女将軍 井伊直虎

克全

第74話征夷大将軍就任

多くの者の欲望が渦巻く中で、朝廷を動かした1番の原動力は京を押さえている戦力だった。武家が決して帝や公家を害さないとは言い切れない、過去の歴史の中で殺されたり遠島に処せられた皇族や公家はいるのだ。今京を押さえている今川家の願いをむげには出来なかった。

義直足軽: 5万兵
義元足軽: 1万兵
五郎足軽: 1万兵
国衆地侍:12万兵

次に考慮されたのは朝廷に対する献金額だ、足利幕府が力を失うことで、朝廷を経済的に支えることが出来なくなった。いやそれどころか、失った力を補う為に、皇室や公家の荘園を押領することさえおこなったのだ。

朝廷は天皇の葬儀や就任式でさえ10年20年と延期し、その間に資金をため道具を揃えなければいけないくらい困窮している。そんな朝廷にとって、宇津の御領所を回復した今川は、失うことの出来ない大切な支援者だった。まして征夷大将軍に就任した暁には、領内の皇室御領の回復を約束しているのだ、しかも内裏築地修理料4000貫文は喉から手が出るほど欲しかった。

そんな朝廷を最後に後押ししたのは、石山本願寺の顕如・武田信玄・北条氏康の推薦状だった。顕如は義直の側室に娘を嫁がせることで、今川領内の一向宗の権利を確保しようとした。武田信玄は甲信越管領の地位を得て、越後の上杉輝虎との戦いを有利に運びたかった。北条氏康も関東管領の地位を得て、上杉輝虎との戦いを有利に運びたかった。


1567年『近江・観音寺城』今川義元・直虎

「直虎、嶺子を説得したのか」

「説得と言うほどのことではありませんが、氏真殿の愚行を説明させていただきました」

「義信が嶺子の説得を聞き入れたのはともかく、よく信玄が義信の説得に応じたものだ」

「顕如を取り込めたのがよかったのでしょう、顕如の一向宗の協力なくしては、今川家に勝てないと判断したのでしょう」

「確かに今川領内で一向宗が一揆を起こし、加賀から一向宗が越前に攻め込み、その隙をついて北条と武田が領内に攻め込んでくれば、今の今川家でも対応は難しかったな」

「ですが顕如は、義直将軍の下で一向宗を繁栄させることを選びました」

「これで今川と敵対すれば、今川領からだけでなく、上杉領や加賀本願寺の海の道も閉ざされるな」

「閉ざされるだけではありません、駿河・遠江・美濃・越中・越後からも甲斐・信濃に今川勢が攻め込むことになります」

「そうだな、今川包囲網を構築したくても、顕如が敵に回ってはどうにもならんな。そういう風に、嶺子から義信・信玄と納得させたのだな」

「納得ではありません、心から嶺子殿と園子殿を心配しただけです」

今川義直は14代足利将軍となり、足利義直と名乗ることとなった。

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