女将軍 井伊直虎

克全

第88話中国地方の攻防1

さて、但馬国の山名祐豊を降伏臣従させたことで、山名豊定の次男・山名豊国と言う因幡での名目上の旗頭を手に入れた。敵対する山名致豊の三男・山名豊弘は武田高信の傀儡に過ぎないし、武田高信も毛利元就の威を借る走狗に過ぎない。

今川直竜が但馬兵を先陣に、幕府軍として因幡国に攻め込むと、因幡毛利家の毛利信濃守や草刈景継と言った者達が降伏臣従してきた。山名豊国を名目上の因幡守護とした事と、国衆・地侍を幕府の役に就けて守護の支配から独立させたのが大きかった。八頭郡の有力国衆・毛利家と草刈家を味方につけたことで、美作国から播磨国に敵が侵入する心配が大きく減った。

備前との国境で敵対する浦上宗景だが、家臣であった宇喜多直家の謀叛と幕府軍播磨駐屯軍に対抗するのが精一杯で、美作に侵攻した幕府軍の邪魔をする余裕などなかった。

播磨と国境線を接する国は、他にも美作があるのだが、そこには浦上宗景と結んで東美作の統一に奔走した後藤勝基と言う国衆がいる。後藤勝基は浦上宗景の力を借りて順調に勢力を拡大していき、安東、江見、小坂田などの土豪を配下として、ついに東美作の大部分を掌握していた。

後藤勝基を味方にすると言う選択もあるのだが、出来る限り大勢力を滅ぼすと言う基本方針があるので、今川義元は後藤勝基の後方を三浦貞広に牽制させつつ一気に攻め滅ぼした。これほど簡単に滅ぼすことが出来たのは、苫田郡小田草城主・斎藤実次、英田郡井の内城主・下山正氏、勝北郡真加部館主・安藤為泰などの家臣達を寝返らせていたからだ。

もちろん後藤勝基を攻め滅ぼす時には、幕府に忠誠を誓った山名配下の国衆・地侍は味方に付いたし、元々幕府に忠誠を誓っていた垪和武士団の垪和為能・杉山為就なども味方に付いた。遠方の阿波公方よりも、今近隣に大軍を擁する今川義元の方が脅威だったからだ。

だが美作国内がこれで完全に支配下に置けたわけではない、浦上宗景に忠誠を誓い続ける岡本氏秀などもいる。また花房正幸・花房正成・花房職之などのように、浦上宗景に謀叛した宇喜多直家の従う者もいた。他にも真島郡月田城主・楢崎元兼のように備中国の三村元親に味方する者もいた。

三村元親の父・家親は毛利家を後ろ盾に、備中国のほぼ全域及び備前国の一部を勢力下におさめ、備前・美作への勢力拡大を図っていた。しかし正攻法では勝てないと判断した宇喜多直家によって、1566年に遠藤秀清・俊通兄弟に暗殺されてしまっていた。

長兄・元祐が既に備中庄家の養子となっていたので、次男である元親が三村家の家督を相続した。1567年に父の復讐に約2万の兵を率いて備前に進攻するも、わずか5千の宇喜多勢に大敗してしまった。これがもとで佐井田城主・植木秀長が宇喜多方へ寝返るなど、備中における三村家の威光は衰えを見せたが、毛利氏の支援もあり、元親は家中の動揺を押しとどめることができた。

そして再度復讐の戦いを始めようとしたが、山陰地方に問題を抱える毛利家からの援軍は期待できなかった。

「歴史」の人気作品

コメント

コメントを書く