女将軍 井伊直虎

克全

第94話中国地方の攻防7

尼子勝久の軍勢は、毛利軍を撃退したことで出雲国内での声望が上昇した。だが勝ち戦の後なのに、隠岐から出雲に上陸する時から味方していたはずの隠岐為清が、10月に美保で反乱を起こしたのだ。尼子勝久はせっかく制圧したはずに出雲国内での反乱を放置できず、山中幸盛・立原久綱らを鎮圧軍として派遣させた。

迎え撃つ隠岐為清は兵を2手に分け、真野が嶽から聖返しの辺りに先軍を置き、美保神社辺りへ本軍をを置いた。為清は尼子軍が島根半島の陸地から攻めてくると予想して、それを迎え撃つ為に軍の配置を決めたのだ。

だか知友兼備の山中幸盛を筆頭とする尼子軍は、為清の裏をかいて海を渡って直接本軍を奇襲する作戦をたてた。尼子軍は港で船を集め、その船に乗って伯州米子から海を渡り、為清の本軍へ直接攻撃を仕掛けた。

戦いの序盤は、数に勝る隠岐軍が尼子軍を圧倒し、尼子軍は窮地に追い込まれた。一時は全滅の危機にまで陥ったが、横道高光・横道高宗の兄弟と松田誠保らの援軍が到着し、側面から奇襲に近い形で隠岐軍に攻めかかり戦況は一転した。援軍の参戦により隠岐軍は裏崩れを起こし壊滅、隠岐為清は自国の隠岐国へ逃げ帰った。

隠岐為清が配置していた先軍の兵は、本軍を助けることが出来なかった。本軍が壊滅した後で先軍の兵は尼子軍の捕虜となってしまった。壊滅した本軍の捕虜も併せると、約400兵が大根島へ送られることとなった。この事態となり隠岐為清は、捕虜の助命を条件に切腹したので、隠岐軍の捕虜は解放されることになった。

この戦いで隠岐を支配者は、隠岐為清から弟の隠岐清実に変わった。後を継いだ清実が、尼子軍に協力することを誓ったため、これにより隠岐軍の叛乱は収束した。しかし尼子軍にとって、仲間同士の争いで兵力が減少するという痛手となった。だが何よりも問題だったのは、尼子軍が1枚岩ではなく結束の弱い集まりだということが、敵味方に知れ渡ってしまったことだった。

この頃になってようやく九州に遠征していた毛利軍の主力が、筑前の立花山城を退去し周防の大内輝弘軍や出雲の尼子勝久軍を鎮圧するため帰還を始めることができた。月山富田城に籠もる天野隆重ほか出雲における毛利軍には、主力部隊がつくまでの良い時間稼ぎとなっていた。

他にも、毛利家に忠誠を尽くす出雲三澤城の三澤為清・為虎父子がいた。他の出雲国衆と共に対尼子軍として北九州から帰国していたが、他の国衆とは違って尼子に降伏臣従せず篭城していた。尼子軍は、毛利からの侵攻拠点になる三澤城を落とそうと攻めかかるも、背後を三刀屋城の三刀屋久扶の軍勢に攻められ敗走することになってしまった。

これは尼子軍の失策の結果だった、三刀屋久扶は尼子勝久に降伏臣従しようとしたのだ。だが何度も裏切りを繰り返していたため、他の尼子旧臣達の反対もあって降伏を受け入れられなかった。もし尼子勝久や山中鹿之助が、三刀屋久扶の降伏臣従を受け入れていれば、三澤城攻略戦で背後をつけれることもなかっただろう。

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