待するだけ損だと、自分でもわかっている。それにも関わらず、胸中では淡い期待を抱かずにはいられなかった。

 道中ですれ違った人々の目には、二人は恋人のように見えるのだろうか。それを優雨は快く思わないのではないかと内心で不安感を募らせると、何気なく彼の顔を覗き込もうとした。

      *

「どうかしたの、ユウ」

 流歌がこちらを見やりながら、何やら聞きたそうにしている。

「いえ。何か、気になることでも」
「んー、なんか、暗くない?」
「それは、」

 図星を突かれた優雨は、なかなか返す言葉を見つけられずにいた。余程硬い表情でもしていたのか、判然と抱えていた不安感を彼に看破されてしまったらしい。

「隠しごと?」
「まさか」

 流歌の言葉を慌てて否定するが、これは彼に余計な心配をさせないためだ。しかし、同時に嘘をつくことにもなる。それがお互いの信頼を傷つける行為だと自覚しながらも、優雨は自分を正当化することで気持ちを誤魔化した。罪悪感に押し潰されないように。

「やっぱ変」

 そう言った流歌が進行方向に対してくるりと背を向けると、こちらの行く手を阻むように立ち塞がった。

「理由はともかくワケを、って・・・・・・ボク言ってること変?」

 自分の発言に理屈が伴っていないことを感じ取ったのか、流歌が首を傾げながら言う。

「変ですよ」
「じゃあお揃いだね」

 そんな風に笑顔で言われてしまうと、くよくよ悩んでいたことが馬鹿らしく思えてしまう。彼は論理的に話すタイプではないが、人を和ませることに関しては天才的だ。

 きらきらと輝く流歌の瞳に、思わず吸い込まれてしまいそうな、そんな錯覚。実際、何を言ったところで彼は全てを受け入れてくれるのだろう。全てを白状して楽になってしまいたい、そんな欲求を刺激する無垢な輝きだった。

「実は、」

 そう口にしかけてから、優雨は咄嗟にその言葉を飲み込んだ。

 自制心からではない。流歌の向こうに、不穏な人影が見えたからだ。

 かつて自分が襲われた路地裏と同じ、不吉な気配がそこにはあった。

 男の手元には、刃物が握られていた。

      *

「どうしたの」

 顔面蒼白になった優雨の顔を見上げていると、彼をそうさせるだけの「何か」がその視線の先にあることが察せられた。それに気がついた流歌が「何か」に向かって振り返ろうとしたとき、彼を押し退けるようにして前に出た優雨の背中が視界を塞いだ。

「いたっ」

 その拍子に尻餅をつくと、足元の路面にべったりと貼りついた新鮮な血糊が見えた。続いて聞こえてきたのは、痛みを堪えるくぐもった悲鳴と、金属製の刃物がコンクリートを叩く音だ。

「うそ」

 悲痛に歪む流歌の頬を、おもむろに降り注いだ雨粒が叩いた。

 血の跡を拭い去るにはあまりにも弱弱しく、それは流歌の心を絶望で満たした。

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