負社員

葵むらさき

第46話 45億年のエイジングギャップは埋められるのか

「結局、新人対スサノオの形になっちまったすね」伊勢が、特別嫌味のようでもなく、ただ深刻な色の声で呟いた。
「――」木之花は、もはや何も言い返すことができないでいた。
「新人さんたちだけにはしない」天津はそれでも言い返す。「必ず追いつく」
「ああ」大山が頷く。「我々も状況見て、すぐに態勢つくるから。ひとまずは任せる」
「はい」
 天津に化けたスサノオが運転して行ったと思われるワゴン車の姿は、なかなか見つからずにいた。よもや、すでに地下へ潜ってしまっているのか――そんなことまで神たちは考えざるを得なかった。

 ワゴン車は実際のところ、新人たちの目から見て何やら人里離れた、周囲に鬱蒼たる樹木の生い茂る山道、それも次第に幅も狭まってゆき、所々舗装も剥がれているような、心細く頼りない道を走っていた。
「すごいっすね」結城が前方を食い入るように見つめて言う。「これ、どこに続いてるんすか」
「現場です」運転している天津は微笑みながらあっさりと答える。「これから皆さんに、地球と対話していただく場所ですね」
「へえー」結城は数回頷いた。「さっき、午前中に探り当てたところはやっぱりもう、使えないんすか」
「はい」偽天津も頷く。「もう、潰されてしまいましたからね」
「ああ、スサノオにっすか」結城は偽天津の横顔を見ながら納得の声を挙げる。「何が気に入らないんすかねえ、あの人」
「そうですね」偽天津は考え深げな目をして答えた。「彼が言うには、新人さんたちが世の中を甘く見過ぎているだの、だらだらしているだのという話でしたけどね」
「えっ、俺たちが? あいや、私たちが?」結城は吃驚して自分を指差した。
「はい」偽天津は頷く。「もちろん我々は、そんなことはないと反論したんですが……聞き入れてはもらえませんでした」
「具体的に、どういうところが甘くだらだらしていると言っていたのですか、スサノオは」時中が後部座席から問う。
「そうですね」偽天津は再び考え深げな目で答える。「例えば、緊張感が足りない、あと畏怖の念、つまり自分たちよりも偉大なる存在、自然現象に対する畏れの精神というものに欠ける――そんなところでしょうか」
「おお、なるほど」結城は簡単に納得する。「確かに我々、神様たちに護られているというのがわかってるから、すっかり安心しきって、そういう意味ではダラダラしていたのかも知れませんね。確かにそこは反省するべきっすね」
「ありがとうございます」天津は運転しながらにっこりした。「しかし今の時代、自然現象に対する畏れといわれても、なかなかピンと来ないですよね」
「ああ、それはありますね」結城はまた頷く。「科学が発達して、いろんな現象のメカニズムとか解明されてきてますもんね。プレートテクトニクスとかね」
 道はますます狭くなり、申し訳のように舗装の痕跡を残すアスファルトの残骸の上には、鮮やかな緑色の苔が好きなだけ繁殖している。穴ぼこだらけの道のため、さしもの最新スペック車といえども昔の馬車のごとくにがたごと跳ね返る。
「本原さん、大丈夫?」結城が後部座席を振り返り訊く。「酔わない?」
 本原は返答せず、ただ手許を見下ろしていた。
「酔ったのか」時中が横から問う。
 本原はやはり無言で顔を上げ、その手に持っていたデコレーション豊富な黒い機器を持ち上げた。その表示面には、数字の“0”がずらりと並び、煌々と輝いていた。

「何処だ」空の上の天津は、凍った依代(よりしろ)の姿のままワゴン車を捜し続けた。依代は固く眼を閉じ、端正ながら永遠の眠りに就いた顔をしているが、天津によって冷たく希薄な大気の中滑空し続けた。
「早く見つけないと、その依代が人の眼につくのもまずいよね」大山が多少苦笑いの混じった声でコメントする。
「ごめん」鹿島が割って入る。「GPSに入り込もうとしてるんだけど……」語尾が濁る。
「どうしたんすか」伊勢がすかさず訊く。「いないすか」
「うん」鹿島はなおしばらく探索を諦めることに抵抗し続けていたが「駄目だ」ついにそう結論づけた。「見つからない」
「やっぱり、潜ったんだな」大山が推測する。「地下か、或いは奴独自の空洞に」
「大丈夫。当たりはつけてある」更に割り込んで来た声は、酒林のものだった。「遅くなって、悪りぃ」
「サカさん?」
「お疲れっす」
「いつの間に来てたんすか」神々は驚いてそれぞれ声をかけた。
「お疲れ。あまつん、そのまま真っ直ぐ来てくれ」酒林は挨拶もそこそこに天津に指示した。「奴が潜り込んだ地点の目星、つけてるから」
「わかりました」天津は指示通り冷たい大気の中を滑り続け、やがて空中に浮かぶ蛇の姿を見つけた。「サカさん」声をかける。
「おう」蛇は振り向き「うわ、死体」と驚く。
「依代だけ地上に置いておくわけにもいかないですからね」天津は真面目な死顔で説明する。
「ああ、まあ……そうだよな。中身なかったらどっちにしろ死体が転がってるのと一緒だもんなあ」酒林の入った蛇は考えながらそう言い、「よし、じゃあ行こうぜ」先に立って地上へと下り始める。
「はい」天津も続く。
「頼むぞ」
「頑張れ」
「急げ」神々は口々に声援を送った。
「今回ちょっと依代代が予算オーバーだけど、まあ良しとするわ」木之花が呟く。「任せたわよ」
 そして蛇と凍死体は、苔むした細い山道の上に出た。そこは緑に染まる光の降り注ぐ、まさに神々しき異世界と呼ぶに相応しい景色を呈する場所だった。

「おおっ」結城が後部座席を振り向き眼を剥いた。「その表示は」
「これは」時中が眉をしかめる。
「すぐ近くに、出現物がいるということでしょうか」本原が考えを述べる。
「まじで?」結城が叫ぶ。「すぐ近くって、どこに? まさかこの車の中とか?」
「まさか」時中が眉をしかめたまま疑問を口にする。「また不具合を起こしているんじゃないのか」
「ありゃ」結城は指をくわえる。「やばいっすね。どうします、天津さん」
「ん?」偽天津はルームミラーで本原の手にする機器を見遣り「へえ……そんなのも持ってたんだ」と呟く。
「え?」結城が偽天津の横顔を見る。「だってこれ、天津さんが持たせてくれたものっすよ」
「――」偽天津は黙り込み、じっと前方を見つめた。
「天津さん」結城はその横顔をじっと見た。「っすよね」
「どういうことだ」時中が鋭く言葉をかける。「違うのか」
「天津さんではないということですか」本原が確認する。
「さっすが」偽天津は破顔した。「あったまいいなあお前ら」
「誰だ」結城が叫ぶ。「お前、あれか、スサノオか」
「スサノオ」時中が再び眉をしかめる。「天津さんに化けたのか」
「まあ」本原は機器を持たない方の手で口を押えた。「そっくりです」
「えっそれ、やっぱりマヨイガで調達したの? その依代」結城が偽天津の体を指差す。「おんなじの下さいつって発注したの?」
「これか、これはな」スサノオが答えかけるが、
「それどころじゃないだろう」時中が割って入る。「我々をどうする気だ」
「ではスサノオさまが出現物だということなのですか」本原が確認する。「神さまは出現物なのですか」
「ええー」結城が驚く。「んじゃ神さまと魔物の出て来る岩って、仲間ってこと?」
「そんな」本原は衝撃を受けたかのように口を押えたが、顔は無表情だった。
「あのなあ」スサノオが説明しかけるが、
「それどころじゃないだろう」時中が割って入る。「何処へ行くつもりだ」
「だから、現場だっての」スサノオは怒鳴った。「お前ら、ほんとうるさい」
 新人たちは、しんとなった。
「うわあ」しかし結城には黙っていることが不可能なようだった。「怒鳴る天津さんって、新鮮だよなあ。いつもは『はは、皆さん、はい、どうぞ』って感じなのに」顔にほんのりとした微笑を浮かべて片手を差し伸べ、細い声で物真似をする。
「全然似ていません」本原が無表情に切り捨てる。
「いや、少しだけ似ている」時中が恐らく初めて、結城の行ったことを認めた。
「あのね、お前ら」天津の形をしたスサノオは、運転を続けながら低い声で言った。「本当なんていうの、仕事しに来てるっていう意識とか、今危険にさらされてるっていう危機感とか、緊張感とか、そういうのってないの? 馬鹿なのお前ら?」
「はあ? 誰が馬鹿だって?」結城が叫び、他の二人は結城を見た。
「そもそもあれだよな、お前らに仕事教えてるのも、今こうして説教してやってる俺にしても、神だぞ。畏怖の念、って言葉、お前ら知ってる? 知らないだろ。ほんと友達感覚だもんな。フレンドリーにフランクに、本音で、自分のありのままで、思うことをすべて言葉にして伝えればきっとうまくいく、互いに理解し合える、それがコミュケーションだと思ってる。ああうんざりだ」スサノオは心底いやそうに首を振った。
「おお」結城が感心したような声を挙げた。「じゃああれか、ですか、言葉のやり取りじゃないのがコミュニケーションだというわけなのですか」
「慮る」スサノオは運転を続けながら一言告げた。「お前ら若造に欠けてるのはそれだ」
「オモンパカル」結城がくり返す。「オモンパカらなきゃいけないんすね、俺ら、いや私たちは」言いながら何故か両手を握り込み、馬の走る動作を真似する。
「けっ」スサノオは運転席側の窓の方に顔を向けた。「散々、こいつらの仕事に感謝だの満足だのしてきてやってた結果がこれだよ。大した成果だ」
「さっきから聞いていると、随分我々に敵意を持っているようだな」時中が静かに問いかける。「神であっても、人間を嫌っている者もいるというわけか」
「教育だよ、教育」スサノオは投げ槍な声で言い放った。「これからお前らに、真の意味での教育を施してやろうっての」
「畏怖の念を身につける為のですか」本原が確認する。
「ああ」スサノオは首を後部座席に振り向け、にやりと笑った。「俺に跪いて泣いて叫んで助けを乞うまで、鍛えてやるよ」
「暴力だ」時中が指摘する。「パワハラ以外の何物でもない」
「言ってろ」スサノオは凄味のある顔と声で告げた。「俺がその気になりゃ、お前らを二度と日の当たる世界に戻れなくする事だってできるんだぞ」
「出た」
「パワハラだ」
「定型文ですね」新人たちはある意味で衝撃と驚愕を表にあらわした。
 その時ワゴン車の車窓の外の景色は、それまでの美しい緑のものから一転し、真っ暗闇となったのだった。

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