女将軍 井伊直虎

克全

第108話中国地方の攻防19

今川義元は足利義直の決定受けて、頃合いを見て軍勢を備後に進めることにした。備中の国衆を先鋒として、隙を見せず着実に侵攻していったが、もちろん山陰方面の直竜も動いていた。この時隙を見て小早川繁平を、幽閉されていた寺から無事救出して幕府山陽方面軍に迎えていた。

伯耆と出雲の国境線を直竜軍が固めたことで、苦戦していた尼子勝久軍が態勢を立て直すことに成功したのだ。再度毛利家に寝返ろうとしていた出雲・石見の国衆・地侍が、尼子や毛利の支配下から脱して、幕府に直結した奉公衆として本領安堵を認められたからだ。尼子勝久には苦々しいことだったろうが、このまま毛利に負けるくらいなら、配下の国衆が独立してしまうとしても勝ちたかった。多くの国衆が本拠地に籠城するか、幕府軍として尼子勝久軍に寄騎した。

直竜は出雲国の尼子軍と、国境線の城砦群に入れた山城衆・若狭衆の二段構えの防御陣を確認した上で、残った2万8000兵を率いて備後に侵攻した。これに対して国境線に勢力を誇っていた宮一族は、毛利家にとられている人質を諦めて降伏臣従してきた。

そこで直竜は更に軍を進めたが、山内家は籠城して迎え討とうとした。だが後方の三谿郡南天山城で、父・和智誠春や叔父達を謀殺された和智元郷が幕府軍に味方して兵を揚げた。これによって毛利家内での謀反が立て続けに起きたと言いたいのだが、実際には同時多発的に起きたと言える。

今川義元率いる幕府山陽方面軍は、難敵・杉原盛重が籠城する銀山城を囲んで討って出れ無いようにした上で、備後の国境の城砦を瞬く間に降伏臣従させて行った。本来なら銀山城の次に幕府軍を防ぐ拠点なるはずだった本郷城は、城主・古志豊長が杉原盛重の卑劣な行いを嫌悪し関係が悪化していた。そこに毛利家が和智誠春を謀殺した事実が広まり、毛利隆元を権力争いで暗殺した噂が聞こえて来た。更に止めとして、小早川繁平の眼を潰して小早川家を乗っ取った事が繁平本人から伝えられた。それが止めとなって、古志豊長は城門を開けて幕府軍を迎え入れた。

古志豊長は身の丈六尺三寸、大力にして驍勇無双と近隣に鳴り響く武将であったので、近隣の多くの国衆・地侍が雪崩を打って幕府に降って来た。

毛利家主力が出雲の尼子勝久軍討伐に出ていた為、本拠地の三原城から備後国衆だけで対幕府軍防衛戦を指揮していた小早川隆景だが、ここに至って三原城を中核に村上水軍を活用して遊撃戦術をとる決断をした。

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