女将軍 井伊直虎

克全

第101話中国地方の攻防13

今川直竜が伯耆を制圧するにあたって問題だったのは、備後・備中の毛利軍が備中を越えて攻め込んで来る事だった。そこで態と侵攻を中断していた、今川義元・直元が率いる山陽道幕府軍が備前の宇喜多直家を一気に滅ぼした。

宇喜多家でも内部からの切り崩し・調略が順調に進み、今までの裏切りや謀略の報いのように、次々と宇喜多直家を裏切る者が続出した。浦上家の家臣だった国衆・地侍はほぼ全員が宇喜多直家を見限り、幕府直参の奉公衆の格で降伏臣従してきた。その上で宇喜多家を一族一門皆殺しにしたのだが、今までの悪行の所為だろう、助命嘆願する国衆・地侍はいなかった。

その後で備前の国衆・地侍を先鋒として備中に攻め込んだが、備中に攻め込んだと言っても、宇喜多直家の首を庄元資・三村元親兄弟に引き渡しすためだった。2人に加えて石川久式・庄高資・庄勝資などの備中勢を先鋒として、今度は備後に圧力をかけた。

ここで今川義元が最初に取った手段は、謀略を兼ねた調略だった。

国重就正をはじめとする、毛利家に仕える安芸武田家の庶流に内応を進める密書を届けたのだ。だが届け方がかなり杜撰で、別に露見して毛利家と安芸武田家縁の国衆・地侍が内部抗争しても構わないと言うものだった。

そして毛利討伐を決断した時から進めていた、今川直元に武田姓を名乗らせる事を行った。武田宗家である甲斐武田家・武田信玄の三女・万理姫を直元の正室に迎え、安芸国の正統な守護としての立場を明確にしたのだ。これによって、武田家が幕府の後継問題に口出しする危険が増えたが、同時に幕府と武田家の絆が強くなったのも確かだった。

同時に行った謀略が、昨年伊予国遠征に従っていた和智誠春親子と誠春の弟・湯谷元家を、6年前に毛利隆元を暗殺したと言いがかりをつけて厳島神社に監禁し謀殺した事に絡んでいた。実際に隆元を暗殺したのは、毛利元就の重臣・児玉就忠や桂元忠達であり、毛利隆元の重臣・赤川元保と対立していたので、隆元の代になったら排除されると恐れた児玉就忠や桂元忠達が隆元を暗殺し、元保に罪をなすりつけたと言う噂を流したのだ。

しかもそれを実行したのが杉原盛重の忍衆で、跡目を狙っていた吉川元春と小早川隆景もそれを知っていて黙認したと言うものだった。

毛利元就や吉川元春・小早川隆景ほどの者達がこんな噂に踊らされはしないだろうが、元就が老齢により判断力を失う事はあり得るし、何よりも配下の国衆・地侍が毛利家は信じられないと疑心暗鬼にかかってくれれば成功なのだ。

どれほど忠節を尽そうとも、毛利家中枢部の権力争いに巻き込まれて、無実の罪で一族が滅ぼされ城地を失うかもしれない。そう言う疑いや恐れが心に芽生えれば、幕府の言葉に耳を傾ける可能性が出てくるし、そうなれば毛利家内部で普段からある反目が強まり、共に手を携えて戦う気持ちがなくなってしまうかもしれない。

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