負社員

葵むらさき

第25話 業務以上に気を使う業務終了後

「地球さまは今もまだこの辺りをお歩きになっているのですか」本原が質問する。
「姿は見せてくれないんすか」結城も質問する。「幽霊みたいに歩いてないで」
「午前中に見た土偶や剣や、さきほど見た石川啄木なども、皆地球が姿を変えたものなのか」時中も質問した。
「えーとね」鯰は一同に制止をかける。「質問は一人ずつ、一個ずつにしてくれる? 小学生の学級会じゃないんだからさ」
「あなたは、人間の小学生というものをご存知なのですか」本原が質問する。
「よく知ってるよね、この人。鯰なのに」結城が岩壁の適当な方向を指差して他の二人に向かって言う。
「だが言っていることは理に適っている。質問は一人ずつ行うべきだ」時中が意見を述べる。「順番は誰からだ」
「わかりません」本原が答える。
「えーとね、時中君が何か訊いて、本原さんが自分が抜かされたって怒って、鯰君の方が人間って何? みたいな事言い始めて」結城が想起する。
「鯰君、なのですか。鯰さまは男性の方なのですか」本原が質問する。
「質問がぐだぐだ過ぎだ」時中が指摘する。
「そろそろ、帰れ」鯰が言った。
 一同は、口をつぐんだ。
「って、言ってる」鯰の声が続いた。
 天津が腕時計を見「ああ、もう時間ですね。じゃあ、上に上がりましょう」と提言した。
「ええー」結城が叫び、
「もう上がるのですか」本原が口を抑え、
「ぐだぐだだ」時中が眉を寄せ首を振った。

     ◇◆◇

 ――何がいけないのだろう。
 岩は、そんな風に想った。
 ――何が不満だというんだ――神たちは。
「ふうん」確かに自分はそう言った。本当に、そう感じたからだ。
 この世の中は、知らないこと、わからないこと、意外なことだらけだ。「ああそれなら知ってる」ということの方が、遥かに少ない。何か一つを「知ってる」と思えるようになったとしても、その瞬間に知らないことは何十、何百、何千、何億――数え切れないほど存在しているし、おまけに増え続けている。だから何かを見たり聞いたりした時には大概「ふうん」としか言う言葉はないのだ。
 神たちは人間を「働かせる為に作った、宝」だと言った。それは自分にとって、知らないことだったし、意外なことだった。だから「ふうん」と言ったのだ。それが不満だというのか。じゃあどういえばよかったんだ。「そうだろうと思ってた」か。「そんな事あり得ない」か。「自分の知ってることと違うから、それは嘘だ」か。
 自分にはそれら一切、言えない。そんなこと、言えない。言うことなど、できない。そんな、知った風なことなど。
「岩っち、お疲れ様」鯰が、そう声をかけてきた。
 自分が今どんな気分でいるのか、鯰にはわかっているのだろうと思う。

 ず
 ず
 ず
 ……

 岩はただ、微かな摩擦音を返すだけだった。だがそんな中で、自分がどんな気分でいるのか、改めて自分で確かめなければならなかった。
 哀しい、のか。
 悔しい、のか。
 腹立たしい、のか。
「みんな、我侭だもんねー」鯰が、そう言う。
 それで岩は、はっきりと知った。
「確かに、そうだ」自分が今この瞬間、そう思ったという事実を。
 まったくコミュニケーションというのは、難しいものだ。

     ◇◆◇

 そこは、決して大きな店ではないが入り口の造りはしっかりとしており、軒先に杉の葉で作られた球形の飾りが吊るされていて、老舗店の貫禄を醸し出していた。
「ここが『酒林』」先頭に立つ大山が店の玄関を手で示し、自分の後ろについて来ている新人三名に振り向いて説明した。「これも、“酒林”ね」杉玉も手で示す。
「え、この、葉っぱボールがすか?」結城は飾りの“酒林”を見上げて訊き返した。
「そう。酒の神の、まあシンボルみたいなもんね」大山は頷き、玄関の戸を開ける。自動ドアではないようだった。「こんちはー」威勢よく声をかける。
「いらっしゃーい」更に威勢の良い声が返って来た。店内には三人、紺色の作務衣の上衣に似たものを着けた学生バイトらしき少年が一人と、厨房内に白衣の中年男が二人立っていた。
「どうも、お世話になります」大山は丁寧に会釈をする。
「ああいえいえ、こちらこそ有難うございます」厨房の男の一人が調理帽を取って会釈を返す。もう一人の中年男も、無言だが笑顔でぺこりと頭を下げる。
「お座敷の方へどうぞ」ホール係の少年も笑顔で一同を案内する。「お履物はそのまま置いてお上がり下さい」
「あざーっす」結城が先頭となって、十二畳ほどもあろうか、長方形の大きな卓を二つ並べてある和室へと入る。「おお、結構広いなあ」室内を見回す。
 確かに、店の外観からは意外なほど、座敷は広々としていた。壁には山麓の風景画、窓には黒い格子が架かり、落ち着いた雰囲気である。卓上には数人用の鍋が一定の間隔を開けて置かれ、各席に皿やグラスや箸などがずらりと用意されていた。
「結構、集まるようだな」時中が卓上の様子を眺めて言う。
「お名前を早く覚えるようにしないといけませんね」本原も、特に緊張したようには見えないが気合が入っているとも取れる言葉を口にする。
「ようーし、やるぞー」結城は腕まくりのジェスチャーをして見せる。「お酌回りと、サラダの取り分けと、鍋の管理だ」
「管理するのですか」本原が訊く。「火加減とかですか」
「そうだよ、丁度いい煮え具合の時に素早く、それも偉いさんから先に取り分ける。誰が立場的に一番上の人か、具材が煮えるまでに見極めないといけないからね」結城は自分の眦に指を置きながら目玉を左右に揺らめかした。
「でも煮えるまでの間はお酌したりするのでしょう。お酌の順番は、偉い順でなくてもよいのですか」本原が詳細を訊ねる。
「それはね、ヒントは部屋の奥、つまり上座に座ってる人がより偉い人なわけだから、そっちから攻めていくわけさ」結城が人差し指を立てて得意げに説明する。
「ではお鍋も、お部屋の奥に座っていらっしゃる方から取り分けて差し上げないといけないのですか。その間に下座の鍋の具材が煮え過ぎたりしませんか」本原は更に詳細を穿つ。
「この男なら大方」時中が結論づける。「忍者のように分身の術を使って酌なり取り分けなりするんだろう」
「こりゃまいった」結城はぎゅっと目を瞑り額を手で叩く。「時中君、さすがだなあ」
「まあ、そんなに気を使わなくていいですよ」不意に三人の背後から、天津が苦笑しながら声をかける。「今日は皆さんの歓迎会なんですから、ゆっくり座ってて下さい」
「そうですよ、皆さん」木之花も、仕事の時には見られなかった柔らかな笑顔で三人をねぎらう。「今日は初の現場研修で、大変だったでしょうから」
「ありがとうございます」結城が深々と頭を下げ、時中と本原も軽く頭を下げた。
「さあ、皆は一番奥に座ってね」大山が、入り口から一番離れた席、縦長に連ねられた卓の上座側の席を手で示す。「お酌とか取り分けとかはもう、天津君がやってくれるから」
「あ、……はい」天津は苦笑を蘇らせて肩をすくめるように頷いた。「頑張ります」
「まあ」本原が口を抑える。「神さまにお酌をさせるなんて、そんな」
「いいさ、どうせ全員神さまなんだし」大山は笑う。「気を使ってたらきりがないよ」
「まあ」本原は目を見開く。「全員、神さまなのですか」
「社員が、全員?」時中が囁くように訊く。
「ま、後で追々紹介するよ。さあ、座って」大山は三人の背を押すようにして促す。
 三人は、取り敢えず一番上座に結城、その向かい側に時中、時中の隣に本原という位置づけで座についた。
 待つことしばしで、座敷には次々とスーツ姿の男たちが入って来ては、その都度立ち上がろうとする新入社員たちを手で止めつつ、着座してゆく。見たところ上座も下座も考えている風でもなく、来た順に好きな所へそれぞれ腰を下ろしているようだった。年齢層も様々で、一番若いのは天津や木之花あたりの三十路そこそこ位、その少し上らしき大山、更にその上四十路らしいのが数名、いわゆるミドル、シニアと称される世代らしいのが二、三名ずつといった所だ。
 そうして座は埋まり、座敷内は賑やかになって来、少年バイトと白衣の男たちが飲み物やオードブルなどを運び入れ、天津と木之花だけでなく、座敷内にいる全員が“お酌”をし合い始める。
「本原さんビールで大丈夫?」本原の隣に座る木之花が訊く。
「泡がなければ大丈夫です」本原が答える。
「そうなの? 泡のないビールがいいの?」木之花は目を丸くしながらもグラスに、瓶からビールを泡が立たないよう斜めに注ぎ入れる。
「泡のない方がいいです」本原がそれを見ながら頷く。
「泡なかったらビールじゃなくなるじゃん?」結城が斜め向かい側の席から意見を述べる、その手には程よく泡の立った生ビールのジョッキが握られている。
「泡を立てる意味がわかりません」本原は結城の生ビールを見ながら言う。
「あー、うーん、それはー」結城の隣、本原の向かいに座っている初見の男が顎をつまむ。
「泡の立つ意味かあ」その男の隣に座る男が続く。
「なんか風味を保護する役目があるとかいいますよね」木之花のひとつ下座側に座る男が言葉をつなぐ。
「ほんと? それ科学的な根拠のある話?」木之花が訊く。
「いや、わかりません」聞かれた男は首を振る。
「エビッさん調べといて。納期来週末で」大山が比較的下座側から口を出す。
「えっ、私?」木之花の二つ下座側に座っている恵比寿が驚いて背筋を伸ばす。
「適材適所じゃの」恵比寿の向かい側に陣取る宗像が、貫禄たっぷりに頷く。
 宗像のひとつ下座側にいる鹿島は、にこにこと笑うが特に何も発言しない。
「じゃあ社長、乾杯の音頭を」一番入り口に近い位置に座している天津が、大山を促す。
「はい」大山は生ビールを手に威勢よく立ち上がる。「えーではただ今より取締役会を始めたいと思います」
「違う違う」
「社長違います」
「ビール持ってるのに」あちこちから一斉に突っ込みが入る。
「あごめん。えー株主総会?」大山は左右を見渡す。
「ブ――」
「歓迎会歓迎会」またあちこちから声が飛ぶ。
「あ、すいません。歓迎会ですね。じゃあ」大方泡の消えた生ビールを差し出しつつ、大山の張りのある声が宣言する。「取り敢えず乾杯!」
「お疲れさーん」
「入社おめでとうございまーす」
「おめでとーう」座は一気に盛り上がり、グラスやジョッキが高々と差し上げられる。
「ありがとうございます! ありがとうございまーす! あーありがとうございますー」結城は、顔見知りも初見も含め周囲の社員たち一人ずつと丁寧にグラスを合わせ礼を述べていった。
 かくして新入社員と神々との酒宴は、始まった。

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